1922年4月某日、ワイマール共和国大蔵大臣の名のもとに、とある税制改革が実行の段と相成った。
他国からの留学生の身の上に関連する税制だ。
思いきり簡約して言うならば、遠い異国で彼らがきちんと「学び」に集中できるよう、その本国より送金される学費あるいは生活費。命綱たるこれを以後、一切無税で罷り通して進ぜよう、と。そうした向きの内容である。
(Wikipediaより、10000マルク紙幣。1922年1月発行)
1922年のドイツの
青色吐息どころではなく、逆さに振っても鼻血一滴出るかどうか頗る不審、やめてください死んでしまいますがこれっぽっちも誇張ではない境遇であり、たとえ一セントといえど、取れる外貨があるのなら取っておきたい心理であろう。
それを証明するように、首相就任演説で早くも増税宣言を一般国民大衆めがけて放り込んだ「剛の者」まで居たほどだ。
「ドイツ国民は更に重き課税を見るやも知れざるも、国家の破産に比すれば是は容易なるべきものなり」。──コンスタンティン・フェーレンバッハ、魂の訴えであったろう。
正直な男に違いない。ちなみに彼の内閣は、一年持たずに瓦解した。
(Wikipediaより、コンスタンティン・フェーレンバッハ)
過激化した学生がヒンデンブルクの家の周りを取り囲み、議会に
「元帥ともあろう御方があのような、ユダヤ人どもの巣窟に向かう必要はありませぬ」
と、涙ながらに諌止したのも、ほぼほぼ時期を同じくしていた筈である。
そういう背景を勘案すれば、これはまさしく大盤振舞いに違いない。
日本の碩学諸君らが、
──流石はドイツ、学問の本場。
と喝采を惜しまなかったのも、むべなるかなであったろう。
(『Stray』より)
しかし、にしても。何が斯かる決定の原動力となったのか。国のメンツか、智識に対する信仰か。ルドルフ・オイケンが呟いた、
「今日ドイツは罪と運命の為めに恐ろしき敗亡の結果の下にある、併しドイツは此大戦争に於て非常に優勢なる敵と戦ひよく力量と性質の美を発揮した、その事丈けでも既に世の注意と認識とを受くべき筈である」
この言葉が脳裏をよぎる。
何にせよまあ、よくやることだ。
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