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はっはぁ~
と納得するとこが多く
自分の知らない世代のアニメや漫画の移り変わり
また、世界名作劇場から
最近のアニメや漫画のこと
日本と海外の児童文学についての視点の違いなど
結構細かく書かれてるなぁと思いました。
うん、まぁこういう意見もあるのかな、と。
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成長しないとダメですか? 大人になる必要がありますか?
子どもの物語は、結局大人が与えるもので、それが子どもに必要なものであればウケるけれど、なぜか大人(年を取った子ども)にウケてしまう。アニメとか、ゲームとか、なにが子どものためなのさ、と思うことも。確かに、児童文学が下敷きのアニメやマンガや他メディアは多い。で、割と児童文学はシビア。
大人じゃない人が子どもなだけ。大人って年齢だけで決まる物でもない。けれど、私は「大人」には責任が伴うと思う。「大人」と「子ども」を分けるのは、経済力と情報量かもしれないけれど、それはそれらを扱うという責任に結び付くのではないか。「大人」にならなくても生きていける世の中でもいいかもよ。いつまでも「大人」になれない人しかいないんじゃ、世の中どうなるんでしょうね。
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TVゲーム、テレビヒーロー、アニメ、まんが、児童などについて。大人と子どもに関する関係で昔と現代の違いは、情報量。子どもがかなり情報を得られる社会になっているので、昔は多くを知っている「大人」に成長することが目標だったのだけれど、差異が少なくなってきた現代は目標となりにくくなっている。子どもが情報に接する機会が増えるにつれ、アニメや漫画などで子どもの成長が描かれる作品が少なくなっていく。それが悪いというわけではないということも著者は書いてある。
ところでドラクエってそんな成長過程のあるゲームだったのか~。一回も遊んだことのない自分。
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なぜ子供向けの本(文学、マンガ、アニメ、ゲーム、映画)は成長を描かなくなったのか。
結論には賛成できないけど、過程には傾聴に値する分析がたくさん含まれている。
著者の答えは、「そもそも子供という概念が近代に特有のものであり、大人という概念の合わせ鏡として生み出されたものにすぎない」「大人と子供の差は経済力と情報量の差であり、後者がなくなってきた以上、成長もなくなった」というもの。
前半はアリエスの『<子供>の誕生』だからいいとして、後半には賛成できない。むしろ、そういう、薄っぺらい大人観子供観に由来する成長観が病巣。
(もちろん、著者がこれを「そうあって欲しくはないが、事実として、歴史的経緯として、そうなっている」と書いたのであれば、それには同意するが、そこはよく読み取れない。)
成長譚というのは近代固有ではなくて、神話にも組み込まれている普遍的なものだと思う。成人になるための通過儀礼イニシエーションを考えると、連続した成長ではなく、非連続な生まれ変わりこそが本質なのかもしれないが。
なお、著者は成長は否定しても物語(の必要性)は否定していない。むしろ強く訴えているくらい。成長以外の物語を書こう読もうと。
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児童書だけでなくゲーム、アニメ、コミックなど、子どもを取り巻くメディア全般を概観した上で、今の物語はあえて成長しない子どもの姿を描いているとしている。それは社会状況をそのまま反映しているという見解で、その点はまったく同意だけど、ただ、ガンダムの読み方とか、女の子向けアニメの解説とかは「それはちょっとずれてるんじゃないか」と感じる箇所多数。結局は男性の年長者視点なんだよね。
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テレビゲーム、テレビヒーロー、アニメ(男の子編)、アニメ(女の子編)、世界名作劇場、マンガ、児童文学、そしてまとめにあたる章という構成。
まずそれらの歴史や変遷、意義に、よくこれだけ丁寧に寄り添っているな、ということに驚く。
このように時系列で並べて分析して見せられると、子どもの(或いは親の)立場で、ただ面白おかしく見たり体験したりしていただけのそれらに、こんな意味や意図があったのか、と気付かされる。
歌は世につれ…などというけれど、子どもをとりまくゲームやアニメも世につれ、世はそれらにつれて変遷してきたということである。
中でも、世界名作劇場の「若草物語」が単身赴任の増加とリンクしていることや、離婚率の上昇と家族関係の複雑化が、孤児や孤児的な物語の供給に影響していること、などは、なるほど、と思わされる。
そして「子どもたちは大人に反抗しているわけではなく、さりとて大人を尊敬しているわけでもなく、かといって軽蔑しているわけでもありません。」「相手が大人というカテゴリーに属すること、自分が子どもというカテゴリーに置かれていることは知っていますが、それは人間が辿る歳月、ひと連なりの人生としてとらえられているのではなく切断されています。」と言う。
著者はそのことについては、否定的ではないようだけれど、私はマズいんじゃないの!!と思う。大いに思う。
なぜなら、その先にある「成熟した大人、成熟しない大人、大人にならないままの大人、大人を放棄した人。そうした様々な道筋」は、一見いろいろな生き様があっていいように見えて、実は大きな正義や価値観を提示しない、善と悪の境目の薄らいだ、ぼんやりととりとめのない社会のように、私には思えるからである。
葛藤や苦難を超えて成熟した末に、いろいろな生き様を認め合った
豊かな社会というのではなく、ただ薄ぼんやりと過ごす、大人になれない(ならない?)80年があるだけなのではないか、という気がして。
なんだか少し寒々しい気がする。
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「テレビゲーム」、「テレビヒーロー」、「アニメ(男の子編)」、「アニメ(女の子編)」、「世界名作劇場」、「マンガ」、「児童文学」の作品の背景を探ることで、社会背景や子どもたちのおかれている状況を分析しています。
仮面ライダーやウルトラマン、ハイジやネロの話がでてくると、つい力が入ってしまいました。
子どもの世界にマンガが入り、その延長としてテレビアニメやヒーローものがあります。
マンガやテレビの世界に大人も参入しているのが現代。
大人と子どもの差違が小さくなった近代社会は「大人は必ずとも将来の目標とはなり得ない」と著者は指摘しています。
著者の言うとおり、大人と変わらないほどの情報を手に入れることができ、行動の制限も著しく緩くなってきているのですから「将来の目標とはなり得ない」という指摘は理解できます。
もし、経済力までも手に入れたとき、そこにある差は「経験知の差」だけになるのかもしれません。
小学生が起業して成功しました、という類の子供向け本も出版されています。経済力を手に入れることはネットを使えば、十分可能です。大人、危うし! かも。
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大人への成長を描かなくなった、という子どもの物語論。
自分が触れていない作品のオンパレードで、粗筋を一通り眺めるだけでも価値あるかな、とも期待して読み進めた。
高度成長期時代の大人の期待したい子どもの物語というエゴが、二十世紀末までに破綻してゆく様がわかった。子どもの物語に今後触れていく向きには、避けては通れない論考。
大人と子どもの差異は、昔は経済力と情報量で、情報量の大人における優位性は怪しくなってきた。情報量は更に体験・経験と知識に分けられ、前者に頼らなくても生活が営める社会を目指してきているし、後者はアクセス権の大人における独占が難しくなっている以上差異が無くなる。やがて情報こそ経済だという世界の広がりで、大人と子どもの差異も揺るがされていく。結果「大人へと成長しなければならないわけでもない」となる。
なお、本書では宮崎駿、藤子不二雄作品、サザエさんやちびまる子ちゃんなど、家族で今でも結構触れることのある作品への言及が無いので、それも含めたアップデート版も期待したい。
(それにしても、読了まで相当な時間を要してしまった。多分気にも留めなかった作品も沢山出てきていて、興味が湧かぬくだりなどで多数気力が途切れたからだと思う。。)
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ゲームにアニメ、ヒーロー、世界名作劇場、マンガ、児童文学と、成長を描かなくなっている傾向が窺えるというもの。
大人の男(の子)が子どもの物語を消費するようになったから、単純な成長物語がなくなってきたのではないかと思っていたが、そんなに簡単なことではないらしい。
この本を楽しめたのならば、紅一点論(斎藤美奈子)もおすすめ。
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8章に全てが書いてある。筆者は否定してるが何だか意地悪な表現が気になりなかなか読みすすめられなかった。でもヒーロー物やドラクエなんかの歴史を体系だてて知るには良かった。
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タイトルの「なぜ」に対する答えとしてはつまり、大人と子供の境界線があいまいになったから、ということなのだろうか。
著者の言っていることは、「なぜ成長しなければならないのかではなく、なぜ成長しなければならないと思いこんでしまったのか、必ずしもその必要はないのに」ということのようだ。時代がそういう風に変わって来たのだから、それはそれで受け入れてもいいはずだと…。
あれ?本当にそれでいいのかな??
著者が、非常に細かく丁寧に、様々なゲームやアニメ、テレビ、児童文学など、それぞれの内容とその意義、時代の流れを照らし合わせ分析しているのには驚かされたし、またそれぞれが時代の潮流に敏感に反応し、それが作品に見事に反映されているのにも大変感じ入るものがあったが、近代社会の目指すものが、必ずしも成長する子供や目標としての大人ではなく、もっとフレキシブルな社会なのだ、という結論には、あまり納得できないかな…。
そういうことなのかもしれないけれど、だからこそ成長物語が作られなくなったということなのかもしれないけれど、そんな社会でいいのだろうか、と疑問に思わずにいられない。
まあ、それこそが著者の言う「自分の知識や経験や文化的背景を通してしか物を見られない」ということなのかもしれないけど。
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著者は児童文学作家。タイトルからして、ファンタジー童話に関する内容かと思いましたが、アニメやゲームを中心とした子供むけ作品の変遷について述べられたものでした。
月光仮面やウルトラマン、仮面ライダーなど、往年のヒーローについてこと細かに語られますが、実はその辺りの作品の内容に関してほとんど知らない私には、詳しすぎてよくわからず、共感の置きどころがなく、忍耐を持って読み進むこととなってしまいました。
この本も先日読んだ『リトル・ピープルの時代』も、雑誌で紹介されており、どちらも震災後に書かれた、ウルトラマンと仮面ライダーのヒーロー像について述べられた本。
二次元のヒーローというと、少年マンガ系のものになり、どうも縁遠くなってしまいます。
ゲームもやらないため、ドラクエでは主人公は無言のまま一言もしゃべらないということを知りませんでした。
なんだか、現実の会話の少ない子供たちの原型を見る気がします。
ウルトラマンは、死なせた青年と一体化していることや、仮面ライダーは世界征服をたくらむショッカーによって改造された人間だということも、知りませんでした。
デビルマンのようですね。
かつてはTVヒーローの実写版を見て、「シュワッチ!」「変身!」など空き地で真似をしていた子供たちが、危ないと禁止されたり、遊ぶ空き地が無くなったことで、そうした遊びをしなくなり、その代替行為としてアニメキャラのコスプレに繋がっていったという著者の論に、驚きました。
アニメ観賞後の表現行為としては共通しますが、それぞれの行動は、内容的にも年代的にも、かなりの変容を遂げています。
月光仮面の歌で、ヒーローをおじさんと呼んでいることに、前々から違和感を感じていましたが、放映当時は子供にとっておとなが憧れの対象であった時代だったからだとする著者の意見に、なるほどと納得しました。
おじさんとは、尊敬の念が混ざった呼び名だったわけですね。
キャラとはキャラクターの略語だと思っていましたが、著者に言わせると、双方別ものなんだそうです。
キャラとは、ミッキーマウスやキティなど、成長すると気持ち悪い存在で、キャラクターとは、ガンダムの登場人物など、成長しないと気持ち悪い存在を指すのだとか。
アムロの「親父にもぶたれたことないのに!」というセリフは、声優古谷徹が『巨人の星』星飛雄馬役で父親にぶたれっぱなしであることへのパロディだということは、製作者の遊び心が見えておもしろく思いました。
『エヴァ』では、子供たちは心を保つために、自閉する(シンジ)、切れる(アスカ)、感情をなくす(レイ)といった性質を帯びているとのこと。
逃げ場がない、病的さを感じます。
対照的な作品『ワンピース』では、主人公ルフィは、海賊王を目指す海賊行為をしない海賊というふるまいを永遠に続けていっているとのこと。
すでに完成形で、成長過程とはまったく縁がないそうです。
主人公の成長が見られない物語は、ストーリーとしておもしろいものなのでしょうか?
少女向けアニメのことも、書かれていました。
TVアニメは、男の子向け漫画が原作で、主人公も男の子、製作側も男性ばかりだったため、いざ女の子向けのアニメを作ろうとしても、誰も「女の子」についてわからないため、苦肉の策として、「大人の女」を子供化した像を作り上げ、それが魔法少女たちの造形となったと知りました。
少女向けアニメながら、男性ファンが多い作品があるのは、やはり男性目線で作られたものだからでしょう。
かなりジェンダー的な背景がネックになって存在していることがわかりました。
興味深い内容ながら、アニメ大国日本の膨大な作品を比較し、潮流を押さえていくのは、なかなか大変な作業だと思います。
はっきりとした方向性も見えない、混沌とした流れになんとか竿をさしていこうとするのは果敢な試みですが、テーマが大きすぎて、著者の手に余っているような印象を受けました。
それにしても、少女向け作品といったら、憧れの彼との恋愛成就というような感情表現がメインテーマになることがほとんどですが、それは(そうあっていてほしい)という製作側男性たちの希望と妄想によって形作られたものだとわかり、多少なりとも衝撃を受けました。
いまだ、少女が大人の女になる話はあっても、少女が大人になる話はないとのこと。
なんだか、いまだジェンダー面での表現方法は発展途上で、整い切れていないという、根深い問題があるように思います。
また、あとがきでは、3月の震災についても触れられており、今後は、ファンタジーがリアル側面を持つであろうことが述べられていました。
ありえない光景を目にしてしまった私たち。
もしかしたら、仮想世界の表現法が今後がらりと変わりゆく、その分岐点に立っているのかもしれません。
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仮面ライダー、ウルトラマン、ガンダムの話は面白かった。それぞれ、他にもっと詳しく書いてる本があるのだと思うけど、それだと重すぎなので、このくらいの裏話がちょうどいい。
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日経BPネットで著者のインタビューを読んだ。DQやFFに比べてメジャーとは言えない「ペルソナ2」を本書で取り上げていることを知って購入した。
著者の主張を理解するだけなら、最後の第8章だけ読めば事足ります。誤解を承知でざっくり言ってしまうと、今の子どもはすれているということ。「ペルソナ2」に端的ですが、ちょっと牽強付会なところがあります。