投稿元:
レビューを見る
サドやバタイユ、そのほかさまざまな文豪、思想家たちの生い立ちを紹介しながら症例やそれに近いものと比較し、異常心理やそのような精神状態になりがちな性向を分析している。内容は異常心理にかぎらず心理学の入門的な間口の広さで、読みやすく、おもしろい。タイトルで損をしているのではないかと思った。
投稿元:
レビューを見る
あらゆる点で参考になるので逐一ノートにとりたいレベル。
・完璧主義=一種の強迫反復 幼児退行的でもあるが、偉人の原動力でもあった
・短絡的な快楽の回路ができた上で自己目的化することで、他者は排除され行為が反復される。自己目的化が、傍からは異常や狂気として映る。あるいは、規範の侵犯も快感となる。
・嗜虐性と自虐性は紙一重。解決するためには、長期的に見た損失の大きさを何らかの形で認識するか、相互的・共感的関係をを招き入れる必要。
・偶然に意味を感じてしまう直観・敏感さと異常心理の紙一重。自己絶対視。妄想分裂ポジション(=他者の否定・攻撃)と抑うつポジション(=自己否定・反省)。部分対象関係と全対象関係
・人間は両価性をだいたいにおいて持つ。抑圧すると「おぞましい想像」。そういう場合実行に移すことはあまりなく、いっぱい想像させることで治る場合も。天邪鬼は嗜虐性や乖離への入口。
・精神状態を癒すために第二の人格が要請される場合も。
・囚われを治すために、催眠、もしくはリフレーミング。簡易の手法としては眼球を左右に動かさせることでトランスに近くなる。ある時期のやり残しとして「固着」と捉えることも可能。
・自己対象。自己愛、嫉妬。自分が操れるものとして他人を見てしまう自己対象の病理は、自己愛的な人の他にも献身的な人の場合にもある。いずれにしろ愛着の不足。
・グレートマザーの問題。
・幸せに罪悪感を感じるのは何故か? 幸せの概念と何かが変に結びついている可能性があり、そこをほぐしうる。
・自己否定は多くの異常心理につながる。自己否定が強い人は、認められるために良い自分と悪い自分を峻別しようと二分法的思考、完全主義に陥りやすい。
・善悪をはっきりさせる二分法的思考を捨て、失敗も成功も連続したもの、見方によって変わるものとして捉える。
投稿元:
レビューを見る
偉人と呼ばれるまでになったような人は、みな何かしら異常心理にとらわれていたのではないかと思えてきたw
幼少時の欠落の代償を手の入れようという、強烈で異常な強迫観念のようなものがあるからこそ、あそこまで特定の物事に思い入れを持つことができ、特異な個性を持つようになるのではないか。
天賦の才の裏に異常心理があるのだとすれば、単純に羨ましいとは思えなくなってくる。
逆にいうと、自分にはそのような強烈なトラウマはないようなので、だから凡人の域を出ることはないのだとすると、良かったのか悪かったのか。
投稿元:
レビューを見る
過去の偉人たちの異常心理がこれでもかというぐらい紹介されており、読んでいる途中で少し私自身の精神状態が悪くなった気がした。最後には異常心理に陥らないための対策が述べられているが、かなりあっさりしており、少し物足りない印象だった。
投稿元:
レビューを見る
Kindleにて読了。
精神科医の先生が心の抱える問題の現れ方について、分かりやすく解説した本。
どんな人にも心の闇はある。どんな人にも障害が起きるかもしれない。だからそれといかに付き合っていくのかが大事なのだなと感じた。両価性のジレンマに陥らずに色々な角度から物事を眺めることができるような余裕を持って生きたい。
投稿元:
レビューを見る
面白い。特に完全主義への警鐘の辺りはうーんとうなってしまった。確かに完全主義は破綻と紙一重であろう。
また、三島由紀夫や東電OL、はたまたニーチェなどのプロファイルも興味深い。
が、しかし、何とも言えない違和感が残る本でもある。恐らく作者の因果付けが度をすぎるからではないかと思う。そこに至ったデータ、根拠がないと私のような素人は、無防備に受け付けるか、猜疑をもつかどちらかになるのではないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
「なぜ社会地位もある人が少女のスカートの中を覗いてしまうのか。」
過去の偉人と異常心理の相関を取り、日常に起こり得る精神的病と原因の解説、そしてそれらから身を護るにはどうすれば良いかまで丁寧に紐解かれています。
完璧主義、依存症、支配欲、固着、自己愛、、「病」とまでは無自覚なものの、少なからず誰もが持つこういった性質が異常心理に繋がるという、結構恐ろしい内容。
個人的に特に震えたのは4章の「両価性」について。
両価性とは相反する気持ちを同時に抱える特性だそうですが、私はこのジレンマで自他ともにストレスフルにさせることが多々有ります。
自分のことを思って言ってくれたことに何故か苛立ちを感じてしまい、つい本心に反した行動をとってしまう。
これが私だけでなく本書で紹介されるほど一般的な特性であるのなら、逆の立場、つまり相手を思うゆえの発言に対して不可解な態度を取られた時、反射で対抗するのでなく、「ははーん、お前両価性を持っとるな」と立ち止まる心を持とう(そうでありたい)。
読んでいて、自らも十分異常者予備軍ではないかと怯える場面もいくつかありますが、本書を読んで何かしら力強さみたいなものを感じるのは、
<この異常性は誰しも起こる「正常」であり、故に自分だけが異常だと慌てる必要は勿れ>
みたいなメッセージ性を感じるからだと思います。
だからめちゃくちゃ面白かった。
投稿元:
レビューを見る
面白かったのだけど、「健全な心を育むには幼児期の母親の接し方が重要」という記述が多くて、心が萎える。
昨日もちょうど、ストレス耐性のある人間に育てるには、幼児期の母親の愛情が重要というネット記事を読んで、一体父親は何処にいるもんなのでしょうねと思ったばかり。どうも父親に大事な素質は「暴力をふるわない」事だけに思えてくる。
幼児期の母親との接し方が大切だという事は否定しないのだけど、同じ研究を父親に対しても充分行われていての記述なのか甚だ疑問。
心に問題を抱えた人の解決方法としては役立つ事が書かれているのだろうけれど、これから一人の人間を育てていく母親になる可能性のある人間としては、逆に心理に異常を来しそうなプレッシャーを感じた。
それも私自身の幼児期の母親との関わり方が悪かった所為なのでしょうかね。
時代の問題もあるだろうが、心に問題を抱えていたであろう歴史上人物の中で数名、「幼少期に女の子として育てられた事が原因」とあったのだけれど、逆のパターンがないのが物足りない。
父親の虐待があった時に、それを止めなかった母親もセットで非難される事はあっても、母親の虐待があった時に、それを止めなかった父親の存在というものを余り聞かないのも気になる。
そもそも父親とは、子供との接触が薄くても構わない存在なんだろうか。
投稿元:
レビューを見る
岡田尊司さんの著書は最近よく読む。
読むたびに、新しい世界を知ることができる。
精神疾患について、書いてある本が多いのだが、本書は「あなたの」と銘打ってあるように、一般人全般に関係あるものなので、より身近なものとして読めた。
「イジメにしても、同じだ。なぜ人はイジメをするのか。イジメをめぐる多くの議論が忘れていることは、イジメには強烈な快感が伴うということである。いじめている側は、おもしろくてたまらないのである。」(p.57)
残酷なようであるが、納得出来るのは確かだ。
私はイジメの加害者になったことは無いが、例えば、他人の悪口をいう時はほんのり快感を感じたりする。
本書では、人のもう一つの面を垣間見れた。
投稿元:
レビューを見る
面白かった。 異常心理に陥ってしまう事は誰にでも起こりうる。
時々自分を振り返り、狭い価値観や一つの視点にとらわれ過ぎない事が大事。
これは断捨離でいうの俯瞰力を付けるのととても似ている。#感想部
投稿元:
レビューを見る
・瞬間の快楽あるいは強迫観念に囚われ行動自体が目的と化す「自己目的化」
・相手を攻撃し支配することで自分の優位と正統性を証明しようとする「自己絶対視」
・自己の理想像を対象に投影して陶酔する「自己対象」。…
欲求とは私たちが生きる上での原動力であるとともに、行動を支配する主でもあるのだと思わずにいられない。
幼少期は母の愛を、長じては他者からの認証を求め、不幸にもその望みが果たされなかったとき、精神は容易く均衡を崩し、欲求は暴走を始める。
例にとられた哲学者、文学者ら著名人のエピソードは非常に興味深い。
ただ、彼らの思想や嗜好、衝動の由来に関して著者の恣意的な解釈が感じられ腑に落ちないところもあった。
心理の両価性を鍵としているのは何となく納得。
愛されない自分を否定しなくていい。不完全は決して無価値と同義ではない。
投稿元:
レビューを見る
人は誰もが少なくとも部分的には「異常心理」の要素を持っているのだと思うが、どんな「異常心理」があり、それとどのように向き合うと良いかを解説。この本を読んでおくことで、自分自身が悩んだときなどに、「異常心理」を抑えることのきっかけになると思う。
投稿元:
レビューを見る
誰もが持つ異常心理の種。それを正しく受け止めることで平常心を自覚することができるはず。
そんな一冊でした。
投稿元:
レビューを見る
読書レポート:あなたの中の異常心理 岡田尊司 著 (幻冬舎新書) | デジたろうとピアノ http://digitaropiano.luna.ddns.vc/digitaropiano/?p=3931
投稿元:
レビューを見る
数々の歴史上の著名人にまつわる異常心理と、そこに至るまでの過程は、現代に生きる我々の日常にも潜んでいる・・・。人は何に捉われ、そして常軌を逸するのか。正常と異常の差はどこで生まれるのか。はたして自分自身は「正常」なのか。