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人はどうだかわからないけれど、
私はとても悲しい話だと思った。
消化しきれない部分がたくさんあるから、またもう1回読みます。
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二回読んで二回目に号泣。
なんというザムザの報われなさ!虫になったことじゃなくて、最終的に家族に見捨てられたことが不条理なのだなと思った。
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20世紀の実存主義文学の先駆けとなった作品らしい。
実存主義…人間の実存を哲学の中心におく思想的立場。あるいは本質存在 (essentia) に対する現実存在 (existentia) の優位を説く思想。普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を主張する思想である、とされる (「実存は本質に先立つ」) 。時間の流れの中で、今ここで現実に活動している現実存在としての「私」は、ロゴス的・必然的な永遠の本質を否定された自由な実存として、予め生の意味を与えられることなく、不条理な現実のうちに投げ出されたまま、いわば「自由の刑に処された」実存として、他者と入れ替わることの出来ない「私」の生を生き、「私」の死を死ぬことを免れることは出来ないのだ、とする。生を一旦このように捉えた上で、このような生を、絶望に陥ることなく、いかにして充実させていくかが、実存主義にとっての課題ともされる。
読み始めたときはそもそも実存主義すら何?っていう状態だったから読んでてどの部分がそれに該当するのか全く分かんなかったけど、こうやって意味を調べていったら本書における該当部分をそれとなく把握できた。まさにグレゴール・ザムザの人生そのもの、そして毒虫になった彼と同居し続けていた精神的・肉体的に疲弊していたザムザ家が実存主義の核心部分なのではないか、と今のところは考えております。僕らは単純な世界に住んでいるわけじゃないからやっぱり絶望しながら喜びながら生きている。一個の個体の中に精神という中身が入っただけの生き物だからやっぱりもろいんじゃないかなって。他者と入れ替わることのできない「私」の生を生きる、この部分に「比較」という精神あるいは概念が深みというか混沌を与えているように思う。
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ある朝目覚めると青年ザムザは
毒虫に変わってしまっていた。
毒虫となったザムザの生活過程を書いたお話しです。
それまで家族とても仲良く暮らしていたのですが、
ザムザが毒虫になってしまった途端
家族の態度が全く変わってしまう辺りが何とも・・・
でもザムザは『こんな姿なら仕方がナイ』って
それを受け入れちゃうんですよね(´-`)・・・
このお話しの怖いトコロは何で朝起きたら『毒虫』
になってしまっていたのか分からないトコロ。
原因がないんで、この本を読んで暫くは寝るのが怖かった(´□`;)
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一行前に私が考えていたグレゴールに対する思いが、次の一行に埋め込まれていて内容よりもカフカ自身を好んだ。
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有名どころだし薄いので読んだ
読み始めて「…?」、読み進めて「…なんで?」、読み終わって「なんで!」
ほんとうに不条理で、腹立たしくさえある
腹立たしいけれど、受け入れてむなしくなってしまいそうな自分もいる
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なんともなんとも不思議な。。
喜怒哀楽の感情を端から端まで揺さぶり、もたらす。
そして毒虫が象徴するところの「 」は読者が広げる創意工夫の余地として横たわっている。
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様々な比喩ともとれるこの物語。体内にまぎれこんだ病原体のように扱われるザムザを、差別問題に例えたり、就職が決まらずに家に居座るこどもに例えたり、認知症になってしまった父母に例えたりいろいろな読み方がありそうだ。なんか第9地区に似てないか。いま読んで面白い作品のように思う。
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「カフカについて書かれたもので、未だかつて意味のあるものは存在しない」とアドルノが述べていたように思いますが、確かに彼のカフカについての書評を読めば、巷に溢れた「不条理」やら「実存」という言葉から説明されるものでは本質を取り損ねるというのはある。
不条理や実存のような言葉でもって語るのではなく、カフカの細部を描く才能をもう少し吟味すべきだし、その細部はカフカの場合、多くは滑稽なことを機械的に繰り返すような人間像と、書類や文言の絶対性、そして果てしなく広がっているような室内空間となって表れてくるが、そういう途方も無さにこそ制度の持つ力があるし、それを真っ向から言葉というカフカの方法で対峙したからこういう作品が可能になる。
だから大変含蓄があるのだ。
そして、現代的な問題の一つとして捉えてみれば、介護する人間の苦労なんかもここに的確に表現されています。ただ、それに焦点を絞ってしまえばこの本の良さも半減されてしまうのだけど。
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人生の充実って言うものの大半はきっと自己満足が占めるとは思うんだけど、それにしたって他人から全く認められないんじゃちょっとさみしいよねってかんじのおはなしふたつ。
人のために頑張り続けたにも関わらず感謝も憐れみも受けなかった人生と、真意とは別の勝手な好奇な目を向けられそしてついに理解されることの無かった人生。どちらもその最後が厳かで気高くて素敵でした。これに絵がついたら絵本かも知れない
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朝、目覚めてみるとゴキブリみたいな虫になっていた、ザムザ家の長男グレゴールとその家族の物語『変身』と、「断食をする」ことを芸として見せる『断食芸人』の物語2編。
今更ながら初めて読んだドイツ文学。『変身』は分厚い本かと思ったら、ものすごい短い物語で、気軽に読むことができる。『断食芸人』はさらに短く、トイレで全部読んでしまった。気軽に読み出すことはできるが、『変身』のところは、虫になったザムザがかわいそう、とか思ってしまい、読み進めると悲しくなってくる。特に、虫の姿になったグレゴールを見た母親が必死に後ずさりして逃げる場面の、p.35の「『母さん、母さん』とグレゴールは低い声で言いながら、母親の方を見上げた。」なんかはほんとにかわいそう、このままかわいそうな虐待話みたいなのが続いたらどうしよう、とか思った。そしたら、そういう展開にもならないところがこの物語の不思議なところで、さらに物語の最後に至ってはさわやかな気持ちにさえなってしまった。放送大学の『世界の名作を読む』という教科書で解説されていたが、この物語は、ザムザの変身ではなくて家族の変化の物語、我々の世界でもよくある物語(pp.122-3)というところで、ハッとさせられて、「名作」と言われる理由が少し分かる気がする。
『断食芸人』は、「生きる」ための目標が「生きる」ことと反することをする(=断食をする)ことである、という矛盾を抱えている点が興味深い。断食芸人の最期の描写が、かえって、ものすごい「生き様」=「死に様」を描いているような感じもする。(11/01/18)
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普遍的。20世紀初頭のドイツで書かれたはずなのに、描かれる社会病理は21世紀の日本にも通じるものがある。
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受験勉強中からずっと読みたかった作品の1つ。
正直、気持ち悪かったです。でも、ページをめくる手を止めることは出来ません。引力でもあるのかと思うくらい、ぐいぐい引っ張られました。
主人公のような状況に陥ることはふつう誰もが考えつかないことですから、すっかり変わってしまった主人公をザムザと見なさなくなり、邪魔者として排除しようとする、家族の反応にも共感できました。
人間は概して自分たちに不利益を与えうる存在は迷惑なものとして排除しようとする一面があるよ、といういい例だと思います。…極端な例かもしれませんが。
これを読んで、私はいつもなるべく見ないようにしてきた心の奥をのぞかれた感じがしました。
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フランツ・カフカの「変身」
朝起きると、ベッドの中で気味の悪い甲虫に変身していた男の物語。
現実には起こりえないことなのに、あたかも自分の身に降りかかった事実のように感じてしまう。これはカフカの卓越した描写力があってこそ。甲虫になった男に対する家族の心境・接し方が少しずつ変化していく様は恐ろしいほどリアル。後年の小説家がカフカを絶賛したのも理解できる。
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ある朝、布団の上で虫人間になっているところから話は始まる。
虫でありながらも、私達とどこか共感できる部分を覚えるはずだ。
彼の、行動も面白いのだが、彼を取り巻く周りの家族などの変容も楽しみながら読むことができる。