アンドロイドは電気羊の夢を見るか? みんなのレビュー
- フィリップ・K・ディック (著), 浅倉久志 (訳)
- 税込価格:990円(9pt)
- 出版社:早川書房
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人間は他人を傷つける。しかし愛することもできる。
2010/01/07 02:37
34人中、34人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yjisan - この投稿者のレビュー一覧を見る
第3次世界大戦後、放射能灰に汚染された地球。そこでは生きている動物を所有することが地位の象徴となっていた。人工の羊しか持っていない賞金稼ぎリックは、「本物」の羊を手に入れるため、火星から逃亡してきた<奴隷>アンドロイド6体の首にかけられた莫大な懸賞金を狙って、命がけの狩りを始めた!・・・と、粗筋だけ書くと、何やら安っぽいアクションSFのようになってしまう。それが本作である。
映画『ブレードランナー』の原作として有名な作品。相変わらずディック節が爆発していて、読みにくいことこの上ない(ディック作品の中ではマイルドな部類に属するが)。先行SFで使い古された陳腐な小道具。あまりにも嘘っぽく、作り物めいた作品世界。物語の論理的整合性を無視した、勝手気ままで強引な展開。話をまとめることを拒否するかのような、突き放した結末。だが、ディックにプロットの巧みさを求めるのは間違っている。
ディックの真骨頂はグロテスクな世界が生み出す不気味な迫力と、作品の思索性にあるのだ。「ディックの描く未来世界は我々自身の世界の歪んだ鏡像だ」と言われる所以である。
本作では外面では見分けのつかない人間とアンドロイドとの識別に感情移入度テストが用いられている。アンドロイドは他者の喜びや痛みに共感することできず、それゆえに残虐であり、自分の生存のためには仲間も平気で裏切る、と言われてきた。しかし感情移入度テストでは判別できないアンドロイドも出てきてしまう。
人間だと思ったらアンドロイドで、アンドロイドだと思ったら人間。そんな経験を続けるうちに、「人類社会の敵」として何の躊躇いもなく逃亡アンドロイドを殺戮してきた主人公リックは、次第に標的アンドロイドに同情し始め、重大な疑問に直面する。自分たち人間と彼らアンドロイドはどこが違うのか?
人間よりも人間らしいアンドロイドがいる。一方でアンドロイドのように無慈悲な人間もいる。アンドロイドであるというだけで、「社会への脅威」として虐殺することは果たして正しいことなのか? 自分の仕事は、この社会は何か間違っていないか? リックはアンドロイド狩りに疑念を持ち始め、あまつさえ自分に協力するアンドロイドを愛してしまうのだ。そんな葛藤の中、リックは……
ここに至っては、神の創造物として自然に生まれてきたか、人工物として造られたかは、本質的な問題ではなくなる。感情移入できれば人間、できなければアンドロイド。逆に言えば、人間して生まれてきたとしても、感情移入能力がない者は真の意味で「人間」とは言えないということである。真の対立軸は人間/アンドロイドではなく、人間性(親切=善)/アンドロイド性(冷酷=悪)なのだ。
ハインラインやアシモフの作品のような、「よくできたお話」が好きな人には向かないことは確かである。しかし、ぜひ避けずに読んでほしいと思う。それだけの価値がある本であることは間違いない。現実の不条理性と怪物性を縦糸に、人間性を横糸にして織りなす、思索の世界が待っている。
たかがSF?されどSF!
2003/07/29 13:02
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Rosmarin - この投稿者のレビュー一覧を見る
命の尊さをテーマとし、全面に訴えた作品は今まで数え切れないほどあります。
だけどこの作品は正反対。
一見命を粗末にしているように見えます。
ところが私にとってこれほど激しく命の尊さを感じさせられた作品は
他にはありません。
映画ブレードランナーの原作です。
映画ではやけに人間くさく存在感の強かったレプリカント達。
小説では彼らには余り感情移入せずに淡々と描かれているのですが、
それが逆にレプリカントという存在、しいては人間という存在に対して考えさせられます。
人間は他人を傷つける。しかし愛することもできる。
2010/01/06 16:26
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yjisan - この投稿者のレビュー一覧を見る
第3次世界大戦後、放射能灰に汚染された地球。そこでは生きている動物を所有することが地位の象徴となっていた。人工の賞金稼ぎしか持っていない賞金稼ぎリックは、「本物」の羊を手に入れるため、火星から逃亡してきた<奴隷>アンドロイド6体の首にかけられた莫大な懸賞金を狙って、命がけの狩りを始めた!・・・と、粗筋だけ書くと、何やら安っぽいアクションSFのようになってしまう。それが本作である。
映画『ブレードランナー』の原作として有名な作品。相変わらずディック節が爆発していて、読みにくいことこの上ない。あまりにも嘘っぽく、作り物めいた作品世界。物語の論理的整合性を無視した、勝手気ままで強引な展開。話をまとめることを拒否するかのような、突き放した結末。だが、ディックにプロットの巧みさを求めるのは間違っている。
ディックの真骨頂はグロテスクな世界が生み出す不気味な迫力と、作品の思索性にあるのだ。「ディックの描く未来世界は我々自身の世界の歪んだ鏡像だ」と言われる所以である。
本作では外面では見分けのつかない人間とアンドロイドとの識別に感情移入度テストが用いられている。アンドロイドは他者の喜びや痛みに共感することできず、それゆえに残虐であり、自分の生存のためには仲間も平気で裏切る、と言われてきた。しかし感情移入度テストでは判別できないアンドロイドも出てきてしまう。
人間だと思ったらアンドロイドで、アンドロイドだと思ったら人間。そんな経験を続けるうちに、「人類社会の敵」として何の躊躇いもなく逃亡アンドロイドを殺戮してきた主人公リックは、次第に標的アンドロイドに同情し始め、重大な疑問に直面する。自分たち人間と彼らアンドロイドはどこが違うのか?
人間よりも人間らしいアンドロイドがいる。一方でアンドロイドのように無慈悲な人間もいる。アンドロイドであるというだけで、「社会への脅威」として虐殺することは果たして正しいことなのか? 自分の仕事は、この社会は何か間違っていないか? リックはアンドロイド狩りに疑念を持ち始め、あまつさえ自分に協力するアンドロイドを愛してしまうのだ。そんな葛藤の中、リックは……
ここに至っては、神の創造物として自然に生まれてきたか、人工物として造られたかは、本質的な問題ではなくなる。感情移入できれば人間、できなければアンドロイド。逆に言えば、人間して生まれてきたとしても、感情移入能力がない者は真の意味で「人間」とは言えないということである。真の対立軸は人間/アンドロイドではなく、人間性(親切=善)/アンドロイド性(冷酷=悪)なのだ。
ハインラインやアシモフの作品のような、「よくできたお話」が好きな人には向かないことは確かである。しかし、ぜひ避けずに読んでほしいと思う。それだけの価値がある本であることは間違いない。
映画とは違った感慨が…
2013/10/19 01:17
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あずきとぎ - この投稿者のレビュー一覧を見る
1968年発表の作品。
映画「ブレードランナー」の原作小説としても、あまりに有名。
主人公リック・デッカードは、警察に属する賞金稼ぎである。
彼は、植民惑星から地球に逃亡してきたアンドロイドを始末することで懸賞金を得て、生活していた。
映画とは異なり、小説のリックは妻帯者だ。
(戦争のため)半分ほどしか入居者のいない高層集合住宅に、妻と二人で暮らす彼が、ある朝目覚めるところから物語は始まる。
実は、この作品は、彼のほぼ丸一日を描いている。
朝から妻と口論になり、彼女をなだめ、屋上で隣人と会話し、ホバーカーで出勤する。
この最初の場面で、物語世界の背景が巧みに織り込まれる。
核戦争による放射能汚染、世界的な生物の激減と人口の減少。
人々は、引き続く放射能灰による汚染に肉体を侵されるにとどまらず、その過酷な環境により不安や孤独などを日々感じていた。
この精神の不安定さを補うため、各世帯には二つの装置が備えられていた。
情調(ムード)オルガンと共調(エンパシー)ボックスである。
これらは、機械的(電気的)に人の精神に作用し、前者は自在にその気分・欲求をコントロールすることが出来、後者は人類他者の存在を感じ交感・共感することが出来る。
放射能汚染により、人類の一部は精神に障害を持っている。
彼らは、テストにより峻別され、俗に「ピンボケ」と呼ばれ、差別される。
しかし、適格と判断された人々も、上述のような機械に頼って、その精神を保っている。
はたして、その違いはあるのか。
さらに、精巧に造られたアンドロイドもその対比に加わる。
精神の異常・正常とは、何を持って言えるのか。
この命題は、物語の進行と共に、「人間とは、何か」という問題へとつながる。
人間とは?
人間らしさとは?
発表から四十年以上が経つが、作品のテーマも、描かれている近未来の人間像も、まったく色褪せないどころか、むしろ現在を生きる我々にこそ肌に感じるものがあると思う。
映画とは、また違った感慨があった。
人間とはなにか
2015/09/12 15:05
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けy - この投稿者のレビュー一覧を見る
人間そっくりなアンドロイドを狩るハンターの話。序盤のアクションを楽しみ、想いの大切さを謳う終盤で考えさせられる。面白い。
本格的
2013/05/20 23:34
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:しんぴん - この投稿者のレビュー一覧を見る
SFだけど、人間のありかたを考えさせられる、良い本。面白い。
原作の方が面白い
2003/07/29 12:41
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ポーリィーン - この投稿者のレビュー一覧を見る
鬼才リドリー・スコットが映画化! などと騒がれたので見てみたが、いったい何がいいのかさっぱり判らなかった。だが、本書の奇妙な題に惹かれて原作を読んでみると…めちゃめちゃ面白い!! それに未来の話なのに映像が頭にスンナリと浮かぶ。そして映画の内容もやっと判った(もう一度見たいとは思わなかったけど)。
映画とは違った感慨が
2020/12/05 17:57
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あずきとぎ - この投稿者のレビュー一覧を見る
1968年発表の作品。
映画「ブレードランナー」の原作小説としても、あまりに有名。
主人公リック・デッカードは、警察に属する賞金稼ぎである。
彼は、植民惑星から地球に逃亡してきたアンドロイドを始末することで懸賞金を得て、生活していた。
映画とは異なり、小説のリックは妻帯者だ。
(戦争のため)半分ほどしか入居者のいない高層集合住宅に、妻と二人で暮らす彼が、ある朝目覚めるところから物語は始まる。
実は、この作品は、彼のほぼ丸一日を描いている。
朝から妻と口論になり、彼女をなだめ、屋上で隣人と会話し、ホバーカーで出勤する。
この最初の場面で、物語世界の背景が巧みに織り込まれる。
核戦争による放射能汚染、世界的な生物の激減と人口の減少。
人々は、引き続く放射能灰による汚染に肉体を侵されるにとどまらず、その過酷な環境により不安や孤独などを日々感じていた。
この精神の不安定さを補うため、各世帯には二つの装置が備えられていた。
情調(ムード)オルガンと共調(エンパシー)ボックスである。
これらは、機械的(電気的)に人の精神に作用し、前者は自在にその気分・欲求をコントロールすることが出来、後者は人類他者の存在を感じ交感・共感することが出来る。
放射能汚染により、人類の一部は精神に障害を持っている。
彼らは、テストにより峻別され、俗に「ピンボケ」と呼ばれ、差別される。
しかし、適格と判断された人々も、上述のような機械に頼って、その精神を保っている。
はたして、その違いはあるのか。
さらに、精巧に造られたアンドロイドもその対比に加わる。
精神の異常・正常とは、何を持って言えるのか。
この命題は、物語の進行と共に、「人間とは、何か」という問題へとつながる。
人間とは?
人間らしさとは?
発表から四十年以上が経つが、作品のテーマも、描かれている近未来の人間像も、まったく色褪せないどころか、むしろ現在を生きる我々にこそ肌に感じるものがあると思う。
映画とは、また違った感慨があった。
人間とそうでないものの境目
2020/09/01 06:13
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:藤和 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは、なんといえばいいんだろう。
人間とアンドロイドと、動物と機械の動物と。
主に人間とアンドロイドを中心に話が進むのですが、時々出てくる動物たちがなんだか象徴てき。
何を持ってして人間を人間というのか、考えてしまう。
人とアンドロイドとの境界(ネタバレあり)
2020/01/09 09:21
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ショウさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
今まで色々なSFを読んできました。
技術革新が進んだ近未来が舞台なのに、登場人物の悩みが現代とそんな変わらないのは「人は進んだ未来でもそんなに進歩しないよ」という皮肉なのか…
この本のテーマはずばり、「人とは何か?」です。
主人公は指名手配アンドロイドを"破壊"した賞金で生活する賞金稼ぎなんですね。
今までアンドロイドに対して何も感情を抱いておらず(あえて言うなら「壊すのに手間がかかりそうだ~」くらい)淡々と仕事をしています。
途中、ヒロインである人間そっくりの女性アンドロイドと主人公は一夜を共にし、そこが物語の大きなターニングポイントになります。
ヒロインと寝た主人公は、なんとアンドロイドという種に、対人のような哀れみや慈しみを抱くようになり、アンドロイド達を"殺す"ことに苦悩してしまいます。
アンドロイドとは何か、人との差異はどこなのか、と苦悩していくうちに「人とは一体なにか、私とは一体何か」という苦悩に自然に変わっていくのだと思います。
他者を見つめているうちに、気づいたら鏡に映った自分自身を見つめているんです。
ココらへんは、他作品でもよく取り上げられるテーマですね。
きっと後世の作者に多大なる影響を与えたからなんだと思います。
色あせない未来観
2018/03/19 17:22
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:camecame - この投稿者のレビュー一覧を見る
ブレードランナーの原作として知られる「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」は映画の
前作の30年後を描いた2049の世界にも大きく影響を及ぼしている。前作はフクロウ、続編は昆虫。そして原作中で主人公の見つけた生物とは。何年たって読んでも、何度読み直しても、いろいろなことを学べるような気がする。
ブレードランナーとは別ベクトルで面白い
2016/07/23 10:05
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わびすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
やっぱり名作。ディックのいつものアイデンティティ・クライシスの部分より、未来世界の日常の描き方とかに独自性を感じた。
いろんな分野の人に影響を与えた本
2016/02/02 11:06
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:onew - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ブレードランナー」の原作、SF小説は今まであまり読まなかったけど文句なしの星5つ!本物の人間とは何か?
アイデンティティがゆらぐことの「不気味な気持ちよさ」
2007/08/04 20:13
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:木の葉燃朗 - この投稿者のレビュー一覧を見る
設定と物語の進む過程が面白い。舞台は地球。しかし、多くの人は他の惑星に移住し、残っているのは信念を持って移住を拒否する者か、移住に適さないと判定された者。そして地球には、人間そっくりのアンドロイドが生息し、人間のアイデンティティを守る(アンドロイドと人間を区別する)ためにアンドロイドを狩るバウンティ・ハンターが職業として存在する。
主人公はバウンティ・ハンターのリック・デッカード。彼がアンドロイド狩りをしていく様子を描いた場面は、ハードボイルドのような雰囲気を持っている。一方で、「共感ボックス」という装置を握ることで、同じ行為をしている人、そして教祖のウィルバー・マーサーとの一体感を感じるマーサー教や、マーサー教と対立するテレビ・ショウ、更にはホバー・カーやレーザー銃などの道具立てには、SFらしさを感じさせる。
しかしこの小説が一番面白かったのは、登場人物のアイデンティティがゆらぐ様子だった。デッカードは、アンドロイド狩りの中で、アンドロイドと人間との区別がつかなくなっていく。そのきっかけは、彼が狙ったアンドロイドが人間ではないかという疑いが生じる場面。そして、デッカードはアンドロイドに対しても人間と同じような感情を抱いてしまう。一方、そうした葛藤もなく、冷静にアンドロイドを破壊していくバウンティ・ハンター、フィル・レッシュも現われ、デッカードはますます混乱する。
このあたり、読んでいる方としても、誰が本当に人間で、本当にアンドロイドなのか、疑心暗鬼になってくる。レッシュはアンドロイドかもしれないし、アンドロイドに愛情を感じるデッカードこそアンドロイドかもしれない。また、彼らの狩ったアンドロイドは果たして本当にアンドロイドなのかも分からなくなってくる。この、登場人物のアイデンティティのゆらぎが、「不気味なのだが気持ちいい」という気持ちになる。くらくらするような気持ちよさというか。
残虐なのは一体だれ?
2007/09/29 22:26
8人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:スクラップレビュワー3216 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1968年ディックが描いた1992年では、ソ連は未だ崩壊していない様だ。夜空に星はなく、あるのは核の灰が漂うのみ。流れ星の代わりに、ホバーカーが飛んでいる。三次大戦を生き延びた人間たちの最大の贅沢とは?絶滅寸前のペットを飼う事だった。
ガキの頃のプラモデルを思い出した。苦い思い出た。頭の中に理想のイメージがあって、それに近づけようと組み立てていく。しかし、不器用でなかなか思い通りにいかない。最後には癇癪を起こしぶっ壊してゴミ箱に捨ててしまった。
作中アンドロイドが、蜘蛛の脚を残酷に切り裂くシーンがあった。
やはり僕のガキの頃、友人の間では爆竹の実験台にカエルを使うゲームがあった。僕も醜い毛虫がなんか許せなくて、火炙りにした事がある。幼かったな。近所のオッサンが叱ってくれた。ただ違いが良く分からなかった。家に帰ると母親はゴキブリを必死で叩きのめそうとしてた。
どうやら同情する価値のある生き物とそうでない物が、あるらしい。学校に行くと先生は、頭の良し悪しで決まるんだよ。ってコレもよく分からなかった。ある日、給食メニューからクジラがなくなった。…美醜?超音波?曖昧だな。
「切り裂きジャックや殺人者は、人間じゃない」という表現は
論理的ではない。正しくはこう
「彼ら殺人者は、人間で在って欲しく無い」という願望に過ぎない。
残虐・共感という価値観を作ったのは人間だ。そしてロボットを設計するのも、やはり人間。それらが噛み合わないからといって、削除しようとするのも人間か…。本当に残虐なのは一体だれなんだ?歴史をヒモとけば、残虐な人間の例なんて吐いて捨てる程いる。
いや違うな。「残虐」探しはどうでもいい。そんなのは何処にだって在る。昔から残虐も共感も人間の中に同居してる。問題はその矛盾をどう制御するかだ。昔コロッセオを楽しんだローマ市民も。いま日本で格闘技番組が視聴率を伸ばすのも。「動機は全てスポーツだ」なんて言い切るほど、僕はもうウブじゃない。