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投稿者:佐伯洋一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
天皇陛下に評価をするというのは全く論外の暴挙ではあるが、明治帝の名君ぶりは、世界史において完全に突出している。そのことをアメリカ人のドナルドキーンも断言しており、キーンは敬意を込めて「大帝」と表現している。実際、中国史を戦国春秋から溥儀時代に至るまで思い浮かべてみても、大帝ほど民衆と一体となって自らを律し、思いやりと諸外国への配慮をされた皇帝は存在しない。そこには、この国への愛と臣下赤子への愛が常に感じ取れる。
そんな大帝の一日というのはいかなるものであったのか。朝起床され就寝なされるまでの御日常を明確に伝えるのが本書である。そこには、風呂嫌いであられる一面や大飲される御日常が一面として存在すると共に、ストイックなまでに御倹約なされ、しかもそれらが全て「国民とともに」とご本心からお思いになられていた姿が浮かび上がる。
明治維新後の日本は、改革後ということもあって誠に貧しい国家であった。金や銀は良質な金貨としての小判大判がアメリカに騙し取られ、産業もほとんどない。もちろんそれでも天皇陛下は国家の主柱であられる以上、各地に避暑地の別荘があった。しかし、大帝は一度たりとも参らなかった。その理由は「朕は参らぬ。日本人の多くが酷暑酷寒で働いているのに、なぜ朕だけが静養できよう。」。脚気を患って岩倉具視が空気の良い場所へ離宮をと薦めたが「脚気は朕だけの病気ではない。国民みんなが助かる方法でなければ意味が無い」と一蹴された。
日清戦争においても、前線の兵士を思い、朝鮮に近い広島大本営で皇后も近寄らせず質素な椅子とと机とベッドしかない木造2階建てでひたすら兵士の苦労を祈り続けておられた。戦争指導者などは兵士の痛みなど忘れて享楽しがちだが、陛下のそれは全く違う。
トルコ人などは特に日露戦争を勝利に導いた英帝として、尊敬の念が厚い。エルトゥールル号事件で大帝によって命を救われたトルコ人たちは今でも世界一の親日といってよい。初代大統領で建国の父と呼ばれるアタチュルクは陛下の肖像をデスクに置いていたという。
日露戦争を影で支えてくれた大英帝国も、陛下の崩御の際にはこちらが驚くほどの賛辞の嵐であった。この頃の日本は、全く国家としての品格に満ち溢れていた。その品格の光源は、26世紀にわたり一系を貫いた一種の神威によるところが大きい。その神威の絶頂が明治大帝の治世下であったといえる。無論、昭和大帝も稀に見る名君であられるし、今上天皇陛下も穏やかなる名君に違いない。
日本は、そうした世界がひざまずく神威を放つ伝統を持っているのである。日本は降伏の条件として連合国に「これが飲まれなければ日本は灰に成るまで戦う」とまで大見得を切ってまでなんとか「象徴」としての皇室を残すことができた。
しかし、現実には総理「大臣」であり要するに日本は未だ英国と同じく緩やかな立憲君主国家としかいいようがない。大統領が居ないのに総理「大臣」しかいないのだし、外交上は国際上天皇陛下を君主として扱っていることからも明らかである。
明治大帝は紛れも無い名君であった。それは赤子の1人として誠に誇り高いところである。そんな大帝の御日常をしれば、その敬愛はさらに深まるであろう。ぜひ一読をお勧めしたい。併せて大帝の「大帝」たる所以を外国人が語った貴重な書として『明治天皇を語る』(ドナルドキーン著)を読むと万全だろう。
最近突如、昭和大帝の靖国関連のメモが公表されたが、あれこそ正しく天皇制を廃止し日本を米国と同じ共和国にしようと画策する共和主義者の陰謀の最初の号砲である。これは絶対に防がなければいけない。皇室を失えば、日本は将来必ず「国家」を維持出来なくなる。陛下は今でも毎日国民の安全を祈念しておられるし、日本人が日本人であることの確認の共通項は皇室しかないのである。
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==明治天皇の日常を綴る==
歴史書ではなく、明治の天皇がどのような生活をしていたのか?また、そこで働く人たちはどのような働きをしていたのか?ということについて当時そこで働いていた人の日記やその他詳細な資料を基に書かれた本です。自由気ままに生活していたのかな天皇はと思っていましたが、伝統と決まりごとで結構窮屈な生活をされていたんだなってことが分かりました。また、意外と天皇はお茶目だったということも分かりました。
そして、果たして今の天皇はどのような生活をおくられているのかが非常に気になりました。そんなノンフィクションな一冊です。非常に読みやすく興味深く読める一冊でした。
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明治天皇の宮中しきたりの観点から一日を描いた新書。興味深い。"倹約家でも浪費家でもない"と評し、無駄でも格式と位置づけて淡々と語る。思い入れない文章ゆえのクールさが、かえって面白かった。
昭和天皇が、平成天皇がどういうしきたりで生きているかも興味あるところ。こういうのもゴシップ扱いで書けないのかな。
著者は宮中儀式システムの作法、解明がテーマだそう。さらに研究を進め、より深く書き記して欲しい。
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[ 内容 ]
雅子さまの健康問題や皇室典範改正論議など、伝統と革新の狭間で揺れる平成の皇室。
変わるべきか、変わらざるべきか―。
だが、こうした天皇家の苦悩は、すでに「明治」から始まっていた。
かくも堅苦しく息苦しいシステムが、なぜ脈々と生き続けるのか?
中世から近代への変貌を試みた明治皇室まで時代を遡り、天皇や女官、侍従たちの「奥」での何気ない生活ぶりを見つめることで、そこに潜む皇室問題の核心に迫る。
[ 目次 ]
第1章 御内儀の長い朝
第2章 御学問所の優雅な午前
第3章 御内儀の長い長い昼食
第4章 御学問所の何もない午後
第5章 御内儀の賑やかな夕食
第6章 眠りにつく宮殿
第7章 様変わりする歴代皇室
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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副題通り、易しく皇室システム(役職など)の基礎知識を説明しているので非常に役立ちました。
気軽に読めるし、皇室のエピソードは興味を引きます。
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他にない視点で皇室のことを描いている。本当に日常の様子。明治天皇の人間味が感じられるとともに、皇室での生活の不便さや厳格さや温かみなどが伝わってくる。
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おひーる。
申しょー、おひるでおじゃー 。
米窪明美さんの「明治天皇の一日」を読んだのですが、しょっぱなの「申しょー、おひるでおじゃー」にやられました。そんな吹雪日和いかがお過ごしでおじゃー。ちなみに「おひる」は「お目覚め」という意味なのだそうです。
明治天皇は外国の香水を2、3日で一瓶使い切ったそうです。つけ過ぎじゃないか。
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皇室改革は、戦後だけに行われたのではなかった、ということらしい。
本書の大部分は、明治天皇の夫妻の日常生活のディテイルをこれでもか、と詳述するのに費やされているが、最後の一章で、上記の問題が述べられていて、これが非常に面白かった。
明治天皇の宮廷は、まだそれ以前のしきたりが残っていた、という。
少年時代から「侍従職出仕」として、天皇とともに育つ側近たち。
これらはやがて貴族院議員として、政治と天皇のパイプ役を務めたという。
このシステムは、今上天皇の時、途絶する。
一方皇后をとりまく女官(典侍を頂点として、権典侍、掌侍、命婦、女儒と下っていく女官機構。
尚侍が欠員になっていたということは、今回初めて知った。
それでも、明治宮廷までは典侍には、皇后の「お控え」としての役割があったとか。
この女官機構に大きな変動があるのが、昭和天皇の時代だという。
それまでは皇后も、典侍も、堂上貴族の娘から選ばれていたが、昭和天皇の皇后は、皇族出身で、つりあう家格の娘がいない。
そこで、この制度が変質したという。
本書は皇室の今後はこうあるべき、と明示しない。
ただ、皇室はこれまでも常に変化し続けてきた、と示すのみ。
それが、今後も時代に合わせて柔軟に変化すればよいのでは、と控え目に主張しているようにも思われる。
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明治天皇の一日の生活を追いかけている。
実にのどかでありますな。
続いてきたしきたりを忠実に守った明治天皇(ときに、しきたりを守るために自分の行動も制限する)、しきたりを変えていった大正天皇や昭和天皇。
「未来の廷臣」を教育するシステム(年若い少年たちを宮廷に仕えさせる)が明治時代にも生き残っていたというのが興味深かった。
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明治時代の流れ、天皇の1日。
これって、歴史的に非常に面白い。
京都から東京に天皇が移って、その名残とか。
朝起きるのが『おひーるー』って。
これ、京都の名残だよね…
あと、一夫多妻制がそこまでまだあったんだと。
明治天皇のお人柄、考え、凄いな。
ベッタベタの昭和生まれなので、
ほんの100年前位の世界とはかけ離れすぎてて。
どちらかと言うと江戸時代的な感覚を覚えた。
近代日本って歴史の中で私はとても好きなので面白かった。
歴史的資料としても。
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明治天皇は、上京し皇居で近代社会の生活になったが、江戸時代の宮中のしきたりを守って生活をしていた、というのがよくわかる1冊。本当に1冊で1日の生活についてが詳しく書かれている。そのために周りのものが大変な思いをするのであれば、自分が行動を慎むほどに。そばには常に典侍(てんじ)と呼ばれる女官がついていた、それはつまりお后としての務めも果たした(そのためにはどういう生活)ということも書いてあったが、うーん、正室の皇后のお渡りとかはどうなっているのか、とかも知りたかったり。大正天皇からその生活が現代風になっていき、昭和天皇時代、とくに戦後はすべて現代化されたことまで最後に触れられていた。なるほど。