忘れかけていた「義」を見た
2002/05/27 16:51
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投稿者:がんりょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
中国古典を描かせたら随一の作者の報われぬヒーローの物語。
村の少年が,現在神へとあがめられている介子推へと成長していく過程を,
少ない記録を想像力で補い鮮やかによみがえらせた作品。
功績を上げても,主張せず,一回の賤臣として主を敬う様は痛々しい。
競争社会で忘れそうになる,義の心をよみがえらせてくれた。
苦労は共にすることは容易だ。ただ栄達を分け合うのは難しい。
2002/02/20 16:07
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投稿者:ばんばん - この投稿者のレビュー一覧を見る
中国の春秋戦国時代の覇者、重耳を支えた男。この男をそう表現すると嘘になる。なぜなら、介子推が重耳を支え、守ったのは、流浪の困窮時代であり、君主となってからではなかったからだ。そしてその苦労の中、重耳が名君であり続けることだけを願い、命をかけて戦い、やっと栄光の座に行き着いたときには、身を引いてしまった。その死闘を知るものからは、なんとも納得がいかない終焉である。苦労が報われる、そういった結末を期待してしまう。
ただ、介子推は納得していただろうなと思う。苦労を共にするよりも、栄達を分け合うことの方が難しい。誰もが協力しなければ生きられなかった時代と、誰かの地位と比較し、富を比べ、争う時代と。少なくとも、その時代には介子推は生きられなかったし、必要ともされなかった。その時代の要求のようなものを彼は知っていたに違いない。そこで怒るのではなく、妥協するのではなく、彼は自分自身の道を選んだ。
ただその域に達してない我々としては、ひとつだけ、重耳がそのことを理解してくれていたらなと思わずにはいられない。
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春秋時代の覇者の一人「重耳」を影で支えた棒の達人「介子推」をかいた本なり。
介子推の清廉な様は男として惚れ惚れするものがあるなり。
この本で宮城谷昌光先生の作品に魅了されてしまったなりよ。
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自分の信念を貫くこと。
自分の仕事を全うすること。
それが、自分の存在理由を確定させること。
必要がなくなったら自ら去るのみ。
かっこいい。欲とはなんぞやを考える。仕官が剣を使う時代に、棒を操る庶民出身な部分もなお良し。
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重耳を陰で支えた『介子推』の話。謙虚で清廉。おまけに潔い。格好いい生き方だと思います。宮城谷さんの小説で唯一すらすらと読めた本(笑)
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「重耳」に関わるもう一人の人物・介子推の物語。命をかけて重耳に仕えその身を守りながら、功績を認めてもらえなかったその瞬間の彼の絶望はどれほどだったのか。切なくなりますね。重耳を行動で諌めたといえる人だと思います。
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典型的英雄譚。
すっきりとまとめられていて、介推の人物像も清廉に描かれていて読みやすい。
主人公に対する作者の愛情が感じられる。
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人生のバイブル(大げさ?)。
主人公の介推があまりにも潔白すぎる印象はあるけれども、「こんな風にすがすがしく、潔く行きたい!」と思わずにはいられません。
この作品がきっかけで宮城谷昌光氏の作品を読むようになりました。
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宮城谷氏の多くの作品では、主人公格は君主や宰相といった、国政を左右する立場の人間であることが多いため、このように最後まで下っ端だった人間を描いているこの作品は、その意味で新鮮である。春秋戦国のダイナミックさからは離れた、非常に純粋で美しい作品である。
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前660年頃。晋の人で姓は王,名は光。重耳を慕いその亡命に従い,重耳一行が飢えに苦しんでいた時でもひそかに重耳の食糧を確保したり,閻楚という刺客から守ったりした縁の下の力持ち的な役割を果たした人です。縁の下なので重耳も介推の活躍は知りませんでした。重耳は19年の亡命生活を終えて晋へ帰国し君主となりました。そこで論功行賞を行った時,重臣の咎犯(狐偃)は重耳に報酬を求め,重耳もこれに応じました。これを見て介推は重耳に失望します。というのも,君主になったのは天の意思と考えており,重臣達が手柄を誇り,報酬を求めるのは間違っており,それを認めた重耳にも失望したということです。やがて介推は母と共に山へ姿を消してしまいます。後で重耳は介推の活躍を知り,彼に褒美を取らそうとして探しますが,山から出てこないため,重耳は山に火を付け,おびき出そうとしました。が,介推は木を抱いたまま焼け死にました。重耳は大いに悔やみ,その山の名を介山と改め,彼の領地としました。その忠節と自分の信念を曲げない志の高さで今でも中国の人々に尊敬されています。
ちなみに,寒食という冬至の日から数えて105日めの日で4月4日か5日にあたる日の前後3日間は火を使うことを禁じ,煮たきした食事をしない風習がありました。これは,重耳が介推の焼死をあわれんみ,その日に火を禁じ冷食を用いさせた故事に基づいています。
『人を疑うと2つのつらさをいただくことになる。その人が犯人でなかった場合,自分が惨めになる。また,その人が犯人であった場合,さらに惨めになる。それなら,人を疑わず,騙され続けていたほうが良い。騙されるのは愚かであろうが,騙す不幸より勝る』
『人は心のもち方で別人になる。一度人を信じたら,最後の最後まで信じつづけていきたい。信じることは人を明るくし強くするが,人を疑うことは人を暗く弱くする。それなら信じつづけたほうが良い。信じて騙されても,疑って騙されても騙されることに変わりない』この言葉が好きだ!
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何度も読み返しては、こみ上げるものを抑えられません。剣でなく戟でもなく、一本の棒をふるう。神速の風は、ただひたすら君主を守るための清らかな力。
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かっこいい!人を信じ大切にするってどういうこと、そのひとつの答えに見える。中国でも最も有名な英雄のひとりだし、残ってるエピソードでも元から信義の人なんだけど、こうやって細やかに、心境もいっしょに描いてくれると、隣に立ちあがってくるかのようで、幸福な余韻が残る。幸福というよりは切なさだけど、でもこんな人間がいるというのは幸福なことだ。
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宮城谷昌光の長編は初めて読んだんだけど、もっと重厚かと思っていたら、空想的な内容が多くてちょっと拍子抜け。2009/8/21 B100 @Sun Books
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流浪の重耳に付き従い、重耳の覇業を陰から支えた功労者。
最後は出世を望まず隠遁してしまう。
仙人のような人。
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★2010年48冊目読了『介子推』宮城谷昌光著 評価B+
晋の公子、後の名君となる重耳(ちょうじ)の長い雌伏時代を影で支え続け、ようやく歴史の表舞台にたった主君を見届けて、自らは潔く身を引いた介子推(かいしすい)の物語。一冊の長編であるが、これも宮城谷にしては、緊張感を保ちながら、最後まで一気に話が展開するダイナミックさを堪能できる作品に仕上がっている。公子重耳は、聖人君主として有名だそうですが、彼に対する厳しい無言の諫言を発し、結果的にその態度を最後まで貫き通した信念の人として、介子推は中国では有名なようです。清明節前日の火を使わない寒食節の習慣は、彼の魂を慰める意味ということです。