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東浩紀批判ということでしょうか?要するに、ゼロ年代に発表されてた優れたコンテンツのうち、東浩紀が趣味としているものだけが評価されているのは可笑しいと、ドラマや特撮、コードギアスといったアニメなど時代を切り取っている作品など、もっと評価されてもいいのではないか?といった内容だったような・・・文庫版あとがきでは宇野さん本人が、AKBを取り上げなかったのが唯一の失態だったと仰っています((´∀`*))
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批評というものを初めて読んだ。
こういうものなんだ。いつもの読書とは違う脳の部分を使った感じ。
こんな世の中も覚悟を持って考えれば、こうやって言葉で説明することができるんだ。
すごい!
僕はなんとなく感じる事しかしてこなかった。
これからも注目です。
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始まり方がモロに一般意志2.0。。。と思ったらゼロ年代の想像力の方が3年前に出てるのね。
筆者の動機にもあるように、東の論調を強く意識して書かれている。東の壁を壊し、越えようとする意図が痛切なほどに読み取れる。
東や宮台、(若手ではあるが例外的に)鈴木謙介のような論客と、宇野・坂上といった若手論壇の大きな差はことばの選び方、構成にあると思う。前者は極めて難解な思想や提案も、文章の構成力で易しく読めるように紐解く技術が巧みだ。後者は明らかに自らの高尚な議論に酔っている。鼻につく文章ではあるが、本書はゼロ年代への変遷をきちんとまとめており、文化の歴史が読み取りやすくなっている。
とにもかくにも、宇野がAKBを語り始めると(濱野ほどではないが)どうしようもなくうざったいので、AKBに触れる事無く本文が終わって良かった。
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今の世の中を的確に描写した一冊だったように思う。
批評の題材としてマンガやドラマといったポップカルチャーを扱っていたので、今まで思想や批評に感じていた「そんなの、一部の人間だけじゃん」という思いを感じなかった。
思想の内容としては、政治や経済成長といった誰もが持ち合わせる大きな指標がなくなった現在は、それぞれが思い思いの物語(生きる意味や承認欲求を満たすもの)を「敢えて」信じ、その領分を守るために戦い合っている世の中なのだ、というものだった。
こういったことを端的に示してくれただけでも凄いのだけど、それだけでなく、問題点や解決策まで示してくれていたので、もう凄いとしか形容できない。
問題点としては、以下の3つ。
・9.11のような、異なった物語間の争いが生まれること
・「あえて」という前提に甘えて、物語の問題点や他の物語への配慮という面で思考停止に陥りがちだということ
・争いに勝って、自分の物語を確立できたとしても、結局は「沢山の中の一つ」の価値観でしかないため、結局は交換可能なもので、入れ替えられてしまった時のダメージが大きいこと
それに対する解決策は、「交換可能で、終わりがくることを自覚した上で、だからこそ、かけがえのない日常の日々をポジティブに楽しむということ」そして、「交換可能だからこそ、別の場所(物語の中)でも生きていくことは可能だということ」だ。(読んでいる途中に自分が思ったことも混じってるかもしれない…)
また、こういった主題以外にも様々な意見を出していた点も見逃せない。
・ゼロ年代における「成熟」とは、異なった物語を持つ相手とも手を取り合っていけることである
・自分で物語を作るのではなく、物語が生まれ、不特定多数の物語が走る構造を作り出すことが面白い(ニコ動やTwitterのような)
本としては、後半に議論が散財して、全体のつながりが見えにくくなってしまったのは惜しかったけど、それでも最高に面白い本だった。
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よく知っているものも、タイトルしか聞いたことのないものも、とにかく95年付近〜ゼロ年代の主要な「流行った」漫画アニメドラマ映画等々があらすじ・主題とともに紹介されているので、世間話のネタになる浅く広い知識を手に入れられた意味でためになった。
あまりに卑近に思えて、自分のなかで系統だっていなかった作品群が筆者の描く系図に則って頭の中に並んだ。鵜呑みにするのもまずかろうが。
筆者の言いたいことは何度も繰り返されているのでよーーく伝わった(くどいくらい)が、別人の文体で書かれた(当たり前だ、別人が書いたのだから)最後のインタビューは要らないと思った。
ともかく東氏の『動物化するポストモダン』を読まないと筆者が何を必死に考察・批判しているのか分からないので同書を近日中に読みたい。
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「もはや世の中は何も私たちに与えてくれない。正しい価値も、生きる意味も、すべて私たちは自分で調達しなければならない」
2000年以降のアニメや漫画、小説、映画を引き合いにあげ、現代の「想像力」の変遷をとき、ふんわりとした淡い色合いで彩られているソーシャルな現在へと向かっていく社会の変化をたどっていく。刊行されたのは08年だから、東日本大震災のことには全くふれていないけど、変化の萌芽を感じとることはできる。
現代は歴史や政治が与えてくれる「大きな物語」が崩壊し、個人個人が選びとる「小さな物語」が跋扈している状態で、大きな物語に規定される価値観の支えを失った不安な個人が集団化している、というのが議論の根幹のテーマだ。そこから曖昧で不安な個人が、どう自らの物語を構築していくかをとき続ける。
自己啓発書ではないから、こうしろ、ということはないのだけれど、ひとつひとつの議論にうなずかされる。私たちは物語から逃れることはできない。だが。個人で物語を選ぶことができる現代は限りのない自由で溢れている、という希望を語って結論を迎える。
読みにくさの源泉は著者独特の言葉の回し方。語りたい言葉がたくさんあって、それを自分の中でジャンル分けしていく。一回一回戻りながら読んでいったが、宇野辞書が欲しいと何度も思った。
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タイトルの通りゼロ年代の想像力を中心に90年代くらいからの想像力の変遷を、アニメや漫画、ドラマ、映画、文学などから幅広く析出している。
セカイ系、引きこもり/心理主義、行為ではなく設定でのアイデンティティ承認、サヴァイブ系、ゆるやかな共同体、終わりある日常、母性のディストピア、環境整備を担う大人。
自分に身近なテクストが分析の俎上にあげられており、読みやすく興味深く読み進められた。各章のテーマが明確であったこと、何度も主張が繰り返されることも読みやすさの要因でもあった。
想起したのは東浩紀氏、大澤真幸氏(本書にも言及あり)
次はLPの時代を読もう。
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時代の雰囲気はこれまでも時々でかわり、これからも当然変わっていく訳で、その変遷に乗れなかった人が足を引っ張り、その変遷に乗れた人がその足を引き抜こうとするのです。
時代の雰囲気を拒否するんじゃなく内面化すれば、時代の風を感じることができるのです。
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現代史、現代思想。ぼくたちについての思潮、ここ30年間あたりの文化の仕組みや様態が語られています。この国の精神史。
驚くのは取り扱っている「作品」の多さだなあ。純文学からラノベまで。映画から『仮面ライダー』シリーズまで。空撮的。ポップカルチャーの空撮。オタク文化のサラダボール。
90年代に強く影響を受けた「ぼくら」のこれからを、そのあり方を考えていくに十分な素材が盛り付けられている。意味や価値は受け手により千差万別だから、体系化は安易なのかもしれないが、それでも、それを食べてしまう。表現力の妙か。巻末に扱われた「作品」目次(固有名索引)だけでワクワクしてしまいます。ちょっと気になるのは、ある作品がそれよりも前に発表された作品から影響を受けていることを自明としている点。ここに議論の余地を見たい。このことを前提的に仮構しない論じ方もあるのかなあといぶかしがったりもしています。また、本書も商品という枠組みの中の一つであるという観点では、現代という物語カルチャーのn次的作品なのかもしれない。それを読んで頷いたり首をかしげたりする読者がいる。
それぞれの作品に何が底流していて、なぜ人はそれを享受するのか?
歴史的思想史的な文脈における各作品の位置づけなんて、正直、知らなくても楽しめるし、知らないほうが純粋に体感できて面白いのかもしれません。それでもそこにメスを入れていく行為は、スリリングだったなあ。
・ある物語や作品についての社会的思潮的意味が語れるということはそれを愛好する人々の愛好する心を強固で堅固にする。好きであることについての後ろ支えになりはしないか。誰もがそうかもしれないが、自分が愛情を注ぐ事物が価値のあるものであってほしいと願う。カウンターカルチャーはメインストリームではないからこそカウンターなわけであって、それを擁護する思想を希求している。擁護されればそれがいずれメインカルチャーになり、また別の何かが生まれる。
・大きな「物語」ではなく、大きな「ゲーム」の話題について
『ダウンタウン』、『ビートたけし』のような単一の物語ではなく、『M-1』や『AKB』のようなゲームというシステム・舞台装置にこそ大衆が動かされているという見方。評価の過程をも大衆に開示する。
『ハンター×ハンター』における「念能力」(その少し上流には『ジョジョ』における「スタンド能力」がある)の設定・構造が私たちに多くの空想的示唆を提供してくれる。
・同時代に生きる人々は相互補完的に主張する。
この今、現在性に突き動かされていることは自明なので、当然ではあるが。
それでも主義・主張があって、それを言述する。
それでいいと思うし、そうしないとならないと思っている。
・近年の『仮面ライダー』シリーズの文脈。
社会の様態が変容しているのだから、正義の在り方、描かれ方が変わるのも当然かもな。子供には勧善懲悪だけ与えておけばいいというのは妥当なのだろうか。
この手の論説本は、啓発書の一種と受け取ることもできるな。どんな風に読もうが読者の自由なんだけどね。
・物語が意味��のものであり、最新の宗教としての科学が扱えない世の中の「ある箇所」を説明してくれるものなのだとしたら、著者の繰り返す「人間は物語から逃れられない」という言説にも強く肯首する。
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理解できたのはせいぜい5〜6割かな、という意味で☆3。
今の私にとって一番重要だったのは、この議論のもっと下位のステージにある。それは、カルチャーが、ひとにとってなくてはならないものだということ。
その時代を象徴する「文化」は、何か一貫する人間の奥底でつながった深層意識みたいなものが動かしているということや、カルチャーを分析していくことで人間の思考回路が浮き彫りになるということ。それを前提に話が進んでいた、はず。
文化とは娯楽の形をしているが、そのコアに、生きる切実さが組み込まれていると思う。というか、そうであってほしいと思っていた。だからそれを納得できる形で示してもらったことが、いまの私にとってはとても大きな収穫だった。
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気鋭の評論家、宇野常寛氏のデビュー評論です。文学、アニメ、ゲームからテレビドラマまでを縦横無尽に論じ、更には文庫化する際に4万1000字の原稿を語り下ろしたものが収録されております。膨大な情報量です。
本書は気鋭の評論家、宇野常寛氏のデビュー評論です。2008年の刊行以降より、3・11後までを4万1000字の長きにわたって語り下ろしている原稿を追加して文庫化されたものであります。
実のところを言ってしまうと、本書で取り扱われている文学、アニメ、ゲーム、テレビドラマのうち、話の内容についていくことができたのはせいぜい2割がいいところで、ぼく個人に限って言うと、ゲームやテレビドラマをほぼ一切見ないしやりませんので、ついていくのがとても大変でありました。
また、文学についても村上春樹は『ノルウェイの森』『海辺のカフカ』そして『1Q84』などのメジャー作品くらいでライトノベルはほぼ読まず、金原ひとみ、綿矢りさをはじめとして白岩玄などの作品はほぼいっさい見ていないことに改めて気づかされました。
アニメについても『新世紀エヴァンゲリオン』(俗に言う『旧劇版』)以降にインスパイアされて作られた「セカイ系」と言うジャンルの作品群があるということをここで初めて知ったので、「ゼロ年代」という時代になって、かつて自分が好きでどっぷりと浸っていた世界から以下に遠く離れてしまったのかということをこれを読みながら痛感してしまいました。
宇野氏はよく自身がメインパーソナリティーを勤める『オールナイトニッポン0』にて
「サブカルチャーやポップカルチャーを批評することは日本社会全体について語っていることと同じことなんだ」
と幾度と無く標榜しており、そういう視点でこれらのサブカルチャーに接していたことが今までほとんど無かったので、宇野氏が愛してやまない仮面ライダー、とくに「クウガ」以降の「平成ライダー」に関する記述を呼んでいると、作品世界と我々の棲んでいるこの社会が以下に地続きであるかということが本当に良く分かり、
「なるほどなぁ」
と思いながらページをめくっておりました。
宇野氏が本書の中で幾度と泣く指摘しているターニングポイントとしてみなしている年は1995年であり、僕がこの年を振り返ってみても、オウム真理教の『地下鉄サリン事件』あり、後に社会的な現象を巻き起こした『新世紀エヴァンゲリオン』がTV放送されていたりと、今思っても本当に現在にとてつもない影響を及ぼしていた1年であったなと考えてしまいました。
そういった世界の中で碇シンジ君に代表される「引きこもって」しまうタイプと夜神月のように決断主義を用いてバトルロワイヤル式に戦っていくというパラダイムの変化についての論評も身につまされるものがあり、そういった事例として沢山のアニメやゲーム作品が挙げられていくのですが、残念ながら僕はそういうものに全くといっていいほど触れておらず、
「あぁ、そういうものなんですか」
というだけの感覚しかもてなかったというところが返す返すも残念でなりません。
自分がこれを読んでいて痛感した��とは、多感な時期にほぼ『リアルタイム』で流通していたサブカルチャーやポップカルチャーを完全にスルーしてきたなということで、全くの『一般人』からすれば僕だって十分に「そちら側の」人間であるはずなのに…。
宇野氏及び本書との『差異』は一体何なのだろう…。そんな疑問が最後までぬぐうことができずに本書との『距離感』というものが的確につかめなかったナとは正直感じております。
「語り下ろし」で宇野氏が
「『ゼロ年代の想像力』の最大の欠点はAKB48を扱っていないことです」
とおっしゃっており、それが現在にまで至る怒涛のAKB論と、自らのラジオのコーナーで『世界の真実』とまで言い切る「推しメン」横山由依ちゃんへの「推し」へと繋がっていっているのでしょう。
サブカルチャー。ポップカルチャーを時代の流れとリンクさせて縦横無尽に語っているので宇野氏の話について聞ける方は純度1000%の『あちら側の人間』であることは僕が保証しますが、ただ消費されるこれらの『コンテンツ』は社会を写す『鏡』であるということを改めて教えてくれたという意味で、本書との出会いは良いものであったということを結びの言葉に換えさせていただきます。
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文化の批評から生き方を示すということに驚いた。普段作品を読んでもその作品の内部で感想が完結してしまうが、著者は大きな文脈の中から作品の立ち位置を考え意見しており、私も大きな視野を持ちつつ作品に触れてみたいと思った。
内容に関しては社会批評の文脈に触れていないため意見することはできないので、これからこのようなジャンルも読み進めて行きたい所。
話は変わるが読み解く側の視線で作品の意義を読み取り、生き方を示しているが著者はどこまで意図して作品に内包しているのかという疑問は残った。
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アニメ・ラノベ・マンガ…きみたちの世代の想像力を対象化した批評的論考!神奈川工科大生にイチオシの本です!
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おもしろかった!いろいろなことに輪郭が浮かび、名前が付いていくような快感。なんで「オタク」系ゲームは心地よく、同時に薄ら寒く感じるのか。メタ視点はなぜ採用されるのか。
あとおもしろいおもちゃ貰っちゃったなーって感じも強い。この本であまり言及されない初音ミクやフェイスブック、最近の半沢直樹の爆発的ヒット、あとはここではある程度所与とされてる「承認」てのはつまりなんなのか。考えたいことがたくさんできたなぁ。
個人的な話になるけど、大学時代に教わったあの先生とか、会社の先輩のあの人とか、この本に影響されてそうな人が何人か思い浮かぶのが面白い。たぶん僕も相当に影響をうけるんだろうな笑。
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95~08 までのサブカルの潮流を世間の風潮から読み解く一本筋のとおった論理展開がなされている。 95~00 までの引きこもり~セカイ系の展開 ⇒ 00~05 の決断主義(サバイブ系) の発展までの流れを分類したのは見事。取り上げる作品も多岐にわたっている。 あとは、ポスト決断主義として、決断主義の弊害をどのように乗り越えるのかについて、啓蒙的に述べていたが、そのへんの内容はいまいち。 ここらは自分で考えていくことだろう。 引用として使っていた 東の動物化するポストモダンを読みたくなった。