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投稿者:ねじまき鳥 - この投稿者のレビュー一覧を見る
世の中を治め、人民を救う。 新しい(本来の)経済の在り方。
中島岳志氏、高木新平氏が良いですね。
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内田:この20年ほどの「構造改革・規制緩和」の流れというのは、こういう国民国家が「弱者」のために担保してきた諸制度を「無駄使い」で非効率だと謗るものでした。(P.5)
中島:かつての70年代くらいの若者にとって、未来というのは輝けるものとして存在した。とすると、今ある自分の現実に対して「俺にはもっと幸福が先にあるんだ」と思えた。だから今の自分はまだまだ幸福ではない、と言っていた。しかし今の若者には先が見えない。輝ける未来や、今よりよい自分というビジョンが描けない。あるいは欠落している。だったら今の状態を幸せだと言っておかないと…と考えてしまう。(P.62)
内田:今の公共政策の、まず税金を集めて、そのために企業を誘致して、公共事業でハコモノを作って、それを雇用を創り出して…という発想って、もう完全に時代遅れだと思うんです。税金の徴収と配分も大事だけれども、それよりも市民が自分たちでやりたいことがあるなら、それをどう組織して、どうつなげて、どうネットワークして、行政とどうリンクさせていくのか、そういうアイデアを吟味することがこれからの自治体のたいせつな仕事になると思います。((P.145)
中島:かつて民本主義を唱え、普通選挙の導入を説いた吉野作造が、こんなふうに言っています。吉野はみんなから反対されるんですね。「そのへんのおじさんに選挙権を与えても政策なんてわからないだろう。日本が混乱するばかりじゃないか」と。それに対して、吉野は言うんです。それはそうだろう。そんな政策の細かいことはわからないだろう」と。けれど、こうも言います。「人を見分ける力が民衆にはある」と。(P.151)
中島:リベラルとは、極めて簡単に言えば、国家や権力が個人の内的な価値には土足で踏み込まないという考え方です。それに対してパターナルは、個人の内的な価値観に関わることでも、国家が1つの指針をもって、一定程度コントロールしていきますよという考え方になります。(P.153)
内田:ある政策がいいのか誰も確信ができない。ある専門家がこっちが正しいと言って、別の専門家はこっとが正しいと言っている。そのトピックについて、市民に比べて圧倒的に知識量のある人たちの意見が分かれているんです。非専門家に判断できるわけがない。(P.158)
小田嶋:黒字の消防署ってありえない。つまり公共サービスが黒字を目指すのがそもそもおかしいんだと。当時は国鉄解体の話が出ていた時代で、「国鉄儲かってないじゃないか、けしからんじゃないかと言うけれど、われわれが儲かってないということは、お客様が得をしてるってことなんだから、必ずしもわれわれが責められるべきじゃないんだ」と。(P.188)
小田嶋:さっき内田先生がおっしゃってた日米の父と子の関係の話でいうと、私が前からずっと思っていたのは、アメリカってジャイアンだと思うんですよ(笑)。で、われわれ日本はのび太だったらまだいいんですけど―いや、のび太だった時代もあるんですよ。ドラえもんという強力な科学技術を持ってた時代も―だんだんスネ夫になっていった。つまりいつもジャイアンにくっついて、おべっか使って。ジャイアンの代弁者になって、安全を確保さらてるみたいな、ああいう奴ですよ。でも、スネ夫の唯一の長所というか利点は、あいつ、金持ちの家の子なんですよね。だけど、その唯一のいいところを失って、貧乏になったスネ夫ってどうするの? あるいはドラえもんのいないのび太って何なの?というようなところに今われわれは差し掛かっている。(P.193)
中島:橋下さんが言うような競争社会というものは、グローバリズムの中で戦えるような、安上がりの戦士のような人間を求めてきた。(中略)橋下さんの言う形は、いわば途上国のモデルですよね。それでは一部の人しか得しません。多くの若者はそこから除け者になっていきます(P.196)
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「夫婦2人で1年に200万円ぐらい現金収入があれば、賃貸物件借りて、税金も払って、幸せに生きていけることがわかったんですよね」
6月10日に発行されたばかりの本書。昨年7月から今年2月にかけて4回にわたって行われたシンポジウムの記録ですが、早速購入して読みました。
理由は単純。大ファンの内田樹さんと小田嶋隆さんがシンポジストに名を連ねていたから。
でも、最も、興味を覚えたのは、気鋭のITジャーナリスト、ブロガーのイケダハヤトさん。27歳だから、私より1回り年下ですね。
冒頭に引用したのは、そのイケダさんの発言です。
率直な感想は「え? 今の若い人って、こんなふうに考えているの?」というものです。もちろん、すべての若者がイケダさんのように考えているわけではないでしょう。ただ、「調子がいい時で月間30万人」の方が読むブログの書き手であることは、前提として理解しておいた方がいいかもしれません。一定の共感を得ているということでしょう。
このレビューをご覧の方は、もう一度、冒頭の発言をご覧ください。年収200万円あれば「生きていける」と言っているのではありません。「幸せに生きていける」と言っているのです。
実際、実に幸せそうです。
ツイッターで「洗濯機いらない?」とつぶやいた友達から洗濯機をもらって喜んでいる、仕事の合間にNPOを支援する活動をしてSNSの使い方を教えたりして楽しんでいる。
特に、社会参加して、他人とつながりながら生活を送っているということに感心しますね。
イケダさんは「僕らはインターネットという道具を持ってるんで、安く暮らすこともできるわけですよ」とも述べています。たとえば、オンラインの無料教材も増えており、もうすぐ生まれる子どもは塾には行かせるつもりはないそう。「(子どもには)ネットで勉強してもらって、地域のコミュニティで何か学びを高め合うような感じでやらせたいな」と述べています。そこには、屈託というものが全くありません。
昨年だったでしょうか。新聞で、やはり低所得で貧しい生活を送る若者が特集されていて、悲惨さが強調されていました。記事が全体として訴えていたのは、「若者をこんな悲惨な状態に追いやっておいて、未来の展望は描けるのか」という、いわば問題提起です。
しかし、イケダさんの発言を読むと、まったく180度、景色が変わってしまうわけです。私はそこに新鮮な驚きを覚えました。
今、というか、もう十年以上も国民の大多数が「景気回復」を望み(少なくともメディアの世論調査ではそういうことになっています)、政府も現在、「アベノミクス」で経済成長を実現しようとしていますが、イケダさんの主張を受け入れれば、全くの見当はずれという見方もできてしまいます。
ただ、一方で、イケダさんの主張を100%是として認めてしまうことに、いくぶんかの躊躇があります。
それは、イケダさん自身も、自身に対する批判を紹介する形で発言しているように、「そんなことを言ってると、日本社会が崩れていくじゃないか、国が貧しくなるじゃないか」という懸念がやはり払拭できないからです。
私の世代は大学を卒業するころにはバブルが弾けていて、上の世代ほど金銭に頓着していませんし(もちろん、個人差はあります)、中でも私自身はかなり物欲がない方で、家や車、ファッションなどに興味がないばかりか、知的欲求を満たしてくれる本が読めれば、それだけでほとんど8割方、満足してしまうタイプです。
それでも、国全体としては、やはり経済成長を志向しなければならないだろうと思うのですね。
もう少し身近な現実に即して言うと、イケダさんの主張を認めてしまった場合、「経済的にもっと裕福になりたい」という、恐らく多くの家庭が抱いている欲求を押さえつけてしまうことになりかねません。
別の観点からは、たとえば人件費をカットしたがっている世の経営者(一部?)に、賃下げの格好の口実を与える危惧もあります。
と、ここまで書いて、ふと立ち止まる。もしかしたら、私が前提としている考えが既にして古いのか、あるいは固定観念に支配されているのではなかろうか、と。感覚としては、その可能性は大いにあります。
分かりましたよ。素直に認めます。私は、イケダさんに、いや、イケダさんのような生き方を志向するすべての若者に全額ベットしてもいい(あくまで気持ちですよ、気持ち)。
経済成長を夢見るのはもうやめよう。市場がシュリンクしても、人と人とがつながって、幸せに生きられる方途がきっとあるはずだ。お金に骨がらみ毒されて、「貧乏=不幸」と決め付けるのは良くない。
イケダさんのような若者が社会を引っ張っていく時代になれば、恐らく、今よりずっと生きやすい世の中になるはずです。少なくとも、経済的な理由などで年間3万人も自殺する世の中よりは、ずっと。はるかに。
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日本の未来を考えるために、参院選を前に読んで良かったと思う。「でもどうせこの閉塞感は変わらないんだろうし…」なんて気分でいましたが、これを読んだら、まだまだ可能性のある未来は切りひらけるかな?と希望がもてました。その「可能性」は、アベノミクスに代表されるようなものとは全く別のものだけれど。まだ手遅れじゃない、はず!
私と同世代、あるいはもっと下の世代の人たちの中に、内田先生や平川先生と同じような考えを持つ人がいるというのは、なんだかうれしい。
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4 これらの制度(※医療・教育・行政・司法)は「弱者ベース」で設計されています。当然、それで「儲かる」ということは本質的にはありえません。基本「持ち出し」です。効率的であることもないし、生産性も高くない。 内田
5 社会的弱者たちを守ってきた「ローカルな障壁」を突き崩し、すべてを「市場」にゆだねようとする。 内田
26 自分が今立っている位置というものを改めて見つめ直して、自分はこれからどうするんだろうと考える。そして、自分の立ち位置で引き受けられるものは引き受ける。たぶんこれからは、何かを変えるのは「誰か」じゃなくて、自分自身が身の回りのことを少しずつ変えていくしかない。 平川
28 「ウォーク・アローン」、つまり「独りで歩め」と。ガンディーが重要視したのは、孤立ではなく、独りであることでした。独りで立てる人間こそが、実は共同体というものの重要性を真に知ることができる、と。 中島
30 まだ競争社会、あるいはグローバル化に適応する社会という方向でやっていくのか、それとも、行政と社会が手を結び、一体となって、何らかの受け皿を作っていくような社会を目指すのか。中島
41 企業の収益はできるだけ故国のため、故郷のために還元しようという発想がない。企業の収益を上げるのは企業の収益を上げるためであるというトートロジーにはまり込んでいる。内田
46 国民国家というシステムは、そんなに出来がいいものじゃない。でも、グローバル資本主義よりは「生身の人間」について知っている。人間がどれくらい脆弱か、どれくらい幻想的か、国民国家はそういう人間の欠陥を勘定に入れて制度設計されている。内田
215 現代社会は、生身の人間の生体スピードの何倍何十倍で社会システムが運動するように設計されつつある。それは僕らのバイオリズムと合わないんでさよ。速すぎて。だから、僕らは今息苦しさを感じている。
217 国民国家は「そんな働き方や消費のしかたをしていたら、長くは続かない」という生身ベースで制度の適否を考える。でも、グローバル資本主義は違う。
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グローバル化、新自由主義、何だか地に足が付いていないことがどんどん進んでいるような…。身体感覚のない言論が過激さを加速する。匿名のネット上での発言が問題になるのも納得です。
ここのところの内田氏はグローバル化、グローバル企業と国民国家が相入れない関係であることを盛んに書いています。株式会社の平均寿命が10年未満なのにたいして人間の寿命は数十年。我々の身体感覚ではものごとを100年単位で捉えている。それを体現しようとするシステムが国民国家である。企業は100年後のことには興味ないのですぐに効果、結果を求める。この企業の論理が国民国家に浸透してきてしまっている。これが何を生み出すのか私たちは冷静に判断しなければならない時期に来ているようだ。
既得権益を排し、全ての人に平等な機会を与えるというのは一見正論のように聞こえるけれど、本当にそうなのだろうか?もしかしたら強者だけが得をする超格差社会を生むだけなんじゃないだろうか?
答えは分からないけど、はっきりとものを言う、正論を言っている(ように聞こえる)人が幸せな未来を私たちにもたらしてくれるの考える必要があると感じさせられる。
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授業でもグレーバル社会の問題点について触れた文章を読んでいたせいもあり、「脱グローバルというタイトルにも惹かれて、この本を読んだ。非常にまっとうな意見だと思う。実現させるのに時間がかかるだろうが、日本の進むべき道はこの方向だろうと思わせられる。
どうしてこういう考え方が主流にならないのかな?金が儲からないからか。何億と稼げた頃の甘い幻想を諦めきれずに追いかけているからではないのかな? この本のようなまっとうな意見を今の政治屋から聞きたいものだ。
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自由な競争こそが正義で、これこそが人間にとって幸福な社会の実現とするネオリベラリズムに対抗する「ポストグローバル社会」のありかたを考えるシンポジウムのまとめ本。人材や産業の育成をかえりみず、低コストを求め、中国、インドネシアと畑をかえ短期成果に執着するグローバリズムは、資源が無限であることを前提とした焼畑農業と同質であり、国土に住む国民を包摂せざるを得ない国家という何10年という寿命のシステムと、マーケットにおいてイーブンなプレイヤーであるはずがない、というような指摘はまさにその通りと思う。
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国民政治とグローバル企業・資本主義は基本的に相いれないものだ、という内田氏の主張が何よりのキーワード。
国に対して競争のし易い環境を!と要求する企業がいかに独善的か、、というのを考えさせられる。グローバリズムを標榜する企業・政治家にロクなものは無い、と改めて認識。
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この本のもととなったシンポジウムは2012年の衆議院選挙の前後になされたもので、出版されたのが今回の参議院選挙の直前。
丁度そういう時期に読んで、中々興味深かった。
特に、20代の若者の率直な意見は面白かった。
こういう多様性というのがどんどん広がってきて、色んな人が色んな事を言い、実践できる社会になればいいと思う。
ただし、他人を排除して優越感に浸るようなのはダメだ、言うまでもないけど。
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おおむね面白く読んだ…が、次第に、同じ考えの人たちが互いにほめ合っているみたいな感じが鼻についてちょっと気持ち悪かったなあ。
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内田さんと小田嶋さんが出てたので読んでみた。いつもの内田さんどおりの主張が繰り返されている感じがした一冊だった。前回の岡田さんとの共著と違い、ある程度意見が重なっている人との作品だったのである程度まとまりがいい。内容的にはグローバル化の欠点や限界を話し合うといった話。しかし、共同体をどう作るのかについての具体性がなかったのは残念かな?
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グローバリズムを疑う。成長し続けることを前提とした資本主義はいつか限界点に達する。資本主義は常に新たな市場、貧しい者、安価な労働力を求め続ける。つまるところ貧富の差があることを前提としている。もっとも裕福になったはずのアメリカや日本で、逆に貧富の差が増大しているということは、やはりそれを必要としている制度なのではないだろうか。高齢化と共に人口減少を避けられない日本がこの先どのような社会を築いていくのか。貨幣経済の外で助け合える共同体をどのように作っていくのか。興味深い。
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グローバル人材が、根無し草的な地元がない生活がないどこへでも行ける取り替えがきく人材と理解すると、ゆくゆくは国が不要になるのだろうと私も思えてきました。日本語しか話せず、日本に暮らし家族がいて生活があるというほとんどの人のために、地元企業があって、雇用を創出し、利益を還元するというサイクルを世界と競争していないという評価でいいのか、常に疑問を持っていたいと思います。