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著者は「遺体科学」の専門家ですでにいくつか著作もあります。
最近は遺伝子から進化をみるのが流行りだと思うのですが、表現型としての身体(遺体)を直接見ることで進化の過程を推定するという学問的方法についての物語になっています。もちろん、人類史が遺伝子と考古学の知見を合わせることでより精緻化されたように、生物進化についても遺伝子と解剖学を合わせることで大きな成果が得られるということも書かれています。個人的には遺伝子から見る方がロジカルな感じがして好みなのですが。ちなみにきちんと最新の生物進化史を見るのであれば書店に手に入るものだとドーキンスの『祖先の物語』は外せないと個人的には思います(参考文献にはないですが)。
この本も含めて科学者による新書版の一般向け解説書が最近いくつか出ています。その中でも超ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』と比べるとエピソードの扱いが一段落ちます。一般向け著作も多い著者ですが、その辺はもう少しですね。
本の最後は、著者自身の研究分野への研究開発費含めたリソースの貧弱さを訴えた、ある意味愚痴にもなりそうな、アピールで終わっています。研究分野の選択と集中というのもあってしかるべきではあるとは思います。そうなると「遺体科学」などは弱いんでしょうね...
とりあえず、自分を悩ませている腰痛と肩凝りが、二足歩行の進化の代償だということはわかりました。
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-2006.09.02記
著者の遠藤秀紀は、現役の動物遺体解剖の泰斗であろう。動物の遺体に隠された進化の謎を追い、遺体を文化の礎として保存するべく「遺体科学」を提唱する第一線の動物学者である。
この人の著書は初めて読むが、「人体 失敗の進化史」は決して奇を衒ったものではなく、専門の知を真正面から一般に判りやすく論じてくれた好著だ。
失敗ばかり、間違いだらけの進化史、その言やよし、ものごとはひっくり返してみるくらいの方がいいと常々私も思う。諸手を挙げて賛成だ。
「偶然の積み重ねが哺乳類を生み、強引な設計変更がサルのなかまを生み、また積み上げられる勘違いによって、それが二本足で歩き、500万年もして、いまわれわれヒトが地球に巣喰っているというのが真実だろう。」という著者は、本章の1・.2章で、耳小骨の話を軸に、爬虫類から哺乳類、さらにヒトへと、顎と耳の作り替えの歴史を、見事に具体的に語り、われわれヒトの手足が、3億7000万年の魚類の肉鰭へと遡ることをこと細かに解き明かしたうえで、「脊椎動物の多くは、設計変更と改造を繰り返した挙句、一皮剥がしてしまえば、滅茶苦茶といっていいほど左右非対称の身体をもつことになってしまったのである。その典型が哺乳類などの高等な脊椎動物の胸部臓器なのである。脊椎動物の5億年の歴史のなかで、我々ヒトの心臓や肺に見られるごとく、脊椎動物がどう酸素を取り入れて、血液を流すかという作戦は、身体の左右対称性を継ぎ接ぎだらけに壊しながら、改良に改良を重ねてきたものなのである。」という。もちろん、心臓や肺について、あるいは腰椎や骨盤について、いかに設計変更や改造をしてきたか、具体的な説明にはこと欠かない。
著者いうところの「前代未聞の改造(第3章)」が、ヒトのヒトたる所以の二足歩行であり、自由な手の獲得であり、直立したヒトの脳の巨大化であるのだが、一方でそれらは垂直な身体の誤算-かぎりない負の遺産を我々にもたらし、現代人の誰もが悩まされる数知れぬ慢性病として現前しているのだが、著者は「ヒトのトラブルの多くは、ヒト自身の設計変更の暗部であると同時に、ヒト自身が築いた近代社会が作り出す、予期せぬ弊害なのだ。」と説き、われわれホモ・サピエンスとは「行き詰まった失敗作(第4章)」であり、「ヒトの未来はどうなるかという問いに対して、遺体解剖で得られた知をもって答えるなら、やはり自分自身を行き詰まった失敗作と捉えなくてはならない。」と結論づけている。
年間200から500頭の動物の遺体を、毎年のように、解剖し標本にしてきたという著者は、終章において、自ら立ち上げた「遺体科学研究会」の名で、動物の献体を声高に一般市民に呼びかけている。
行政改革の大号令のもと、全国各地の動物園や博物館には指定管理者制度の導入や民営化の嵐が襲い、著者の遺体解剖の現場も研究も、現状を維持していくことがより困難になりつつあるのだから無理もない。
最後に、これは著者には関わり合いのないことであろうけれど、遺体・献体の話題といえば、この数年、日本の主要都市で連続的に開催され、多くの観客を集め注目されている「人体の不思議展」につい���、嘗て私は「学術に名を借りたいかがわしい見世物」と批判しているのだが、是非にもご意見を拝聴したいものである。
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動物の解剖を通して、生物の進化が如何に行き当たりばったりに進んでいたかを説く。また、人間が二足歩行を始めたが故に生じた無理な進化いより故障を生じやすい事が判るのである。
人間が予定調和的にエレガンスに進化してきたわけでは無いことがよく理解でき、それでも無理無理にも進化してきた不思議を感じるのである。
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[ 内容 ]
地球史上最大の改造作は、どう生まれ、運命やいかに。
「ぼろぼろの設計図」を読む。
[ 目次 ]
序章 主役はあなた自身
第1章 身体の設計図
第2章 設計変更の繰り返し
第3章 前代未聞の改造品
第4章 行き詰まった失敗作
終章 知の宝庫
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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2011/6/11読了。
人類を含む動物の進化の歴史を、設計変更と前適応というキーワードを中心に考察している。身体について記述された本では一般的にその機能について詳しく解説しているものが多く、この本のようにその機能・デザインを得るに至った経緯について深く考察しているものは珍しい。
最も身近な"身体"がなぜそのようなデザインとなったのかを知ることは、どんな進化の過程を辿ってきたのかを知ることと同義であることを教えてくれる一冊。
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「進化」についてまじめに考えたことはあるだろうか。単純な適者生存モデルを鵜呑みにしているのではないだろうか。例えとして正しいかどうかは謎だが、野球において右バッターと左バッターどちらが有利でどちらが生存可能性が高いだろう。どちらかを滅ぼすほどの絶対性のある差異など存在しないのだ。生存可能性とは環境との相関によって生まれるものであって、能力の絶対値が決めるというものではない。もし仮にそういう欠落がある場合、それは、すでに生存していないものであり、それこそが逆に単純な適者生存モデルにあてはまる忘れられた存在になるといえる。
私がこの本のタイトルに惹かれるのは人類が、「失敗」の進化史という何度も書き換えられ修正された「ぼろぼろの設計図」(遺伝子)を持ったままここまできている事を如実に教えてくれるからである。例えば二足歩行を始めた人類がもつ「人間病」のなかで、貧血、冷え性、脳梗塞、脱腸は同列に語るべき事象である。心臓から全身の細胞までの距離と血圧との関係が適正でない場合に起こりやすい病気である。例えば、ヘルニア、外反母趾(内反小趾)、肩凝りもまた二足歩行によって生まれる人間病である。
あらゆる身体的リスクの可能性が設計図に残され、それを消しては書き直して維持され続けているといっていい。そういった「病気」を設計図の中で維持し続ける意味があるのかというと実はある。答えは簡単だ。
「想定外」に対応するためである。失敗の蓄積とは「想定外」を「想定内」にしてしまおうという意志なのである。心して失敗せよ。
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「遺体科学」という耳慣れない学問を提唱されている方の科学啓蒙書……というかエッセイ。
利益のためというか、遺体があるから、それを大切にし、そこから学べるものを得ようという姿勢が格好いい。
個人的に、先生に食べられたサンマの主役っぷりが可愛らしい。
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人体の設計ミスを進化史から明らかにしてゆく。
二足歩行の構造的欠陥、血管の配管ミスなど、様々な設計・施工ミスが明らかになるが、それでも人間は生きている不思議を味わえた。
進化するにあたって、新しいパーツを利用することは許されないという厳しい設計条件があった。その難しい条件を、奇跡のようなスーパーリノベーションでからだをつくりかえ、それが今日の私たちの人体になっている。一方で、どうしても無理に設計変更した故の、欠陥も多々あることに驚いた。
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遠藤秀紀さんは獣医師で動物の遺体を通して動物の進化の歴史を研究している方です。
現在の肩書は京都大学霊長類研究所教授となっています。前職は博物館の研究官を務めていたこともあって遠藤さんのところには動物の遺体が持ち込まれる。解剖してひとつひとつのパーツを調べるのは地道な仕事ですが、進化の歴史を示す重要な証拠が隠されています。
この本のところどころには、そんな動物の遺骸や内臓や骨格の写真や図が載っています。
学生の頃の解剖学の教科書を思い出すのですが、あの頃は不真面目だったことが災いし未だにうろ覚えな知識しか持ち合わせていません。しかし、この本を読むと七面倒くさいとしか思えなかった筋肉や骨の名称もなるほど!そうだったのか・・と思ううちにすんなり頭に入ってくるから不思議です。
地球誕生から46億年、動物の原始的な祖先のほやなどからヒトの祖先が誕生するまで約5億年、それから現在までざっと370万年くらいの歴史ということです。
だから、たかだかそのくらいの時間で、四本足の獣から二足歩行になったヒトは、いかに身体に数々の無理な設計変更を来してきたかというのが遠藤さんのこの本での主張です。当然、我々が今悩んでいるような腰痛や股関節異常、ヘルニア、貧血や冷え性、浮腫や肩こり・・・のような数々の人間にしかない症状をもたらし、そして優秀すぎる大脳が産んだ近代社会は、多くの病を克服し長生きの社会を実現し、女性の妊娠や出産を遅らせたり阻んだりしています。
奇しくも、名古屋で生物多様性の会議が開かれています。詳しくは分かりませんが、食物連鎖の世界が地球だからそのバランスが崩れると、どんどん生物は死に絶えていくのでしょう。
遠藤さんは最後に、私たちホモ・サピエンスの将来を占っています。
内容は衝撃的ですが、今までの進化の歴史を考えればこの結末も致し方ないのでしょうか。
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生物の設計はいつも行き当たりばったりという話。カメにおへそがあるなんてびっくり!人間の親指や月経、鳥の羽根、興味深い話がいっぱい!高校生くらいの頃に読んでいたらこの学問へ進みたくなるかも。著者の語り口も面白いし、なにより動物への愛を感じる。
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2008/05/05
いろいろな動物の遺体を通して過去の動物のどのような器官がどのように進化して今の動物のものになったのかを示す。肺、耳、胎盤等など、元は違う目的を持ってたものがどのような途中経過をたどって今の形になったのか、分かりやすく説明。
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遺体の解剖から動物の進化の歴史を探るという、その名も『解剖学』。なかなか興味深い学問です。
幾度となく迫られた『設計変更』=進化の系譜を解剖によって解明する。億年単位の生物の歴史を探究する壮大な学問です。
池谷裕二さんが研究する脳について、『脳には機能の使い回しが見受けられる』というような内容がありました。『設計変更』というテーマでいえば、池谷裕二さんと遠藤秀紀さんのリンクが完成したわけです。
内臓や骨格だけが長い歴史の中で『設計変更』を迫られたわけではなく、脳についても同じ事が言えるというのは、言ってみれば当たり前なのかも知れません。
無から新しい機能を生み出すよりも、『機能の使い回し』や『設計変更』が進化の常套手段だとしたら、無から有を生み出す創造力というのは莫大なエネルギーと時間を使うはずで、これは人間の永遠のテーマになりそうです。
『海馬』の感想で書いたように、補助線の引き方が重要で、例えば、僕は中学の頃、数学の証明が好きでしたが、証明を成立させるための補助線の引き方(○○=×××になるため、××=□□□となる、よって合同となる、等)が下手で、友達にヒントをもらって問題を解いた記憶があります。
数学に限らず、物事を考える時に、補助線の引き方が上手いと、問題の解決がよりスマートになるはずで、この能力の育て方が確立すれば、学問全般の解明スピードが飛躍的に向上するでしょう。
『使い回し』による進化も、土台(派生要素)が無ければ進化しないわけで、その点で言えば、人間が鳥みたく羽を生やして大空を舞うことは出来そうにありません。そのあたりは『ゾウの時間 ネズミの時間』と併せて読むと面白いと思います。
しかし、進化の系譜は解明されつつありますが、決定打となる『進化途中』の生物が発見されておらず、所謂ミッシングリングが遺骨や化石で発見されれば、さらに進化史の発展に期待できそうです。そういった意味では、まだまだ学問の途上段階で、今後の発見が楽しみな分野と言えるでしょう。
しなしながら、解剖学の存続・発展は厳しいようで、成果主義の強引な押し進めによって、なかなか厳しいようです。終章に綴られた著者の語り口には受難に立ち向かおうとする気概が感じられて、応援したくなります。
成果主義については僕自身疑問に思うところがあるので、何とか是正してほしいと思います。目先の利害にとらわれてしまい、長期的にしか結果の出ない問題を蔑ろにしている風潮、競争心を煽るのは、充実感の伴わない虚無感、徒に疲弊を招くだけです。
なるほど面白い部分がたくさんあって、勉強になりました。
とても読みやすく、好感が持てました。僕の評価はA+にします。
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初めて読んだ遠藤先生の本。
書名から「文化人類系の本かな?」と思って手にしたら、全然違いました。
が、面白かったです。
生物としてのヒトがいかにいびつに出来ているかが分かる。
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遠藤秀紀の人体 失敗の進化史を読みました。
生物学の研究成果をもとに、動物、ほ乳類そして人類の進化がどのように行われたのか、という解説書でした。
生物が進化するときのメカニズムは、新たに機能を獲得するのではなく、あり合わせの材料を使ってつぎはぎだらけの機能として実現しているというのが面白いと思いました。
肺に適応できる浮き袋を持っていた種が海から地上に上がって呼吸することができた、と言うふうに、たまたま、新しい環境に適応できる機能を開発していた(前適応というそうですが)種が進化の主役になっていくという指摘が面白いと思いました。
人類の進化は劇的な能力向上をもたらしたのですが、地球の自然環境を大きく破壊する行動を繰り返しています。
以前から思っていたのですが、この本を読んで、人類というのは地球の自然環境にとってがん細胞のようなものなんじゃないか、という思いを強くしました。
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大変、興味深い本でした。ホモ・サピエンスは、50キロの身体に1400CCの脳をつなげてしまった哀しいモンスターである、との形容と、これに続く一連の文章が心を打つ。是非、一読を。