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腑に落ちる遺体解剖学
2011/12/19 23:31
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Genpyon - この投稿者のレビュー一覧を見る
遺体解剖学を提唱する著者が、様々な解剖学の知見をもとに、さまざまな動物とくに人間が、ときに無謀とも思える「設計変更」によって進化してきたことを教えてくれる。
専門用語を交えながらも分かりやすく語られる解剖学の知見は、その多くが我々の人体への進化に結び付けて語られ、著者のウィットを交えた落ち着いた語り口もあって、楽しく読み進めることができる。
解剖学では、宇宙や素粒子などの分野とは違って、実際のモノとして想像可能な題材がほとんどで、さらに、フライドチキンや秋刀魚の塩焼きなど、読者自身が実体験できる食材までをも題材として取り上げる著者の工夫もあって、本著は、読んでいて、本当に「腑に落ちた」感がする。
科学的知見が落ち着いた口調で語られる一方で、著者の提唱する遺体解剖学を取り巻く状況については、語り口がとたんに熱くなる。その熱さからすると、科学的知見の語りのほうは、単なる話の「つかみ」でしかないようにすら思える。
著者の語る遺体解剖学の重要性はなるほど良く解るのだが、著者が熱くなればなるほど、「つまりは予算が少ないという愚痴?」などといった、あらぬ受けとめら方をされかねないような気がしてならない。
無理な構造のヒト
2023/11/11 12:31
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の豊富な解剖学の知識に基づいて描かれた人体の構造は、なるほど様々な欠陥だらけなことがよく分かる。とりわけ他の哺乳類に例のない「二足歩行」は無理に無理を重ねた産物だ という。しかし著者は終章において、ヒトにとっての課題は二足歩行よりもその結果として得られた脳の巨大化にある という。深く考えさせられる事項である。
ピーキー身体
2021/10/04 01:09
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:イシカミハサミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
これだけピーキーな(二足歩行)世界線で生きていると、
生物の標準がわからないけれど、
改めて無茶してるんだな、と思う。
人類といえば、異常な大きさの脳が特徴だけれど、
進化史で見ると二足歩行→脳の巨大化の順番なんだろう。
果たして、幸か不幸か。
最後のほうは著者の熱い思いが綴られていたけれど、
15年経ってどうなんだろう。あんまり世の中、変わっていない気がする。
人類最大の英知は、その愚かさに自分で気づかないことだと思う。
継ぎ接ぎの進化史
2010/01/17 20:37
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
動物の遺体を解剖し、生態、進化の謎を追究する「遺体科学」を提唱する遠藤秀紀が、人体の進化を豊富な動物解剖の知見を援用して解説する。
この本では、ナメクジウオ(グールドの「ワンダフル・ライフ」にも登場するピカイア)のような単純な海生脊索動物が魚類になり、そして陸に上がり、さらに四足歩行から二足直立歩行に至るという、人体の進化の歴史をたどる、という王道ともいえるスタイルなのだけれど、その進化の歴史の捉え方が新鮮だ。
本書では進化というものを、既存の生体デザインのその場凌ぎの仕様変更、と捉えている。たとえば、陸生動物の四肢は、魚類のヒレが起源なのだけれど、では魚類のヒレはどうして骨を持つ四肢へと進化したのかという疑問が起こる。
それを知るには、ユーステノプテロンという骨のあるヒレを持つ魚の観察が必須だけれど、すでに絶滅している。しかし、直接の繋がりはないけれど類縁の、骨のあるヒレを持つシーラカンスの観察から、ヒレは骨を持つことで繊細な身体コントロールを可能にし、海中での複雑な行動に活用されていることが分かった。
つまり、骨のあるヒレというのはそもそも海中での行動に適応したもので、その肉厚のヒレが、後の陸上で行動する支えとなる。骨のある肉厚のヒレは元々陸上生活のために作られたのではないのだけれど、結果として四肢への可能性を胚胎していた、ということだ(これを「前適応」という)。
「動物というのは、基本的な設計を持つ祖先がいる。そして次の段階は、その祖先の設計図を借りてきて変更するしか、新たな動物を創り出す術はない。だから、新しい設計は、所詮は祖先の設計図のどこかを消しゴムで消し、何か簡単にできることを付け加えることでしか、実現できないのだ」47P
骨盤や、耳小骨、肺など、進化の結果うまれた様々な器官を、そうしたその場凌ぎの仕様変更の連続、蓄積として捉える。この認識を具体的な遺体解剖の知見を駆使して叙述するところが白眉だ。
途中まで読んでいて、本書は「失敗の進化史」というよりは「継ぎ接ぎの進化史」の方が適当だなと思っていたら、著者は最終的に人間が失敗した動物だと結論する。ここまで自分の暮らす土台を崩してしまった生物は動物としては失敗作だと言うほかない、と。やけに冷徹な認識だ。
で、この本で面白いのはなによりも著者自身かも知れない。遺体解剖に臨むプロフェッショナルとして、どんな遺体が目の前に現れても最善の解剖を行えるように、つねにシミュレーションを欠かさないとか、現在の大学、行政での科学研究が目先の利益に直結しない研究を排除していく拝金主義にまみれていると批判したり、博物館や動物園はただ客に金と引き替えに安楽を提供するのではなく研究施設でもあるのだという、様々な主張はどれも情熱的で真摯な科学研究への意気込みを感じさせる。
進化の軌跡を原生生物の体から探りだし、知的好奇心を刺激する好著
2006/08/28 00:39
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Skywriter - この投稿者のレビュー一覧を見る
人間がどうしてこのような形をしているのか。また、それによってどんな利点と欠点が生じているのか。
その謎を明らかにするには二つのアプローチがあろう。一つは分子生物学。こちらの方がより思い浮かべた方が多いのではないだろうか。もう一方は、人間と人間以外の生物の行動及び解剖学的な所見を比較することである。本書で行っているのは後者の方法。
人間に限らず、現生生物は進化の過程でそれぞれのが直面した環境に合わせて体を変化させてきた。その結果、ある者は発達した脚と武器となる牙や爪を、ある者は捕食者から身を護る鎧や警戒装置としての目、逃走するための脚を身に付けてきた。
しかし、進化は決して遥か彼方の理想の姿を追い求めてきたわけではない。行き当たりばったりで、使えるものなら何でも使う、というのが基本姿勢であった。
そんな事実を、多くの証拠から説明している。たとえば、空を飛ぶための手段として、翼竜、鳥、コウモリと異なる生物が進化を遂げてきたが、その進化戦略はそれぞれ全く異なる。その解剖学的な違いは知的好奇心を大いに刺激する。
著者が、そして我々が最終的な目的として興味を持つ人体もその場しのぎの進化の寄せ集めである。四足の動物がただ立ち上がっただけではなく、多くの設計変更があった。その証拠を、専門用語をほとんど用いずに平易な言葉で説明してくれているところが親切で、面白さを増しているポイントだろう。
解剖から得られる所見によって、海で発生した太古の生物がいかにして人間まで至ったのか、進化のプロセスの好い加減さと面白さを実に上手く表現しているように思う。我々の体に、数億年に渡る生物の進化の軌跡があるというのはそれだけで興奮するし、その秘密を覗き見ることができるということは大変な知的好奇心を刺激すると思う。生物の体にはまだまだ沢山の不思議が隠されていることを実感させてくれる一冊。