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Amazonの「内容(「BOOK」データベースより)」によると「現代の「おしゃれ」「クール」のルーツといえる江戸好みの美意識「いき」とは何か。日本文化論の傑作として名高い『いきの構造』を、明快な現代文に書き改め、各章ごとに内容を要約、読みどころを解説。読みやすく、かつ理解しやすくした。さらに異端の哲学者と呼ばれた九鬼の波乱に富んだ人生遍歴をたどる「生涯と思想」を付載。『いきの構造』が生み出された背景を明らかにしつつ、時代を超えて読み継がれる魅力の秘密に迫る」とのことです。
詠んでみたい。さっそくAmazonに注文しました。
於菟
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「いき」な意識を構成する三要素は、媚態、意気地、諦めであるとのこと。その中で第一にあげられるのが媚態であり、「いき」の本質とは媚態すなわち男女が互いに相手をひきつけようとする駆け引きに発する美意識にほかならないとのこと。
男女の不安定な状態に自由があり、美意識が生まれるとのことであるが、あまり本を読んだがあまりしっくりこないところがあった。しかし、今後の生活でいきである感覚を意識してみようと思った。
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「いき」=「垢抜けて(諦め、執着のない)」+「張りのある(意気)」+「色っぽさ(媚態)」だそうです。異性との関係を哲学に取り込んで、つかず離れずの美学をとことん追求すると、一冊の本にできるようだ・・・哲学の世界は良く分かりません。
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「いき」という言葉のもつ世界観を教えてくれた.「いき」と二元性をなす対のことばは「野暮」となる。これら関連の言葉「渋味」ー「甘味」、「上品」ー「下品」、「派手」ー「地味」を「美意識の六面体」としての表現にとても興味を持った.この「いき」という言葉は、日本独特のものらしい.英語では、raffine, chicが近い言葉として例示され、「美意識の六面体」のどの辺りを表すかを立体的に説明している。言葉の意味の持つ空間性にとても新鮮さを覚えた.作者「九鬼周造」の経歴も波乱に富み、彼の母は、岡倉天心との不倫によって離婚し、幼少期から岡倉天心を伯父さんとして、身近に接する.自信も女性癖のため、離婚する.意外な繋がりに驚いた.
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“醜態”を晒さない“意地”を貼りつつも、ある種“諦め”の境地によって齎される、枯れるとも咲くともない二元性による、可憐な仕草、様子、心意気。
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この本では、日本人が持つ美意識「いき」について解説されています。「いき」とは恋愛でギリギリまで相手に接近しながらも相手とはひとつにならないものであり、恋を成就させずに一歩引く。そこには、他人に縛られない武士道の理想主義と、相手との関係を諦める仏教の現世否定が背景にある。
日本の文化というと室町時代のわび・さびをクールに感じていましたが、「いき」のような江戸町人的な文化も現代の感性に通じるところがあって面白く感じました。
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クキさんの書いたイキに関するウィキ。とか、つまんない事言いません。
江戸文化のなかで生まれた「粋」を構造的に分解していく本書。 武士道精神に則る「意気地」が体験を生み、仏教観がもたらす「諦観」が執着を断つ。その狭間にあって、波を乗りこなすサマこそ「粋」という感覚の根幹、というのは大変腹に落ちました。
本来であれば、粋を言葉で語るという行為そのものが野暮ってなもんですが、あえて才人が挑戦した本書は、日本人が持つ特有の精神世界への扉を打ち立てたのではないかと思います。
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「いき」は日本の独自文化で、男女のつかず離れずの媚態における「逢瀬の美学」である
人生の50冊 エンジョイライフ ベスト3位
九鬼周造は2013年における大発見でした。
なにしろ日本の遊里における男女の媚態を分析して、
これをフランスで哲学書として成立させるのが、九鬼魔術(マジック)。
白眉は、欧米の類似の恋愛観と比較しながらも、吉原における男女の機微に日本独特の文化的背景を展開するロジックにある。
「いき」は武士道の理想主義である「意気地」と
仏教の脱俗世である「諦観」と密接な内的関係がある。
さらに、関連諸概念として、上品と下品、派手と地味、意気と野暮、渋味と甘味を挙げ、それらでロジカルに概念正方形を形成し、
その中に「いき」を位置づける。
くぅう、これは格好いい!江戸の遊び人、ここに極まり!
人生の目標のひとつが、この大人の遊び感覚、余裕なのです。
いざ、遊びをせんとや生まれけん
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読んでいて途中、「何を大仰なことを今更!」と思ってしまったが、イキという日本人独自の感覚をここまで論理的に言語化した人もめずらしいなと感心してしまった。
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いき という抽象的で個人的な感覚をここまで概念化させることができる九鬼の手腕に脱帽。感覚的なものを言語化してくれると理解が深まったような気になる。そして、そのことについてもっと知りたくなる。
いきを本当に理解するためには、人がどう感じているかという、いきな行動の奥に潜む意識を感じようとしなければならない…という旨のくだりはとても心に残った。
相手の全てを知ることは出来ないと心得た上で、相手を慮る姿勢に、優しさを感じる。
本書最後の「九鬼の生涯と思想」も内容理解の助けとなった。良書。
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「和の心」というテーマで展示を作成するにあたり、その核となる書籍として選んでみました。
「粋だねえ」などと言われ、ある種の誉め言葉として使われる「いき」という概念は、はたしてどのようなモノであるのか、読み終えて、ひとつの定義を知ることができたように思います。
原著を現代語で読みやすく書き改めてあるので、本論もストレスなく読むことができましたし、著者の主張もわかりやすかったです。
実体験として、また実生活の中で自分が「いき」に生きることはなかなかハードルが高いのですが、だからこそ(そして「いき」がどのようなものであるかわかったからこそ)「いき」である人やその仕草にあこがれ、尊いものだと認識できるのだとあらためて思います。
「いき」の核となる「媚態」は出せずとも、「意気地」くらいはしっかりともって生きてゆきたいものです。
p.31
「いき」な意識を構成する三要素として、媚態、意気地、諦めをあげ、……「いき」の本質とは、つまるところ、媚態すなわち男女がたがいに相手をひきつけようとする駆け引きに発する美意識にほかならないと九鬼は意味づけます。
p.34~
媚態とは、恋愛において、自分と異性の間に、どう転ぶかわからないような不安定な関係を持ち込むことである。「いき」のうちにみられる「なまめかしさ」「つやっぽさ」「色気」などは、すべて、この自他の不安定な関係から生まれる緊張のあらわれにほかならない。……この不安定な関係こそは媚態の根本的要素であり、異性同士が完全に相思相愛の仲となって、不安定な緊張感がなくなってしまえば、媚態はおのずと消滅してしまうことになる。……それ故に、自他の緊張した関係を持続させること、すなわち、どうなるかわかならいという不安定さを維持することが媚態の本領であり、恋の醍醐味なのである。
p.38
「いき」の第二の要素は「意気」すなわち「意気地」である。……「いき」は相手の気をひこうとする媚態でありながらも、なお異性に対し突き放してみせる強さをも兼ね備えた意識なのである。
p.41
「いき」の三番めの要素は、「諦め」である。運命というものを心得て執着心を捨て、無関心に徹するありかたである。「いき」であるためには垢抜けていなければならない。あっさり、すっきり、スマートでなければならない。……「いき」のうちには運命に対する「諦め」と、その「諦め」に基づく淡々とした境地とが含まれている……。
p.45
以上をまとめれば、「いき」の構造は「媚態」と「意気地」と「諦め」の三要素から成り立っているのである。……「媚態」の本質は、自分と相手の間柄がどうなるかわからないという不安定性にあるが、第二の要素である「意気地」は、相手の言いなりにならず、自己の独立を誇り高く堅持しようとする理想主義に支えられることによって、こうした「媚態」の不安定性に一層の緊張と持久力をもたらすのである。……第三の要素である「諦め」も、また、決して媚態と相容れないものではない。媚態は、その目的である恋愛がぎりぎりのところで成就しないところに真骨頂��あるのであり、そうであるなら、「諦め」こそは、媚態と相容れないどころか、逆に、媚態の本質を示しているといえるのである。
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いきという言葉の意味は、結局時代や見る人の立場によって、様々だということだと思います。
あと、「媚態」「意気地」「諦め」の3要素だけで語るのは、無理があるように感じました。
1.この本を一言で表すと?
・「いき」という日本独特の文化を分析した本
2.よかった点を3〜5つ
・いきな衣装
→湯上りの浴衣姿は媚態、つかず離れず、をよく表していると思う
・九鬼周造の生涯と思想
→「いき」を哲学的に追及する背景をぼんやりだがわかった気がする
2.参考にならなかった所(つっこみ所)
・邦楽における「いき」
→音楽のことは、文章で説明されてもイメージができない。
・「いき」な言葉づかい
→こちらも、イメージができない。どこがいきなのか?
・一口でいえば、媚態のための媚態−恋の成就をめざすのではなく、ただ永遠に成就することのない、恋の駆け引きを生き抜いていくことなのである(p47)
→あまりにも超越しすぎていて、凡人には無理ではないか?
・九鬼が、女遊びが激しかったのは「いき」なのだろうか
3.実践してみようとおもうこと
・とくになし
4.みんなで議論したいこと
・「いき」は異性が存在しないと、ありえないことなのか?同性のみで「いき」はないのだろうか?
5.全体の感想
・日本人としての"いき"という概念の大切さを学べれたきがする
・現代語訳がうまくいっているようで、とても読みやすくなっている
・現代で考える「いき」と本書の「いき」は若干ニュアンスが異なるように思われる
・「いき」というのが、民族性に深くかかわっているということは納得できる
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はっきり言えば、この本で「いき(粋、意気)」というものを理解するのは「現代では」難しい、の一言ですし、この本の解説を「いき」に感じるのであれば、「現代では」感性がズレていることになるでしょう。
でも、それこそが九鬼周造が「いき」を通じて見つけた真髄だという一点において読んで面白く感じました。
つまり、「いき」とは何かを解説することはできる、だが、その構造の1つ1つからは「いき」に到達せず、帰納的な説明しかできず、事実を積み上げての演繹的な解法にならないことを明らかにしています。そして、それは確かにその通りだと思いました。
そして、それが哲学が持つ普遍性の追求にはなり得ないことにも言及している点も良かった。しかしながら、哲学は物事に対して知識の道筋を世に提供するものであるというもう一つの道筋を明確にし、触れる事(経験)で知り得ない知識が存在することを「いき」を通じて知らしめており、それが故に現代では消滅しつつある「いき」を未来に運ぶ舟になっている本でした。