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あぁ、大好きだなあ。愛すべき作風。
しかしこの語りは真似できないレベル。100万年後から振り返って100万年前の登場人物を描きながら、いきなり今場面に登場している彼らの最期の様子を語り、今度はまだ生まれてもない赤ん坊のそのまた子どもを描いたり。自由自在に思えて、情報量をなんだかんだで配分してる気もする。一度分析してみたい。
まあそんな上手さとかより、ヴォネガットの作品はこの中毒性に引っかかった時点で全作読みたくなっている。
テキトーにくすくす笑いながら読んでるだけですべて良し。
そしてヴォネガットがこの言葉をエピグラフに持ってくるのが、皮肉でいながら泣けそうになる何か。
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語り手はキルゴアトラウトの息子!
物語ほとんど関係ないのにヴォネガットファンとしてはたまらないラスト
青いトンネルを通る描写も欲しかったなぁ
まもなく死ぬ人物の名前の前には*をつけるとかユニークな方法が使われてる
100万年後の人類は脳の小さい漁師になってそれなりに幸せに暮らすけど、果たしてこれがユートピアなのだかどうなんだか
巨大な脳の持ち主にはいまいち分かりません
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ヒトは生物の頂点に君臨すると、一応は考えられている。その根拠はいろいろ考えられるが、ひとつには脳の大きさがあるだろう。生物は進化するにつれて、脳が大きくなっていった。脳が大きければ大きいほど賢いことは、観察からもある程度わかる。例えば、犬はお手や伏せを覚えるので、ウサギよりも賢い。チンパンジーは簡単な記号も扱えるので、犬よりも賢い。脳の大きさと知能に一定の関係があるとすると、脳の大きさが最大であるヒトは、生物の中でもっとも賢い。
しかし、もっとよく観察してみると、小さな脳の持ち主たちも凄いことをやっている。ファーブルの著書で有名なスカラベは、ヒツジや馬などの糞を丸めて玉を作るが、彼らは雪だるまのように転がして丸めているのではない。頭と前肢だけを使って完全な球形を作るのだ。誰に教わることもなく。人間に道具を使わずにこんな芸当ができるだろうか。
彼らは考えてやっているわけではなく、あくまでも本能に従って行動している。ヒトは本能から離陸して理性を獲得したわけだが、生物を観察していると、昆虫や動物が本能で苦もなくやってのけることを、人間は頭で必死に考えて下手糞に真似ているとしか思えないことが、しばしばある。一体、人間と動物と、どちらが賢いのか。
本書は、人間の脳が大きくなりすぎた欠陥品で、しかも危険きわまりない邪悪な機械である、という洞察のもとに書かれたサイエンス・フィクションである。私はこの本を大学生のときに知り、以来作者のファンとなった。
ご存じのようにヴォネガットは、未来をカリカチュア的に誇張して描くことで、現在の世界の歪みを浮き彫りにする手法をしばしば用いる。本作もその好例で、ホモ・サピエンスの脳の大きさは実際には一五〇〇グラム程度だが、この小説ではそれがさらに進化し、三キログラムという設定になっている。そして人類は、脳が大きくなりすぎたがゆえに、破滅の道を歩み始める。
彼一流のユーモアに溢れた表現をいくつか紹介しよう。
「当時の人間のおとなの大部分が、三キログラムもの重さの脳を持っていたのだ! それほどふくれあがった思考機械が想像し実行できる邪悪な計画には、およそ限界というものがなかった。」
「いくら人間がふえたといっても、この惑星にはまだすべての人間にたっぷりいきわたるだけの食料や燃料などがあったが、いまや何百万人もの人びとが飢えで死にかけていた。」
「そして、この飢饉は、ベートーヴェンの第九交響曲とおなじく、純然たる巨大脳の産物だった。」
「だから、こういうしかない。当時の人間の脳は、生命をどこまで粗末に扱えるかについて、ひどく口数の多い、無責任な発案者になっていたため、未来の世代の利益のために行動することまでが、ちょうど限られた範囲の愛好家がたのしむゲームのように扱われた──たとえば、ポーカーや、ポロや、証券市場や、SF小説の執筆のようなゲームのように。」
いかがだろうか。本作は構成の緻密さという点でもヴォネガットの作品群の中でとりわけ優れた部類に入るが、作品のいたるところに散りばめられたこうした痛烈な批判の数々を眺めるだけでも一読の価値がある。
ところで、この物語では人類は絶滅してしまうわけではない。しかし、ある意味ではそれよりももっと皮肉な結末と言える。過酷な自然選択の法則は、大きすぎる脳を無用だと宣告し、人類からそれを取り上げ、彼らは小さな流線型の頭とひれを持ち、和毛に覆われた体へと「進化」して、ガラパゴス諸島の片隅にあるサンタ・ロサリア島という架空の楽園でひっそりと暮らしていくのだ。
この物語における現在、つまり、いまから百万年後の人類には、もはやベートーヴェンの第九は書けない。だが、そんなものが何になる? 巨大な脳を持つことが、そんなにも偉いのか? ここで筆者は再び、冒頭の考察に戻る。はたして人間は本当に賢いのだろうか、と。
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ヴォネガットにしか書けない世界。とにかく我が家のヴォネガットの本はすべてボロボロ。あ、レビューじゃないや・・
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ヴォネガット(の小説)は初めて読みました。
語り手の設定や*印の手法も含め、自分が今まで読んだものの中に類型が見つからない小説ですごく面白かったです。
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いい味をだしているが物足りなさを感じるのは我がままか
表紙 7点和田 誠
展開 5点1985年著作
文章 7点
内容 619点
合計 638点
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ヴォネガット のユーモアとウイット、引用文についつい笑いを誘われるが、テーマは人類の進化である。 そこに着くまでに設定した百万年という時の流れは、大きな不安を孕んでいる。巨大化した脳は残酷さに寛容であり、心の痛みを転嫁し、過ちを進化と勘違いした。
西暦1986年、ヴォネガットの描く巨大脳を持つようになった人類の性が、本能に導かれて到達した環境といえば、反抗する隙もない、人間性という言葉の影もない、独自に進化を遂げた世界だった。どこか今に通じる現代世界の姿がかいま見える。煉りに煉られた物語で、その緻密さ巧みさは面白い、登場人物の狂気までも気の利いたジョーク交じりで進行していく。人々の狂っていく姿は喜劇的でさえある。 現実の1986年をググってみると、アメリカは世界の指導者を自認し、レーガンはリビアに経済制裁を加え、戦艦ミズーリを再就役、ソビエトではチェルノブイリ原子力発電所事故が起き、日本車はどんどん売れ、各社こぞって新モデルを発売していた。
作中、経済危機に瀕し、恐慌に陥る各国は次々に破綻していくが、富豪たちは強いドルと日本円を保有し経済的にはなんら影響がなかった。そして富豪の兄弟が広告宣伝も兼ねて、所有のホテルと豪華客船バイア・デ・ダーウィン号を使いガラパゴスの自然観察を目的に「世紀の大自然クルーズ」を計画する。 語り部は時を越えて人々を描写する。その実態は百万年前にベトナム戦争で死んだ兵士だが、彼は死後の世界に行かず、ガラパゴス行きの観光船に乗り組み、目に見えない姿で人々に付き従っていく。
百万年後まで彼の語りは続き、人類がなぜ船に乗り、どうなっていったか、どんな形に進化をとげたか、彼の目を通して見ることになる。 まず初めて読む構成で、過去から現在を振り返る、結果を元に、クルーズに参加した人たちの運命を振り返り、その間に世界の変貌をみる。国際ブックフェアから人間の卵子を食う微生物が世界に広がっていった。さながらダビデとゴリアテの物語の繰り返しのように。人類はここで滅びようとしていた。
ストーリーは二部に分かれている。一部は船に乗るまでの人々の運命。旅の途中で亡くなった人は名前の前に*印をつけている。彼はもうすぐ船の出航を待たずに死ぬ、というように未来の出来事を語る部分が何度もある。このあたりヴォネガットの遊びだろうかという感じがする。 第一部 そのむかし 今から百万年前の西暦1986年、グアヤキルはエクアドルという南米の小さな民主国が持つ最大の貿易港だった。 人類の発達した巨大脳が生み出した結果は、産業の危機、経済の破綻、飢餓、常にどこかで戦争をしているという世界は末期状態になっていた。 そのころグアヤキルからガラパゴスに向けて「世紀の大自然クルーズ」の旅が計画された. 参加者には各国の著名人を招待していた、だが地球上は危機的状況になり通信も断絶してしまった。先にホテルに到着していた、アメリカ人4人と日本人夫婦だけになる。偶然、グアヤキルの奥地、熱帯雨林の民であった、カンカ・ボノ族の飢えた少女たちが乗り込んできたことで、百万年後の人種の子孫は大きな影響を受ける。 招待客にキッシンジャー、ピカソ、ジャクリーン・オナシスやヌレエフ、ミックジャガーなどの名前があるのも愛嬌か。国務省が警告を発し、彼らは船に乗ることは出来なかったが。
第二部 そして、それから 百万年後、ガラパゴスの白い砂浜、青い礁湖、そこに人類はたどり着いている。 語り部の過去と現在も明かされる。 ここでヴォネガット の夢は、美しい穏やかな世界であることが分かる。 紆余曲折を経てガラパゴスに着いた人たちが、ひとりの女性の特殊な生殖技術で、新しい種が生まれ、島に生存していた生き物たちと共生していくのに適した形にしだいに変化する。人類の体の形は、食料を得るためにだけ適したものなり、もちろんその形では脳はごく小さなものでなくてはならず、両手はひれの形になって海の中でも陸でもお穏やかに静かに暮らしていけるようになっていく。
1986年からまた時が過ぎ2016年末にこの本を読んだ私。ヴォネガットの世界より今の人類は脳の形は小さいかもしれない、地球は災厄をこうむっているかもしれないが、テクノロジーの進歩は人類にとって災厄だけでなく人類を生かすことも含まれ、貢献しているのではないだろうか。楽観的過ぎるのは危険だとヴォネガットは言うだろう。 SFといえばスパースオペラと思うような初心者からすればSFらしくない世界だったが、人の狂気と底知れない欲望がむき出しになった巨大脳の作り出すものは、宗教や社会常識を超えたものに変わる恐れがある。そこここに展開する人々の運命が、わが身にいつ起きるかもしれないと感じさせるような力のある興味深い作品だった。
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その日に死亡する人の頭に印をつけるアイディアはとても興味深い。
時間をかけて、とても工夫した作品であることはわかる。
けれども、もっともっとと思ってしまいますね。
作者も大変です。