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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第31回芥川賞受賞作(1954年)。
吉行淳之介はこの時三十歳で、受賞の報せを結核病棟の夜の病室で聞いたという。
その後の日本の文学シーンでの吉行の活躍を知っているものからみれば、この時の吉行の受賞はすこぶる評判が悪い。選考委員の一人石川達三は選評の冒頭、「吉行君には気の毒だが、この当選作について世評は芳しくあるまいと想像する」とまで言い切っている。
また、同じく選考委員の瀧井孝作は「当選なしが続くのは不可といわれ」と、芥川賞の裏事情まで漏らしている。ちなみに、前回の第30回芥川賞は受賞作なしであった。
宇野浩二委員は受賞作となった「驟雨」については推薦しにくいが、「吉行のこれまでの努力と勉強に対して」芥川賞が決まったとしている。
それほど「驟雨」は作品としての出来はよくないだろうか。
主人公山村英夫は大学を出て三年めの汽船会社で働くサラリーマンである。結婚の意思はない。それよりも、「遊戯の段階からはみ出しそうな女性関係に巻き込まれまい」と心決めている。だから、彼は好んで娼婦の町を歩いた。
その原色の町で「しとやかな身のこなしと知的な容貌」をもった道子という娼婦と出合う。そして、いつしか道子に「遊戯の階段からはみ出しそうな」感情を抱くようになる。
娼婦の町という貧しい性の現場を舞台にしながら、男の愛に対する一途さを描いた作品である。
終盤近く、道子の鏡台から使い古された何本もの安全剃刀を見つけた山村は激しく突き動かされる。それは道子の体に重なる男たちの姿でもあった。
このあとにつづく贋アカシアの葉が「まるで緑いろの驟雨」のようにはげしく落葉する場面は印象的だ。おそらく、主人公の山村の心からもはげしく何かが落ちていったのだ。
どれほど愛しても重なることのない娼婦との恋愛。しかし、それは娼婦だけではなく、男と女の恋愛そのものがそうなのかもしれない。
この受賞作のあとも吉行淳之介はずっとそんな感情をじっと見つめ続けた。
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安吾が繰り返した述べた「肉体の文学」は吉行によって成し遂げられた。
吉行は全部同じという人もいるけど、どれも面白いよ。
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「男」とは「ナイーブで(愛しいほど)まぬけ」だと知った1冊。吉行が身をもって教えてくれる、ありがたい。
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吉行淳之介は病弱で、東大英文科に入っても学業に勤しむ気がおこらず、さっさとやめて女学校の教師になり、さらに編集者に憧れて、雑誌社に入っている。思想から離れて娼婦の街に着目した。
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またしても画像がないっ(笑)
自分が生まれる少し前に発売された本ですね。
育った街を考えさせられます。
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夏の休暇 は
グワっとせまる夏の濃い青の空の色と
夏休みの妙にゆったりとした生ぬるい時間
強すぎる太陽が地面を焦がす匂いを感じる話
あっけらかんとした語り口
予感に焦るまだすこし純な娼婦に自分を重ねるように私もいつかなるんだろうか
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芥川賞シリーズ⑧
娼婦との純愛物語といえる。設定が現代には合わないが、人を愛することの切なさがとてもよく表現されている。アカシアの葉が一斉に落ちていく場面で主人公は自分の心の葛藤も整理できていったのでしょう。
文学的作品なのでしょう、奥行きが深く読み砕けばさらに深く理解できそうですが・・・。
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浦野所有。
芥川賞受賞作。…ですが、この1冊だけでは、吉行淳之介の何たるかが理解できませんでした。
作風としては、一つの物語のなかで次々に話者(視点)をかえることで、立体的に見せるというのが特徴なのでしょうかね。
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暗色の絵画のような文章が、読物の中に引き摺りこんでくれます。
性的な話を美しいと感じたのは、この人の本が初めてだったと思います。
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かなり面白かった。
上手く言うことはできないけれど、これまで僕は、吉行淳之介は女性や女性に対したときの男性を描くのが上手いのではないかと思っていた。例えば吉行淳之介の作品には、風俗嬢のような人が登場して、それが魅力的であることが多いので、そうした気分のときに吉行淳之介を手に取ることが多かった。
けれども、この短編集を読んで、特に「漂う部屋」を読んで、吉行淳之介の別の側面を見ることができたと思う。「漂う部屋」には、『生の極限の姿から醸し出される奇妙なユーモア』に富んだ場面がたくさん登場する。どうしてこうまでいやに心に残るのかは分からないが、ユーモアと言わざるを得ないというような場面である。これが非常に面白いというわけである。
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吉行淳之介は『夕暮れまで』だけしか読んだことがなく、しかしその作品の印象がなかなか良くて気になっていた。
そこで、吉行の娼婦物を中心に読んでみることにした。
・「原色の街」
気に入るということは、愛することとは別のことである。気に入るということは、はるかに微温的なことだ。
・「驟雨」
その女を、彼は気に入っていた。気に入る、ということは愛するとは別のことだ。愛することは、この世の中に自分の分身を一つ持つことだ。それは、自分自身にたいしての顧慮が倍になることである。そこに愛情の鮮烈さもあるだろうが、わずらわしさが倍になることとしてそれから故意に身を避けているうちに、胸のときめくという感情は彼と疎遠なものになって行った。
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プレーンでドライな文章。中性的。色町を描きながら、エロスにおもねらないというか、たぶんすごいことなんだろう。
話としては女の一人称視点で、「くぅ、あたしったらだめなのに、アレなんてちっとも好きじゃないはずなのに、でもだめ…感じちゃうのぉぉぉひぎぃいい」みたいな、まあひどく誇張すればそういうことなんだろうけども。
とにかく文体には好感がもてる。
けどちょっと、やはり日本の私小説に対する抗体みたいのがすごくできてしまったと感じる。第三の新人とかも、おもしろいことやってんなーとは思うけど、きちんとは入っていけないのだ。この頃。
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男女の間に横たわる不毛、両者の間にきざした違和感が微細に描かれている。各短編に登場する男女は、みな心と体がバラバラに存在しているかのような印象を受ける。
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初期の5つの中・短篇を収録。篇中の「驟雨」は第31回(1954年上半期)芥川賞受賞作。吉行は、「原色の街」で候補になって以来、ほぼ毎回候補に挙がって来て、ここでようやく獲得したのであった。つまり、手練れではあるものの、最後のインパクトには欠けるとの評価だったようだ。また、後年にも『夕暮れまで』を書いていることから、官能小説化のようにも思われがちだが、実質はかなりニヒルでクールな都会派作家である。ここでも娼婦が描かれるが、情交の場面はなく、主人公の山村と娼婦の道子、それぞれのデラシネこそが描かれたのである。
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「原色の街」の舞台となった場所を訪れたのをきっかけに興味を持ち、はじめて作者の本を読みました。5編からなる短編集。お金で買う割り切った物理的な「肉体」の関係を通して、複雑な「精神」の構造や変化を描いた「原色の街」「驟雨」がとてもよかった。どの話にも共通すると思ったのですが、混沌としたなかで何かを結論づけるようなものではないのに、驚愕させられるような、印象に残るラストの表現の仕方、描き方は素晴らしい。この作者が個人的にすきか嫌いかは別として、凄い作家だなと思いました。