沖縄初の芥川賞受賞作
2022/05/13 07:11
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第57回芥川賞受賞作。(1967年)
作者の大城立裕(おおしろ たつひろ)は、芥川賞の「受賞のことば」という短文で、ある大先輩から「ぼくらの明治以来の夢をかなえてくれた」と握手を求められ、会う人ごとに「沖縄のひとみんなの誇りだよ」と言われたと書いている。
この頃まだ占領下にあった沖縄(沖縄返還が実現したのは1972年)で、沖縄初の芥川賞ということで、島全体が沸いたことでしょう。
沖縄が置かれていた政治的社会的な問題下で、当時の選考委員の選評もややとまどいが見える。
「現実の問題と、作品の価値とは全く別のもの」(永井龍男)、「沖縄に同情して選んだのでもない」(川端康成)、そして中でも舟橋聖一の一文がもっともわかりやすい。
「あくまでも作品本位で選んだことは、私も証明しておきたい。が、いかに弁明したところで「芥川賞海を渡る」底の、一般の通俗的印象は、避け難い」
以上、文学史的な覚書として書いておいた。
物語は前章、後章という二部構成になっている。
前章では占領下の沖縄の米軍基地のカクテル・パーティに集まった、沖縄人(主人公)、日本人、中国人、アメリカ人の何気ない、しかしそこに過去と現在の痛みを隠した、大人の会話がはずむ。
後章では一転して主人公の沖縄人の娘がアメリカ兵に強姦された事件で、四人のそれぞれの立場が露呈していく。
中国で日本兵が犯した罪、沖縄でアメリカ兵が犯した罪、それらが二重構造になっている。
ラスト、占領下の司法制度の中で不利な戦いとわかっていながら、告訴を決めた主人公。
そのまなじりの強さは、大城さんは終生持ち続けることになる。(大城さんは2020年10月逝去)
かたや無罪で、かたや死刑
2021/10/13 21:58
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
米軍の人間が沖縄の人を婦女暴行した事件を描いた「カクテル・パーティー」で大城氏が芥川賞を受賞したのが1967年、それから50年以上の月日が流れているにもかかわらず、紙上で取り上げられる米軍の事件はまるで治外法権がいまだに存在するかの如くだ。この小説では、主人公の長女がアメリカ人に強姦された、そしてその米軍の男は無罪になった(無罪になったことは小説内では述べられていないのだが、戯曲でそのことが明白になった)。驚かされるのは、小説内に出てくる琉球列島米国民政府布令の内容だ。「合衆国軍隊要員である婦女を強姦する意志をもってこれに暴行を加える者は、死刑または民政府裁判所の命ずる他の刑に処する」
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沖縄文学。1967年。芥川賞受賞。
沖縄問題の原点がここにあるような気がする。
芥川賞まで取っているの、あまり知られていないかも。
穿った見方をすれば、問題点が浮き彫りになることを恐れる何者かの策略か。見せかけの「愛」の中にすっぽり覆われてしまった「差別意識」のようなものを感じる。
沖縄をわかっているような、わかろうとしているような、それでいて、何もわかっていない、わかろうとしていない我々がいる気もする。
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芥川賞を取ったとはいえ、地元の作家だし余り期待してなかった。意に反し、なかなか面白かった。学生時代に読んだはずだが内容は全く記憶に残ってなくて新鮮に読めた。沖縄が改めて特異な、はなはだ特異な環境に置かされていると感じた。我々は慣れ過ぎていた。NO!を声高に発しよう
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沖縄初の芥川賞作家、大城立裕の受賞作を含む短編集。
亀甲墓、棒兵隊といった戦時中の沖縄県民のリアルを描いた作品も、戦後の占領下の沖縄における沖縄人、アメリカ人、中国人の微妙な立ち位置、上下関係を描いたカクテルパーティーも、正直言って重い。軽い気持ちでは読めない。ただ、だからこそ沖縄の問題点が浮かび上がるんだと思う。
普天間基地の辺野古移設問題などは、現在の状況だけで判断するのではなく、過去にこういうリアルな歴史が積み重なってきた結果の問題だということを理解する必要がある。
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被害者と加害者、個人と民族。向き合わなければならないものに、きっちりと向き合うことの重要性。芥川賞を受賞するに、相応しい作品と思います。一方で他の作品の悲惨な中の何とも言い難い可笑しみにこそ、作者の真骨頂がある様。それを合わせると何とも不思議な世界となっていると感じました。
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< 19世紀は独立国だったと言う考え方>< 明治以前は中国の領土だったと言う考え方>とある通り
沖縄を語る上でははずせない4人の登場人物が出てくる。琉球人、N県民、中国人、アメリカ人。
この4人は今の沖縄で日本語と英語が混ざり合い中あえて中国語を話すと言う中国語サークルに属している。主人公である沖縄の住民の私もアメリカ人から中国語を習っている。
それぞれの国家は戦争で争い合う。
中国人も中共の兵士に子供2人殺されながらも残った子供と妻を置いて亡命してきている。
国民に残した戦争の傷跡は国家を超えて1個人の間でも相手の行動に影響及ぼしているのか。戦争の傷跡一人ひとりの間のはっきりとした壁は私の心を通じて道端で出会った道を尋ねた人に対してでさえも感じることができる。
私、も教育では沖縄は日本の領土となっている。上海で日本軍の翻訳の立場として中国の人と話している時に琉球人なら我々と同じじゃないか、なぜ日本軍の方にいる、と言われる。
所詮人間の観念は教育された通り、という言葉が強く残った。
私は読み進めるまで沖縄の独立国説や中国の領土説は知らなかったのだ。
歴史は知っておかなければいけない。
それはそうなのだが、歴史の教科書で勉強していても私なんかは何が何だか頭に入ってこなかった。
しかしこういう小説があると頭だけでなく心に刻み込まれる。それぞれの登場人物に感情移入して、戦争の痛みに少しでも触れることができる。
そして一方向だけでなく、4つの民族それぞれが介入している小説はとても価値があると思う。
たくさんの人に読んでほしい。
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「亀甲墓」
沖縄内陸への艦砲射撃が激化したことを受け
先祖代々の墓に避難してくる一家の話
亀甲墓と呼ばれる形態のそれは、一種のトーチカ状であり
胎内のようでもあった
砲弾の雨の降る中、先祖の霊から守られている気分にひたって
捨てることのできない日常感覚へのこだわりが
やがて彼らの首を絞めてゆく
「棒兵隊」
避難民の中からなんとか
動けそうな男ばかり集めて編成された「郷土防衛隊」
しかし武器も食料も無く
敵の銃弾をかいくぐってする水汲みぐらいしか仕事がない
やがて正規兵たちの不安が、スパイ探しの名を借りた内ゲバに発展する
心ある少尉の機転で防衛隊員たちは脱出するが
すでに戦線の崩壊した沖縄で行くあてもない
「ニライカナイの街」
沖縄戦を生き延びた少女が、大人になって米兵と結ばれる
籍を入れてもらえないことに不安を感じつつも
何が嘘で何が本当かわからないご時勢じゃ、「いま」を信じるしかない
そんな気分が沖縄闘牛に託されてゆく
「カクテル・パーティー」
娘が米兵にレイプされるという事件があり
しかも、事後に犯人を崖から突き落として怪我をさせたため
相手から告訴を受けることになる
父は、逆の告訴を試みるべく
語学仲間で弁護士の中国人に相談するが
一度はあきらめて泣き寝入りするしかなかった
というのは
父の信じたリベラルの理想がおためごかしで
ある種の誤解にすぎないと思い知らされたからである
当時、米国人と沖縄人の関係は支配者と被支配者のそれであり
本質的に平等ということはありえない
その冷たい現実には、父のヒューマニズムが耐え切れなかったのだ
しかしそのヒューマニズムも崩れたとき
父は敢えて負け戦に臨む決意をする
「戯曲 カクテル・パーティー」
早い話が、レイプ被害者は
セカンドレイプを恐れることなく人権のために戦わねばならない
という話になるんだが
要点がなんとなく曖昧にされている印象もある
つうか問題は
それが娘の意思ではなく、父親の意思だっていう部分なんだよな…
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芥川賞受賞作を読み進めているが、出来事の羅列だけにしか思えなかった。本作のどこに人間が描かれているのか全くわからず。
同じく米軍などが出てくる『アメリカンスクール』などとは雲泥の差
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本土復帰前のアメリカ統治下の沖縄が舞台。役所勤めの「私」は、アメリカ人のミラー、中国人の弁護士の孫、そして本土出身の新聞記者の4人で中国語の研究会をやっていた。設定が沖縄らしい。
アメリカ人のミラーは、諜報部員で情報収集のために中国語研究会をやっていたのだった。ミラーの招待で、米軍基地の中の自宅のパーティに招かれた「私」は、米軍基地に招かれることが自分のステイタスがあがったように感じていた。アメリカ人の子供が行方不明となり、私と孫で基地内をその子供を探す。基地内のアメリカ人は、そのことに協力してくれた。子供が見つかった。ここまでは、「私」という主人公。
ところが、「お前」に主人公が変わる。私からお前への転換が巧みな物語となる。客観性を持たせる。お前は、家に帰ったら、家の離れを米兵ハリスに貸していたのだが、その米兵が、お前の高校生の娘がレイプされたことを知る。しかし、娘はハリスを崖から落とし、傷害罪で捕まっていた。私は、憤りを隠せなかった。そして、娘が家に帰ってきた。
「お前」は三日三晩悩み苦しんだ後、告訴することを決意し、娘にそのことを告げる。しかし、娘は強く反対する。
お前は、そのことをミラーに頼むが、ミラーは拒絶する。中国人の弁護士の孫に依頼するが、孫はやんわりと断る。とにかく、ハリスから事情を聞くことは了承を得た。ハリスは合意の上だと主張する。お前は、告訴をしないことを決める。
『友好と親善』というのが、うわべだけだったことを知った。そして、孫と話をしていると、孫も戦争中に、妻が日本人にレイプされたことを語る。その痛みが、つながるが、どうしようもない壁にぶつかる。果たして、お前はどうするのか?
沖縄の少女レイプ事件を思い出させるが、日本の侵略の歴史も重ね合わせることに、独特の物語として成り立つ。怖くて、恐ろしい物語であるが、沖縄にアメリカ軍基地が有る限り、その事件は起きるという事実が想定できる。いい作品だ。
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占領期の沖縄が舞台。主人公はアメリカ人、中国人弁護士、日本人ジャーナリストと沖縄の文化などについて話ながらパーティーを楽しんでいた。アメリカ人の子どもが一時的に失踪した事件が起きている間に、主人公の娘が暴行を受けていた。日本人の告訴が不利な状況で、一時は告訴を諦めるものの、失踪した男の子の事件については告訴がなされることを聞き、再び告訴をする方向に心が動く。
普段は仲のいい集まりで、国際親善という感じだった。が、いざ事件が起きてみるとアメリカ人も中国人も冷たい態度をとり、国際親善が形だけのものであることが浮き彫りになる様子も印象的だった。
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著者は中国で20歳の時に敗戦を迎え、表題作で沖縄県出身で最初の芥川賞を受賞した作家。(1967年)
沖縄が本土へ復帰する直前に、沖縄人、日本人、中国人、米国人の4人の男性が親善という名の元欺瞞に満ちたパーティーを行う。そんな中、沖縄人の娘の米兵によるレイプ事件が起きる。 今年で沖縄が本土へ復帰して50年になるがいまだに同じような事件は後を経たない。しかし、そこでは被害者である日本人と加害者である米国人という関係性が成り立つが過去には同じようなことを日本人も中国で行っている。
本文中の「どちらも被害者であると同時に加害者だということを自覚することでしか新しい世紀は始まらない」(p298)という言葉がとても重く感じた。個人個人の問題と国と国の政治の問題では土俵が違うようで、それは切り離すことはできないこともあるのかもしれない。
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沖縄を舞台に、人々が戦争や米軍、本土とどう向き合ってきたかを描いた小説。短編の連なりで、相互に関係はしてないけど、様々なタイムシフトの中で米軍への向き合い方が変わってきたことを感じました。
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⚫︎受け取ったメッセージ
国家間の争いは、個人的な感情や生き方に計り知れない大きな影を落とす。
⚫︎あらすじ(本概要より転載)
米国統治下の沖縄で日本人、沖縄人、中国人、米国人の四人が繰り広げる親善パーティー。そのとき米兵による高校生レイプ事件が起こり、国際親善の欺瞞が暴露されていく――。沖縄初の芥川賞受賞の表題作のほか、「亀甲墓」「棒兵隊」「ニライカナイの街」そして日本語版初公表の「戯曲 カクテル・パーティー」をふくむ傑作短編全5編を収録。
⚫︎感想
親善パーティーの最中、同じ時間に米兵にレイプ被害にあった娘。その親交の下に覆われた互いの悲哀と憎悪を一体、一個人としてどう向き合えばいいというのだろう。
彼は、父親として、娘に苦しい思いをさせてもなお、戦わなければならないと、問題に蓋をせず、真っ向から向き合う選択と決意をした。一個人としてでなく、未来の沖縄を背負う責任ある生き方と覚悟を、「人間としての義務」を全うしようとする姿に心打たれた。
後半の「おまえ」という強い語りは、自分に置き換えて考えなければいけないという感覚になるし、そうならなければならないと思った。現在、日本は、本土に住み、身近に基地もない場所に住んでいる人が多い。この著作が多くの日本人に読まれることを願う。
本書をきっかけに、日米地位協定について改めて調べた。また、実際沖縄復帰後の沖縄県の高校生たちが議論を交わす番組もYouTubeで視聴した。未だ変わらない日米地位協定の内容。沖縄には今も米軍基地が日本全体の7割が存在している。知識として持っているだけではなく、実際の声を聴くことが大事だと改めて思った。
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アメリカ軍基地は軍事目的のために道をわかりづらくしている、という描写がよく書かれているので読んだ方がいい、と先生に言われて読んだ作品。
芥川賞なので文章はうまいし、ちゃんと物語としても成立していたが、一言で言うと思想が古くさい。
そのために、先の内容がわかってしまって説教くさく感じてしまう。
出版当時だったらさぞかし面白かったのだろうな。