投稿元:
レビューを見る
【印象】
どこにもないありえない明るい国。
具体的な市街や気候、文化、歴史についてはあまり述べられず、宗教や戦争、気質、慣習を曖昧に描写する部分が大きいです。
とりわけ経済に関しあまりにも楽観していますので、現実的な考えを読みとりたい人にはお薦めしない作品です。
【類別】
小説の形をしています。
ユートピア/ディストピア。実話的虚構。作中作の要素も。
【脚本構成】
概観すると三部構成であり、理想郷に行ってきたと語る人に会って話すまでがひとつ、その社会文化その他を語りつづけるのがひとつ、最後にちょっとしたものがひとつ。
筆者が作中に登場します。
【表現】
語る一人称視点と聞く一人称視点。
投稿元:
レビューを見る
中世からルネサンス・宗教改革の過渡期を生きたトマスの ・モアが残した著名な社会思想上の古典。この歳になるまで読まずに来てしまったが、もっと早く読んでいれば受け止め方も違ったなもしれない。
投稿元:
レビューを見る
トマス・モア『ユートピア』岩波文庫 読了。理想郷ユートピアの見聞録。社会システムが詳細に設定されているので、一つ一つ検討するのも興味深い。だが理想郷といえども多々違和感を感じる。逆説的な作品かと思われるゆえ、モアが話を聞く形式が実に巧妙。ユートピアに住みたいか、もちろん否である。
2011/07/13
投稿元:
レビューを見る
本書内の「ユートピア」は、理想的な共産主義社会のように思えるが、本書の趣旨は、共産主義の礼賛ではなく、16世紀の絶対王政・宗教弾圧に対抗する社会を描くことにある。
「共産主義社会では真面目に労働しなくなる人が増え生産性が落ちるのではないか」との批判が既に述べられていることが興味深い。
なお、後にトマス・モアは、正に宗教問題によって処刑されることになる。
ちなみに、「ユートピア」国には、「アモーロート」市や「アナイダ河」などFF14(漆黒のヴィランズ)が借用したと思われる言葉が使われている。
投稿元:
レビューを見る
2020.7.25
今更読むが感慨深い。
世の中では格差が拡大しベーシック・インカムへの関心が高まっているけど現実は難しそうだ。
競走原理と金銭が欲望の可能性を数値化して先取り出来るところに問題があるんじゃなかろうか。
金=情報、可能性
つまらないので止揚出来る概念が早く生まれて欲しいなとは思う。
投稿元:
レビューを見る
「ユートピア」という言葉は、「空想上の」あるいは「理想的な」という意味で使うことが多いだろう。トマス・モアの造語であるユートピアはギリシア語で「どこにも無い」を意味する。表題の『ユートピア』はどこにも無い国なのである。
『ユートピア』はユートピア国に滞在したラファエル・ヒロスデイが語った見聞をモアが記録したという体裁をとっている。この本の中でモアは共産主義国家であるユートピアを理想国家として描いた。ユートピア国の特徴は様々だが、必要十分な少数の法律を人々が忠実に順守していることや、人々が貨幣をまったく用いずに社会生活を営んでいることはユートピア国に特有な特徴だろう。法制度、例えば刑罰の重さや人々が法律を自ら進んで守るための褒賞の存在などがかなり詳しく述べられている。法律家のモアにとって、(宗教を別として)社会基盤としての法律や法制度の重要性を強調するのは当然のことだったに違いない。
しかしユートピアを「どこにも無い国」にしているのは何よりも、公共の利益と平和を求めるユートピア人の性質なのではないかと個人的には思う。「金銀を汚いもの、恥ずべきもの」と考える人々が個人的に大きな富を所有することは難しいだろう。私有財産に関心のない人々は公共財産の増進に心を砕くかもしれない。「どんな人間でも自分に危害を加えない限り、敵と見なすべきでは」なく、「戦争で得られた名誉ほど不名誉なものはないと考えている」人たちの間では争いも起きず、他国へ戦争を仕掛けることもなく、平和が保たれるはずだ。
ユートピア人のこういった性質はそもそもどこから来ているのか。少なくとも一部は教育の賜物と言えるだろう。しかし教育がなぜ上手く機能しているのかが、非ユートピア人である読者にはなかなか理解できない。他の例として、本書には窃盗犯に対する扱いについての記述がある。窃盗犯は日中に公共の労務を果たし夜は独房で過ごす。「国家の共通の召使い」である彼らにはかなり良い食事が提供され、給与が支払われる。そして給与の財源は「非常に慈悲の心に富んでいる」人々による寄付なのである。教育が慈悲の心をはぐくむことは間違いないが、それだけで十分なのかどうか疑問が残る。非ユートピア人であるヒロスデイア説明の中で何気なく「この方法は不安定なものではありますが」という一言を付け加えているのもうなずける。
ヒロスデイはユートピア国での滞在経験を踏まえてこう意見を述べる。「財産の雌雄が認められ、金銭が絶大な権力をふるう所では、国家の正しい政治と繁栄は望むべくもありません」それに対してモアは(おそらく読者を代表して)、私有財産が認められない社会では人々が真面目に働くインセンティブを持たず、結果として幸福な生活が実現しないのではないかと疑問を挟む。ヒロスデイはモアの疑問を「見当ちがい」と一蹴するが、具体的な理由を挙げて反論することはない。ここにも制度とは別の、ユートピア人の何か特別な性質こそが重要であることが暗に示されているように思える。もっとも続く第2巻ではこの疑問への答えとして「国民がぶらぶらと時間を空費する事由が許されていない」、「怠ける口実や言い訳があたえられていない」と飛べられている(本書巻末の「解説」によると第2巻が第1巻より先に書かれたという)。
モアの描くユートピアが理想国家であるかどうかはともかく、制度や法律をどう設計するにせよ、人々の考え方や価値観(そしてそれらを正しく導く教育)こそが重要であることを本書は示唆しているのだろう。
投稿元:
レビューを見る
「ユートピア」は実際には存在しない架空の場所である。この場所では、頭脳と心の豊かさが高いレベルにある人々が、平和に暮らしている。
印象に残ったところは、金がこの世界では、貴重なものだとして、崇められている。しかし、このユートピアでは金を実用性のない、むしろ鉄に劣るものだとして、醜さ、みすぼらしさの象徴とみなしている。
たしかに、金は取れる量が少なく、量的な貴重さはあるけれども、本質的には価値を見出せないものである。金を身につけて、いきなり人間としての格や品が上がるのはおかしいことである。
また、人々は神から、自然に喜びを感じる肉体や精神のあらゆる状態と運動とを快楽と呼んでいる。
その快楽は、あえて他人与えることによって、回り回って自分にとって大きな快楽として、帰ってくると本書では述べられている。要は、情けは人の為ならずと言いたいのではないだろうか。
健康であることが身体の快楽と説いている。暴飲暴食をするという表面的な快楽を追求して、病気で苦しむよりも、健康という状態こそが一番の快楽である。
投稿元:
レビューを見る
イングランドのトマス・モアによる1516年の著作。本書は,エラスムスの『痴愚神礼讃』やアメリゴ・ヴェスプッチの旅行記『新世界』に触発され書かれたものとされる。「utopia」の後世への影響は計り知れないものだ。
「ガリヴァー旅行記」から知った本で,「ユートピア」は文学と哲学の橋渡しに良い本だと思う。
p175「思うにこの国は,単に世界中で最善の国家であるばかりでなく,真に共和国(コモン・ウェルス)もしくは共栄国(パブリック・ウイール)の名に値する唯一の国家であろう。〜何ものも私有でないこの国では,公共の利益が熱心に追求されるのである。」
例えば「何ものも私有でない」という表現に,ユートピアの理想性と不可能性が出ているように思う。私有権を濫用した社会に対するカウンターとしては十分なのだが。
学問のジャンルとしては公共哲学が近いか。主にプラトン「国家」からのインスパイアを受けたリバイバル的な感じがする。
海の向こう側でのルター始めとした宗教改革(福音主義など)により血みどろの争いが予感される時代で,それはモアの望むようなものではなかっただろう。
なお,著者はヘンリー8世に斬首刑に処されることとなる。この処刑は「法の名のもとに行われたイギリス史上最も暗黒な犯罪」と言われている。
投稿元:
レビューを見る
南米のどこぞにある「何もない処」ユートピア
そこの土人は、既製品で皮製の服を與へられるとか、書かれた当初の英国人的に屠畜は調理の醍醐味だと思ふんだけど、ユートピア人は牛を屠る奴隷(はユートピア人一人につき2人宛がはれる)がゐるとか、えーと。
その半月上の島から500マイルの彼方にすさんだところがあって、そこの戦闘民族ザポレットはここの人でないと戦争で使へないとか、他、何ヵ国かの国で当時の英国をDISるらしい。
なので首都っぽいアモ―ロート(暗黒 の意。当時のロンドンぽいんださうで)の近所の川アナイダ川はテムズ川みたいな感じださうであるが、へー。
ラテン語とギリシャ語がぶわーってある上にその
ザポレット=Ready Sellers 進んで身売りするもの
と言ふ解説があってアレ。
投稿元:
レビューを見る
思い出したら何度も読み返すとよい作品だなと感じた。人間の営みにおける全ての理想形が『ユートピア』の国では体現されており、それは現代を生きる自分ですらまさに理想だと感じたほどだ。
例えば、金や銀を人は命と同等くらいに大切に扱うが、実際実用的なのは加工しやすい鉄であって、金や銀そのものに価値はない、とか、財産を持っているというだけで愚かな貴族が敬虔な奴隷を従えるのはおかしい、とか、快楽に娯楽はあるのではなく健康的な生活にこそ楽しみを見出す、など、ユートピアの人間は、もし他の国の人々が簡単に行き来可能な場所ならば到底ありえないような、他の世界から全くもって影響をうけてこなかったような場所なのだ。
『ユートピア』を読んだことはないが、「ユートピア」とか「ディストピア」とか単語だけ知っていて多用している人は少なくないだろう。ぜひ一度読んでモアの生きたテューダー朝の時代を感じてみてはいかがだろうか。
投稿元:
レビューを見る
理想的な国として描かれる「ユートピア」は、「どこにもない国」という意味のギリシャ語を語源としているという皮肉。
投稿元:
レビューを見る
◯これがなぜユートピアと思えるのか
→あくまで当時の時代を考えなければなんとも言えない。1500年代は暗黒時代?大航海時代に近い。富を蓄えようとしている時代。イギリスではディスクロージャー政策が横行していた頃。
→トマスモアはまさに富の蓄積について疑義を呈している。貨幣の否定、労働者への敬意など。
→また、国家全体を利するように制度を求めるところは、個人主義によって富を蓄積していく不平等が広がっていると分析したか。
→しかし、現代においてこれは社会主義、共産主義国家に思えて嫌悪感すら抱く。共産主義者はこのユートピアをこそ目指しているのでは?国家による婚姻、出産、事物の共有化、まさに共産主義。異なるのは宗教の自由を認めているところか。
→これらに感じる嫌悪感の正体は、権利意識が全く無いからと考えられる。当時、そもそも個人の権利という発想がないということもあるため、フェアな議論ではないが、共産主義的発想も個人の権利意識によって変わるのではないか。奴隷がまさに最たる例。ユートピアに奴隷がいるのは甚だショックでは?
→ユートピアの着想はもしや古代ギリシャの都市国家をイメージか。
投稿元:
レビューを見る
ユートピアは、文字通りどこにも存在しない場所だと思う。
そこで認められた市民は何の不足もなく、真面目に暮らしてさえいれば満たされるけれども、その影には市民とされないもの(奴隷など)の搾取がある。すなわち奴隷の存在を無視した上での『理想郷』。
そしてその社会に認められている良き人たちというのは、ある意味長いものに巻かれている人たちでもある。個性がないというか、管理された社会の住民。
なんだか昨今の、なんてもかんでも枠に嵌めては賛否を分けたがるキャンセルカルチャーの一端を見た気がした。
役者解説にもあるがトマス・モアはこれを当時のヨーロッパの宗教改革や王権への風刺として書いたのだろう。それでもモア自身も語っている通りユートピアが人間社会の最高峰(理想形)にはなり得ない。
投稿元:
レビューを見る
トマス・モアといえば映画「わが命つきるとも」を思い出すのですが、ヘンリー8世の離婚に宗教的な信念から最後まで反対し、最後は斬首されてしまいます。そんなモアが1516年(つまり今からおよそ500年前)、38歳の時に執筆したのが本書になります。ユートピアは「どこにも無い」という意味のモアの造語です。
モアの描くユートピアは、当時の絶対王政下の欧州社会のアンチテーゼ的な意味合いとして書かれていますが、完全なユートピアというよりは「限定的な」ユートピアといった方が正しいかもしれません。たとえば市民には自由と平等がありますが、ユートピアにも奴隷がいて、奴隷は動物のと殺などを担当します。また戦争もします。しかし市民はみな十分に生活していけるだけの衣食住を賄っていて、潤沢にモノが存在しているため貨幣交換が存在しません。なぜ潤沢に衣食住が揃っているかと言えば、皆が生産的な活動に従事しているからで、モアによれば宮廷に巣くうおしゃべりだけの人間だけでなく、弁護士すらも不必要な非生産的人間として扱われ、その結果ユートピアにはそれらの非生産的人間は存在していないのです。またモアは貨幣こそが悪徳と害毒の原因であると断罪しています。外国との交易においては金銀が使われますが、ユートピア国にとって金銀は、戦争資金以外の意味を持ちません。同盟国はありませんが自国の人材を首長として受け入れている国は友邦国であり、自国もしくは友邦国が攻め込まれたときなどには金銀をフルに活用して戦争を行います。金銀を用いて敵国内で内紛を起こすのです。
モア自身が非常に信仰心の強いカトリック教徒だったこともあって、モアの描くユートピアでは理性だけが社会を支配しているのではなく、宗教にも寛容です。しかもキリスト教だけでなくあらゆる宗教が「限定的」ではありますが、ユートピア国では認められる。巻末の解説にも書いてありましたが、理性と信仰の両方を融和させようとした点にこそ、実はモアのユートピアの真髄があるのではないかと感じました。その意味では、宗教を排斥した共産主義よりも、よっぽど「ユートピア」であって、文中の奴隷を機械に置き換えれば、十分21世紀の社会に当てはめることが出来るのではないかと感じました。
投稿元:
レビューを見る
今作を精読するだけでも、ルネサンス、宗教改革期の荒れ狂う時代を、一個人がどう思い、何を理想に掲げ生き抜いたのかという細やかな内実に踏み込むことができる。
モアの思想の底流には、カトリックの教えとそこから溢れ出るヒューマニズムが顕在してる。
ユートピア文学というジャンルにおける古典中の名古典。実際の体験談を元にした体という語りのスタイルも簡単明瞭かつフィクションと現実のバランスがよく取れていて勉強になる。