俗流若者論スタディーズVol.8 ~現実に立脚しない衒学趣味はもううんざり~
2007/10/02 10:40
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:後藤和智 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書によれば、1980年代の「ポストモダン」以降、消費社会化が進行して、人間の生命や根源的な価値まで商品化され、流通される存在でしかなくなった。そして今や人間の「使い捨て」の時代であり、フリーターや、いわゆる「援助交際」はその典型例である。また、そのような行動を平然とやる若年層(例えば女子高生)は、上の世代から見れば不道徳かもしれないが、彼らの行動は「超消費社会」においては紛れもなく正しい行動なんだってさ。
ふーん…。で、それで、という感想しか持ち得ないな。だって、本書で提示されている、「ポストモダン」社会=「超消費社会」における新しい「現実」を示すような事実(臓器移植、代理母、「援助交際」、遺伝子など)が、ほとんど怪しげなうわさ話か、そうでなければ新聞記事の無批判な引用しかないから。特に青少年や携帯電話がらみは悲惨の極みだ。すなわち、全編、「~でしょう」「~かもしれません」の乱発。要するに、例示されているものについて、その社会的な位置や量的、質的な広がり、ないし時間的な位相が確定した事項でないにもかかわらず、あたかもそれが「ポストモダン」以降に降ってわいたものとして軽々しく扱われているからだ。
著者が終始一貫して無知なのは、人々のリアリティ(ここでは、「超消費社会」的な状況が人間の根本的なあり方を変えている、ということを数億歩ほど譲って認めることとする)と実際の行動の中間である。それに属するものとして、一つ目には人々の感情や理性、二つ目としては法や規則を挙げることができるが、まず前者についての無知をさらけ出している下りとして、GPSによる監視(第7章冒頭)を挙げることができる。なぜ、子供を監視すべきだという気運が高まったということについて、著者は思いをめぐらせたことがあるだろうか?本書と同時に発売された、浜井浩一と芹沢一也の『犯罪不安社会』(光文社新書)に詳しいが、治安についての不安の扇動とモラル・パニックが記述されているのだが、この背景には明らかに子供の安全に対する(根拠なき)不安の増大がある。それを無視して、人の「モノ化」について饒舌に語られてもねえ…。
後者については、臓器移植をめぐる議論に垣間見ることができる(第4章2項)。著者は「臓器売ります!」という(おそらく)アングラ広告を鵜呑みにして、人間のあり方は臓器まで「モノ化」させてしまった、と書いているけれども、臓器の売買は、「臓器の移植に関する法律」第11条にて禁止されているし、臓器移植についての生命倫理からの議論も参照すべきだろう。
「ポストモダン」社会=「超消費社会」の新しい「現実」を語る!というふれこみなら、客観的な統計や検証を経ないでもいい、とでも思っているのか。でも、それは単なる思いこみだし、自らが「これは異常だ!」と思う事例ばかりかき集めて、さもそれらを繋ぐ「物語」があるかのように論じても、それは衒学趣味でしかならない。いくら理論が優れていても、現実との折り合いがついていなければ、全くの空論でしかないことを著者は知ったほうがいい。
というよりも、とりあえず著者は、本書で極めて不適切な引用をされた、ドリフターズと島倉千代子に謝ったほうがいい。話はそれからだ。
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ボーナスもらったよ!には「ただの紙だろ!」。※※地区に土地買ったよ!には「ちっちゃな地面の土かってなにすんだよ」といわれたことがあります。モノに執着しすぎ・・・、我、モノのクセに。現在、読書中。
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核心をついている本だと思う。
モノカルチャー化がマスコミュニケーションのおかげで進み、人間自身が衆愚化している状況で当然のことではないだろうか。本書はその人類の単一化と非人間化を的確に状況説明している。
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聞き書きを文字起こししただけの量産体制の新書ブームにあって、読んで損のなかった数少ない社会評論。とくに、カネとモノ、技術と物質化に関する連関を明解に説明しているところに、自分自身と同じ意見を見た。社会がヒトをモノ扱いし、その結果としてまるで機械の一部のようなあつかいや取り替え可能のようなフィクションが蔓延している弊害。この本を読んで確信したのは、モノ・サピエンスという社会傾向が生み出した技術が「臓器移植」であるということだ。「臓器移植」はレシピエントもドナーも両方を物質あつかいしている。命は取り替え可能な交換物ではない、という見失ってはいけない事実を、医学はあえて無視して「移植」技術に邁進している。
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現代社会を「モノ」という視点で書いた本。この「モノ」とは物質としての「モノ」と単一という意味での「モノ」の二つの意味を含みながら、書かれている。
当たり前になっていることを「モノ」という視点で見ることにでさまざまな気づきがある。今の自分や社会について、考えさせられた。
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モノ・サピエンス。
その題名には、「物」と「mono-(単一化する)」の二つの意味が込められている。
現代社会の中、人間は単一化され、物化していく傾向にあるのだ。
粗筋を書こうとしても、難しすぎてパッと書けません。
体や仕事、思考や政治が『物質化』していっている、という現状を、現代社会の具体的事例に絡めて説明している本です。
最初の方の体の物質化や、仕事の物質化は面白かったです。
「物質化」というか、社会が「生産者社会」から「消費者社会」に移行したことによる影響、と言ったほうが良いのでしょうか。
技術の進歩により、ひとりひとりの生産力が増加し、物が溢れる一方、労働力としての人はあまり必要とされず、その結果、消費が主体となった「消費者社会」が形成される。
以前までの労働なしでは生きていけないような「労働者社会」から変化したため、全ての事柄は「生産」から「消費」へ、つまり「使い捨て」に似た感覚で扱われるようになる。
体の物質化や仕事の物質化は、この理論がそのまま適用されていて、分かりやすかったです。
特に仕事については、「仕事」という「労働」を「消費」の観点から考えるという、自分が今まで思いつきもしなかった考え方だったので、新鮮な驚きと興味が持てました。
ただ、後半の政治の話になってくると、考えが複雑化してきていて、ちょっと理解が出来ない部分が多かったです。
新書にしては、読むのにちょっと時間が掛かりました。
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[ 内容 ]
臓器売買、代理母…ヒトは「パンツをはいたモノ」になり、やがて「使い捨て」られるのか?
人間のモノ化(物質化・単一化)、「モノ・サピエンス化」がはじまったのは、広義にとらえれば人類の誕生とともに、少し限定すれば近代以降と考えられる。
本書では、それをポストモダンの時代以降と想定。
一九七〇年代から八〇年代にかけて、ポストモダンは世界的に大流行したが、この時代に「モノ・サピエンス化」が本格的にはじまったとする。
さらにこの傾向に拍車がかかったのは、なんといっても九〇年代から。
本書のテーマは「九〇年代以降の人間の状況」であり、このテーマに、さまざまな現象を通して迫っていく。
[ 目次 ]
プロローグ ヒトの「使い捨て」時代がはじまった
第1章 モノ化するブランド
第2章 モノ化するカラダ
第3章 モノ化する労働
第4章 モノ化する命
第5章 モノ化する遺伝子
第6章 モノ化する思考
第7章 モノ化する社会
エピローグ 「人間の尊厳」の終焉と新しい時代のはじまり
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]