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多少の例外があっても。
日本では恋愛問題を取り上げた物語で、
知識階級が恥じない賞賛を博したのは、
明治の夏目漱石まで無かった。
ぢゃあ、「源氏物語」はどうなんだ?という声が聞こえますが。
アレは恋愛なんかぢゃあ無いよ、と。
だって、顔も見たこと無い相手と和歌を交換したら闇の中でベッドイン、ですよ?
個人と個人、性格と性格。
そういう人間性の交錯では、なかったわけです。
あれは恋愛ぢゃなくて、「もののあはれ」っていう、
長い歳月の人の営みの印象みたいなことについての文章でせう、と。
漱石さんは、19世紀までの欧州のブンガクを気が狂う寸前まで綿密に研究した学者さんだったわけで。
つまり漱石さんによって明治時代に、
「個人と個人として、恋愛心理を描く」
という表現が、
「ニンゲン探求において大事なことである」、
という考え方自体、その価値観自体が、輸入されたんですね。
恋愛の解放。性欲の解放。
特に、女性の側にも個性や性格や感情がある、という。
女性の、恋愛、そして性欲の解放。
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って言うのは、
この本で谷崎さんが言っていることです。
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そして続けて。
それまでの日本史でいかに、「女性」というのが描かれてきていないか、という話がひとくだり。
まあ確かに、名前が残っているのが「ねね」とかほんと数人ですものね。
あとは「だれだれの娘」ですからね。
(これについては、西洋の事例を詳しく知らないので、それがどこまで日本独特のユニークなことなのかは分かりません。
だいたい、西洋だって、やっぱり漱石のような、「自我と自我の交差点」みたいな恋愛関係の小説が生まれるのは、やっぱり19世紀…甘く見ても産業革命以降でしか無いのでは?と、おもいます)
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それでは、つまり、個である自分の主張というか。
個性の主張というか。
そういうのは、簡単に言うと江戸時代くらいまでは、男性もあまりしなかったし。
女性はなおさらだったわけですね。
それがまあ、明治以降はそうでもない、と。
女性でも、俺は私はワタクシは、という主張の時代。
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で、それが良いとか悪いとかは、谷崎さんは恐らく関心なくって。
「日本語に色気という言葉がある。
これはちょっと西洋語に訳しようがない」
「放縦で露骨なものよりも、内部に抑えつけられた愛情が、包もうとしても包み切れないで、ときどき無意識に、言葉づかいやしぐさの端に現れるのが、一層男の心を惹いた。色気というのはけだしそういう愛情のニュアンスである」
と、言うわけです。
まあつまり、アメリカ式の露骨な個性、肉体、意見の露出。。。
と、いうのは色っぽくなくて。
儒教に押し込められているような婦人のちょっとしたイロイロなところが、いやあ、色気だなあ、と。
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だからなんなんだ?
と、言われるとそれまででして。
まあでも、近代日本文学史に燦然と輝く、エロと変態の大卸のような谷崎先生にそう書かれると、「なるほどなあ」と思わざるを得ませんね。
(そもそも、谷崎センセイの言に従っての「色気」、というのは、我々は語れるのか?
もはやそれは、絶滅した希少生物のようなものなのではないだろうか?
という疑念も…)
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角川ソフィア文庫。
この文庫では先行で「陰影礼賛」というタイトルで、谷崎のまあ、エッセイ集が出ています。
その「陰影礼賛」が評判が良かったのか、ほぼ同じような作りの一冊。
エッセイ集です。
谷崎潤一郎さんの文章は、ほぼほぼ好きです。
まだまだ未読の本がいっぱいあるので、楽しみでなりません。
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営業用でしょうか、それなりに扇情的なタイトルのエッセイが、表題作になっています。
「恋愛及び色情」婦人公論 昭和6
「夏日小品」初出不明 一部抜粋
「にくまれ口」婦人公論 昭和40
「老いのくりこと」中央公論 昭和30
「私の初恋」婦人公論 大正6
「父となりて」中央公論 大正5
「女の顔」婦人公論 大正11
「頭髪、帽子、耳飾り」婦人公論 大正11
「縮緬とメリンス」婦人公論 大正11
「都市情景」週刊朝日 大正15
「「九月一日」前後のこと」改造 大正15
「東西美人型」婦人公論 昭和4
「関西の女を語る」婦人公論 昭和4
「東京をおもう」中央公論 昭和9
という、長短取り混ぜた内容。
時代的にも1916−1965という振れ幅で、谷崎さんの年齢で言うと
30歳くらい−80歳くらいという、物凄い期間をカバーしています。
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冒頭の「恋愛及び色情」から始まって。
和服や洋服のファッションについての軽めのエッセイもあれば、
「いやあ、父親になったときの心情って言われても、特に何も感じなかったっていうか、芸術家としての俺の悪魔性っていうのが大事だから、それが薄まるのが怖くってサ」
みたいな内容のエッセイもあります。
そして、後半になるに従って、この本の編集意図としては、
「谷崎潤一郎が語る関東大震災」
ということになってきます。
まあ、311東日本大震災が意識されていますね。
谷崎さんはもう職業作家として売れていた40歳前後の頃、1923年に関東大震災を経験しています。
その経緯は本文に詳しいのですが、要は谷崎さんは、大正時代に入って膨張する都市・東京の混雑に愛想をつかして、その頃は横浜にいたんですね。
更にいうと被災の瞬間は箱根でした。
で、「この震災の破壊で、醜い東京が、都市として整備されて美しくなるのでは」という考察も述べています。
うーん、この辺、大衆心情のファシズムが厳しい2016年現在では、とてもぢゃないけど言えないことですね。炎上します。
だって、大勢死んだあとですからねえ。いやあ、ジャーナリズムも大らかだった、っていうことです。
そして、そうした被災日記みたいな文章はそれ��りに面白いのですが。
谷崎センセイは震災がきっかけで関西に移り住んで。
そのうち戻るつもりだったようですが、すっかり関西が気に入ってしまって。
そのままどっぷり移住しちゃいます。
その後に書かれた「東京をおもう」などの文章で、
もう笑っちゃうくらい、
「東京あかん。関西がええわ」とのたまわっています。
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このあたり、僕も東京人ですが、仕事の転勤で5年関西で暮らして、
実は谷崎さんと同じ感想をもっているんです。
なので、共感、大いにするんです。
特に食生活とか。
ただ。それにしても、ひどい。
あんまりで、東京がかわいそうになってきます。
なんていうか、ヒステリーとも違うんですけど、
「もうこれは、確信犯のユーモアなんぢゃないか?」
っていうくらい。
「なんかさあ、そもそも顔つきが気に食わないんだよね」
「物腰がだめなんだよね」
みたいなレベルなんです。ほぼ、爆笑です。
ノーベル文学賞にリーチだった偉大な文学者なんですけどねえ(笑)。
(原文より)
「何一つ京阪に優ったものがあるのではない」
「彼らは概して見え坊の癖に意思が弱い」
「ブリリアントな人種ではない」
「田舎だ。米沢や会津や秋田や仙台の延長なのだ」
「目黒の不動、堀切の菖蒲、柴又の帝釈天、堀之内のお祖師様、そんなのが四季の行楽であるとは、まあ情けない」
「江戸のものは、皆、間に合わせで規模が小さい」
「おっとりしたところがない」
「とんちやシャレにさえも、一脈の淋しさが漂う」
いやあ…もうほんと、絶句です。
アンチ東京の、関西原理主義者がいたら、この本はバイブルと呼ばれるのではないかしらん…。
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まあ、僕も関西に5年くらして、実はほぼほぼ、同感なんです。
なんだけど、ここまで言われるとねえ…
小声で言い返したくなりますね…
例えば…うーん。
落語は僕は、やっぱり江戸落語の「粋」とか「素っ気なさ」が良いと思います…主に志ん朝さんですけど…
あとは何だろう…実利を離れた文系的な研究や試作、みたいな精神風土もやっぱり東京のほうがあるのでは…
なによりも、谷崎センセイ、あなたみたいな人を生み出したのは、やっぱり東京だと思うんだよなあ…