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熊本神風連の乱を中心に、西郷隆盛を担ごうと各地の落ち武者が立ち上がる。
武士の世の中から、近代化するために、武士を排除する必要があったと思われる。「維新前より維新後の方が難しい」そんなことを感じさせるこの小説から、この3年の民主党政権の成れの果てが重なって見える。
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後半突入第6巻。全体的にはやや停滞気味ですが、ラスト100ページの神風連の乱は映画のような迫力です。純粋暴力から派生する殺戮は鬼気迫るものがあります。
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西南戦争勃発に影響を与えた、士族集団の乱を取り上げている。
一種の宗教•思想集団に近い、各種組織。
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昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。
坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
ネット上での解説を少し転載します。
明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
誰もその意見には反対しなかったという。
ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。
西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。
薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
その者に一切の業務を任せてしまう。
次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。
日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。
日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
細かいところまで口を出す殿様は
家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。
でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。
古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)
私も大きな組織で働いているが
トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!
1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。
いや〜〜長かった。
面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。
「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人���の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。
新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。
本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
と思ってしまいました。
[読んで思ったこと1]
本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。
しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。
[読んで思ったこと2]
西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。
当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。
一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。
両者が激突するとどうなるのか。
短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・
古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。
いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。
仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。
この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。
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巻末のほうで神風連の乱が起きる
廃刀令が追い込んだ
神前の「くじ」で行動を決定する宗教的集団。
襲撃には鉄砲も使わない。
鎮台司令長官、妾2人同居、一人斬殺
も一人は「ダンナハイケナイ、ワタシハテキズ」の電報
この乱の制圧に児玉源太郎が能力発揮
一方前原一誠(軽は、政府の密偵に騙されて妥当太政官の証拠を握られる)は
神風連決起の2日後に兵を挙げる約束をする
第七巻はその辺の話になるのだろう
毎度書いているが、長い長い
11 西本願寺、勤王派。会津藩や新撰組にいじめられる。東本願寺は佐幕
19 久光の側近、大山綱良、有能で闊達
24 薩摩藩、富農がいない。搾取した
34 土佐人、白黒を明快にしすぎる
39 きつね飴売り、コスプレ
52 久光、国家から優遇されたが業績皆無
74 大久保の板垣軽視
77 官、長州人の9割9分支持。名誉、金銭、権力
85 西郷が嫌った堀次郎。面罵し「刺せ」とも
95 君主に責任ナシ。勅じょう。部下が手紙書く
106 西郷は桐野に乗せられた、という見方
112 西郷、論旨や考えを明快に述べる
131 大久保新居、印刷局の写真を撮って「贅沢」と非難させた
147 嫉妬深い木戸、前原一誠をねたんだ
215 前原と山県らの大喧嘩
217 長州奇兵隊幹部、金に汚い
230 長州人、秘密が保てない
253 官費で札幌にビール醸造所
257 肥後の思想好き
260 ワシントン、独立革命後4年隠遁→大統領
262 熊本洋学校の生徒、洗礼
272 神風連、行動はくじ「うけひ」で決定
321 警察と鎮台の不仲。情報つたえず
326 暴力の崇高視
335 軍人起用・長州=技能者が軍人。土佐は身分卑しくないもの。薩摩は戦国武将タイプ。
長州人は金をほしがり、薩摩は女をほしがる、勝海舟
344 西南戦争、熊本城攻めは無意味だった説。神風連の成功に倣ったが・・
349 児玉源太郎が神風連の乱の指揮
352 薩摩系軍人、勇気や能力>>長州系
356 クソチン、くそ鎮台
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歴史小説の大家による主役不在の明治政府史第6弾。
いよいよ西南戦争への足音が聞こえてきたものの矢張クソ遅い展開。
乱の首謀者である前原一誠の小物臭が出ててくるが故人にとっても気の毒である。
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砂を噛むような思いとは、こんな感じかなと改めて感じる。この作品を読む時の味わいである。通常読書はワクワクと楽しむものであるが、本書はまさに苦行。如何せん面白くないのだ。
本巻ではまだ西郷は立たない。と言うか、まったく登場しない。明治初期の不平士族による反乱である、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱のいきさつとその決起が事細かに描かれており、それらに関わる人物の思いがふんだんに描かれている。
特に萩の乱首謀者の前原一誠のページの割かれ方は顕著であり、彼の生い立ちから人間関係まで事細かに描かれている。しかもあまり魅了的な人物でもない。警視庁が放ったスパイに自らの決起計画を漏らしてしまい、数ヶ月経過してようやく気付くエピソードなど、ちょっと抜けている点が多い。かといって憎めないキャラでもない。
思うに、この時代は戦国時代などに比べて各人が遺した日記など資料が克明なだけに、ノンフィクションで作ろうとするとついつい引用なども多くせねばならず、長ったらしくなってしまうのではないだろうか。
まだまだ折り返し地点を過ぎたばかり。しばらく苦行は続きそうだ。読書そのものに嫌気がささないためにも、平行して色んなジャンルの書を読んでいるのが救いである。
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神風連立つ
著者曰く「この神風連騒動は、全国一般の士族感情を刺激した。士族であるかぎり、神風連を粗暴凶悪の徒として憎んだものはおそらく、ひとりもいないであろう。維新以降、廃藩置県、廃刀令等いわば全ての権利と権威を失った」
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今回は、西郷の私学校以外に、当時の不平士族たちが期待を寄せていた島津久光、前原一誠、熊本の神風連が扱われます。
守旧派の頭目とされた島津久光は、大久保を憎みながらも自身が反乱の指揮を取ることなどは露ほども考えておらず、前原一誠は独自の思想もなく川路利良の放った密偵にそそのかされてしまい、神風連は神託にしたがって戦略もないまま挙兵します。
いずれも、西南戦争と同じく新政府に対する反乱でありながら、西郷とは異なる立場を取っており、その対照が鮮やかに描かれています。
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まだつまらない。けど、次回、西南戦争がはじまりそう…!?西南戦争前夜のきな臭い時期の日本の空気が伝わってくる。
藩閥政治に辟易し始める頃合い。結局いつの世も、政権は嫌われる。それは今の世も。
一番狙いのは、自分の生きる時代を、自分の理想のために、全力で生き抜く人間たちである。
それにしても、昔も今も、前原はカッコ悪いなぁ。
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p24 薩摩の農民
薩摩藩は他の土地と違って、富農がいない。他藩では農業生産が飛躍的に伸び、富農が生まれ読書階級になったが、薩摩では戦国時代から変わらず藩によって厳しい搾取が行われてきた。それゆえ薩摩の農民は教育を受ける時間が無く、軽侮されてきた。
薩摩の士族にとって農民とはそういう存在である。それゆえ明治の薩摩人もその程度にしか市民をとらえていないから、民主主義などあり得ないと考えていた。
p38 植村正直の後は進歩無し
明治初年に植村正直が実施した開明的な政策以後、彼がやめて半世紀近く京都では正直以上の前進はなかった。それほどの手腕を持つ男だった。
しかし、それゆえ市民議会など信用しない男だった。
p53 島津久光への厚遇
島津久光は結局、薩摩藩では置物だった。しかし、新政府では左大臣に任官するなど異例の厚遇を受けた。藩政でも政治実績は皆無だったが、薩摩藩主として保守派の頂点におり、政府転覆の頭目におかれかねない危険人物だった。敵に担がれるくらいなら、新政府の管理下に置けるよう異例の厚遇を与えられたようである。
p62 西郷は復帰させよ
久光は三条実美と岩倉具視に「西郷・大久保の免職」をもとめていたが、明治7年頃、征韓論を取りやめ薩摩に帰臥した西郷にたいして「容易にはできがたいだろうが、これを復職させよ」という請願を出している。大久保よりは西郷の方が保守的だと感じたのだろう。ただ、これも取り上げられることはなかった。
p82 河野は卑怯
木戸曰く、征韓党・封建党・民権党みな十巴一絡げに単なる不平家である。という。その持説を半年間も維持させられない、ただただ不平しか言うことしかできず、芯のある対抗論をぶつけられる奴もいない。と。
特に佐賀の乱で裁判官に任官された河野敏鎌をあげる。河野は大久保に任官され、民権的思考を持った江藤新平を裁き首をはねた。しかし、その一年後には板垣と一緒になって民権論を吐いている。
不平のために転身を軽々として、卑劣極まりないという。
p157 会津の恨み
会津は薩長を憎む。
幕末、薩長は徳川慶喜の首をあげて新時代の到来を天下に知らしめようと画策していたが、当の慶喜が簡単に恭順してしまい、人柱を失った。
そのかわりに会津を人柱にした。というのも、幕末の京都で新選組とともに市内巡査をした会津藩士に恨みを持つ長州藩士がたくさんいたからである。
p203 萩の乱をハメる
萩の乱の首謀者:前原一誠は大久保や川路に泳がされていた。
長州人のことは新政府の長州人に任せる方が反感��買わない。下手につつくより、早期蜂起を誘導し早期誅滅を目指した。そこで、前原は薩摩の西郷に連絡を取ると考え、大久保は密偵をもぐりこませ偽の西郷からの密書を前原に届けた。
p204 密偵
川路利路による密偵政治が明治初期の歴史を陰惨なものにした。とはいえ、密偵のしくみは江戸中期からある。奉行所の人員不足を補うための、岡っ引きなどがそうだし、井伊直助の安政の大獄も密偵の公安調査がなければできなかった。
p217 長州軍人は金に汚い
長州奇兵隊の幹部だった奴は金に汚い。奇兵隊の幹部は給料をだいぶ不正に多く得ていたようである。その気質は新政府の軍幹部になってもかわらず、山形有朋などは山城屋事件という大汚職事件を起こしたりした。
p252 江華島事件
明治9年、江華島事件が起き、黒田清隆全権のもと日朝修好条規をむすび不平等条約を獲得し、朝鮮を開国させることができた。
これによって征韓論は不要になり、浮いた対外戦力を国内平定に動かすのではないかという流説が広まった。
p254 廃刀令
明治9年3月28日に布告された廃刀令は旧士族に強い衝撃を与えた。武士のアイデンティティを捨てることは今では想像を絶する衝撃だったようである。これが、神風連や萩の乱の決定的引き金といえるほど。
新政府は東京ではすでに文明開化が進んだことを根拠にこの法律制定に踏み切ったようだ。武士たちは、帯刀がダメでも手で持っているならいいのだろうと、屁理屈で抵抗した。
p260 ワシントン
ワシントンは独立革命を実らせた後、すべての栄職を捨て、マウント・ヴァーノンに退陰し百仕事にふけったそうな。それから4年後、ワシントンは乞われて米国初代大統領として政治に復帰した。
明治維新の革命後、退隠し畑仕事にいそしむ姿は西郷隆盛と重なる。
p305 日本の文化大革命
明治維新後の廃仏毀釈運動、これは日本の文化大革命と言えるかもしれない。神社の神官は寺院の仏像を投げ捨て焼き払った。罰が当たることを恐れた農民たちの嘆願も無視し、「それが迷信なんだ」と吐き捨てた。
どこの革命にも、革命に加担することで自分が時代の最先端に立っているという昂揚をもとに、自分の正義を推し進めることこそ人のためになると理性を失う者がでるのだな。
p323 神事と神意
熊本:神風連(敬神党)は国学と神道を教育の中心にした肥後藩の派閥である。
彼らの理念は神道に拠っている。宗教を盾に政府転覆をはかった。
p344 神風連のせいで
神風連の乱が西南戦争誘発の原因と言える。
また、神風連が熊本城を軽く落とした。それほど熊本鎮台は弱かったのだが、それを参考にした西郷は、西南戦争において一直線に東京を目指さず、手始めに熊本を落としに行く。
しかし、強くなっていた熊本鎮台にてこずり、失敗したといえる。
神風連のせいっちゃせいだ。
p352 児玉源太郎
当時24歳の児玉源太郎が熊本鎮台に駆けつけ、神風連の乱を鎮圧した。このころから児玉は一目置かれていたようだ。
さて、この翌年の西南戦争で乃木希佐も登場する。各作品がつながっていく感じ。
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我慢の時がこの巻で終わりそうである。次回から、胸熱の展開が予想される。
しかし、西南戦争の原因となるこの時代、しっかりと解説してもらったので西南戦争も表面的な楽しみ方だけじゃない、味わい方ができるだろう。…かな。
思ったより、藩閥政治への嫌悪感が薄かったな。木戸孝允の言ったように当時の人間はただの不平家なだけだったから、あまり響かないのかな。
少佐の名言が思い出される。
「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら目と耳を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ。それも嫌なら…」
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神風連が決起し事が起こった。
いよいよ西南戦争に向かって動いてゆく。
反太政官思想の波が大きくうねり出したと言って良いだろう。
歴史的には西南の役が大きく取り上げられるが、その前夜、反太政官思想の有志たちがどのようにしていたかなどがよく分かる。
後の日露戦争などで後世に名を残す、児玉源太郎や乃木希典、野津道貫の兄、野津鎮雄の名前なども出てくる。
神風連の決起が西南戦争への弾みになったことは確かであろう。
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この巻は西南戦争が起こる1年前の明治9年をメインに描かれていました。
島津久光さんについても詳しく書かれていたよ。
この殿さま(って藩主になったことはないけれど…)の超エラそうな立ち位置をいつも不思議に思っていたので、その点がとても興味深かったです。
今回は西郷さんや大久保さんの動きはほとんどなかったけれど、太政官に不満を抱く士族たちの怒りが火を噴き始め、熊本で神風連の乱、そして長州で萩の乱が起こるところまででした。
これらは政治的ポリシーがないとか、他力本願的無計画だったりしていて、明治維新もそうだけど、頭が良くて全体が見渡せるようなタイプは暴力で事を起こそうとはしないのだな…と思いました。
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士族の魂ともいうべき刀を帯びることを禁じる廃刀令が施行され、旧士族の不満は爆発寸前。そんな中、熊本で神風連という組織が熊本の鎮台府を襲うという反乱が起きるのが話の筋。ここから明治最大の内乱西南戦争へどうつながっていくのか?。読むたびに、自分の歴史認識の無さに辟易するが、続けて読んでいきたいと思う。
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静かなる西郷。
明治に入り、様々な思想が沸騰直前のようだ。
まるで富士山が噴火しそうでしない感じの日本の状態が書かれている。
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この第六巻は西南戦争の勃発する1年前の明治9年が描かれているが、前半は地方官会議や島津久光について書かれている。後半は太政官への不平不満を抱く士族たちが、ついに立ち上がり熊本で「神風連の乱」が爆発する。