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第四巻では、巻十三から巻十六があつかわれています。
巻十五の中臣宅守と狭野茅上娘子の恋歌の贈答にかんして、著者は土屋文明の評価に対する批判をおこなっています。著者によれば、土屋は「万葉集の純な歌境」を称揚し、「理知的なもの」をそれとは正反対のものとしてしりぞけるという立場をとっており、娘子の歌に厳しい評価をあたえています。また著者は、土屋のこうした立場に、ある種の倫理的判断が投影されていることを指摘し、島木赤彦や斎藤茂吉などにもそうした傾向があったと述べて、その見かたに反対しています。
さらに著者は、つづく巻十六に収録されている歌に見られる理知的な諧謔を高く評価し、その魅力に立ち入って解説をおこなっています。著者は、「もう四十年近く昔のことになりますが、『万葉集』を読んで巻十六にぶつかった時の、私自身欣喜雀躍したくなるほどの気分は、今でもただちに甦らすことができるほどです」と述べており、著者の『万葉集』解釈の方向性と特質が、もっとも明瞭に示されています。