さくら婆ぁのスタンドで――デパートの屋上で繰り広げられる少し哀しい物語。
2010/10/17 14:49
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投稿者:惠。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
とあるデパートの屋上にあるうどんスタンドは、デパ地下に出店している正真正銘、本場の讃岐うどんが立ち食いの値段で食べられるという隠れた名店。そしてそのお店のもうひとつの名物が、スタンドをひとりで切り盛りする「さくら婆ぁ」。さくら婆ぁは「ババア」と呼ぶには若いが「お嬢さん」と呼ぶにはかなりの抵抗のある妙齢。口は悪いが情には厚く、一本筋の通っていないことが大嫌いなさくら婆ぁ。常連客の杜田(ヤクザ者)を顎で使い、屋上で起こる数々の難事件を解決していく。
デパートの屋上を舞台にした連作短編集。表紙には「長編推理小説」と銘打っているけれど、わたしに中では「連作短編集」という括りにする。
まず――これは北森作品に総じて言えることだけれど――キャラがいい。さくら婆ぁや杜田をはじめ、主要な登場人物がいい。キャラクターを魅力的に描き分けられていること――それは北森作品の特色と言える。
そして本書にはもうひとつ大きな特徴がある。それは、各短編が屋上に存在する「モノ」視点で展開するということ。語り部は人ではないのだ。例えば屋上に祀られたお稲荷さん。例えば「調整中」の観覧車。他にもベンチにピンボールマシンと…さくら婆ぁ一日の大半を過ごす屋上にあるモノたちが、自身が見た風景を語ってくれる。
これらのもの言うモノたちは24時間365日屋上にいるわけで、当然、さくら婆ぁが屋上にいない間に起こった事件も一部始終を目撃している。しかし彼らは人間語を発することができないので、重要な目撃証言をさくら婆ぁに伝えることはできない。彼らにできることといえば、さくら婆ぁを密かに応援することと、読者にその様子を伝えることだけ。これが少しもどかしい。
しかしこのもどかしさは、本作の「テーマ」でもある。全てがいつもすんなりいくわけではない――それが人生というもの。スタンドの主におさまっているさくら婆ぁにも過去がある。ヤクザ者に近い生業をする杜田にも過去があり、常連客の高校生にも悩みがある。人生にもどかしさは付き物――それを著者はこの作品で表そうとしたのではないだろうか。
ただし、ミステリとしては若干(どころではなく)強引な面が否めない。これも北森作品に総じて言えることなのだけれど、謎解きメインで読むのではなく、雰囲気を楽しむ作品であろう。
さて最後に巻末の「あとがき」について少しだけ。「あとがき」を担当したのは著者と親交のあった愛川晶。その冒頭が非常に面白いので引用したい。北森さんってそういう茶目っけのあるひとだったんだなぁ…と嬉しくなるエピソードだ。
(週に一度という高頻度で、酔っぱらいながら電話で話しをする北森さんと愛川さんの間柄を暴露したあとで…)
北森さんの話でおもしろいのは、何といっても体験談である。
(略)
長らく編集プロダクションで仕事をし、「風俗記事のライターから池波正太郎の担当編集者まで」(自称)、業界の裏側をすべて知り尽くした人物の話だから、おもしろくないはずがない。
ただし、夢中になって聞き入り、受話器を置いたあとで、「ほんまかいな」と首を傾げることも時々ある。
「編プロ時代にイラン・イラク戦争のレポートを書く仕事が入っちゃって、銃弾が飛び交う前線を這い回ってたんですよ。死ぬかと思いました」
本当かもしれないが、脚色の匂いがする。
「温泉へ行ったら、湯船にプカプカ死体が浮いていましてねえ。警察が来て、職業をきかれた時に『ミステリー作家』と答えたら、『できすぎだ。怪しい!』なんて言われちゃって。いやあ、まいりました」
これなどは、相当疑わしい。
「風俗記事を書くのなんて、いいっかげんでしたよ。店へ電話して、女の子に得意技とかきいて、適当にでっち上げるんです。実際に言ったことなんて、一度もなかったですねえ」
一度もなかった? これは絶対に、う……そんな失礼なことを、今をときめく売れっ子作家に言うわけにはいかない。でも、あの北森さんが、なあ……。
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さくら婆ァに怒られながらうどんが食べたい。デパートの屋上で起きる様々な事件を静かに見つめるモノ達の視点、哀愁。
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そのデパートの屋上では、いつも不思議な事件が起こる。飛降り自殺、殺人、失踪。ここに、何があっても動じない傑物がいた。人呼んでさくら婆ァ、うどん店の主である。今日もPHSの忘れ物が一つ。奇妙なことにそれが毎日、同時刻に呼出音だけ鳴るのだ。彼女の手が空いた時間帯に、まるで何かを伝えたいかのように…。屋上の名探偵さくら婆アの奮闘ミステリー。
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そのデパートの屋上では、いつも不思議な事件が起こる。飛降り自殺、殺人、失踪。ここに、何があっても動じない傑物がいた。人呼んでさくら婆ァ、うどん店の主である。今日もPHSの忘れ物が一つ。奇妙なことにそれが毎日、同時刻に呼出音だけ鳴るのだ。彼女の手が空いた時間帯に、まるで何かを伝えたいかのように…。屋上の名探偵さくら婆アの奮闘ミステリー。
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後味の良くない、やりきれない事件が多かった気がします。
さくら婆ァのうどんは食べてみたいと思った。
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この小説凄いです。
屋上にある、遊具やベンチ、ありとあらゆるものが(人には聞こえない声で)喋る、喋る、喋る!!!
物語も短編連作なので、小休止を置けますね。
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北森さんは、やっぱり好きだよ。
少し後味が悪いのが良いね♪
好みからすれば、桜闇のシリーズのほうが好きだけど、ストーリー展開としてはこちらが上かなぁ。
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「香菜里屋」シリーズの著者ね。デパートの屋上で起こる事件を屋上のうどん店の主、通称さくら婆ァが解決する、と書くと、ユーモアミステリーみたいですが、必ずしもそうではない。さくら婆ァが訳ありで暗い過去を背負ってるから。章ごとに語り手が変わるのですが、それが人ではなく、屋上の観覧車だったりベンチだったりして、その辺の書き方はさすがに上手いです。ただ、個人的には、さくら婆ァの書き込みが物足りない。すごく魅力的なキャラなのに惜しい。それは恐らく著者が男性だからではないかと思ったり。
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連作とかオムニバスとか言うよりも、「長編連鎖ミステリ」という表現がぴったり。個々の話が綺麗に繋がって連鎖して、最後にぴったりと合う。一つ一つの話は地味なんだけど、通し読みすると良さ三倍増。
観覧車とかベンチとか、無機物が語る形式っていうのも面白いし。宮部みゆきの「長い長い殺人」の形式と同じだな。
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良くも悪くも、あまりにも、北森作品らしい。 つまり、キャラの魅力はふんだんにあるが、謎解きに関しては、推理というには根拠が弱く、推測の域を出ない印象しか持てないということ。
などと、手厳しいことを言いつつ、実は私は北森氏の大ファンなんですが。 だって、ミステリと言えども『小説』ですもの、こんなに人物が描ける作家を、嫌いなワケないじゃないですか(笑)
胸が痛くなるようなストーリーが多かったけれど、痛快さを感じさせる3人のキャラ設定で、救われましたから。
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デパートの屋上を舞台にした連作ミステリー。
名物のうどん屋のおばちゃんはともかく、毎回変わる語り手が面白い。こういう視点で書く人は、ちょっといないだろう。
けらけら笑って読んでいたら、いつの間にか高校生の成長の物語になってるあたりも外連味があってよかった。
このあたりは、北森鴻マジックといえるかww
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舞台はデパートの屋上のみ(最終章以外)。
語り手は屋上にある稲荷の狐だったり、ベンチだったり、
観覧車だったり、ピンボールゲームだったり、屋上自体だったり。
(最近、モノ主観の小説ばっかり読んでる気がするな…)
うどん屋の名物店員「さくら婆ァ」が
屋上で起こる様々な事件に触れる連作短編ミステリー。
やくざの杜田をうどん1杯で使いっ走りに使う
「さくら婆ァ」の豪快さがもの凄い。
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上品な作風の作者に似合わない、人がころころ死んでしまう展開に驚き。短編がその後に関係づけられて一編の作品となっている。”さくら婆”の設定をもう少し濃くしても良かったんじゃあないかな。大勢の好評には反して個人的にはつまらなかった。
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デパートの屋上という空間と、威勢のいいさくら婆ァという登場人物から、爽やかな雰囲気を期待してしまいました。
実際はどれも暗いお話ばかりで、可もなく、不可もなく、という印象です。
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デパートの屋上が舞台のミステリ連作短篇集。
この屋上でいくつかの不可解な事件が起こる。
屋上には、このデパート地階にある讃岐うどん専門店が出すアンテナ・ショップがある。良心的な200円台という安さで、正真正銘の手打ちうどんを提供する。だから、昼休みになると、近所のサラリーマンやOLでごった返す。
そんな人気うどんスタンドをひとりで切り盛りするおばちゃんが、この物語の名探偵役。通称「さくら婆ァ」。男前な女傑。屋上を仕切っている。
北森作品は読み始めて間もないが、読後感がやさしく、温かい。犯罪が描かれているにもかかわらず、だ。どうしてだろう、と考えてみた。
著者・北森鴻さんは、しばしば料理の達人を登場させる。<ビア・バー香菜里屋・シリーズ>のマスター・工藤も、『メイン・ディッシュ』のミケさんもそうだった。そして、このうどん屋の「さくら婆ァ」もそうだ。多くの客を唸らせている。彼らの作る料理の美味しそうなことといったら、食べてみなければ、いや読んでみなければわからない。
このスペシャルな料理に、まずはやられる。おいしい料理に心和まない人はいないだろう。
腹は鳴くが……もうひとつ、北森作品に共通しているのは、いずれの料理人たちの心にもとげが刺さっているところだ。どこか翳がある。彼らは人に言えない悲しみを秘めているのだ。事件にかかわる人々の悲しみを、彼らも実感として知っている。そんな悲しみを抱えているからこそ、彼らは人に対してやさしくできるのだと思う。思いやりあふれる彼らの言動は、事件当事者たちの凝り固まった心を解きほぐす。名探偵とは、事件の謎を解くだけの存在ではない。被害者の心情をも理解する。ときには加害者にも。そんな彼らが悲しみや苦しみから立ち上がろうとする凛とした姿は、読み手の心に清々しさをもたらしてくれるのではないだろうか。凛とした姿と書いたが、実際の探偵役たちは、場末の小さなバーのマスターであり、女に拾われた居候のフリーターであり、デパート屋上のうどんスタンドのおばちゃんなのである。彼らの外貌と、明晰な頭脳やさりげないやさしさとのギャップが、これまた微笑ましく、やはり読み手の心をつかむ要因になっているのだろう。
また、わかったような感想。不細工。かっこ悪い。反省。べるさん、ご紹介ありがとうございました。