雰囲気は愉しめる。不思議な雰囲気。
2004/07/26 22:37
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投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
多和田葉子って、曲者。2年近く前に1冊だけ『容疑者の夜行列車』を読んでいて、あの本をイメージして買ったのにこれは全く違う! あの本もちょっとねじれた、不思議でイミシンな時空間を描いていたけど、こっちはこっちで全然タッチが違って(なにせ主人公は女子高生! その分タッチが軽い。いや、はて? 果たして主人公は女子高生サヤなのか男色の同級生カツオなのか?)、こっちのほうがもっと曲者、ちゅうか何じゃこれ?
しかもドゥマゴ文学賞受賞作品と来た。ドゥマゴ文学賞って、何?
帯には「あっちへこっちへと転がりながら、はからずも核心へと向かってゆく少女と少年の日常を描く、愉快かつ挑戦的な最新長編」とある。確かにそう言えばそうなのだけど、作品の醸し出すムードはこの文章からは遠いぞ。大体これが少女と少年の「日常」か? すごい非日常だと思うんですけど(タイトルからして休憩時間が「球形」なのでグルッと廻って戻ってくる?)。そして「核心」って、何?
どうも僕には難しすぎる、いや、難しく考えすぎか? ただ雰囲気は愉しめる。不思議な雰囲気。
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投稿者:あおい - この投稿者のレビュー一覧を見る
親父ギャグか?
タイトルだけふざけているのかと思っていたらどうも全編がそのような脱力を催される地口で占められており、展開は悪い冗談のようにお気楽で、これえまでの著者の作品のあの何とも云えない不気味さがすっかり影を潜めていてかえって不気味である。ただの思いつきのようでもあり、ちょっとした「若向け」のサーヴィスなのかもしれないのだが、しかしそれにしてもこのふざけかたはどうなのだろう?
ひょっとして本当にこの作品はちょっとした「休憩」なのだろうかとさえ思えてしまう。
誰か説明して下さい。
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うーん、「やることがいちいちクール宅急便」「ピエロッテル」とかの言い回しの段階でちょっと…。表紙はきれい。
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あまりに退屈で無為な日常に相反し、
人々は誰もが、偏りに満ちた超現実的な
妄想・偏執を内包し、爆発的に増殖させている。
そんな、時間・空間さえ歪めてしまうほどの強烈な
妄念たちが世界にあふれ出したら・・。
眩暈すら起すほど、クラクラと上下左右にストーリが蠢く
ラスト数十ページにわたる大団円は真に圧巻。
日本語の表現力を含め
「歪」であることの力強さを実感。
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あまりにも読みやすくて拍子抜けしてしまうほどですが、
登場人物たちの妄想や、相互の交わりを考えると、
読み終わっても噛み締めるように心に残っています。
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ある日の放課後、高校生サヤが出会った英国女性は、時空をさまようイザベラ・バードだった…。あっちへこっちへと転がりながら、はからずも核心へと向かっていく少女と少年の日常を描く、愉快かつ挑戦的な長編。
と書いてありました(笑)。
私、多和田葉子さんにものすごい苦手意識があります(苦笑)。
その昔、昔話や民話の類の授業で「異類婚」(ヘビが人間と結婚するとか、あ、鶴の恩返し的な実は動物が婿・嫁でしたという話のことです)の話になり、多和田葉子さんの「犬婿入り」が課題になったんですね。
全っ然、わからなかった!!
難しくって何を言わんとしているのかがまったく…。それから多和田葉子さんは苦手です。
が、今回は上記のようなあおりがあったので、多和田葉子さんにしてはわかりやすいかも!!と思ったんですけど…
相変わらずわからなかった!!
あまりのわからなさに、ネットの海に書評を求めて旅立ってしまいました…←これも久々にやったのでリハビリにはちょうどよかったかも。
そういうネットの書評を手掛かりにして、ちょっとは自分の中で落ち着いた感じなので覚書程度にぽつぽつと。
●球形=休憩 という解釈をしている人が多い。確かに、学校の休み時間をあえて休憩時間とかいているのも目立つので、休憩であっているのかなー、と。人生の休憩=モラトリアムというふうにとらえている人がいてちょっと納得。
●登場人物たちの思考がただひたすら積み重なっていくんだけど、閉塞感が強い。だからこその球形?
ネットの海を徘徊していて、こんな記事をみつけました。
この作品は「ミズミズシイ感性とかいうものを持っていることにさせられている若い女の子が書いた小説」がもてはやされることについて、「感性は思考なしにありえないのに、考えないことが感じることだと思っている人がたくさんいる。」と書いた著者の、ひとつの解答のような青春小説の試みとして読めると思う。
なんかこれを読んで、
あ、私にはすんなり読みとけなくて当然だわ☆
と思いました。(なんてオチ!!)
よくわかんなかったので(自分の責任ですが)
★★☆☆☆
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この作品については、荒川洋治さんという私の好きな詩人が評した文章を引用します。
文学とは、その作品を読んだ人が、もっと楽しいことや、新しいことを自分でもして みたい。ためしたい。そう思えるようになることだ。
多和田葉子さんの「球形時間」は、現代の教室と、日本が舞台。女子高校生サヤと、 その友だちのカツオ、その他の人たちでつくる物語である。
<中略>
と、これはほんのわずかなシーンを取り出しただけだけれど、ぼくもこんなふうになりたい、この小説のなかにあるものが、全部ほしいと思った。ほのかな真剣味をおびて、心とからだに、はたらきかけるのだ。何かをはじめたくなるのだ。
これはそういう「はたらきかけ」をもつフィクションなのだと思う。「私小説」の手法によらない小説が、ここまで怒りと、笑いと、あつみのある現代小説を「創造」できること。そこにぼくは新鮮なおどろきを感じる。しかも流れているのは、とても明るいひかりだった。作者の文学の、ちからであろう。
(引用元:http://p.tl/eZOp)
ぜひ、読んでみてください。
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女子高校生サヤを中心に、同級生のカツオ、担任のソノダヤスオたちの視点から、道徳や規則に対する疑問、自分の思い込みや偏見、現実逃避的な憧れなどが微妙にからみあう作品。
終盤で、ばらばらに進んでいた主人公たちの話が重なるような感じになっていて、独特の表現描写も感じられるものの、筋がわかりにくく、まとまりなく中途半端に終わってしまっている印象です。
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電車を待ちながら化粧をする女子高生『サヤ』は、角髪(みずら)は好きだけどちょんまげは嫌い。クラスメートの『カツオ』は男の子と体育倉庫で密会を重ねている。この二人を主軸に潔癖症の女子、ノイローゼ気味の担任、太陽崇拝者の大学生など、壊れかかった面々の心象風景が描かれている。
どこまでが現実でどこからが妄想なのかも曖昧で唐突に終わってしまうし、最後まで主題がさっぱり掴めなかった。色々なテーマを内包しているようでもあり、つかみどころのない現代を表しているようでもあるけれど、結局のところそんなことはどうでもいいのかもしれない。
ただ、なにより『カツオ』だ。黒板に落書きをして皆を笑わせるお調子者として登場。しかもカタカナで(これは全員そうだけど)『カツオ』とくれば、当然『さざえさん』が頭に浮かんでも仕方がないよね。どうやら彼は少し不良っぽい今風の男の子らしいんだけど、もうどうしてもいがぐり頭しかイメージできない・・・。ネーミングって大事だなぁ。
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川上未映子の「ヘヴン」を思い出したのは、この本と近い類似があったからではなくて「頭の中と世界の結婚」の4曲目のある歌詞と本書のある箇所との類似があって(といってもわたしが個人的にこの歌詞のその箇所にぐっとして、とても強い印象を残していたため本文中に同じような文章を見つけてはっとした)、そこから川上未映子が浮かんで、球形時間の十代を主人公としていてスクールな感じが「ヘヴン」となんか似てるなって感じた・・・個人的な見解。
そしていま自分に関心がある事柄について書かれていた。偶然手に取っただけなのに・・・。
多和田氏の著作からこれを選んだ自分の選定眼てなんだろうとびっくりしました。
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タイトルからは難解な小説を予想して読み始めたが、ここで描かれる世界も文体も多和田葉子のそれとは随分違っていて、一見したところは普通の高校生の日常が描かれるかのようだ。作中の視点人物は3人。サヤとカツオ、これに担任教師のソノダヤスオのそれが加わる。もっとも、最初から随所に不穏な感じがないではない。ことにコンドウとナミコの存在と行動が、この世界に異和を混入させる。それでも、小説の中を流れる時間は、ともかくも日常だ。「序・破・急」の急は、まさに唐突に訪れる。最後に至って一気にシュールな世界に呑みこまれるのだ。
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◆むむむむむ。高校生を書いても多和田葉子だった。世界とのズレに迷子になるアリスたち。おうちに帰ることのないアリスたち。◆扱う題材は他作に比べ具体的で理解しやすいが、デリケートな国家や性愛などの話題を言葉遊びで扱ってしまうのはやや軽率ではと思われる記述も多い(読んでいて「多和田葉子、チャレンジャー!」と何度思ったことか)。ぱしっと絵になる断片もなくはないのだけれど、ちぐはぐにやっつけでストーリーにしてしまっている感じ。もっと練ることができるのでは。全体的には多和田葉子の良作とはいえないというのが正直な感想。無論、デリケートな話題を言葉遊びとしてだけ用いているのではないけれど、すべての読み手が多和田葉子の心の襞にまで寄り添ってくれるわけではないものね。
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読みやすいけれど、感想を書くのは難しいです。
物語の台風の目はカツオだったように思いました。「無能でも、変な運がこびりついている人というのがいる」とは神経症のコンドウを評したカツオの言葉ですが、カツオを含め、登場人物たちは皆どこか変な運に巻き込まれています。カツオが結んでしまったのだろうなあ。
そして、それを病んだナミコが嗅ぎつけて、自分の信じる捻じれた、でも完成された時間の中に閉じ込めてしまった。
サヤカが深入りせずに済んだのは、イザベラのように旅行者だったから、かもしれません。
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「男の顔には、怒りの予兆のエラが立っている。プラットホームで化粧するな、とその顔に書いてある。」
冒頭のこのセリフは「令和」の「若い男性」である私には2重の意味で新鮮である。ナンパ、キャッチ、ぶつかり、これらは私に無縁のものだ。何なら、ティッシュ配りのバイトさんや道に迷った人もなかなか私をターゲットにはしない。少なくとも私なら、私は選ばないだろう。そんな人生を歩んできたので、女性のこういう体験は新鮮に映る。それに加えて、本小説は2002年に出版されている。まだ物心ついて間もない、私が知らない時代の話である。この頃はまだ、都会の他人同士が少なくとも今よりは関わり合っていた時代、というと大袈裟なのだろうか。そもそも人と人の関わりが生じなければ小説が成立しないと言ってしまえばそれまでだが、今、何気ない日常を描こうとした時に、プラットフォームのメイク直しに注意するおじさん(この後こういう展開になるのだ)は出てこないだろう。そういった意味で新鮮なのである。