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1章は本田宗一郎の生涯について。
ホンダという会社が宗一郎の技術側面での天才ぶりから成長していく
過程が書かれている。
本当に車に憧れた青年時代から、技術と発想でのし上がっていき
会社をでかくしていく。経営面はパートナーに任せきりで
長きにわたり研究へのこだわりを持っていたようです。
2輪最高峰のマン島TTレース参加、その後4輪でもF1への参戦。
鈴鹿サーキットの建設など。
走りのイメージが本当に強かったんだなぁ、ということを
今更ながら「若者の」僕は知りましたw
そして、そこが本田「技研」なんだなぁと。
2章ではその挑戦の数々をクローズアップ。
マン島TTをはじめ2輪レースの栄光、
4輪への参入からF1への参戦。
また環境対応エンジン、空冷から水冷へのシフトなど。
大きな転換期について。
本田宗一郎が格別すごい人間だったというイメージより
本当にこういった技術屋的な人がここまでの会社の社長として、
成功していく過程に感心する。
これは本当に周りもすげーなぁと思うわ。
それと同時に「今のホンダはどうなのよ?」と思うのもあったりする。
第3章では本田宗一郎の仕事観について。
「やってもみないで」という言葉をよく使っていたようで、
改めて「失敗を恐れない」「失敗を責めない」ことの大事さを感じます。
また専門家としての誇り、大衆に迎合するのではなく、
大衆を魅了するのがプロ。という発想が今でこそより大切な考え方だと思いました。
内容も全体として教養としてという感じで、興味本位で読んで
面白かった一冊です。
自分のホンダのバイクのタイヤはTT100GPという
マン島TTレースで使われたというタイヤ。
そんなところも面白かった理由。
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名前は知っているけれど、具体的にどうすごい人だったの? という疑問に、一冊でわかりやすく答えてくれる本です。ジョブスよりももっと前に同じような考え方で世界一を目指して「ものづくり」をしていた日本人がいることに感動しました。エンジンの勉強にもなったし、今まで踏み込めなかった新しい世界を開拓するのも面白いかも。
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激情家の天才技術者、藤沢武夫がほれ込んだ男が、どんなものであったか、簡単に知ることができる本。退職後、70歳近くで自分で車を運転して全国の支店・工場を回って、1人1人と握手した(なぜなら、そうしたかったから)というエピソードが好き。
35周年記念の鈴鹿サーキットイベントで、社員たちに大歓迎されるシーンがとても好き。
-----以下、抜粋
1906明治39 浜松市生まれ
・父親は鍛冶屋、日本刀、スキ・クワ、のちに自転車
8歳、はじめて自動車を見る
16歳、東京アート商会
1923大正12 関東大震災、初めて車に乗る、ふるえるような喜び
1937ピストンリングの研究、静大聴講生
1939 東京精機重工業 社長 33歳
戦争中 軍需工業
「普通の欲ではない、途方もない夢をかく技術者」
1949 モーターサイクル、どりーむD(奥さんに乗らせて町を走らせる)
1949 藤沢武夫が参画 43歳
1952 自動車補助エンジン DM作戦 自転車屋を販路とする
1952 高性能の加工精度の工作機械 4億5000万円、組立工場から生産工場へ
1954 マン島TTレース「世界一宣言」
1964 F1参戦、日本メーカーとして初めて
「やってみもせんで」⇔「それはダメでしょう」「それはムリでしょう」
「明日の約束をしないやつに希望はわいてこない」
「常識を破る、そのことでしか会社の永続はない」
「失敗をしないのが怖いんだったら、仕事をしないのが一番だ」
「チームが本気になるというのは、みんながそれを本当に自分の問題としてとらえること...リーダーシップとは、その目標をはっきりと見せてやること」
★ホンダとキャノン(コピー機後発、ゼロックスの特許網に挑戦)、独自技術にこだわり・・人が育ち、技術やノウハウが蓄積される
「自分の喜びを追求する行為が、他人の幸福への奉仕につながるものでありたい。いつでも、どこでも、誰にでも誇りを持てる喜び。それを私はついきゅうしていきたい 」
「大衆の意表をつくことが、発明、創意、ニューデザインだ」
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著者自信がホンダ及び本田宗一郎のファンなんだろうな、と思った。私もホンダファンなので伝記として読んだ。面白かった。