平和についての透徹した視点
2007/08/22 15:57
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ローマ人の物語』もいよいよ、ローマ帝国の最盛期にして「人類が最も幸福であった時代」(ギボン)、すなわち五賢帝時代に突入する。しかし、本巻の目次を見てだれもが気づき、不思議に思うだろう。ここで扱われているのは、五賢帝の最初の三人、ネルヴァ、トライアヌス、ハドリアヌスだけである。残りの二人、アントニヌス・ピウスと賢帝中の賢帝マルクス・アウレリウスはどうしたのか?
『賢帝の世紀』と名づけた本巻に、作者の塩野がこの二人の皇帝についての記述を入れず、一巻はさんだ次の巻(第11巻)にそれを移したのはなぜか?私はこのような構成を、「平和とは何か」に関する透徹した視点の表れと見なしたい。すなわちそれは、平和とは決して手放しで得られるものではなく、不断の努力によって勝ちとられるものという視点である。
次皇帝への橋渡しをしっかり行った点においてのみ賢帝の名に値するネルヴァは別として、トライアヌス、ハドリアヌス両皇帝は、平和の中にあっても常に国家の防衛という皇帝にとって最大の責務の一つ(その他の責務は国民の食と安全)を怠らず、治世のほとんどを外征、帝国防衛線(リメス)の強化、視察に費やした。殊にハドリアヌスは、その在任中に大きな外憂は存在しなかったものの、常に各地の軍隊を回り、補強すべき箇所があれば直ちに補強させていた。(ハドリアヌス城壁はその典型。)
その一方で、彼らの私生活にはどちらも美少年たちの影がつきまとったが、ギリシア人とは異なり男色を嫌悪するローマ人には、これらがスキャンダラスにとらえられる。またハドリアヌスは晩年、頑固になり、その奇妙な振る舞いから民衆に嫌われる。死後は、あやうくカリグラ、ネロ、ドミナティウスに続く記録抹殺刑に処せられるところを、アントニヌス・ピウスの懇願でそれをまぬがれた。
彼らに続くアントニヌス・ピウスとマルクス・アウレリウスは、ともに内政を立派にこなし、ローマに善政をほどこし国民から愛された。「ピウス(敬虔なる)」というあだ名からもわかる温厚なアントニヌス、哲人皇帝としても知られ知情意のバランスのとれた人格者マルクス。為政者としても人間としても申し分のない二人であったが、彼らが前二皇帝と大きく異なる点は、帝国防衛への取り組みであった。
アントニヌス・ピウスは皇帝在任中、ローマをほとんど離れず、帝国防衛線への視察などいっさい行わなかったという。またアントニヌスの婿養子であったマルクスも若い頃に、次期帝位が確約された身でありながら、各地の軍隊を回るなど辺境防衛の実際を学ぼうとはしなかった。親子としてローマ市内にいっしょに住み、多くの子と孫に恵まれた二人のマイホーム主義―自己の責任を果たしたうえでのもので非難すべき態度ではないが―その幸せのかげで彼らが怠っていたものがあるとすれば、それこそ帝国の防衛であり、マルクスが皇帝になった途端に辺境で生じた数々の動揺も、長い平和に安住したこのような怠慢に原因があったのではないか?
以上、アントニヌスとマルクスに関する議論は、本巻ではなく主に11巻でくりひろげられるものであるが、賢帝と一言でひっくるめられている五人の皇帝のあいだに一線を引き、国家防衛のありかたについて重大な示唆をあたえる塩野の歴史認識とその描写方法には、舌を巻くしかない。本書と第11巻とを読み、平和の時代における二種類の政治姿勢を比べてみることは、平和を享受して60年、「国防=戦争と暴力」としか考えられなくなった我が国の多くの国民にとって、国を守ることの意味を深く考えさせてくれることだろう。そういう点でこれらの二巻は、日本人必読の書!と断言したい。
確かに賢帝の世紀
2024/12/27 22:42
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:マー君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
カエサルから始まり200年の時を経て完成に至ったローマ帝国
この時代のローマ皇帝は現代社会で言えば皇帝というより大統領。
ローマ帝国の完成
2023/01/11 17:39
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
五賢帝時代のうち最初から三人の皇帝を扱っている。次の賢帝を確定させたというのが最大の功績であるネルヴァ 最大版図を実現させたトラヤヌス 帝国中を歩き回り続けたハドリアヌス と歴史上稀な皇帝に恵まれた世紀であったのだなと実感させられた。逆に物語としてはうまく行き過ぎてやや退屈になってしまいがちかもしれない。
成功が失敗の元 という格言を思い起こさせられる。成功したローマ帝国は、超人的なハドリアヌスの巡行によってのみ統治できるほど大きくなりすぎてしまった。
多様な指導者と人材~ローマ帝国が教えてくる事
2021/09/28 23:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:司馬青史 - この投稿者のレビュー一覧を見る
皇帝たちは、なぜ賢帝たりえたのか?
トライアヌス帝、ハドリアヌス帝、アントニヌス・ピウス帝はいずれも賢帝として誉れ高い。
ローマ帝国の黄金時代、五賢帝時代の皇帝であり、この三人の賢帝なくして、ローマ帝国の栄光はなかった。
しかし、三人は性格も違えば、政治姿勢も異なる。
トライアヌス帝は誠実にして、拡大路線を歩んだ至高の皇帝。
ハドリアヌス帝は複雑にして、帝国の現実を直視し続けた活力に満ちた皇帝。
アントニヌス・ピウス帝は仁愛にして、伝統・理念に忠実な倹約の皇帝。
そんな彼らが五賢帝時代を担い、ローマ帝国の黄金時代を築き上げた。
性格も違い、政治姿勢も異なる三人の皇帝は、なぜ賢帝たりえたのか?
ただ言えるのは、時代が三人の異なる皇帝を必要とした。
そして、ローマ帝国には時代が求める指導者を送り出す多様性があったという事だけである。
多様な指導者は、多様性のある環境の中でしか生まれず、育たない。
多様な指導者、人材なくして成長も発展もあり得ない。
三人の賢帝は性格も違えば、政治姿勢も異なる。
しかし、そんな多様な指導者を送り出せる事こそが、ローマ帝国の強さだった。
普遍帝国、ローマ帝国が持った強さを、現代に生きる私たちはは忘れてはならない。
麻薬のような歴史書
2000/10/14 07:08
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ジョウゼン - この投稿者のレビュー一覧を見る
毎年毎年待ちこがれるようになって早8年。今年もきちんと書き上げてくださった塩野さんに大感謝。それを出版しつづける出版社の精神にも拍手。
内容はというと、現代人にも通ずる人間心理をもった過去の人物たちが、今回もいろいろやってくれちゃって、それを読みこなすので一杯一杯。もうおなか一杯、何本も小説を読んだ気にさせられ、しかもそれらが実在の人物、しかも歴史的に名前を刻んだ人たちの「行い(物語)」であるというのが感動。
はっきりいってマンネリとも思えるところもありますが、「寅さん映画」と同じで、読者はこのマンネリこそ愛して止まない麻薬中毒のような状態です。
3000円の書籍代ですが、繰り返し読めるということと、いつまで経っても読み終わらない(読み終わらせたくない)読者にとっては適正価格といっていいでしょうね。
これが何年後かに文庫として出された暁には、いまの若年層にもお手軽に読んでもらえて、ひいては将来の日本の骨格をたくましいものに変革させ得る力を備えていると思います。
繁栄と平和の時代
2024/01/08 15:00
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:DB - この投稿者のレビュー一覧を見る
動乱期を経て、ローマ帝国が最も平和を享受し繁栄した五賢帝時代へとはいってきました。
最初のネルヴァは前巻にて簡単に紹介されていた。
ページ数にして五ページという薄さだけに筆者の扱いも伝わってくるだろう。
まあ老齢で温厚だから皇帝になり、一年ちょっとで代が変わってしまったネルヴァについては語ることもあまりないのかもしれない。
本著ではネルヴァの養子になって皇帝となったトライアヌスの話から入る。
二十年にわたってローマ皇帝の地位にあったトライアヌスだが、もともとは属州出身の軍団長の息子だった。
堅実に出世コースに乗っていたトライアヌスの運命が一気に変わったのは、ドミティアヌス帝の暗殺とネルヴァの登位だった。
由緒正しい血筋ゆえに選ばれたネルヴァが、トライアヌスを後継者に指名したのだった。
ローマ皇帝の座についてからのトライアヌスは私人としては質素、公人としては堅実にして精力的という君主の理想像のような人物だったようです。
ダキア戦役も現実的な対処と鉄壁のローマ軍団により勝利している。
ここで敗者となったダキアへの処遇が、それまでのローマの基本方針である敗者の吸収と同化という路線から外れダキアの滅亡を目指した処理だったのが興味深い。
これさえも伝統に依るのではなくその場で最大の効力を持つ解決策を求めた結果のようです。
続くハドリアヌスは、五賢帝の中でもアクの強いタイプのようです。
筆者もハドリアヌスには入れ込んでいるようで、カエサル程ではないにしてもハドリアヌスについて書ききろうとでも言うような意気込みが伝わってくる。
「夢を見ながら現実を直視する男」という表現が、最もハドリアヌスを言い表しているような気がする。
アンティノスとの関係やそのギリシャ趣味、それにテルマエでのエピソードとこぼれ話にも事欠かないし。
ハドリアヌスといえばやはり、旅する皇帝というイメージでしょう。
最大の領土となっていた帝国の性質を知るためには実際に見て回るしかなかったのか。
それともすべてを自分で判断しないと気がすまない性質だったのか。
地中海を取り巻くローマ帝国を巡行する皇帝の姿が浮かんでくるような気がした。
有能であっても激しい性格だったハドリアヌスのあとを継ぐのはピウスとあだ名されたアントニヌスだった。
これは先代の固めた道を外れることなく安定して歩んだ皇帝です。
それだけ平和だったということなのでしょう。
哲人皇帝の話は次巻のようで、賢帝の世紀はここで終わる。
投稿元:
レビューを見る
紀元二世紀初頭、ダキアとメソポタミアを併呑して帝国の版図を最大にした初の属州出身皇帝トライアヌス、帝国をくまなく視察巡行し、統治システムの再構築に励んだハドリアヌス、穏やかな人柄ながら見事な政治を行なったアントニヌス・ピウス。世にいう五賢帝のなかでも傑出した三者の人物像を浮き彫りにした、極め付きの指導者論。
投稿元:
レビューを見る
紀元98年13代皇帝トライアヌスから、161年15代皇帝アントニニヌスの死まで。
「女とは、同姓の美貌や富には羨望や嫉妬を感じても、教養や頭のよさには、羨望もしなければ嫉妬も感じないものなのだ」
「隣り合って住む民族同士は、仲が悪いのが常である。仲が良かったとすればそのほうが異常」
「人間は飢える心配がなければ穏健化する、過激化は絶望の産物である」
「財政が破綻状態にあって利益を得るのは少数でしかなく、その他多数は被害者になる、そうなると社会は不安定化する」
「分離が固定しない限りの格差ならば、あったほうが社会の安定に寄与する場合も少なくない」
「ニュースとは珍しくて目だったからニュースになるので、通常になされることはニュースにならない」
「女が男の心を引きつけておくための最善の策は、そばに居つづけることではない。かえってそばから離れることである。しかも、追うことも不可能なところに永久に去ってしますことだ」
「ユダヤ・・過激が勢いを持ち始めると穏健は影をひそめる」
「ユダヤ教徒は、自分たちと同じ生き方をしない他者すべてに対して、表面には現れない時でも常に、激しい憎悪をいだいている」
「選民思想のユダヤ教徒には布教活動はない」
「ユダヤ人に対する配慮の数々、イエスキリストを処刑、救世主を名乗るユダヤの若者の死を強く望んだのが、エルサレムを牛耳りユダヤ社会に強大な影響力を持っていた、祭司階級であった」
「ローマに対して先鋭化する一方であったユダヤの過激派から決別したのが、当時のキリスト教徒であった」
「人格円満な人が、大改革の推進者になる例はない」
投稿元:
レビューを見る
ここでやめた、という人がけっこういるけれど、読み終えてそれも納得。ローマ帝国が完成した姿がここにある。過去に作り上げてきたものを補強し、修正し、自分なりの方法で次に伝えることを仕事とした皇帝たちがいい順番で現れたのがわかる。
単純な世襲制ではなく、次の適任者を自分の養子に迎えるというシステムがきちんと私利ではない形で動くなんてことが起きてた。その組織に驚く。
今の政治でここまで見事なことができる国がどこにあるだろう。もちろん時代は違うから簡単に並べるわけにはいかないけれど。
投稿元:
レビューを見る
文庫本を購入し休日に一気に読破しました!!。
この本はローマ時代の「五賢帝」のうちトライアヌス、
ハドリアヌス、アントニウス・ピウスの3人を取り上げています。
これらの皇帝時代がもっともローマ帝国が繁栄していた
そうです。是非、興味のある方はお読みください。
またこの塩野さんの本からするとアメリカはハリウッド映画でローマ帝国を批判するが国の制度はそっくりですね。
□中央政府と州(ローマとその他の属州の関係)
□大統領と議会(皇帝と元老院)
□だれでもアメリカ人になり権利が保障される
などなど。アメリカの国旗はローマ帝国にならって
鷹ですしね。
組織とは、仕事とはどうあるべきかを考えさせられます
ので是非、読んでください。
投稿元:
レビューを見る
比較的平和な時代が続き、落ち着いて読めた。
公共事業や施策の記述が多くて面白かったが、読者の好き嫌いは分かれるかもしれない。
大きな出来事のひとつは、ユダヤが火を噴いたこと。
それについて、ユダヤ人の考え方、他民族とのその違いについて詳細に書かれており、納得感があった。歴代皇帝の扱いの変遷についてもまとめられており、理解の助けとなった。
個人的には、一神教はよいことがほとんどないと思う。弱者に生きる希望を与えるだけならよいのだけれど。排他的、選民思想、教則を理由に権利だけ主張して義務を拒否する、ということであれば、それなりの扱いをされても仕方がないと感じた。
現代でも状況は変わらないし、どこまでいっても合意することはできないだろうと思う。
投稿元:
レビューを見る
(2016.08.16読了)(2009.07.05購入)(2000.10.20・?刷)
紀元98年から161年までの63年間の3名の皇帝の物語です。3名それぞれ20年前後の治世です。「賢帝の世紀」と題されていますので、それぞれに優れた皇帝たちということになります。
トライアヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、いずれもどこかで名前を聞いた覚えがあるので、比較的有名なのだと思います。
【目次】
読者に
第一部 皇帝トライアヌス(在位、紀元九八年‐一一七年)
皇帝への道
気概を胸に
ひとまずの帰都
古代ローマの〝君主論〟
ほか
第二部 皇帝ハドリアヌス(在位、紀元一一七年‐一三八年)
少年時代
青年時代
皇帝への道
年上の女
ほか
第三部 皇帝アントニヌス・ピウス(在位、紀元一三八年‐一六一年)
幸福な時代
人格者
マルクス・アウレリウス
「国家の父」
年表
参考文献
●皇帝の振舞い(42頁)
強大な権力を与えられた皇帝はどう振舞うべきか
「主人としてではなく父親として、専制君主ではなく市民の一人として」
人間的には、「快活であると同時にまじめであり、素朴であるとともに威厳があり、気さくでありながらも堂々としていなければならない」
●ローマ皇帝の三大責務(54頁)
一に安全保障、二に国内統治、三に社会資本の充実
●ローマ人の橋(84頁)
橋を道路の延長と考えていたローマ人の橋は、道路との高低差なしにつくられるのが常で、登っては降りる型の橋があれば、それらはすべてローマ帝国滅亡後につくられた橋である。
●アラビア(89頁)
ローマ人がアラビアと呼んでいた地方は、後代のアラビア半島のことではない。香料や没薬や真珠の産地として知られた豊かなアラビア半島の南部を、ローマ人は「アラビア・フェリックス」(幸福なアラビア)と呼んでいたが、形容詞なしでアラビアと呼べば、それは現代のヨルダンを指していた。
●善政(151頁)
善政とは所詮、正直者がバカを見ないですむ社会にすることにつきる
●推薦者(155頁)
ユリウス・カエサルは、キケロが推薦してくる若者ならば誰でも自分の部下にしてしまったが、それはキケロの識見を買ったからである。トライアヌスも、プリニウスの依頼をほとんど満足させてやるが、これもまたプリニウスの誠実さと公共心の高さを認めたがゆえであった。人材登用は勝負である。この勝負の参加者には、登用者と登用されるものの二人だけではなく推薦者も加えるというのが、つまりお参加者全員に責任を持たせるというのが、ローマ人が縁故採用を多用した理由ではなかったかと思う。
●トライアヌスの欠点(162頁)
ローマ時代の史家たちが、トライアヌスの数少ない欠点の一つにあげているのは、酒飲みであったということである。
水か湯で割る習慣のギリシア人やローマ人の中で、酒飲みと評されるのはストレートで飲むことだった。
●トライアヌスの死(178頁)
紀元117年8月9日、皇帝トライアヌスは死んだ。64歳を迎える1か月と少し前、20年におよんだ治世の後の死であった。死の直前に、ハドリアヌスを後継者に指名していた。
●あごひげ(262頁)
ハドリアヌスは、はじめてあごひげを貯えた皇帝として知られている。共和政時代でもごく初期から、ローマの男たちはきれいにひげを剃ることを習慣にしていた。
●仕事と余暇(294頁)
ローマ人は、「仕事」と「余暇」を分けるライフスタイルを確立した民族でもあった。一般の市民ですら、日の出とともに仕事をはじめ日没に眠るのを常としながらも、午前中は仕事、午後は余暇と分けていたのである。
●ローマの兵士(304頁)
ローマの兵士は、戦時になってはじめて武器を取るのではない。
まるで武器を手に生まれてきたかのように訓練を怠らず、訓練と演習にはげむ日々を送っている。
●調査(307頁)
ローマ人は、思わぬ幸運に恵まれて成功するよりも、情況の厳密な調査をしたうえでの失敗のほうを良しとする。ローマ人は、計画なしの成功は調査の重要性を忘れさせる危険があるが、調査を完璧にした後での失敗は、再び失敗を繰り返さないための有効な訓練になると考えているのである。
●ローマ式の再建策(377頁)
まずはじめに、皇帝からの義援金が届き、被害者たちに配分される。同時に、近くの軍団基地から派遣された軍団兵や補助兵によって、〝インフラ〟の復旧工事が行われる。さらに、ローマでは皇帝が暫定措置法を発令して、被害の状態に応じて免除年数が決められた、属州税の免除制度が実施される。免除年数は、三年から五年の間であるのが普通だった。
☆関連図書(既読)
「世界の歴史(2) ギリシアとローマ」村川堅太郎著、中公文庫、1974.11.10
「世界の歴史(5) ローマ帝国とキリスト教」弓削達著、河出文庫、1989.08.04
「ローマの歴史」I.モンタネッリ著、中公文庫、1979.01.10
「古代ローマ帝国の謎」阪本浩著、光文社文庫、1987.10.20
「ローマ散策」河島英昭著、岩波新書、2000.11.20
☆塩野七生さんの本(既読)
「神の代理人」塩野七生著、中公文庫、1975.11.10
「黄金のローマ」塩野七生著、朝日文芸文庫、1995.01.01
「ローマ人の物語Ⅰ ローマは一日にして成らず」塩野七生著、新潮社、1992.07.07
「ローマ人の物語Ⅱ ハンニバル戦記」塩野七生著、新潮社、1993.08.07
「ローマ人の物語Ⅲ 勝者の混迷」塩野七生著、新潮社、1994.08.07
「ローマ人の物語Ⅳ ユリウス・カエサルルビコン以前」塩野七生著、新潮社、1995.09.30
「ローマ人の物語Ⅴ ユリウス・カエサルルビコン以後」塩野七生著、新潮社、1996.03.30
「ローマ人の物語Ⅵ パクス・ロマーナ」塩野七生著、新潮社、1997.07.07
「ローマ人の物語Ⅶ 悪名高き皇帝たち」塩野七生著、新潮社、1998.09.30
「ローマ人の物語Ⅷ 危機と克服」塩野七生著、新潮社、1999.09.15
「ローマ人への20の質問」塩野七生著、文春新書、2000.01.20
「ローマの街角から」塩野七生著、新潮社、2000.10.30
(2016年8月18日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
紀元二世紀初頭、ダキアとメソポタミアを併呑して帝国の版図を最大にした初の属州出身皇帝トライアヌス、帝国をくまなく視察巡行し、統治システムの再構築に励んだハドリアヌス、穏やかな人柄ながら見事な政治を行なったアントニヌス・ピウス。世にいう五賢帝のなかでも傑出した三者の人物���を浮き彫りにした、極め付きの指導者論。
投稿元:
レビューを見る
五賢帝の2人目からトライヤヌス、ハドリヤヌス、アントニヌス・ピウスの3名を取り上げます。偉大な皇帝たちで、ゴシップも少なかったというだけに、記録が少ないという皮肉な時代だそうです。(老醜をさらし、晩節を汚したハドリヤヌスを除いて。やはり引き際の重要さを痛感します)にも関わらず詳細な調査で、3名の人生がこんなにも見事に蘇るのは流石です。面白いのはトライヤヌスのブリニウスへの返信書簡で急成長するキリスト教への対策について指示をしている件です。この時代からすでに極めて正しくキリスト教について認識されていたことが分かります。そして、ドナウ川にかけたトライヤヌス橋の建設、ダキヤ(ルーマニア)の征服、ハドリヤヌスでは公衆浴場の男女混浴禁止令などローマ法の整備、アントニヌスの善政など。
投稿元:
レビューを見る
ローマ帝国の全盛期といわれる5賢帝の時代はあまり文献が残っていないらしい。トライアヌスやハドリアヌスは急務に対して忙しく立ち働いたのでその記録は残っていてこの本の材料として取り入れられているが、アントニヌス・ピウスにいたってはほとんど手がかりがないらしく二十数ページしかあてられていない。この3皇帝の在位年数はいずれも20年前後であったのに少々アンバランスな配分にならざるを得なかった。
トライアヌスは敵対するダキアを打ち負かしその地域の先住民を完全に追い出した。今で言うルーマニアのあたりだ。この時代からこの国の名前通りローマ人の支配地域になった。トライアヌスはまた帝国全土のインフラにも力を注いだ。
ハドリアヌスはトライアヌスの後を継ぎ帝国全土の再構築を行った。ユダヤ問題に決着をつけ、その結果ユダヤはそれ以来放浪の民となった。
アントニヌス・ピウスは人格者ということになっている。何一つ実績は残っていないが無能というわけではもちろんなかったらしい。帝国にとっての「急務」がもはやなかったのだろう。そう考えるとアントニヌス・ピウスの時代がローマ帝国の歴史の頂点だったのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
既製を無くし新しいシステムを作ろうとするとき。その方法を歴史から学ぶことが出来る。紀元前1世紀のローマ。カエサルは元老院体制の無力化を憂い、それを変えることを試みる。一人の力では難儀があるため、他の有力者ポンペイウス・クラッススを巻き込み三頭政治を構築する。カエサルがその実現に際し心を砕いたものが、私益(カエサルの利益)だけでなく、他益(ポンペイウス・クラッススの利益)、公益(もはや弱体化・無力化した元老院体制問題の解決が進まない)。私益ばかり強調してオジャンに終わることが散見される現代にも、大きな示唆を与えてくれる。