国策企業としての満鉄
2019/09/22 00:26
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
国策企業としての満鉄の活動と、調査部の役割について記した本。著者は外にも満鉄について多くの本を記しており、とても勉強になった。
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◾︎2016/01/11読了。
◾︎あらすじ
・満鉄は日本の財力では賄えず、日英同盟のよしみで、ロンドンで募集された外債でイギリスのサポートがあって誕生が可能だった。
・満鉄の初代総裁は後藤新平。後藤は岩手県水沢市出身。医師としてドイツ留学、帰国して内務省衛生局長になった。高野長英とは親戚筋。
◾︎コメント
満鉄調査部が後藤新平によって始まり、敗戦前に事件を起こして消滅するまでを客観的に淡々と語られている。優秀な人材が多かったこともあり、戦後も各界で活躍した人が多い。
本は薄くてすぐ読める。満鉄調査部を知りたい人には事実がわかって参考になる。
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自由で、軍部とも結びついていて、レフトウィングだったり、いろんな顔をもつでっかい組織。すべて租借する力不足で???感が残った。
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満鉄調査部という普通の人はなかなかな見ないけれども、実はとても重要だった組織。何が行われていたか分かるし、読みやすかった。
ただ欲を言えば、最後の補遺?みたいなところ、満鉄調査部の人や活動が戦後日本にどういう影響を与えたのか、あの部分をもっと膨らませてほしかった。
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南満洲鉄道、通称満鉄の調査部門に脚光を当てた本書。初代満鉄総裁後藤新平の肝煎りで始まり、その規模や調査の対象は変遷があるも、満洲事変や日中戦争を経て活動を拡大していく。自由な雰囲気もあったため、日本から左翼分子が渡ってくることも多く、1942年の関東軍憲兵隊による一斉検挙によって規模が大きく縮小し、ソ連の進行とともに活動を終える。
関東軍より先に設立されて格式も高かった満鉄調査部門が、関東軍の勢力拡大とともに国家目的に沿った形で活動をするようにらなるのは興味深かった。
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満鉄調査部
著:小林 英夫
講談社学術文庫 2290
アメリカにはそうそうたるシンクタンクがあるのに、なぜ日本には著名なシンクタンクがないのだろうとの疑問から、手に取ったのが、本書である。
国策を補佐し、国運を左右する人材を提供するのが、シンクタンクだとおもっていたが、まさに、
満鉄調査部は、日本初のシンクタンクであった
日露戦争が終結し、南満州の殖産興業を要とする、南満州鉄道が敷設されていく。
その第1代総裁に選出されたのが、後藤新平であった。
後藤新平は、台湾総督府にあって、台湾人との融和を図り、また、満州の植民地経営の要として、満鉄を率いて、さらに、関東大震災にあたっては、その復興のために、東京府の都市計画を立案し、その恩恵は今日にも及ぶ。
欧米列強、さらに中ソに対抗すべく、その前線に立ったのが、満鉄なのである。
満鉄調査部については、その誕生から、敗戦による終焉まで、大きく3つ期間に分けることができるとおもう
1906~1932 満鉄誕生から、満州事変まで
1932~1937 盧溝橋事件、日中戦争まで
1937~1945 敗戦まで
気になったのは、以下である。
1907 満鉄調査部発足 後藤新平は、満鉄のような大企業が、調査部を要するのは当然であるとした
・直後の任務は①経済調査、②旧慣調査、③ロシア調査の三班、全員は100名程度
・満蒙の一般産業調査が当初の目的であったが、調査地域がシベリア、ロシアに及び調査対象も広がっていく
1917 後藤新平が去った後、一部縮小されていた、満鉄調査部は、ロシア革命の結果生まれたソ連の情報収集の
必要にせまれていく。シベリア出兵の影響、北満研究が調査部に付加されていく
満鉄調査部はロシア、中央アジアから4000冊以上のロシア文献を入手し、ソ連研究の中枢となっていく
1919 原敬内閣主導で、満州に、関東軍が誕生する。満州を農業、鉱工業、および移民受け入れの地として整備が開始される。満州北東部から中朝国境への鉄道敷設計画、大連港湾整備計画などが計画されていく
満鉄の収益をささえてきた、大豆、石炭の輸出振興策、物産振興策などが打ち出されていく
1931 関東軍は満鉄の線路を爆破し、張学良の軍事拠点である奉天へ奇襲を行う
蒋介石の無抵抗施策の追い風もあり、戦線は拡大していく。日本政府の戦線不拡大の策も講ぜず、吉林を占領満州の主要都市は、関東軍が制圧する
1932 関東軍は、満州国建国を宣言、関東軍参謀である石原莞爾と、調査部のスペシャリストでロシア調査の宮崎正義との間柄で、満鉄は関東軍の重要な機関になるとともに、調査部は民生面の協力者としての協力関係が確立していく。
1933 満州国工業化をめざして5か年計画が開始、宮崎正義の奔走で、東京に、日満財政経済研究会が発足。
日本の国力調査と日米戦争に備える生産力拡充計画の開始である。
満鉄調査部はこうして、日本の政策レベルのシンクタンクの地位を築いていく
日本側の華北分離工作によって南京に首都をおいた蒋介石政権と関係が���化していく
1937 北京郊外の盧溝橋にて、日本軍に対して、銃弾が撃ち込まれて小競り合いが発生する。これが日中戦争の勃発である。
満鉄調査部が、盧溝橋事件の拡大について、寄与したのは間違いはない
同年満鉄は大再編があり、満鉄改組と、満州重工業開発(満業)の誕生である
つまり、陸軍及び関東軍は、中国との総力戦に対して、満鉄、満業は不可欠だったのだ
調査部の大幅な人員増強が行われる
しかし、この増強時に、思想的前歴者、転向者がふくまれていて、後の憲兵隊の摘発につながる
満鉄マルクス主義といわれ、講座派と、労農派に分かれる。
1941 憲兵隊は、満鉄社員を含めた一斉摘発を実施した、その中には、ゾルゲとつながっていた尾崎を含めた共産党員などもいて、満鉄調査部は、この大摘発にて、事実上活動を終焉、敗戦に至る。
1945.08.09 ソ連軍は、ソ満国境より満州へなだれ込んできた 08.18 満州国皇帝溥儀は退位、、ここに満州国は消滅した。
考えるに、満鉄調査部の事実上の解体は、ソ連の、ドイツと日本からの挟み撃ちによる侵攻を食い止めるための、謀略であったかもしれない。まさしく、日露戦争の敵を、満州で取ったのである。
目次
はじめに──「元祖シンクタンク」としての満鉄調査部
序 章 満鉄調査部の誕生
第一章 調査機関とロシア革命
第二章 国益と社益の間で
第三章 満鉄調査部と日中戦争
第四章 満鉄調査部事件の真相
第五章 それぞれの戦後
補 論 満鉄調査部と戦後の日本社会
主要参考文献
関連年表
あとがき
学術文庫版あとがき
ISBN:9784062922906
出版社:講談社
判型:文庫
ページ数:208ページ
定価:760円(本体)
発売日:2015年04月10日第1刷
発売日:2015年05月22日第2刷