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事故発生時、遺体の身元確認捜査の責任者が、自らの体験と胸が詰まるような取材で書き下ろした生命(いのち)の重さを問う鎮魂の書!
衝撃のベストセラー『墜落遺体』の著者が、さらなる極限の悲しみに渾身の力で迫る! 忘れまい。真実の証言。
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現場で事故の身元確認班長として身を粉にして働き、多くの関係者とも関わってきたからこそ書ける内容。決して流麗な文章というわけではなく、所どころ思いのたけを紙面にぶつけながら、行間ににじませながら、書けないことも多かったのでは、と思う所もあったが、この事故で犠牲になった命をないがしろにしないという、次代によりよい思いをつないでいきたいという姿勢はひしひしと感じられた。
それぞれの役目に忠実に、真摯な態度で取り組む人たちの、等身大の思いが伝わってくる。
当たり前のことだろうが、第五章「葬送のとき」の内容は今まで思い至ったことがなく、衝撃的だった。
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関わったすべての人に頭が上がらない行動量。日航はもっともっとできることがあるのではないかと、改めて思わされた。
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『三十年前、僕は存在さえしてなかった』
ブクログさんから、献本を頂戴致しました。ありがとうございました。また、通常こういった難しい題材の本を出される時は、プロに代筆を頼むことが多い中で、きちんとご自身の言葉で本書を書かれた作者様には敬服する思いです。直接的な言葉だからこそ、事件をありありと感じることが出来ました。ありがとうございました。
僕にはパスポートがある。これがあれば、いろんな国へだいたいフリーパスで入る事ができる。僕は沖縄へ行ったことがある。僕を世界へ南国へ運ぶのは、飛行機だ。
僕らは信じている。飛行機は落ちないと、だから逃げ場のない空へ身軽な気持ちで飛び立つことが出来る。旅の予定をわくわくしながら目的地へ向かう。もしくは旅の余韻に浸りながら待つべき人がいる街へ帰る。僕もそうだ。事故を予期しながら、わざわざ飛行機に乗る人はいない。しかし、飛行機は堕ちるのだ。なぜなら、この世の中には完璧だとか、絶対だとかは存在しないのだから。
空港には沢山の人が居る。皆違った両親を持ち、異なった毎日を過ごしてその日同じ場所を見知らぬ人と共有する。誰もが、同じ運命まで、共有するとは思わない。
飛行機事故と聞くと、マレーシア航空旅客機の消息と、墜落が記憶に新しい。ニュース以外の事はわからないが、本書を読むにあたって、航空会社の対応はやはり異例であるように感じた。僕にはJALに務めている知人はいないから、別に肩入れするわけではない。しかし、やはり比べるものでなくても、本書からJAL社員の誠意を感じたことを無視する事はできない。
本書は、愛する者を失った遺族、そして周りの人々にスポットを当てている。飛行機事故は今後も必ず起きる。起きて欲しくないけれど、所詮人が作った物。原因は気候のせいかもしれない、テロかもしれない。人為的なミスかもしれない。でもその時。どう失われた物と向き合うのか。加害者にも、被害者にも、僕らは常になる可能性がある。
どうやって、ただ苦しくて辛いだけになってしまった人生を生き延びるのか。もう二度と笑うことができなくなるような絶望のなかで、また笑顔を取り戻すことが出来るのか。ただ観ているだけ以外に僕たちはなにができるのか。本書は教えてくれる。人のそのままの言葉で。
取り返しのつかない事態の時、難しく正解を考えるよりも、今すぐできることをいいと思うことを素早くできる事が、一番大事なんだと思った。相手の気持ちに寄り添うことも大切だと感じる。
本書の内容にはあまり関係ないが、最後のページのあっさりとした終わり方。嫌いではない。通常だと、話を掘り返しながらまとめたりするものだと思う。すこしもまとまってない終わりに好感がもてた。
本書の帯には風化させてはならないとある。忘れられる権利なるものがはびこる世界で、忘れられる事も時として重要になる。世界はどうだろうか?
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「墜落遺体」を読了して、いつか本書を読みたいと思っていた。
日航123便墜落事故から15年後の関係者へのインタビューは、遺族のダメージと褪せない記憶と立ち直る力、捜索救助に携わった消防団員や自衛隊員達の任務とは別の責務に駆られた努力と苦労、近隣の食堂から病院のレントゲン技師に葬儀屋に至る見えない貢献と、事件の影響の大きさ、人の強さと人をいたわる優しさを感じるばかりでなく、将来の大事故にいかに備えるべきかを示唆する様に感じる。
本書中、日航職員(と勘違いされた関係者)が遺族に詰め寄られ殴られた場面が何度か描かれている。
事故原因は機体修理のミスにあり日航に大きな落ち度はなかったこともあるが、遺族の詰問や暴力に反論することなく耐え忍んだ方々の思いが慮られ、なんと立派であったことだろうと感じた。
日航123便では、墜落現場を特定するのに多くの時間を要し、さらに生存者を搬出するにも手間取った。
地上を監視する人工衛星や暗視機能を持つカメラを備えた自衛隊機、瞬時に情報を共有できるネットワークが整った現在だが、大事故に備える体制はどの程度整ったのだろうか。
事故から30年が経った現在。関係者へのインタビューはとても難しくなっているとは思うが、貴重な記録として続刊を刊行していただけないかと感じた。
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日航機123便事故関係の本はこれまで何冊も読んできた。興味、関心というような本位によるものではなく、どうしても頭から離れないからだ。
自分がせめてできることを考えてみる。こうした痛ましい事故があったことを忘れないこと、そして航空機事故に限らず、安心・安全を一市民として考え続けること。
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読んだのはこの本ではない。
河出書房新社から2017年7月30日に出版され、同年9月22日に第6刷が発行されている「日航123便 墜落の新事実」(青山透子著)という本なのだが、いくら検索しても出て来ない。
内容が内容だけに、まさか消されたのでは…。
自衛隊によるミサイルが墜落の原因と読み取れなくもない事実に衝撃を受けてしまった。
公務員は誰のためにいるのか、政治は何を目的として行うのか、会社経営はどうあるべきなのか…。
自分の置かれた立場の都合で、嘘を語ることは当たり前だ、と勘違いしていないだろうか。嘘は、嘘をつかれた相手を一生傷つけるものだ。そして嘘をついた側にも一生、胸にしこりが残ろものである。それを解決する方法は、嘘をついた人による心からの謝罪以外にない。
私たちは未来のためにも、それぞれの道でプロとして考えなおす時がきている。
最後の頁に書かれた言葉が重たい。
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日航機123号便墜落事件。取り上げられているのは犠牲者の遺族や第一発見者となった上野村の人。警察官や自衛官。身元確認に立ち会った看護士や医師たちです。壮絶な内容にページをめくる手が何度も止まりました。
この本は『沈まぬ太陽』の内容を補完するために『墜落遺体』と同時に読んでいました。日航機123号便が墜落し、520人もの命が一瞬にして消えたその日から時間が止まってしまった遺族や、お互いの思いがすれ違って、離婚してしまった犠牲者の両親。
残された人間の深い悲しみや想いが事件がいまだに風化されないものなのだということをいまさらながらにして知らされるようでした。この事故の真相は、いまだに明らかにされていない部分があるのですが、『人災』であったのではないかというのが作者の見解だそうです。
そ現場に入った自衛隊員の証言が非常に生々しく、そのあまりのむごたらしさから、戦場そのものだったという言葉が、印象に残っています。
遺体の身元確認をしていた医師や看護士たちの証言も壮絶で、当時はDNA鑑定などがまだなかった時代だから、死臭と腐臭と線香のにおいがない交ぜになった体育館で汗まみれになって処置に当たっていたそうです。
そして、遺体を管理する葬儀屋の仁義なき戦いやマニュアルのない対応をしなければならなかったという極限状態。そこで見えてくる善と悪。美と醜のコントラストが人間の業の深さを感じさせました。
あの事件から四半世紀が過ぎましたが、決して忘れることのできない記録として、一読していただければ、これに勝る喜びはありません。
※追記
本書は2015年7月25日、講談社より『新装版 墜落現場 遺された人たち 御巣鷹山、日航機123便の真実 (講談社+アルファ文庫 G 55-4)』として新装版で刊行されました。