司馬遼太郎氏の最後の長編小説です!
2020/07/29 09:09
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、『竜馬がゆく』、『燃えよ剣』、『国盗り物語』、『坂の上の雲』といった話題作を次々に発表された昭和期の小説家であり、ノンフィクション作家、評論家でもあった司馬遼太郎氏の作品です。中公文庫からは上下2巻シリーズで刊行されており、同巻はその下巻です。内容は、何故か九州平戸島に漂着した韃靼の公主(姫)を送るため、平戸藩(松浦家)に仕える桂庄助は、朝鮮半島を経て大明帝国と戦っている謎多きその故国(後金、のちの清朝)へと赴いていきます。数奇な2人の愛の行方を軸に、「17世紀の歴史が裂けてゆく時期」に、東アジア世界の陸海に展開される雄大な長編ロマンとなっています。実は、この作品は司馬氏最後の長編小説となったものです。ぜひ、この機会にお読みください。
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
中国の明時代から清へと移行するこの時代を何故描いたのかは巻末のあとがきにかえてに記してある。著者が蒙古地域に興味があることは有名であるがこの小説が最後の長編となってしまった。それだけに感慨深いものもある。
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女真人アビラと共に大陸に渡った平戸武士の桂庄助の生涯を描くことで女真人・中国人(当時は明)・朝鮮人・ひいてはそれと比較した日本人の性格を映し出した物語。
庄助は女真人の軍に加わることで、人口わずか50~60万人の女真人が数億の人口を擁する明をいかに倒していくのかをその眼で直に目の当たりにする。さらに、ヌルハチ・ホンタイジ・李自成・呉三桂・鄭成功といった世界史でも耳にする人物と交わることで彼らの性格・行動・苦悩までもが分かりやすく描かれている。
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清=辮髪
そして、朝鮮は清に対してよからぬ印象を抱いている
というのが
韓国歴史ドラマファンにとって周知の事実だったのですが
この小説を読むことによって
その背景をあらためて知った思いがしました。
日本人よ、中国のことをもっと知るべきである!
と、この小説を読むことをすすめたい。
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19世紀の中央アジアの話なんて、司馬じゃないと書けないな。 相変わらず小説としての体裁はまるでなってないが、 素材の新しさで読ませる。 後半、明の話になってから少々物語が停滞するのが難。
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ツングース族が清国を打ち立てるまでには、明の内部崩壊があったということ。粘り強く建国に持って行ったということか。しかし、鎖国後には帰国もままならない日本人が多数いたと思うと痛ましい。しかし、人間の人生というのは分からないもので、桂庄助も自分で選んだ人生ではないのだろう。女性の方が強いか。
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清朝成立時の話。筆者の韃靼人への温かい眼差しが感じられる。架空の主人公桂庄助の眼を通した文化、文明がよくわかる。12.4.8
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『平戸の人桂庄助の形影にしたがいつつ、韃靼国へゆき、ついには...』司馬遼太郎氏が、あとがきに書いています。作中人物への作者の乗り移り度は氏の作品中でも1,2ではないでしょうか。私も本当に旅させてもらいました。17世紀の平戸、遼東、モンゴル、蘇州、杭州、そして北京へと。大中国史の中で、明から清への大政転を確かにその場にいて体験してしまった感があるのです。政権が非漢民族に渡ることの意味についても、初めて納得の行く形で考えられました。
女真、満洲、満韃子、東韃。ツングース系のひとびと。アルタイ語。膠着語、辮髪。文化と文明。
庄助が手探りで学んで行く一言一言の解釈に、司馬氏のモンゴル語学科卒ゆえの、真骨頂があります。
実際に遼寧省瀋陽は数回仕事で訪ねています。訪問前に読んでおけば良かったと後悔する、中途半端な現地観察の記憶があります。
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非常に素敵。
わくわくして読めた。が、予備知識がなく読むと大変なのかもしれないと頭をよぎる。司馬遼太郎100冊読むとわくわくして読めます。
特に呉三桂が門を開けろと言った瞬間と
清軍が横から突撃する描写。
よかった。
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陳舜臣『小説十八史略』1巻は中国中原に君臨した神々から秦の始皇帝が中国中原を領する、最終巻ではモンゴルが元と国名を改め宋を滅ぼし、中国を統一するまでを読み、続けて『チンギス・ハーンの一族』全4巻で元の隆盛から滅亡までを読破する。『韃靼疾風録』上下巻では満洲にて後金を称する蛮族が勃興し、遂には明国を滅ぼし清国を打ち立てる経緯を知る。内容は平戸に漂着した満洲貴族のアビアを母国へ帰す使命をおびた平戸武士、庄助の生涯の記録である・・・司馬遼太郎本の中でも推薦の本書である。
追記:清国末期は浅田次郎『蒼穹の昴』『中原の虹』と読んだが、抜けているのは元滅亡からはじまる明国時代について小説はあるのか探してみよう。
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日本史はおおよそ分かってきたので、教科書をみて「ネタバレだ!」と思うことはなくなってきた。しかし中国史は、基本のキも覚えてないので、wiki見て「この人たち明を倒して清たてるやん!?」とビックリするようなことになる。間に順があったなんて全然記憶にない。
この物語では、引かれ合う男女が長らくプラトニックでいるのが、司馬遼太郎さんにしては珍しく感じられた(笑)浮気もしないし。女主人と仕える男性のカップル好き。
いまの中国の人たちには、満州と漢の民族意識はあるんだろうか?気になる。
司馬遼太郎さんを読み終えたら、陳瞬臣さんや宮城谷さんを読みたい。
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平戸藩松浦家の軽輩・桂庄助は、領地内の島に漂着した女真人の娘・アビアを祖国まで送る命を受けます。
遥か韃靼の地で、庄助らは、歴史の大転換に巻き込まれていきます。
様々民族の文化や、気質の違いも興味深く描かれ、何といっても話のスケールが大きくて、わくわくします。
こういう話を書ける司馬さんって、凄い方なのだなぁと改めて思わせる作品です。
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上巻で主役となっていた庄助が、この下巻では歴史の一点景の様に後方に退き、恰も歴史そのものが主人公の様相を呈する。
著者の巧まざる手練手管に、歴史は華々しく躍動し、読者はその渦の中に放り込まれ、時代の空気を共に呼吸するかのよう。
教科書などでは、元―明―清と中国史を教わるが、実際は明と清との間に「順」という王朝が「三日天下」のように存在したことを、この作品で知った。
さらに、順王朝の崩壊には、明の武将の帰趨がキーポイントとなり、その動機が女だったとは。
歴史の「おかしみ」に思いを新たにしたこともこの作品の効用?
それにしても、このころの中国民族(漢人、女真人など)の何と美しく、なごやかなものだったことか(著者特有の小説上の美化かもしれないが)。
そして、現代の中国・中国人に目を転じるに、その頑迷固陋さ、礼節の衰退に今昔の感が一層強まる。民族に成長・進歩という概念があるとすれば、どう表現しよう。
あるいは、これも毛沢東の功罪の一方、罪の一典型かもしれない。
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長かった。
壮大な物語でした。
基本的に1つの民族で構成される日本に住んでいる僕には、王朝が変わり支配する民族が変わるというのは今1つ体感できません。
日本では、想像が出来ないくらいスケールな大きな話で、じっくり読んでしまいました。
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久しぶりに読み返してみました。
素朴な女真族が大明帝国との争いを繰り広げながら、太祖ヌルハチ、大宗ホンタイジの突然の死去で、このまま萎んでいくかと思いきや、李自成による明帝国の滅亡から、美女陳円円を李自成に奪われた恨みで、山海関を開けてしまった一瞬のタイミングを捉えて、次々と明晰な手をうっていく若き睿親王ドルゴンの智謀は実に爽快です。
それにしても、あの時、山海関が開かなかったら、「清」という大国は存在しなかったわけで、ということは、その大領土を相続した、今の中華人民共和国も無かったわけで、誠に歴史の偶然の不思議でありますな。