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やっと言える
ホンネの国防。
「安保」の現実。
国防と世界秩序の維持をめざす「新しい9条」をつくろう!
国際紛争の現場で武装解除に携わってきた"紛争解決人"が、
安保関連法成立後の日本の国防の在り方を提言。
さらに、自衛隊の根本的な法的地位と「新しい9条」づくりを国民に問う。
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非対称戦とは、国と国同士ではない戦争のことです。敵はテロリスト。誰かにこのレッテルを貼れば、その人間の「人権」を気にせずに殺害できる便利な言葉になりましたので、気を就けて使わなければなりまsねん。ここでは僕は「テロリスト」と言わず、古典的な「反乱者」を使います。(p.89)
「沖縄というのは、他の地域よりとても複雑な場所なんじゃないかな。コソボのNGOで働いていたとき、日本から来ていた学生が、俺は日本人じゃない、沖縄人だってよく言っていたんです。酔っ払ったときだけですけど。旧ユーゴスラビアでも、自分たちをユーゴスラビア人とは言わず、セルビア人とかクロアチア人とか言ったりする。たぶん、人は、平和なときは自分のアイデンティティなどあまり考えない。でも、何かの問題が起こって、それが長く続くようになると、アイデンティティへの意識を強めるようになる。基地の問題が沖縄のアイデンティティをさらに強くしているのかなと思いました。最近、琉球という言葉がまたよく使われるようになっているのも、その表れじゃないでしょうか」(20歳の時ユーゴスラビア紛争を経験した留学生、pp.100-101)
アメリカなどは国として統一したものはなく、平和というより人権や民主主義であったりします。中国は、ズバリ「愛国」です。そこに日本が悪役で登場します。ロシアはナチスから勝ち取ったもの。インドネシアやインド、南アフリカでも、先人の血と汗で勝ち取ったこの国という形で自覚されています。そして、それらを守っていくにはどうしたらいいのか、というような視点で「平和」を考えてきました。
一方、日本は違います。日本の「平和」はちょっと特殊なのです。一部の人にとっては、ヒロシマ・ナガサキであり、第二次世界大戦で犯した罪の数々の継承でありますが、平和というものは、何か予めそこにあって、そこにいくようにみんなで努力しましょう。こんなイメージなのです。(pp.102-103)
PKOでも、グローバル・テロリズムでも、「非対称戦」の戦場が民衆の日常生活の場であることは共通しています。こういう戦場で、“1発”撃たれた時の恐怖が想像できるでしょうか?その1発が、どこから飛んできたのかわからない。日常生活を営んでいるまわりの大勢の民衆の目だけがこちらを向いている。経験の不十分な兵士であれば、この恐怖に耐えきれず、やみくもに100発返してしまうでしょう。(pp.189-190)
争いを生む源は資源であり、資源の大量消費を可能にするのがグローバル経済です。国内で完結していれば、構造の犠牲となる下層は容易に可視化でき、福祉政策などのセーフティネットも整備されるのでしょうが、グローバル経済下のそれは可視化するには遠すぎるのです。
可視化されなければ、構造的な問題を是正しようとする動機は生まれません。そうして、グローバル経済は搾取に搾取を重ねていきます。(p.233)
「相手を知らなければ知らないほど、恐怖心が高まり、相手を怪物のように思ってしまう。そうすると防御への渇望がどんどんエスカレートしてしまう。相手を知ることは大切です。それが、ちょっと気にくわない奴でも、です」(p.250)
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1章戦争が起こるメカニズムより
「ナイラの証言」
湾岸戦争の開戦ムードを高めた証言は嘘っぱち。
フセインの蛮行をアピールする広報キャンペーンの戦略。
など戦争や国防に関することについていろいろ考えさせれた。感情的に戦争反対と言っているだけでは、論破される。