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「右」「左」は終わってない
2007/01/10 19:44
15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:相如 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この10数年のあいだ、「現代の政治は右と左の対立図式ではもはや理解できない」という言葉を何度聞いたことだろう。私はこうした、一見もっともらしい物言いにずっと違和感を抱いてきた。実際、このような物言いをする人自身が、「右派」「左派」「保守」「進歩」といった概念を平然と使って、相手方を批判的に言及することがあるのである。
考えてみれば、今から思うほど冷戦時代は「右」と「左」は激しく対立していなかったと言うこともできる。「右」として分類される福田恒存や林健太郎にしても、「左」の知識人と盛んに論争を行なっていたし、林房雄の「大東亜戦争肯定論」のような「極右」的な議論でも、「左」派の知識人がそれを批判すべく応戦し、雑誌で座談会なども積極的に行なっていた。ところが今は、「右」と「左」がまともなコミュニケーションもなく、お互いを無視・軽蔑してばかりいる。本来なら、『国民の歴史』を書いた西尾幹二と『民主と愛国』を書いた小熊英二の間で、論争なり意見交換なりがなければならない。しかし私の記憶の限り、両者はお互いに見当違いとしか言いようのない批判を、相手に届かないような媒体に少し書いただけで終わってしまっている。他も同様で、教科書問題、靖国問題、ジェンダー・フリー問題などでも、どうしてここまでというくらい見事なまでに「右」「左」にわかれ、相手の声の届かないところでしか批判が行なわれていない。こうしてネット上で顕著なように、「ウヨク」「サヨク」呼ばわりのレッテルが、冷戦時代以上にかえって横行しているという皮肉な現象が起こっている。
このような不満が鬱積したところだったので、浅羽氏がこのような本を書いてくれたことは個人的に非常にタイムリーだった。ネット上で批判が出ているように、この本は「右翼」「左翼」という概念自体の歴史的な系譜が厳密かつ丁寧に分析されているわけでもなく、濃い内容を期待すると少々薄っぺらな印象は否めない。しかし繰り返すように、今までの学者たちは「右」「左」の分類図式を「もう意味がない」と言い放って、この問題に取り組むことを避け続けてきた。これに対して浅羽氏は、「それはまだ意義を失っていない」という(考えてみれば当たり前の)現実をなんとか手繰り始めたばかりなのであるから、分析の深さが足りないとしてもそれは当然であろう。
ただその上で二つの点を批判しておきたい。第一には、「右」「左」は説明される概念であるはずが、著者自身が「右」「左」という概念で既存の言説を分類してしまっているところがある点である。著者自身が「右」「左」を感覚的に使っているところがあり、もっと具体的に「右」「左」と名指される局面にこだわれば、より本の内容に厚みが増したのではないかと思う。
第二には、いわゆる「右傾化」と呼ばれる現象を気分的で現実依存的なものに過ぎないと解釈しているが、「右傾化」において「左」に向けられるルサンチマンの強さついても、やはり言及が必要である。しばしば指摘されるように、「右傾化」と呼ばれる現象には「良識的」な「自由」「平等」「平和」を主張する「大学教授」や大手マスコミといった「既成勢力」への嫌悪という側面があり、これが特に「小泉改革」以降強まっているからである。
浅羽氏も昨今の「平和主義」者たちを、「本当にこれでいいのかと叫びつつおろろするばり」で「自分たちの正義、理念を、とうに刷新しておくべき努力を怠け続けた」と批判している。「右傾化」への批判そのものは多く、また必要なことではあるが、「右」に真正面から向き合わず、それを忌むべき社会的な病理であるかのように遠巻きにしてグチグチと批判するだけであれば、「右傾化」を一層推し進めることになるだろう。
社会の安定は右と左の相違を解消できるか。
2010/05/30 11:23
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦記物を読んだり、軍事上の抑止力について議論をしているとき、戦争反対を唱える人からは「右翼」と、迷惑な尊称をいただく。そういう意見を持つあなたは「左翼」ですか、と尋ねると、違うという返答。あんな、内ゲバで仲間を虐殺するようなマネはしません。第一、戦争反対だから、と言う。
はたして、右翼となんぞや、左翼とはなんぞや、と頭を巡ると、明解な回答を持ち得ていない事に気づく。右翼の源流には玄洋社の頭山満、左翼の源流には中江兆民がいるが、水と油の関係と思える両者は実のところ大の仲良しで、共に青山霊園に眠っている。酒を好まない頭山満だが、飲んだくれの中江兆民の酔言には拒むことなく付き合う仲だった。どころか、臨終の床を見舞った頭山満に対して中江兆民は「伊藤、山縣ダメ。後は頼む」と枕元の黒板に記して遺言にしている。
無政府主義者の大杉栄にカネを渡したのは当時内相であった後藤新平だが、その後藤新平に大杉栄を繋いだのは杉山茂丸、頭山満だった。大杉栄の内縁の妻であった伊藤野枝と頭山満は遠い親戚関係であったといわれている。
後藤新平と親しい杉山茂丸の息子は作家の夢野久作だが、その夢野久作の秘書を長年務めたのは共産党員で逮捕歴もある紫村一重だった。「極めれば、右も左も紙一重」、対極にあるもの同士が意外に近しい関係にあることは昔からいわれてきたことである。
本書は右翼と左翼の発生の歴史を図式も交えながらわかりやすく解説しているが、「あとがき」にもあるように、右翼と左翼について研究途上とある。
右翼と呼ばれた人々、左翼と呼ばれた人々の関係を見て行きながら本書をなぞっていくと、「右翼」だとか「左翼」だとか呼称される双方が敵対する形で相互に利益を誘導していたのが戦後の「ウヨク」と「サヨク」の関係だったのではと思える。
著者は「宗教」と「民族」というカテゴリーでも右翼と左翼の関係を論じているが、ここまできたなら、人間という生物学の観点からも右翼と左翼を検証してもおもしろいのではと思った。力の持つリーダーが群れを率い、種を保存し、弱者はそれに従うが、他の種族には滅ぼされかねない関係にある。ときに、群れの中からリーダーのスキを狙って反抗し対抗勢力を築く仲間がいるなど。
右、左と思想区分が困難になってきたということは、日本の環境が安定してきたという証拠になるが、はたして、社会の安定は右と左の融和にまで至るのだろうか。