一茶の自伝にも思える。
2021/11/02 11:10
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
田辺聖子の歴史ものというと、清少納言のことを書いた「むかしあけぼの」その他少々という程度であった。本書を読んで圧倒されてしまった。小林一茶の残した膨大な書面をもとに作り上げられた話なので、一茶自身が語っているような錯覚にとらわれるほど迫真の筆致である。文中に散りばめられている多数の俳句が、これまた非常に効果的である。平安の昔、物語は和歌を主題とした「歌物語」であったが、この作品は「俳句物語」としての面も持っている。作者田辺聖子は先日お亡くなりになったが、改めてその力量に感銘を受けた。
優しい眼差しで書かれた一茶像
2023/11/30 11:41
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投稿者:a - この投稿者のレビュー一覧を見る
まるで江戸落語を読んでいるように滑らかで、一茶や関わる俳諧人たちが人情味たっぷりに描き出されていて、感情移入してしまいました。
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おもしろうて、やがてかなしき‥‥ -2005.07.20記
これまでそれほど興味を示さなかったことに、ひょんなことからどうしても知りたくなったり、強い関心が惹き起こされる場合がときにあるものだ。
ひとつきほど前か、「これがまあ終の栖か雪五尺」と詠んだごとく、五十路になってから、義母や義弟とさんざ遺産相続で争った挙句、江戸から故郷信濃の生家に移り住んだ一茶の晩年が、近在から若い妻女を娶り「おらが春」をめでたくもたのしく謳歌したものとばかり思っていたら、老いらくの身にせっかく授かった四人の子どもを次から次へとはかなくも早世させ、おまけに妻女にも先立たれ、さらに二度、三度と後添いとの暮しに執しつづけ、六十五歳をかぞえてなお三度目の妻女にはからずも宿った子どもの誕生を待たずにコロリと往生した、というなんともいいがたい宿業にまみれにまみれたその生涯に、どうしても触れてみたくなったのである。
そこで、何を読むべきか少しばかり探索してみて、田辺聖子の「ひねくれ一茶」を選んだのだが、これはこれで正解だったようだとは読後の第一感。文庫本で640頁の長編だが、よく書けた手練れの一茶物だといえるだろう。
竹西寛子が書評にて「絶妙に配置されている一茶の句は、配置そのものが著者の鑑賞眼を示していて、それはすでに創作の次元にまで高まっていた鑑賞だということがよく分る。」というように、全22章の至るところに一茶の句が散りばめられて、その壮年から晩年へと、俳諧宗匠として立つべく江戸での千辛万苦の奮闘ぶりから、義母や義弟との相続争いを経て、不幸つづきとはいえ故郷信濃にやっと落ち着きを得た一茶晩年の暮らしぶりに、風狂に徹した反骨精神の凄まじいまでの生きざまが、決して重苦しくなることなく描き出されていて、一気呵成に読み継がせてくれる。
生涯に2万余句を残した一茶とは、まさに、吐く息、吸う息のごとくに句が生まれ出た、というにふさわしかろう。
漢籍の教養をもたぬ田舎者、無学の一茶が、当時の江戸において俳諧宗匠として立机するのはやはりどうしても無理があったのだろう。いやそれよりは己に正直すぎた由縁か、月並みの点取り俳句にその身をおもねることもできる筈もなかったろうに。
名月や江戸のやつらが何知って
江戸の奴らが何知って、とはよくぞ言い切った。信濃の山猿なればこその吟懐がある、風流があるの心意気。
葛飾や雪隠の中も春の蝶
余人の真似手のない見事な赤裸の心は嘗てありえなかった俳諧の美を際立たせる。
擂粉木(すりこぎ)で蝿を追ひけりとろろ汁
当意即妙の吟にも材の付合いに一茶の真骨頂があるとみえる。
江戸の水飲みおほせてや かへる雁
江戸の水、江戸のなんたるか、40年にわたる江戸生活のすべてを飲みおおせて、故郷へいざ還りなむとす。
以下、寸鉄の如く心に響いた句をいくつか挙げておく。
古郷や近よる人を切る芒
天に雲雀 人間海にあそぶ日ぞ
死にこじれ死にこじれつつ寒さかな
五十婿 天窓(あたま)をかくす扇かな
這へ笑へ二ツになるぞ今朝からは
死に下手とそしらばそしれ夕炬燵
花の世に無官の狐鳴きにけり
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1995年初版なのに、今風に入ってくるので、読みやすかったです。
「お話句集」みたいな感じで、読み進められて、気がついたら、私も日々を五七五にして俳人気分でした。
群馬もでてきたし、小林一茶が身近になりました。
面白かったです。
学生時代、もっとよく勉強したり、修学旅行も身をいれとけばよかったなぁ〜。
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大川桜◆江戸のやつら◆江戸の浅葱空◆僧正の蝿◆蚊帳の小すみ◆母の海◆白露の墓◆露の中にて◆生れ在所の草の花◆信濃の雪◆爪の先◆取極一札のこと◆天に雲雀◆空の青さに守谷まで◆終の栖◆五十聟◆信濃の野菊◆おらが春◆駕籠酒◆本他力◆糸瓜つる◆無官の狐
吉川英治文学賞
著者:田辺聖子(1928-2019、大阪市、小説家)
解説:五木寛之(1932ー、福岡県、小説家)
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小林一茶の壮年期から晩年を描いた田辺聖子の力作。
壮年期との一茶と言えば、江戸俳壇で頭角を表し、上総・ 下総で
支援者を集めたころだが、次の飛躍のためにも経済的な基盤を
必要とした。彼には当てがあった。
亡父の遺産の半分は彼のものという遺書もある。
所が事は簡単には運ばない。
やっと一茶が遺産を相続したとき、彼の江戸俳壇での場はなかった。
信濃、我が故郷、信濃こそと根を下ろす決意し50婿として妻を迎える。
<我が菊や なりにもふりにもかまわずに>
伸びやかで飾り気のない妻・菊を得て、子宝にも恵まれた。
やっと得た穏やかな幸せの時、それも長くは続かなかった。
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雀や蛙のような小さな生き物を詠んだ親しみやすい俳句で知られる一方、親の遺産をめぐって争ったことや、「七つ下がりの雨は止まない」を地で行くようなヒヒ爺いぶりについてのエピソードで有名な小林一茶を主人公にした物語です。
一茶の人間くささが田辺聖子の筆によって生き生きと描き出されていて、おもしろく読めます。それでいて、「亡き母や海見るたびに見るたびに」や「小言いふ相手のほしや秋の暮」のような句が不意討ちにように出てきて、涙を誘われます。「ねんぴかんのん、ねんぴかんのん、とうじんだんだんね」のリフレインがこだまします。
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優しく語られる俳人、小林一茶の生涯。作中にも沢山俳句が出てくるけど、ひとりで20,000首も作ってるらしく圧巻。
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「ひねくれ一茶」田辺聖子著、講談社文庫、1995.09.15
652p ¥900 C0193 (2023.12.18読了)(2018.07.11購入)(2013.12.20/14刷)
下記の二冊を読んだついでにこの本も読んでしまうことにしました。
「一茶」藤沢周平著、文春文庫、1981.12.25
「小林一茶」青木美智男著、岩波新書、2013.09.20
650頁もあるので、この機会を逃すと、読む機会は巡ってこないかもしれません。
藤沢周平著「一茶」は、一茶の人生をほぼまんべんなく書いておりますが、田辺さんの一茶は、41歳から64歳で亡くなるまでが書かれています。
一茶は、俳諧師として活動を始めた30過ぎからの日記を残しているそうなので、物語としては、ネタがたくさんあるのではないでしょうか。従って、藤沢周平、田辺聖子の他にも多くの作家が作品を残しているようです。
史料は同じでも、作家の想像力は人それぞれですので、解釈の仕方は様々のようです。
【目次】
大川桜
江戸のやつら
江戸の浅葱空
僧正の蠅
蚊帳の小すみ
母の海
白露の墓
露の中にて
生まれ在所の草の花
信濃の雪
爪の先
取極め一札のこと
天に雲雀
空の青さに守谷まで
終の栖
五十聟
信濃の野菊
おらが春
駕籠酒
本他力
糸瓜つる
無官の狐
解説 五木寛之
●俳諧(217頁)
いかなる雑排狂俳でも自分の心の声を五七五にまとめるにゃ、七転八倒の苦しみをする、だからこそ、雑排狂俳でも人の心を打ち、人の頤を解くってもんだ、まして俳諧というのは人の心を清め、高めるもんだ、五七五で森羅万象を詠んで、しかも浄化して和らげるもの、だからこそ、俳句の一句にみなみな、のたうちまわって苦しむんだ、
●画狂人北斎(309頁)
「北斎さんだよ、この御仁。甘いもんと引っ越しが大好きな人さ。引っ越しはともかく、酒煙草が嫌いで甘いもんに目がない、という、(後略)」
●一茶の句は残る(481頁)
「成美も蕉雨も道彦も消える。その名さえ忘れられる。だがお前(一茶)の名と句は残る。誰にもよくわかるからだ」
「最後にはよくわかる句が残る。しかも、いやなやつだねえ、世間、てのは。―よくわかる句のなかでも『うつくしき』てのが残るんだ。お前のはよくわかってうつくしいんだ―。鬼に金棒、仏に蓮華」
●下駄と草履を履き替えながら歩く(512頁)
<陽炎や手に下駄はいて善光寺>
春のたのしみは草履で土の上を歩くことなのだ。
ところが雪どけ道は汚れた雪汁で泥んこになっていて、草履では足もとが濡れてしまう、やむなく手に持った高下駄とはきかえる、泥道が尽き、また渇いた黒土になれば、いそいそと草履をはくのである。嬉しいことに善光寺町へ近づくにつれ、雪は消え、黒土が多くなり、北国人の心をおどらせるのである。
☆関連図書(既読)
「一茶」藤沢周平著、文春文庫、1981.12.25
「小林一茶」青木美智男著、岩波新書、2013.09.20
「おくのほそ道」松尾芭蕉著・板坂元訳、講談社文庫、1975.08.15
「芭蕉という修羅」嵐山光三郎著、新潮社、2017.04.25
「甘い関係」田辺聖子著、文芸春秋、1975.02.
「絵草紙源氏物語」田辺聖子著・岡田嘉夫絵、角川文庫、1984.01.10
「新源氏物語(上)」田辺聖子著、新潮文庫、1984.05.25
「新源氏物語(中)」田辺聖子著、新潮文庫、1984.05.25
「新源氏物語(下)」田辺聖子著、新潮文庫、1984.05.25
「新源氏物語 霧ふかき宇治の恋(上)」田辺聖子著、新潮文庫、1993.11.25
「新源氏物語 霧ふかき宇治の恋(下)」田辺聖子著、新潮文庫、1993.11.25
「春のめざめは紫の巻 新・私本源氏」田辺聖子著、実業之日本社、1983.05.25
「私本・源氏物語」田辺聖子著、文春文庫、1985.02.25
「恋のからたち垣の巻 異本源氏物語」田辺聖子著、集英社文庫、1990.06.25
「『源氏物語』の男たち」田辺聖子著、講談社文庫、1993.08.15
「むかし・あけぼの(上)」田辺聖子著、角川文庫、1986.06.25
「むかし・あけぼの(下)」田辺聖子著、角川文庫、1986.06.25
「竹取物語・伊勢物語」田辺聖子著、集英社文庫、1987.07.25
「おちくぼ姫」田辺聖子著、角川文庫、1990.05.25
「田辺聖子の小倉百人一首(上)」田辺聖子著・岡田嘉夫絵、角川文庫、1992.12.25
「田辺聖子の小倉百人一首(下)」田辺聖子著・岡田嘉夫絵、角川文庫、1992.12.25
(「BOOK」データベースより)amazon
江戸の荒奉公で苦労の末、好きな俳諧にうち込み、貧窮の行脚俳人として放浪した修業時代。辛酸の後に柏原に帰り、故郷の大地で独自の句境を確立した晩年。ひねくれと童心の屈折の中から生れた、わかりやすく自由な、美しい俳句。小林一茶の人間像を、愛着をこめて描き出した傑作長編小説。田辺文学の金字塔。
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歩く句集と言われ、花鳥風月だけでなく、すべてが句作の対象、小林一茶の生涯。芭蕉は尊ばれるが、好かれるのは一茶。田辺聖子 著「ひねくれ一茶」、1992.9刊行、1995.9文庫化。大作です。643頁。ほかの本と一緒に読みながらではありますが、読了に6日かかりました。折れそうな心を前に押していただいたのは、五木寛之さんの解説、「兜を脱いだ」の言葉でした。郷里、信濃の家と田畑を異母弟から半分せしめるための並々ならぬ頑張り、そして52歳で28歳の妻との結婚、孫を抱く年で若い女房を抱く幸せ・・・、人間一茶が凝縮された作品です。
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一茶は52歳で初めて妻(28歳)を娶り、つぎつぎと4人の子を成す。
「一晩に3回」などとメモに残しているらしい。
まさに「ぜつりん一茶」である。
だが、生まれた子はどれも早世し、そのうえ妻にも先立たれてしまう。
そういった背景を知ると、ただほのぼのとしているだけのように思っていた一茶の句が、実は哀切に満ちていることがわかる。
<雪とけて村一ぱいの子ども哉>
<親と子の三人連や帰る雁>
“いかな雑俳狂俳でも自分の心の声を五七五にまとめるにゃ、七転八倒の苦しみをする、だからこそ、雑俳狂俳でも人の心を打ち、人の頤(おとがい)を解くってもんだ、まして俳諧というのは人の心を清め、高めるもんだ、五七五で森羅万象を詠んで、しかも浄化して和らげるもの、だからこそ、俳句の一句にみなみな、のたうちまわって苦しむんだ”
彼の俳句を花や葉に喩えれば、一茶自身が幹や枝である。そして、その樹の根元には、農村の生活や文化と分かちがたく一体となった他力本願の教えがあると思う。
文化文政の頃の風俗がいきいきと活写されているのも楽しい。これもたいへん興味深く、自分自身が江戸時代に住んでいるかのような心持ちで読んだ。
大部の小説であるが、時間をかけても読み切るだけの価値はある。
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一茶の生涯は大体知っていましたが 俳句と共生々しい一茶の様子が描かれていて 田辺さんの想像力の凄さに感動しました。
読み始めたら なんて一茶さんたら ひねくれていて嫌な奴 しかも飲兵衛で無精者。
嫌なキャラでしたが 後半にはお仲間がどんどん先に逝き 寂しい一茶さんになり 嫁をもらったものの 子供との縁が無く お嫁さんも先に逝ってしまったり。
可哀想でした。
最後は良いお嫁さんに看取られて終われたのは救われますね。
それにしても 筆マメだったからこそ これだけの作品ができたのですよね。
一茶さん 凄いですね。