人生山あり谷あり
2020/12/13 11:59
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投稿者:こっこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公クヌルプの人生の物語です。物語の中で構成が分かれていて、構成ごとにクヌルプの状況が大きく異なるのが、人生のダイナミズムを感じさせます。読者は自らの人生を省みずにはいられないのではないでしょうか。最期の神との対話(あるいは自問自答でしょうか)もまた印象的でした。
自分らしく生きること。でも、自分らしくっていったい何?
2017/05/08 23:31
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たけぞう - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は探した。数社から出版されているが、題がクヌルプと
なっているのは新潮社だけ。
漂泊の魂クヌルプとか、望郷クヌルプとか余計な修飾語が
あっては雰囲気が出ない。何よりも中身の翻訳が同じものを
読みたかった。
著者紹介では、ヘッセは抒情詩人・小説家と紹介されている。
高校生の頃、車輪の下を読んだきりだ。
遠い過去のことで、初読の作家さんみたいになってしまった。
ああ、こういう作品を書くんだと素直に受け取った。
もし原文のドイツ語を読めたならと思った部分がある。
これくらいの小品にも関わらず、百年近くも読み継がれている
理由があるはずだ。
クヌルプが自作の歌を口ずさむシーンが何度かある。
翻訳のために、どうしても文章がすっ飛んだ感じがする。
これは言語の違いによるものなので、どうしようもない。
それ以外にも、例えば最初に登場する白皮なめし匠の
ロートワースのことを、皮なめし匠・友だち・親方と
くるくると呼び方を替える。
これは何かの韻を踏んでいるんじゃないかと思う。
逆にやけにくどい文章もある。
翻訳が古いせいかと思ったが、原文の洗練のためと考えると
あり得るかもしれないと思った。想像なのだが、きっと名文
だからこそいまだに生命力を放っているのだろう。
結局わたしはクヌルプを続けざまに二回読んでしまった。
確かにこれは何度も読める作品だと思うし、思索をめぐらす
ことのできる多面性を備えている。
深いなあというのが掛け値なしの評価だ。
副題は「クヌルプの生涯三つの物語」である。
「早春」「クヌルプの思い出」「最期」である。
若かりし頃、次に会った時、そして年が上がった時の
三つの時代である。
クヌルプは変わらない。
自由気ままに放浪し、友だちの家に泊まり、また次へと
渡り歩く。歌を歌って聞かせ、示唆のある話で惹きこみ、
ふわりとまとった気配で人々を魅了する。
そんなクヌルプを、喜んで受け入れる者、惚れ込む者、
愚痴を投げつける者、みんな思い思いに接するのである。
クヌルプはみんなの心に何かを残し、しかしすべてをさらけ
出すこと絶対にしない。
クヌルプは言う。
>「人間はめいめいの魂を持っている。それはほかの魂と
> まぜることはできない」
>「父親は子どもに鼻や目や知力をさえ遺伝としてわかつ
> ことができるが、魂はそうはできない。魂はすべての
> 人間の中に新しくできたものだ」
自分に忠実なのに、自己中心的ではない。これこそが人間力だ。
気位の高い野生の猫を思い浮かべた。
そして自分は誰に似ているのかと考え、自分のことばかり話す
シュローターベックのような気がして、度量の狭さに恥じ入って
しまった。
クヌルプにはなれないが、せめてあるがままに受け入れる、
ロートフースやマホルトのようになりたい。
次に読む時は、また違う面を見せてくれそうな気がする。
そんなさすらい人の物語だ。
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これも自己探求がテーマ。漂白の魂ってサブタイトルがついてます。自分の人生これでいいの?って疑問もつ人なら読むべし。
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現実を超えることを模索していた時期に出会ったので、忘れられない作品の一つ。ヘッセの後期作品は全てそうです。
最後にでてくる神さまとの対話がいい。
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クヌルプの自由な放浪生活と人柄に憧れます。
その代償も書かれていますが、どんな人生にも代償はあると思う。
個人的に好きな本。
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クヌルプと3つのエピソード。
終わり方がとってもまぶしい。雪が光をうけてキラキラ、目に浮かぶようだ。
生きやすいって、なんだろう。
「それで何もかもいいんだね?何もかもあるべきとおりなのだね?」
09.02.14 再読
すきだー。
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ヘッセの作品の中で一番好きで何度も再読しています。
幸福とは何か、読むたびに微妙に違う感想を持ちます。
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陽気な愛嬌者が、誰も知らない心の奥底に持つ孤独。ラストの美しさが際立ちます。なぜか毎年、夏が来ると読みたくなる。ヘッセの夏の描写は秀逸。
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どんな人生でも、そこには意味があり、自分にふさわしいものなのだ。ヘッセはそう言いたかったのではないか。
しかし晩年のクヌルプは、見ていて哀しい。クヌルプの人生は本当にこれでよかったのか?なにか釈然としない気持ちになった。
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傍から見てその問題がどうなのかではなく、彼にとってどんな出来事だったのか。それを経て、彼はどう生きてきたのか。苦味が時間を抱き込んで、いつかほのかな甘味すら呼び込む。彼は抱えるものと共に、まるでゆるやかな風だった。これはハッピーエンドだろうか。最期に安息を感じる。
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どこか散文詩的な性格を持った小説。
相変わらずヘッセは主人公に自分を投影させまくり。
作品自体が忠告をその内に秘めてるというか、一言で要約すれば「恋愛ごときで中退するのはやめとけ」ってことかね。
故郷の村をあてもなく彷徨う場面が好き。
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あらゆる能力に秀で、誰からも愛された少年クヌルプが失恋にうちひしがれ、才能を持て余すさすらいの人生を送る。『シッダールタ』にもつながる魂の救済の物語。
「きみは聖書に注文をつけすぎるよ。何が真実であるか、いったい人生ってものはどういうふうにできているか。そういうことはめいめい自分で考えだすほかはないんだ。本から学ぶことはできない。これがぼくの意見だ」(p33)
「だが、それをぼくひとりで楽しんだわけじゃない。たいていの場合、仲間か、若い娘か、子どもが居合わせて、それをおもしろがってくれ、ぼくによくお礼を言ったものだ。それでいいことにしよう。それで満足しよう」(p89)
引用は控えるが、最期の描写が美しい。とにかく美しい。
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二カ月ほど前、我が家に猫がやってきた。母が道端で鳴いていた黒い子猫を拾って来たのだ。その頃は目も開いておらず、当然餌も自力では食べられないため、注射器にミルクを入れて飲ませなければならなかった。時が経ち、日に日に成長した猫だったが、自分たち家族は彼のために様々な気を遣い、世話を焼かなければならなかった。その割に本人は飄々として自由気ままに過ごし、気の向いたままふらついて行く。呆れることもしばしばあったが、しかしそのぶん家族間の空気は和み、癒され、以前に比べて笑顔も増えた。すべて彼のおかげである。
さて、この話の主人公クヌルプは、まさにこの猫のような人間である。
自由気ままに放浪し、旅先の知り合いに世話を焼いてもらう。しかし、その憎めない性格ゆえに、訪ねる先々で倦厭されるどころか歓迎される。
ヘッセと言えば「車輪の下」「デミアン」など重苦しい作品が代表作としてあげられるが、本作はそうではない。作者お得意の自然の描写はやはり美しく、主人公はアウトサイダーの人間ではあるが、優しい童話のような雰囲気さえ感じられる作品だった。ただその核にある物は決して軽々しいものではない。やはりそこには前述したふたつの代表作に通じる真理があるのだ。
このことは訳者により巻末で詳しく述べられている。
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生活の芸術家、クヌルプの3の物語を描いた作品。「早春」「クヌルプの思いで」「最期」と題された思いでの中に、クヌルプという人間の豊かさが溢れている。
中でも好きな場面が、「最期」でクヌルプが故郷に帰り、その少年時代を懐古するところだ。少し抜粋したい。
「どの屋根にどのネコがいるか知らないことはなかった。どの庭でもその果実を食べてみなかったことはなかった。どの木でも、登ってみなかったのはなかった。そのこずえに緑色の夢の巣を彼が営まなかった木はなかった。この一片の世界は彼のものであり、このうえなく深い親密さでなじみ愛したものであった。ここでは低木の一つ一つ、庭の生がきの一つ一つが、彼にとって重大さを意味を歴史を持っていた。」(109p)
クヌルプは初恋が失敗しそれ以来、持っていた才能をただ旅を楽しむだけ、時折クヌルプが訪れる旧友を楽しませるだけに使った。非凡さを持ちながらしかしまともにはなれなかったクヌルプは、それでも最期の神との対話で救われた。彼らしく生きたのだの。
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2012年12月 03/96
なんとなく気になって読んでみた。多彩な才能を持ち、それを湯水のように使ったクヌルプの少年期、青年期、老年期を描いた物語。終わり方がとてもスキでした。
読んでる途中でなくして、見つかるまでに時間がかかったので改めて通して読み直したい。