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投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
刺激あふれる好著でした。
邪馬台国論争で、特に「近畿説」は無理やり都合良く解釈している(例えば、魏の人が南を東と聞き間違えたという暴論)イメージが強く、今まで「倭人伝」自体に興味が持てませんでした。
しかし本書は、はしがきにあるとおり、「邪馬台国がどこにあったのかとか卑弥呼とはどんな女王だったかだけに関心をもつ人には読んでほしくない。倭人伝が何を描こうとしているのかを、読み解く楽しさを共有してもらえる人のために書いた」とのことです。惹かれるものを感じ、一気に読みました。
確かに本書は、詭弁を弄することなく、倭人伝の内容を38回にわたり、その文脈に沿って素直に読み解いています。1回が4ページ程度に簡潔にまとめられているので大変読みやすく、また毎回初めて知る話ばかりで、新鮮な感動がありました。例えば、東夷伝の中で倭人伝が最も字数を費やしている(第2回)とか、弥生時代は農村ばかりではなく小都市もあった(第4回)とか、対馬や壱岐は中継貿易を盛んに行っていた(12回)とか、卑弥呼は自殺の疑いがある(第28回)とか・・・。
とにかく、倭人伝の楽しさを十分満喫することができました。特に、古代史初心者にはお薦めの本です。
漢字原文での紹介と81歳の著者の60年にわたる倭人伝にある土地を訪れた研究成果を織り交ぜ臨場感ある展開です
2019/10/23 10:16
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投稿者:多摩のおじさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
233年生まれの陳寿により書かれた「三国志」のひとつである「魏志」の東夷伝の最後で分量も最多の3世紀の日本を描く倭人伝「魏志倭人伝」に
関して、冒頭の「邪馬台国はどこにあったかどうかとか卑弥呼とはどんな女王だったかだけに関心をもつ人は・・・本書を読んで欲しくない。倭人伝が何を
描こうとしているかを、圧縮された文章の端々から読み解く楽しさを共にしてもらえる人たちのために書いたのである」のとおり、帯方郡から邪馬台国、
卑弥呼の死と台与、帯方郡からの張政について、漢字原文での紹介と81歳の著者の60年にわたる倭人伝にある土地を訪れた研究成果を織り交
ぜながらの展開には実に臨場感があり、読み手の好奇心を一層掻き立てるものとなっています。
特に、8世紀のヤマト政権時にも吉備真備が怡土(いと)城を築き、倭人伝に王がいたとし、倭人伝の中で最多の字数を占める伊都国として、糸島
市の弥生時代中期の三雲南小路王墓、同後期前半の井原鑓溝王墓、同後期末の平原王墓での弥生時代の銅鏡の110面程もの出土や、同
国が6~7行目と28~30行目の二か所の記述に対し、前段は魏が公孫氏滅ぼした後の帯方郡が得た知見、後段は公孫氏勢力下の帯方郡が
倭や韓を支配していた時期の情報によるとし、一大率と政治と外交の中心地、それに続く最初の旁国の斯馬国を糸島半島の古代の志麻郡の比定
には首肯させられました。(p.93-113)
よく問われる不弥国に続く対馬国、邪馬台国が鹿児島県より南方の海中となる点については、卑弥呼の死後に泰始4(266)年の台与が晋への
遣使の際に新しい情報がもたらされたとし、その起点を帯方郡とし、また戸数の記述がそれまでの「有○○余戸」から「可○○余戸」と推量の「可」に
なっていることもそれを裏付けているとの指摘(p.136-138,p.155-156)や、非業の死を意味する漢字原文の48行目の「以死」に着目し、「張政
等・・・難升米為檄告喩之卑弥呼以死」で、張政等が難升米に檄をつくり告喩し、その結果卑弥呼は死んだ」との指摘には、目から鱗でした。
(p.158-161)
一方で以下疑問も浮かびました。
・考古学界での北部九州勢力の東遷説と張政と関係を裏付けるられるか(p.157)
・漢字原文の最終1行前の「送政等還」を張政を送り返すとの解釈(p.156)だが、「張政」の明記はない
・卑弥呼の死後に女王となった台与に「政等以檄告喩台与」を張政等が台与に檄をつくり告喩(p.168)だが、「張政」の明記はない
・対馬国、邪馬台国の記述は台与が晋への遣使でもたらした新しい情報(p.167)に対し、張政によって魏にもたらされた情報(p.168)
なお、理解するうえでは、漢字原文に対するまとまった訳文と帯方郡から邪馬台国までの道程図や年表、索引、また不弥国以降では遺跡を含む
地図が欲しかったですね・・・
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ますだで飲んでいると森夫妻が来られて、冷酒を美味しそうに飲んでいました。あとがきにもあるとおり「ぼくの疑問はどうして宗像とみられる土地が倭人伝にでていないのかである」というのは同感です。
本書は「西日本新聞」の連載を加筆修正したもので38回ぶんですね。そこここに先人の見識をとどめ、戦友でもあったのでしょう故人の業績を称えています。「倭人伝原文」を初めて読みましたが、区切りがないのでむずかしいですね。
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[ 内容 ]
古代史の一級資料「倭人伝」。
邪馬台国や卑弥呼への興味から言及されることの多い文章だが、それだけの関心で読むのは、あまりにもったいない。
正確な読みと想像力で見えてくるのは、対馬、奴国、狗奴国、投馬国…などの活気ある国々。
開けた都市、文字の使用、機敏な外交。
さらには、魏や帯方郡などの思惑と情勢。
在りし日の倭の姿を生き生きとよみがえらせて、読者を古代のロマンと学問の楽しみに誘う。
[ 目次 ]
第1章 倭人伝を読むにさいして
第2章 東アジアの中での倭人伝
第3章 対馬国と一支国
第4章 玄界灘に臨んだ国々
第5章 狗奴国・投馬国・邪馬台国
第6章 張政の役割と卑弥呼の死
第7章 北部九州からヤマトへ
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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埴輪にある謎の入れ墨とか、おそらくではあっても、装飾以上の意味があるのに驚きつつ納得。
事故も多かったろうね。船旅。
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倭人伝を読みなおす
森浩一 ちくま新書
何気なく手に取ったいわゆる邪馬台国ものである。
この邪馬台国ものは昔よく読んだ。邪馬台国ブームなんてのがあった、その頃である。
松本清張の「古代史疑」、古田武彦の「邪馬台国はなかった」邦光史郎の「邪馬台国を推理する」などが思い浮かぶな。変わった切り口だと思ったのがタイトルは忘れたが安本美典の古代史もの。推理小説を読む感覚で読んでいたが、その推理の展開については忘れてしまっている。邪馬台国ものの内容は、その国がどこにあったかが説かれ、大きくは九州説と畿内説に分かれているのである。
この本の著者、森浩一氏は考古学者である。1928年生まれというからもう82歳。西日本新聞に連載されたものをまとめたという事であるが、年齢を感じない内容だ。歳をとってもこういう頭の働きができるのだろうか俺は、と自問する。
内容はタイトルどおり、魏志倭人伝を逐語的に読み直し、それぞれのキーワードに対して考察を加えるというスタイルである。
また、60年に及ぶ考古学人生のフィールドワークあるいは現地踏査の経験を交えて倭人伝の読み直しに厚みを加えている。
新しい説が展開されるということはないのだが、例えば、松本清張の説などは古代史の学会などからは無視されていたのらしいのだがそういうところも評価できるところは評価する姿勢は好感が持てる。
この人が、歳をとって寛容になったのか、あるいはもともとそういう学問態度だったのか。
多分、むかしこの人の本、多分岩波新書とか中公新書の類だが読んだことがあるに違いない。
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”倭人伝はナゼ倭国伝ではないのか” 言われてみればそうだなあ。
また、「以死」の解釈が面白かった。用例を検討してその意味を導き出すことの重要性を改めて教えられた。
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やはり碩学である。学会や専門家で一般に通じている倭人伝の解釈に疑問を呈して、なおかつ自分なりの意見を文献学的見地ではなく、考古学的見地から述べている。しかも古代音韻学・郷土史家・作家などの専門家でなくとも、直観力(「直感」に非ず)に優れた意見は予断なく受け入れて古代史の考察する角度を絶えず固定しない。この学問姿勢は古代史だけではなく、歴史全般を俯瞰するにあたってとても大切な態度だ。倭人伝に描かれている地理風俗を遺跡の科学的分析から読み直すことで、新たな解釈が産まれる。
魏志倭人伝はもう読みつくされて新たな解釈の余地のない古典ではない。常に考古学成果と合わせて読み直し続けていくことで、まだまだ古代史の疑問のいくつかは解けるかもしれないという大きな可能性を、この本は示してくれている。
邪馬台国畿内説などという、文献学的にも考古学的にも不自然で捻じ曲げた主張は、もうそろそろ下火になって欲しい。畿内説が劣勢になるにつれて、メディアは畿内説の遺跡が出たと騒ぐ。畿内説側に立つ人たちが、専門知識の薄いメディアを煽りたてるからだ。冷静に遺跡を観察し、過去に発掘された成果と比較検討して、理性的に分析してほしいと切に思う。この本の著者のように。
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邪馬台国九州(東遷)説の泰斗による「魏志倭人伝」解読。卑弥呼在世中の247年に帯方郡から派遣され、台与の王権成立後に晋への遣使によって帰国した張政の政治的役割を重視しているのが注意を引く(森の説に従えば邪馬台国東遷=ヤマト王権の成立過程に中国王権が深く関与していることになる)。
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高名な日本史の著者が、一生の研究成果としてまとめあげた
倭人伝や邪馬台国に関する内容が
わかりやすく書かれていた。
ただ、直前にかなり強烈な三国志研究家からの指摘の本「魏志倭人伝の謎を解く」を読んでしまったので、
ミーハーな読み手としてはインパクトは薄かった。
とはいえ、邪馬台国東遷説には興味がひかれるところだ。
本筋とは関係ないが、
邪馬台国にとどまり政に関与した中国の武官が、
その後、韓や濊を鎮撫させられたのではないかという記述や、
弁辰の鉄の産地を韓・濊・倭とが協力していた維持していた節があるという記述が、
第二次世界大戦後のマッカーサーの動向や、
レアメタルをめぐる昨今の東アジア情勢を髣髴とさせて面白かった。
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森先生の邪馬台国論。
帯方郡が魏の出先機関であったことから説き起こし、倭と界を接した弁辰の国を巨済島、巨文島とし、そこから、対馬、壱岐(一支国)、松浦(末盧国)、糸島(伊都国、斯馬国)と順を追ってクニの規模や土地や風俗の倭人伝の記述を考古学からの裏づけがられる。これは臨場感があり、帯方郡からの道程が納得させられる。
伊都国が邪馬台国の都と想定しているが、奴国も大きなクニであった様子。不弥国(福岡平野の宇美川流域)までリレー式に臨場感を持っていた記述が、投馬国、邪馬台国で記述が変わる。台与の時代に晋への遣使の新しい情報(但し、不正確)が書き加えられた所為とする。この辺の説明も無理がないと思う。
邪馬台国は南の狗奴国と戦争状態であったが、魏は邪馬台国の味方という訳でもないという。狗奴国にも王があり、官に狗古智卑狗ありとされる。この後の記述は狗奴国についての記述ではないかとのこと。
魏は卑弥呼を見限り難升米(奴国の有力者?)を王と見なし黄幢を授けている。卑弥呼の「以死」はこの戦争の責任を取っての自死とする。
魏の張政の役割は邪馬台国と狗奴国を纏めることにあり、そして台与の時代に邪馬台国は東征したという仮説。
では、狗奴国(後の熊襲)も東征したのだろうか。その東征は物部の祖、饒速日のことなのか、応神・仁徳の河内王朝のことなのか。北部九州と近畿を繋ぐ道筋はまだよく見えない。更に、単なる一氏族の移動に留まらず、各地から多くの氏族が纏向に集結したのは何故なのか。
森先生の衣鉢を継ぐ志のある学者が古代日本の誕生の秘密を明らかにすることを期待しているのだが、纏向で考古学の成果があると卑弥呼だと騒ぐ輩が多く、正直暗澹とすることが多いのである。