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「忍ぶ川」の謎を解く
2003/03/17 01:48
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:クローニン - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画「忍ぶ川」が最初だった。
熊井啓の映画を見たのは、殆どの男性観客がそうであるように、
栗原小巻の裸が見たかったからである。
期待を裏切らぬ、素晴らしいプロポーションであった。
だが、関心は加藤剛が演じた三浦哲郎に向かった。
この男はなぜこんなに暗い瞳をしているのか。
芥川賞をとったばかりの三浦自身も、加藤ばりの二枚目であった。
なぜ、日本海の荒波に鴎はやかましく鳴きたてるのか……。
書店で平積みの単行本(短編集)を買ってきて、具体的な理由は判明した。
感動し、同情した。当時わたしも早稲田の一年生であった。
だが期待に反して、以後三浦自身はくだらない小説に走っていく。
新聞小説でも、ニヒルな建築家の話とか、ラストに面倒くさくなったかのように、
主人公とヒロインを一気に死なせてしまったり……
最近短編の名手と言われているのが(そのころを考えてみれば)信じられない。
妻を犯すシーンなど、三浦の指向は中間小説にあると、
わたしは完全に思いこんでしまった。作品のレベルがまさにその程度であったし。
それが、この『白夜を旅する人々』は違った。
丸谷才一のように、私小説を全否定する人々も、この小説には好意的だった。
これを安直な自然主義に貶めるならば、島崎藤村も文学史にはいられないことになるであろう。
具体的には、『忍ぶ川』前史である。だが、読後感は逆だ。『忍ぶ川』が「癒し」をモチーフにしているにもかかわらず沈み込んでしまうのに、『白夜』は「人生の悲惨」をとことん突き詰めている。にもかかわらずカタルシスがあるのだ。
わたしなりに解釈するとこうだ。『忍ぶ川』は中心を謎として提示しないまま、たんに過去を忘れて二人で未来を生きようと誓う。『白夜』はこれだけ悲惨な人生がある。そのすべてを開示しながら、でも人間はせんぐりせんぐり生まれ出でて、その一人一人に人生が、固有の物語があるのだ、と差し出している。
わたしもいま悲惨な状況にある。そして再読して癒された。文学の厚み、人間存在の不可思議をとことん納得させられた。これは『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』を超えるものがある。
毎年検査入院を繰り返し、健康状態が危ぶまれる三浦だが、頑張って快復して欲しい。いまいちどこのような世界文学史上に残る「私小説」を書くために。
「人の定め」を読み、「我の定め」に思いを馳せる
2001/03/27 23:44
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:読ん太 - この投稿者のレビュー一覧を見る
春まだ遅い青森でのお話。
『忍ぶ川』で第44回芥川賞を受賞した著者が、その二十数年後に発表した作品である。本作『白夜を旅する人々』は、『忍ぶ川』に関連の深いものとなっている。時間軸で話をするなら、『白夜を旅する人々』の次に『忍ぶ川』がくるかっこうになっており、従って、どちらもまだ未読の方は、先に『白夜を旅する人々』を読まれるのがよいかと思います。かく言う私も三浦哲郎作品は初めて手にするものでして、『白夜を旅する人々』を読了後、現在は『忍ぶ川』を読了中です。
本作は多分に私小説に近いものであり、以前に車谷長吉のものを読んだ時に感じたような、著者の「書かずにはおれない切羽詰った思い」をひしひしと感じ、同時に私小説の強味を見せつけられたような思いがした。
物語は青森の田舎町の商家で、今まさに5人兄弟姉妹の次に生まれんとする子の出産であわただしい場面で始まる。5人の兄弟姉妹はそれぞれに思いをめぐらしてお産を見守っている。当たり前の光景ではあるのだが、この家族には当たり前でないことが1つあった。5人の兄弟姉妹の内、長女と三女は白い子として産声をあげていた。白い子というのは先天的に色素が剥奪しており、皮膚、頭髪、その他の毛が色を持たず(真っ白で)、眼は薄皮を張ったようになっており、そのため強度の弱視である。言ってみれば五体満足には生まれついていなかったのだ。
6人目の子供は色がついていた。羊吉と名付けられた赤子はスクスクと育っていく。
「めでたし、めでたし」と終わることができればよいのだが、このことは、その後次々と起こる悲劇のちょっとした前触れのようなものでしかないことが、読み進めていく内にわかってくる。
「遺伝」という言葉を、これほどまでに深刻に考えさせられることは今までなかったように思う。
たとえば、若い頃の自分を、「今はこんなにスマートだが、両親があれだけ太っているんだから、私もその内太るだろうな」と危惧する気持ち、また、それよりやや深刻になって、「私の家系は皆一様に早死にだから、私もそう長生きはできないだろう」とか「癌にかかりやすい家系だから、自分も癌になる確率は高いだろうな」と恐れる気持ちなどというのは人それぞれにあるだろうと思う。
私自身も「遺伝」の悪い意味を少なからず恐れる気持ちは持っている。
だが、本書に出てくる家族が持つ「遺伝」に対する恐怖というのは、人並みの暮らしをも否定される厳しいものであった。
最初に犠牲になったのが、白い姉と妹にはさまれた二女の「れん」であった。思春期になり、人を恋することも愛されることも拒絶しなければならないと感じた「れん」がとった行動とは?
「れん」を皮切りに、心やさしい長男「清吾」がつぶれた。間を置かずして、白い子として生まれた長女「るい」も安らぎを求めて…。
一家がボロボロに崩れていく物語である。
これほどに悲しい物語なのにグイグイとひき込まれるのは、そこここに愛が感じられるからだろうか?だが、本書は「愛」が万能でないということも教えてくれた。そう、人には「定め」というものがあるということを。
生きられなかった兄姉達への回想
2024/11/27 16:02
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投稿者:森の爺さん - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は芥川賞受賞作である「忍ぶ川」で自分の家族の不幸を語っているが、本書はその不幸を題材とした私小説である。 時代的には昭和初期で舞台は東北地方の青森県八戸と市と父親の実家のある岩手県二戸市という所謂南部地方と呼ばれている場所であり、会話については津軽弁で書かれている。
私小説でありながら、主人公は幼い三男である著者では無く、自殺したり失踪したりした兄や姉という著者の家族達であり、亡くなった家族への鎮魂歌とも言える。 呉服商を営む裕福で、かつ三男三女の6人の子供に恵まれながら、長女と三女が先天性白皮症(アルビノ、当時は白子と呼ばれていた)として生まれたことが暗い影を落とし、やがて悲劇をもたらすという内容が長編でありながら著者らしく簡潔な文章で書かれている(映画「忍ぶ川」で山口果林(著者原作のNHK朝ドラマ「繭子ひとり」で主演)演じる三女がサングラスをかけて「私生きてて良いんだよね。」と言っていた理由を本書でようやく理解した)。
本書でも書かれているが、長女だけでは無く三女までアルビノに生まれたことを両親は「呪われているのでは」と恐れおののき、また戦前の田舎では無神経かつ無遠慮な視線を浴びていたのだろうと思われる。 ふとしたことから(本来なら成績優秀者として選ばれるメンバーに選ばれなかった)、自分に流れる血に不安を覚えた次女が図書館の遺伝の本を借りようとすると、借りた名簿の中に長男の名前もあったという箇所に兄妹が抱えた不安が描写されており、やがて物語は悲劇に向かって突き進み、次女の連絡船から(三男の誕生日に)投身自殺、長男の失踪(恐らくは自殺と思わせる書き方)、そして長女の睡眠薬の大量摂取による自殺という不幸が続き、6人兄弟のうち3人が短期間で亡くなる(残された次男も戦後事業に失敗して失踪しているおり、三女と三男の2人のみが残される)。
次女は東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)への受験失敗、長男は母親の実家を手伝ううちに知り合った恋人の堕胎手術による死、お琴の師範となった長女も元々の弱視から失明することによる将来への絶望という理由があるが、それでも生きて行こうという強さが無かったとも言えるものの、だからと言ってその弱さを安易に批判出来るものでは無い。
三男の誕生に際して、長男が雪の中を馬橇に助産婦を乗せて家に向かう冒頭から、同じく雪の中で長女の棺を乗せた馬橇が行くのを6歳となった三男が見つめるラストまで、津軽の雪景色を背景に家族が自分達に流れる血故に悲劇に向かって淡々と進んで行く印象を受ける。 本書は「忍ぶ川」以前の著者の家族を描いた私小説であるが、「忍ぶ川」が1961年刊行で、本書は1984年刊行と20年以上の歳月を経てかかれている。著者自身にとってもこの家族の悲劇は小説化するのに際しては自らの「呪われた血」からの解放という意味もある一方で、躊躇も苦悩もあったのだろうと推察するが、それでも書くところに作家の業みたいなものも感じてしまう。
上質な私小説
2018/05/31 23:49
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わらび - この投稿者のレビュー一覧を見る
近代の私小説の流れをくむ、上質な作品。
若い頃の私小説と読みくらべると、晩年にやっとここまで昇化できたのかなと感じます。