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花村萬月がどうやって職業小説家になったか、そしてその時に父親がどう接したかという感じの本です。思いっきり省略すれば花村萬月の作り方ってところでしょうか。
父親の放蕩ぶりもさることながら、花村萬月の思考回路もすごいものです。一般的な日本人とは大きく離れています。そこが、ああいった作品を生み出すのだとは思います。
自分にとっては大きな刺激となりました。少なくとも「花村萬月」にはなれないコトは理解できたし、小説を書くという土台がまったくできていないということもよくわかりました。明らかに読書量そのものが少ないでしょう、俺は。
小説家を目指す人は読むべきかと思います。技術の「糧」にはならないかもしれませんが、思考の「糧」にはなるはずです。
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不真面目でも真面目でもない。
そんな具合で、非常に読みやすく、
花村萬月の世界にまたひとつのめり
こめる1冊です。
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偽悪的なトコロがある萬月さんの人柄がとてもよく滲み出ていて
小気味良い嫌味ににやりとしたり、書いてるうちに感傷じみてくるところにほろりとしそうになったり。
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自分の境遇を不幸としながらも、
英才教育を施された自分自身と、
反目しながらも自分にとっては自慢だったであろう父親。
暗に彼らの自慢話を聞かされているような本。
読む価値なし。
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文章教室という題名だが、文章の書き方をあれやこれや言っているわけではない。
花村萬月が幼少期に父から受けた教育…というのか…、その事を振り返って書きだしている。
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「リズムのよい文章は、内容的に大した事が書かれていなくても文芸として成立する」とあるように、著者の文章は非常に独特のリズムがあって。読みやすい。そして面白い。
過剰な英才教育の果てに、小説家として成立した著者が書くから一定の説得力がある。
「職業として小説を書いて収入を得る人は、小学三年くらいで大人向けの小説を盗み読むというような自発的な読書を行うようになる」というような事例とか。
でも作者と同じかそれ以上の境遇(特に英才教育という点)に置かれて、小説家を志し、埋れた人が数え切れないほどいるのもまた事実だろう。
「遺伝8、環境2」いわれるように、遺伝とか素質といわれるような産まれもったモノを見つけ出すための機会を積極的に与え、それを伸ばしてあげられるような環境を作る、それが教育のあるべき姿なんだろうなと思った。
我が子も最近一歳になり、まだ絵本を読み聞かせたり音楽を聞かせたりする程度ですが、教育について改めて考えさせられました。
盆百の育児書を何冊も読むより、この本を読んだほうがリアリティーがあって良いのではないかと思う。
文中で引用がある白川静さんの「漢字百話」と磯田和一さんの「書斎曼荼羅 1&2」が面白そうだったのでamazonで早速購入。早く読みたい。
「子供に英才教育、早期教育を施すことなの是非など私にはどうでもいいことです。いくら良い親を演じてみたところで、所詮は、子供は親の持ち物に過ぎないのです。
ですから、子供に英才教育を施すならば、それは自分の満足のためである、と、冷静に認識してください。子供の将来のためだからといった偽善と欺瞞を用いると、英才教育は絶対に失敗します。断言してしまいますが、偽善と欺瞞でスタートすれば、それは英才教育というよりも、家庭内暴力の芽を育てているようなものです。」
最終章の著者の父の死の描写が壮絶。色彩豊かで印象に残ります。
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著者が、5歳の頃から4年間に渡って、小説家志望の父親から施された、常軌を逸した英才教育と、その父の死によって開放された著者のその後の放浪が語られています。
片時も心の休まる暇のない少年時代を冷静に振り返って、父から与えられたものと自分自身で獲得したものが何なのかを計りなおしているような語り口が印象的です。しかし改めて考えなおしてみると、このような少年であったからこそ、本書で語られているような異様な英才教育をくぐり抜け、小説家となりえたのではないか、と納得してしまいました。
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[ 内容 ]
五歳のころ、放浪癖のあった父親と同居することになり、程なく、花村少年の地獄の日々がはじまった。
『モルグ街の殺人事件』を皮切りに、古今東西の古典を読まされる毎日。
飽きる素振りをみせれば、すぐさま拳が飛んできた―。
四年にわたる狂気の英才教育の結果、岩波文庫の意味を解する異能児へと変貌した小学生は、父の死後は糸の切れた凧となり、非行のすえに児童福祉施設へと収容された。
以来、まともに学校に通った記憶がない。
本書は、芥川賞作家・花村萬月が、これまでの人生で唯一受けた教育の記憶をたどり、己の身体に刻み込まれた「文章作法」の源泉に向きあった、初の本格的自伝である。
[ 目次 ]
あなたは父が好きですか
父は他人
それは山谷の旅館からはじまった
父の人柄
父が現れた!
早期教育
筮竹
読書の時間
父の芸術教室
課外授業
父自身のこと
断片的であること
父の死後
教育と強制
キリスト教
父の愛
母の愛
そして現在
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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この父親に育てられてよく道をはずさなかったと思うよ。
一時期、児童福祉施設に入所したらしいけど。
たった4年でこんな濃い時間を過ごせたんだね。
でも死んだ時は開放感と喜びでいっぱいだったというのはわかる。
でもこの父親、インテリで明治大学を出てラテン語、英語、ドイツ語など語学は堪能だったみたいだ。
家具ばど拾ってきた資材で器用に作ったり。
でも、働かないってのはダメンズだよな。
この母親がなにしろ立派。
出産も子育ても一人でこなし、果てはだんな(自宅で)の死後の処置まで電話で医師に聞いて施したらしい。
偏愛だったけど、父親からも母親からも愛されたというのが著者の確固たる自信になっているのだろう。
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「ほう、花村萬月は幼少の頃父親から文章の英才教育をうけていたのか」という興味からこの本を買うことにしたのだと思う。彼の著作はこれまでに芥川賞受賞作「ゲルマニウムの夜」を読んだだけなのだが。実は花村萬月とは同じ年の生まれながら、自分と交差するところはほとんどないといって良い。これは素直な感想であり彼が好きか嫌いかとか彼の文章に共感するかしないかといった事とは問題を異にする。自分とは異次元で生きているような人のように思えてならない。そしてその訳がこの本の萬月とその父の関係の記述で少し理解できたようにも思えた。
彼の父は明治生まれだった。彼はあまりこのことを強調しないが、私にはどうもこれが彼の特異点その一を形作る元だったのではないかと思う。明治生まれの年代の価値観や子への接し方がそもそも今の年代の親とは基本的に違っていたのではないだろうか。萬月の父親はかなり自分本位の生き方をしている。子への教育は自己満足のためだけに施される。「この子に良かれ」などとはみじんも感じていないかのようですらある。萬月は短い期間ながらこの親の薫陶を受けた結果、ゆがめられたという実感を持ちながらも特異な能力を身に付けてしまう。それは萬月に資質があったからではあるが、有無をいわせぬ押しつけという今日の学校教育では否定されたやりかたが効果としては絶大であることを示しているともいえる。花村はしたがって、教育の本質は個人の人格への介入であり決して人間の善意によるものではないと喝破する。英才教育の本質は価値の押しつけであり、それを受ける側に一定の能力がなければそれは虐待を施すことになる。子への愛情は押しつけがましくなればなるほど虐待に近づく。裏を返せば、他人に良かれという思いが強いほど人は自分勝手になっていくということもいえる。花村という異次元の人の目をとおしてみれば、現代の教育に対する通念がはなはだおかしなことになっていることが見えてくる。
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花村萬月流の素養の遍歴と言った感じ。現役作家の素養の遍歴を開示することが、読者にとっての参照点になるのかなという感じ。花村さんの思う小説とか文章を成り立たせるものはなにかを変に謙遜すること無くスパッと言っていてスッキリする。反撥してもいいと思うし、頷いてもいい。個人的にはわかりやすくて面白かったかな。