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古典部シリーズ長編。今回も小さい謎解きから大きい謎解きまで、多種多様に楽しめた。
マラソンをしている現在と、思い出される過去が絡み合っていく進みかたもすごく面白い。ふとしたことから謎を見つけて解決していく米澤さんスタイルもさすが。
そしていつのまにか摩耶花と聡志がうまくいってる!このエピソード、是非知りたい。
気になります。
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仏様のような人→菩薩みたいな人→内面は夜叉。大日向さん。
ぱっとプロローグを読んだ時に思いついたこと、1つは大日向さんが退部した理由を考察すること、これは折木奉太郎とおんなじ立場になった考えることが出来るし、基本的に物語自体がそれを基として組み立てられているはず。もう一つは、マラソンの進行速度がどうなるかだ、ラスト終盤に遅れて出発する千反田にも追いつかれる為には相当量の減速をしなければいけないし(まあ、これはある意味サボりだから簡単なんだけど。)章ごとのサブタイトルが距離になっていたので、ここから何かしら重めの意味があるんじゃないかと推測も出来る。後々に人間的な距離感としても入ってくるのではないかというのが一番最初に思いついた事だけれども、まあそう安々とはわからないだろう。
里志の小話が面白いかどうかの判断はちょっとどうかわからない。いや、きっといいんだろうけどどうしてか変なふうに見えてしまう。テンカトッタってねぇ・・・。
段々と仲の良さを見せていくのだろうけど、えると奉太郎の会話がなめらかになり過ぎて「いいなぁ」とか思ったり。特に荒っぽい会話P42とかで喩え話でバッチリ通じているのを読むと何だか「もうこれで十分だろう」という気分になる。
P54二人がカップルに見られているから、近づきがたいオーラが発生しているんだろう、とか。
そうこう会話をしている内に、大日向さんが釣れたということか。
P69
「友だちが言ってたんですけど、名札を出さないのは後ろ暗いやつだって」
塩水で胃の中のものを吐かせるって相当な処置じゃあなかろうか? というかそういうの簡単に出来るのか?あまり発想としてもそうそう思いつかないけれど・・・。入須の独断で出来るのだとしたら、かなりのマッドな性格でもあるけれども、女帝だとそういう事も出来るということなんだろうか。
というか自分はもしかしたら1人称視点の物語が好みなのかもしれない。絶対的でない視点から、客観的に見せようとしている主人公から文章でどんどん人としての感情が漏れでてくる瞬間がいい。そこが客観的に解説されているよりも主観性で正確でない回答を出したりしている「ブレ」が面白い。
「その猫、ビーム撃つから」っていう言葉のインパクト。
「遠回りする雛」の後に風邪引いて寝こむとかどんな拒否反応だよ。
100ページから先の会話が段々とラノベっぽい言い回しになってきた。いいよこういうツッコミの入れ方。
しかしこの時期の二人っきりで部屋にいることの罪は半端ない。斬首に値する。P124の段階で大日向が折木奉太郎狙いで古典部に入ったという可能性に自分で気付く・・・というか推測する。そして3章の冒頭でアウトである。これは殆ど確定したといっていいだろう。そうすると大日向さんは千反田に付け入るスキがないから諦めたという流れにしているのかな? とか何とか。
そうなんだよなぁ、こっからは甘いベタなメロドラマと化していくのかもしれないと思うとちょっとためらいが出てくる。こういうのは読むのに頭が熱くなりすぎるから一定の閾値に達するとクールダウンの為に読み止めないといけな���なるからだ。
やっぱりなんかギャグの使い方が良くなってる気がする、こういう会話劇がたくさんあっていいと思う。
「千反田との距離の概算はもうすっかり狂ってしまった」
P192この女優とキャッチコピーに対して何が言いたいのかがわからず反応を示せないのが、強いメンタルをもっているなぁ、と。
しかしである、推理からの問題解決のためとはいえ、片方はマラソンを無視してまでえるをまち追いついて、二人で神社に入っていくとかもうダメである。想像力は遥かに「あきましておめでとう」を上回る。
マラソンでの距離の離され方、里志>摩耶花>える=奉太郎>大日向
ストーリーは学外にも向かうこともあるのだろうか、それともやはり高校生活のみになるか。
千反田の好奇心を全体の話のきっかけにせずに問題の元凶そのものにしたのも良い展開だったと思う。
この友達としての距離感の違いは、大日向と学外の友人・千反田と奉太郎の差とすれば、読んでいる最中に考えていた恋心としてではなかったのかもしれない。
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古典部シリーズ第五作「二人の距離の概算」
二年生になった古典部四人に後輩ができた。しかし、新しく入った後輩大日向友子は古典部を辞めるという。
マラソン大会で20km走っている間に奉太郎は彼女が辞めると言った真意に辿り着けるのか
奉太郎の推理の完成度、巧妙に散りばめられた伏線にミスリード。今作は読者にも推理できる余地があるように構成されています。
意図しない小さな出来事の積み重ねが、何を起こすのか。
全能感は相変わらず
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古典部シリーズ第五作。というよりは二年生編第一作といった感じ。
いつになったら文庫化するのやらと思っていたら突然アニメ化するしアニメ放送中に文庫化するしで角川汚い!(褒めてる)
最初から最後までマラソンで走っている。走りながら推理してる。あのホータローが…
というか、「儚い羊たちの祝宴」と「追想五断章」を読んだ後にこれを読んだからギャップがすごかった。作品の明るさと重さが同じ作者とは思えない。思えないけどほろ苦さは同じかも…(儚い羊は苦いどころじゃあないけど)
古典部シリーズが完結するのは何十年後だろうか…
あと小市民の続編は…
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もう読んだのはけっこう前なので感想が粗いかも(いつものこと)
人との距離がどれくらいで、友達であったり、親友であったりするのかは、人それぞれで、今回の話はそれを中心に物語を書いてるのかなーって思った
今回の話は、省エネ主義はどこへやら、ホータローがやたら積極的に動いていた
たぶん、前回の遠回りする雛で変わり始めた、えるとの距離がどれぐらいの間隔なのか、知りたかったのかな、と感じた
その概算をする物語だった
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古典部シリーズの最新刊(5作目)。クライマックスに向けての助走。ふたりの距離が今後どうなるのか?とても気になる引き。私は従来の装丁がとても好きなのだが、今回は京アニのかきおろしリバーシブルカバーがついてます。
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優しさや無邪気さや爽やかさの中に、深い気持ち悪さを感じる。それがすごくいい。不条理さというか、世界のどこにでもある悪意というか、そんなものが匂う。米澤穂信作品に共通するもの。小さな日常の謎を解いて行く、っていう過程や謎解きも確かに面白いけれど、よくある日常系のミステリでは終わらない悪意。謎は解けて、誰かが特別に不幸になってるわけでもないのに、なんか釈然としない。だから脳みそに残る。それにしても、カバー裏のアニメ絵はほんとにやめてほしい。名作文学作品をアニメ絵カバーにするよりもキモチワルイ。
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これまで以上にテンポとユーモアがあって会話が楽しい。現在走りながら過去を回想して推理するという文章の組み立てもいい。
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もう、ミステリーじゃなくていいよね?という感じ。
実際に推理というより青春小説を読んでいる感覚。
ただ、逆に推理小説っぽさを外したところで良さが出ている気がする。
古典部シリーズを青春小説と思う人にとってはかなり良くできている作品ではないでしょうか?
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古典部シリーズの最新刊。
仮入部していた突然入部しない事になった理由を奉太郎がマラソン大会中に推理する。
えるたそが相変わらずズレているというか・・・そこが彼女らしくていいよね。
今回も結末はビターな仕上がりになっている。実に古典部シリーズらしい出来。
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アニメも観てるけど、小説の表紙がアニメ版だったらどうしよう?とちょっと焦った。リバーシブルでくるとは流石角川(笑)
今回はホータローの独壇場。いつもとはちょっと違うかな。
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ついに古典部の面々も2年生になったか…感慨深い。
「ひなちゃんてもしかしてホータローに惚れたんじゃ…だからちーちゃんを誤解して」などと一瞬思い込んだのだけど、よく考えたらホータローはそんなふうに下級生女子に惚れ込まれるタイプではなかった。
にしても相変わらずすごい伏線が巧妙で惚れ惚れしてしまうなー。限定条件下で安楽椅子探偵的な謎解きっぽいかんじなのに、本人はマラソン中(えらい歩いてるけど)というのも、なんともいい味わいでした。
青春でありミステリである、どちらの要素も欠かせない、いいシリーズだなあ。
ラストもほろ苦いけれど、いいほろ苦さと思いました。
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アニメで観ていた人的にはここから読むのが妥当かな。
しかしまぁ、まさかアニメ化するとは思わなかったなぁ、読み始めた頃は。
表紙がリバーシブルなのは角川の粋な心意気かと。ついでに既存の本を買っている人にアニメ表紙のカバーを配ってくれると嬉しいのですが。。
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里志がかっこよくなってきた(笑)
奉太郎はほーたろう。
学校生活がなつかしく思った(●'ω'●)
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20kmのマラソン大会(星ヶ谷杯)を走りながらの推理。
自分の中にやましいと思っている部分があると、いろんなコトが真っすぐ見られなくなる。
真っすぐ見られなくなるから、歪めて受け取ってしまう。
自分と相手が、すべて同じものを同じように捉えていると錯覚してしまう。
錯覚を自覚したうえで、どれくらい手を伸ばせるだろうか。
最後まで読むとなかなかいろんな意味を含めたタイトルだったのだと、納得でした。