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最後の最後、全64章の第59章になってようやく108人の豪傑たちが梁山泊に集合しました。 そこに至るまでの108人の人物紹介とも言うべき、個別エピソードの数々は多分にご都合主義的、刹那主義的、ハチャメチャではあったけれどそれでも結構面白かったのと比べ、全員揃った後はバタバタと戦の話が羅列されて終わりっていう感じ(要するに手に汗握る戦闘シーンみたいなものは皆無 ^^;)で、何とも残念・・・・・。
でもまあ、KiKi にしてみると「時の権力」 vs. 「抵抗勢力」ということで読み始めたつもりだった物語がいきなり皇帝の下っ端になるという展開に目がテンになってしまい、そっちの残念感の方がより大きかったかもしれません。 北方水滸では最後の最後まで梁山泊は梁山泊だったのにねぇ・・・・・。 ま、時代ということを考えれば分からないわけじゃないけど、ホンネを言えば
「何だよ。 反乱軍かと思いきや、それはタテマエで要するに就職活動みたいなものだったのかよ??」
っていう感じ?(苦笑) 宋江に至っては梁山泊のリーダーでありながら
「じぶんは不幸にして罪人とはなったが、朝廷に対していささかの異心を抱いたことはなかった。」
な~んて言っちゃって、天子さまからの招安を受けると有頂天っていう風情だし、そして詔勅を受けて向かったいくつもの戦で仲間たちをどんどん失っちゃうしで、KiKi がメンバーだったらこんなリーダーの下はご遠慮被りたいっていう感じです。
さて、話は変わるんだけど、今回読書中にふと思ったこと。 それは「梁山泊に集う豪傑たちの数(108)と除夜の鐘の108つっていうのはあながち無関係じゃないんじゃないかしら?」 ということです。
もちろん KiKi は子供時代に除夜の鐘の108つというのは人間の煩悩の数という話は聞いたことがあるし、そうだと今日まで信じてもきたんだけど、よくよく考えてみると人間の煩悩の108つをリストアップしたものなんてこの年齢になるまで見たことはないし、どちらかと言えば「へぇ、108つかぁ。 多いなぁ。」ぐらいの感覚で生きてきちゃったような気がするんですよね。
そこへ行くと水滸伝の108人が何故108人かと言えば、108人が出揃った第59章によれば、どうやらこれは道教で説く「天罡(てんごう)三十六星」「地煞(ちさつ)七十二星」という星の名前に由来していたようで(36+72=108)、1人1人がそれぞれ星の名前を冠していらっしゃったりします。 「天魁星 呼保義宋江」とか「天罡星 玉麒麟盧俊義」とか「天機星 智多星呉用」とか「天間星 入雲龍公孫勝」といった具合です。
そしてね、「天罡三十六星」と「地煞七十二星」のランクは「天」の方が「地」より上なので「天罡三十六星」が上ということで、これがどうやら梁山泊のヒエラルキーにぴったり重なっているみたい。 序列に結構うるさい中国人らしいエピソードの作り方ですよね~(笑) でもね、おかげでちょっと納得できちゃったのは「北方水滸」では各章のサブタイトルが「天罡の星」とか「天孤の星」とか「地霊の星」な~んていう風についていて、初読の際には「なんじゃ、コレ?」状態だったんだけど、あれって恐らくは全108章で「天罡三十六星」と「地煞七十二星」の名前が全部羅列されていたんじゃないのかしら?? 今回、再読する際にはそのあたりにもちょっと注意して読んでみたいものです。
ま、それはさておき、除夜の鐘です。 ちょっと調べてみた限りでは除夜の鐘というヤツは鎌倉時代に日本にもたらされたそうで、それをもってきたのは禅宗の御坊様なんだそうです。 で、中国でこの禅宗が栄えたエリア(何せ中国と言うのはめっぽう広いんです)というのはどうやらもともと道教が盛んだったエリアらしいんですよね。 で、その道教には上記のように「天罡(てんごう)三十六星」「地煞(ちさつ)七十二星」という考え方もあれば、9という数字を尊ぶらしいんだけど108を分解して足すと(つまり 1 + 0 + 8)、9になるとか、まあ色々なお話が転がっているようで、いずれにしろ「除夜の鐘文化」そのものが道教の影響をかなり受けていると考えられてもいるらしい・・・・・。 へぇ x 10 っていう感じです。
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水滸伝は想像を超えた話だった。
義のために人殺し過ぎ!人攫いすぎ!賄賂ばらまき過ぎ!(笑)
さすが3巻にまとめただけあって、あらすじ読んでるみたいだった。
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悪を憎み、善を助ける好漢達の八面六臂の活躍。胸がスカッとすること間違いなし。
下巻まで来て、やっと梁山泊の面々の個性が理解できてきた。だって108人もいるんだもんね。仲間思いで後先考えずに行動を起こし、面倒を連れてくる、ひたすら暴れん坊の黒旋風李逵が最高。こんなやつそばにいたら疲れるだけだけど。仲間思いで後先考えずに行動を起こし、面倒を連れてくる。
中国にはまだ知らない風光明媚な景勝地って沢山あるんだろうな。
クライマックスで耶律阿保機(やりつあぼき)が率いる遼軍と戦った戦場、「おぼろ月の下に、紺碧の水をたたえた西湖」を一度訪れてみたくなった。
やっぱり少年文庫版は軽いので、次は吉川英治に行こうか?北方謙三か?
世の中のために戦った彼らだが、その末路は悲しい。
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やはり、梁山泊が宋を平定してしまった。
ただ、その後童貫や蔡京らにハメられて宋江は毒殺されてしまい、悪玉は歴史通りに生き残った^^;
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中国人は水滸伝が好きだなあと思うことがあり、子供の時以来の再読。荒唐無稽でついていけない印象はその時とあまり変わらなかった。これは三国志のような壮大な大河小説ではなくて、白波五人男のような狂言なのだと考えると少し納得がいくが、最後にバタバタと主人公たちが死んでいってしまうのはどうかと思う。
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上巻ではただ山賊たちが暴れ回るチャンバラというイメージだったが、中巻、下巻と進みにつれ勇士たちの正義感が高まってきた気がした。
正直、108人もの好漢が登場していたため全員の名前は覚えられなかったが、それでも充分に楽しむことができた。
また、結末は思いの外あっさりと締められ驚いた。
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下巻はとみにワンパターンな展開が多かった。解説を読むと、語り継がれた物語の集積であるとのことで納得。それでも星の運命を負った108人の好漢を梁山泊に集める都合で、次々に敵対する将軍が簡単に投降したり、双方の道士が妖術を用いた戦いが出てくると、何だか白けてしまう。宋江は梁山泊を解散し、彼が憧れの朝廷、天子に仕えるが、取り巻きの奸臣のために満足な官位も授けられず、最後には毒酒を下賜されて敢え無い最期。しかし、梁山泊、水滸伝という言葉が人口に膾炙し、八犬伝のような物語に派生する底力があったのだな~。
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大活劇も最後はだんだん死んでいくというのは、自分が思うに日本ではあまりない。一応世の中は平穏になっているのでそれでいいとは思うが、これでいいのか。