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カミがまだいるとされていた世界。「精霊の木」よりはとっつきやすいけど、それでもこれ、児童書なんだよね。。すごいなぁ。。
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さすが若い時に書いただけあって、だいぶ話がややこやしい。最近のエリンの話とかと比べると、全然洗練されていない感じだ。それでもはなしにすーっと入っていかせるのがこの人の話かなぁと。でも、最後がハッピーエンドではない気がする。ちょっと残念。どうしたら良かったのかは分からないけれど、それぞれの気持ちが散り散りになってしまった気がします。
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守り人ですっかりやられ、シリーズ読了、ついで奏者シリーズ読了、精霊の木、狐笛のかなたと読み進み、とうとう最後の一冊、読み終わってしまいました・・
あと数冊、エッセイ的な本はあるようですが、物語はこれでたぶんおしまい・・・・
時代は古代、どこの国かはわからないけどアジアのどこかの国、日本ではないかとも思わせる・・
切り口の異なった神話、神と精霊と動物と人が暮らした最後の辺りでしょうか・・
カミはなんのためにいるのか、掟はなんのためにあるのか・・
カミと契るのは何故か・・
物語とわかっていても、ふんふんと納得させられてしまいます。
人が生きるために狩猟だけでは足りなくなり、カミの地に田を作り、少しでも豊かになるよう、人らしく生きられるよう、帝に男衆を取られぬために・・そのために、神聖な場所に人が踏み入るとして何が悪い・・?
岩に染み出た泉は、最初はちょろちょろとした小さな流れでも、いずれは岩を侵食して山を崩す・・それがカミの地に入れぬ理由なのか・・・
上橋氏の本は、読むたびに考えさせられます・・・
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流石この人らしい、「土」の匂いのする骨太ファンタジー。児童書のようにも見えるがなかなか難解かもしれない。20080318
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右下領域における変容が引き起こす世界観の戦いと、そこに生きる個人の内面の葛藤を描く。
狩猟・採集から稲作への生産様式の進化は、同時に新たな構造の顕現であり、新たな神との接触である。
読了
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まあまあ、かな。
起・承・転まではうまいこといってたんだけど、
肝心の結の部分が薄いような印象を受けた。
ファンタジーとしての作りこみの部分は詳細で、
生き生きとしているだけに、
ストーリー構成をもうちょっと深めてほしかった。
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古来持っていたはずの大事なものは、時とともに薄れ、忘れ去られようとしている。
深い思いはオマージュとして作品に投影され、静かな中にも研ぎ澄まされたメッセージが深く心に突き刺さる。
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「精霊の守り人」で人気の上橋さんの作品。
文化人類学を研究した人で、物語の世界観に定評があるにはある人。だけど、これくらいのことは、ちょっと勉強している作家には書けると思うんだよね。そしてこの人はあんまり文章やら、構成やらが上手くない。
世界観は面白いんだけど、なんか話が分かりにくいし。
それに、いまいち登場人物に共感できないんだよなー。
この人は<この世とあの世の間>って概念が好きみたい(狐笛でも出てきた)なんだけど、それもイマイチわかんない。間って何?現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)では駄目なの?
人が生きるために(イネを作るために)、掟を破ってカミの沼を侵すっていう、人か神かの選択で迷うというテーマは面白いとは思うけど。
それに、オニの概念が出てくるのは、もうちょっと後の時代からではないの?
なんだかなー。たつみや章さんや銀金にはかなわない。
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日本人が農耕民族にうつる前の縄文時代を舞台にしたはなし。
神と人が交わっていた時代。神に魅入られた娘と租をおさめるために神を切り離そうとするムラ。
山を守ることで人を守っている神。
そのムラに招かれた神と人の子の苦しみ。
それぞれの思いがやるせない結末を迎えます。
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狩猟・採集を中心とした、自然の一部としてカミと人がネゴシエーションする時代から、農耕・栽培の導入ーーカミを排除して人間自らが自然を支配ないしコントロールする時代へと移行する時期におけるカミ殺しの物語。筆者のアボリジニー調査の経験の影響か、登場人物の「語り」が物語をつむいでゆく手法として、またテーマとして重要な役割を果たしている。その後の作品を読んでいるせいか、若干生硬な印象を受けるが、雰囲気はよく出ていて好感をもてる。この人の作品はこのくらいのボリュームにまとめられた方が落ち着きがいいと個人的には思う。
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著者の初期の作品ということで、正直それほど期待せずに読んだら…驚きました。
神の世から人の世へと替わろうとする村。神と、そしてその挟間で揺れる人の物語。神と人の原始の姿、暗く深い、水と土が混じりあった沼の匂いがします。
神の力と怖さ、人の弱さと心、変わりゆく時の流れ。作品としては荒削りだけど、渦巻き、圧倒されるような力強さを感じました。
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・昔読んだ
・確か、神様の血を引く子と村の女の子の話?
・怖い、けどすごく惹かれる
・暗示的
・色々考えさせる
・なんか切ない
・最後が、すごくいい
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人は自然の一環であり、自然の中で生かされているのは事実だけど、同時に自然を食い物にしなければ生きていけない生き物でもあるということ。 人は本能だけではなく「情」を持つ生き物であり、その「情」の中に「欲」もあり、その「欲」は必要最低限のものを求めるところからスタートしてもどこかで「より多く」を求めるようになってしまう悲しい性を持つということ。 「ムラ」の人びとが「カミ」を封じ込めようとしたのはただ「自分たちが生き延びるため」に過ぎなかったはずなのに、その悪意なき選択がそれまで守り続けてきたもの、しかもそこに秘められたもっと大きな世界の崩壊への第一歩であることには気が付きようもなかったということ。 いやはや何とも深いテーマです。
人の世がどんなにかわろうと、「掟」は変えられぬ。 むしろ、今のような時のために「掟」はある。
「掟」があるということを知っていてさえ、「かなめの沼」を踏みにじったように、人は、してよいことと、いけないことが、わからぬからだ。
「掟」をいちどやぶることは、崖からちょろちょろとふきだした、湧き水のようなものだ。 しだいにまわりを削り、人にとっては、考える気にもならぬほど長い時の後に、その水におのが身を削られて、崖は崩れ去る。
現代ではどんな「掟」があったのかさえ人々の記憶にさえ留められていない「ヒト」と「カミ」の盟約。 そもそもそんなものが本当にあったのかどうかさえわからないけれど、少なくとも現代に生きる私たちは科学万能(最近でこそ懐疑的な風潮もあるけれど)の世の中で暮らし、「自然の生態系の中の一生物」というよりは「経済的動物」に変貌してしまったことにより、死生観も変わってしまったことこそがこの「掟」の意味するところなのかもしれません。
私たちは「死」を恐れ、忌み嫌い、「若さ」に価値を求めるようになってしまったけれど、そしてその「若さ」が象徴するのは動的 & エネルギッシュなものとも言えるわけで、であればこそ数に頼み(要は種としての繁栄)、進歩を求め続けてきたわけだけど、ここまで進歩してしまったのは生きとし生けるものの中で人間だけであるということに今一度思いを馳せる必要があるのかもしれません。
(全文はブログにて)
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神話そのもの!
神話って、どこの国のものも読後はちょっぴり寂しい感じがしてしまうのですが、そういう雰囲気がたっぷり味わえました。何か切ないよ~。
とはいえ、私は人間と自然は相容れないと思ってますので、自然は破壊し尽くして当然という考え方です。「当然」と言ったって罪悪感は持ってますけど…どうやったって共生は無理だと思います。ちょっぴり山深いとことか海の綺麗なとことか行って「空気がきれーい!自然っていいな!」などとは恥ずかしくてとても口にできませんよ。
そんな小賢しいことはよう言わん、と思ってはいますが…やっぱりこういう話を読むと気持ちは揺らぎますね。
揺らぐ分だけまだ救いがあるのかな、などと自分で思ってみたりもします(笑)。でも人間って本当に非自然的なものですのでねえ…やっぱり無理かなあ…?
とりあえず、昨今これさえ口にすればご大層な大義名分を背負った気になれるらしい「地球に優しく」というスローガンは大嫌い、と再認識しました(笑)。
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『獣の奏者』『精霊の守り人』シリーズの作者が1991年に手がけた物語です。
あとがきによると、九州祖母山に伝わる『あかぎれ多弥太伝説』に惹かれ、オーストラリア先住民アボリジニと暮らしたことに影響を受けたそうです。
しきたりなどの描写がリアルで、まるで実話のように感じました。
大きな勢力が少数派の価値観を飲み込んでいくような事は現代日本でも日常的に続いおり、これは日本という狭い土地、湿り気を帯びた日本人が持つ性質なのだろうかと思い至り、少し怖くなりました。
それでも逞しく生きていく人々の姿に心を動かされます。