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古来、神は人に優しいばかりではなかった
2008/05/21 15:22
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:菊理媛 - この投稿者のレビュー一覧を見る
人は自然と対話する能力を持っている。「持っていた」と言うべきか。それとも、「対話できる能力を持った人間もいる(いた)」と言うべきなのだろうか。
自然をないがしろにすれば必ずしっぺ返しを受けなければならない。それは情報が豊な現在では皆が知っている事実だ。嫌でも耳にする「地球温暖化」などの言葉は、まさに節度を超えた人間の営みがもたらした産物であり、地球が悲鳴をあげている姿に他ならない。それが「自分たちの仕業である」と知っているつもりでも、実のところ自分たちの何が悪いのかがわかっていないのが人の愚かなところなのだろう。「エコバックを使えばCO2の削減」「分別すればゴミも資源」などという行いも、実は焼け石に水の罪滅ぼしだ。むろん、「しないよりはマシ」というご意見も、「身の回りのできることから」という論法も理解はできるが、地球の悲鳴はその程度では収まらない。とどのつまりは人の営みを楽にするための行いが地球を痛めつけてきたのだ。その程度の行いがどれほどの延命措置になるものかは疑わしい。
そんなことは、実は誰でもわかっているのだ。わかっていても、今の便利な生活を「地球温暖化」という言葉の存在しなかった時代にまで逆行させる勇気など、ある人間がどれほどいるのだろうか。結局は「自分の許容範囲で」自粛することはあっても、決して「地球の許容範囲で」行いを規制するということはないのだ。
「生きるために稲を植えるということが、それほど罪な事か」と問うキシメにタヤタが答える。「崖からチョロチョロ噴出す湧き水を些細なことと見逃せば、人知の及ばぬ長い時ののちに崖は削られ、いつか崩れ去る」と。それが良いか悪いかは別として、紛れもない事実であることを否定できる者はあるだろうか。人は皆、実は知っているのだ。
臨終の際にホオズキノヒメが息子に言った言葉、「怒らないでおくれ。人はおろかなもの。いくども過ちをくりかえす」。絆を断ち切ってしまえば、いつか自然は姿を消し、自然の一部でしかありえない人の世も終わりを告げるという真理を、知ってか知らずにか人間は文明を巨大化させてきたのだろう。巨大になりすぎて、もはや歯止めも利かないのだ。
その昔、自然と人の営みを調和させるためにシャーマンの役目を果たすものがいた。多くの物語では超能力者のような力を持ち、未来を読み、病を治す存在のように描かれている。深くは知らないが、シャーマンとして神々と対話する役目を担った者が存在したのは日本に限らないようで、どこの国にも神の声を聞き、民衆を導く役割を果たすものがいたようだ。現在でもいるのだろう。そう言えば卑弥呼もシャーマンではなかったか。イメージとして日本では、神との仲立ちをするのは女性が多い。「神」が男だから、つなぎ役は女性が相応しかったという程度の理由だろうか。それとも、「育み守る」というのは女性の性だからだろうか。
目の前で飢えて死んでゆく隣人を助けたいと思うのも愛ならば、自然を、地球をあるがままに受け入れて共生する道を守ろうとするのも愛なのだろう。それは哀しいけれど相容れないものなのかもしれない。古代文明が遺跡を残して忽然と消えてゆく。文明と自然のバランスが崩れた時、そこに人の生きる場所はないということなのだろうか。カミ殺しを行ってまで作った稲は租税に取られ、その後も村の者が飢えに苦しまなくなったわけではないと物語りは続く。どうあがいても生活に苦しみはついてくるのだ。
「月の森に、カミよ眠れ」はファンタジーとして読んでほしいというのが作者の意思だと書いてあった。事実考証の問題なのだそうだが、そういう理由でなら「古事記」だって「日本書紀」だって、いわばファンタジーだ。絵空事と思わず、こともはこどもの、おとなはおとなの、それぞれの感性で読み味わって欲しい物語だと思う。
自然と文明
2003/01/21 16:50
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みゃあ - この投稿者のレビュー一覧を見る
カミを殺したムラに残ったものは何であろうか?
朝廷が権力を拡大するために新しい文化、稲作をムラに強要してきた。
しかし、そのためにムラは、カミを殺さなくてはならなくなる。
カミは村人にとってやさしいだけの存在ではない。時には厳しい。
ムラのカミは自然そのものだったのだろう。人間は、自然を破壊
することで文明を切り開いてきた。その犠牲の上に現在があるということを
忘れてはならないのだと言うことを改めて考えさせられた。
リアルな古代史ファンタジー
2021/03/02 08:20
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Adele - この投稿者のレビュー一覧を見る
遠い遠い昔。
日本の各地にムラやクニが点在していた時代から律令制により日本が統一される時代への転換期が訪れようとしていた。
朝廷に従うということはそれまでの土着のカミへの崇拝を捨てること。
そこで人々は何を失い、何を得たのか…
本書はあくまでもファンタジーとのことなのですが、「日本伝説集」の中の「あかぎれ多弥太」というストーリーをもとにしており、日本の正史には殆どでてこない「隼人」(今の鹿児島にあたる地域に住んでいた人たち)の暮らしを描いています。
なので現存資料が少ない故に創作部分が多く、ファンタジーと定義されているものの、時代考証はしっかりとしています。
教科書で習った、「律令制により各地のムラやクニが国家に組み入れられていった」ことが当時の人にとってはどんなことだったのか、生々しい質感で描かれます。
特に中心テーマとなっているのは舞台となるムラの土着の「カミ」が、外からやってきた力によってどう失われていったのかという点です。
そこには人間のさまざまな葛藤があり、本当にこんな人々が存在していたのではないかと思わせるリアルさがあります。
読後感としては私が小学6年生で初めて犬夜叉を読んだ時の、「かつては実在していたであろう人に思いを馳せ、その人々が今の世にはいないことにそこはかとない切なさを感じた」原体験に近いものがありました。
(※犬夜叉はいないけど、当時の私はハマり過ぎて実在したかのように錯覚していました)
神話や伝説のように、「カミ」と人とが交わる世界が本当に存在していたのかもしれない…。そう思えてなりません。
ラストの目まぐるしい展開は神々しくも哀しく、思わず涙してしまいました。
読書とは時代や空間を越えた旅だなぁ、と改めて感じました。
伝承と口伝
2019/03/16 12:49
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投稿者:ワシ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『多弥太伝説』を下敷きにした本書。
すでに資料の大半は焼失してしまっているので、伝説は伝説とした上でのファンタジー作品。
残念ながら資料も口承も「まつろわぬ」故に焼かれてしまった。
森に神を見出し神と交わってきた人々、まつろわぬ人々を隼人とカミをオニと呼ぶも、苛烈さは鬼よりも凄まじい朝廷。
その出自から都でオニと蔑まれたナガタチ、村で巫術を司るカミンマ(サトメ)、まだカミンマがサトメと呼ばれた頃に出会ったタヤタ。
文字を持たず口伝で様々なものを受け継ぐ人々の長い長い昔語り、その情報量はあまりに多く、そして亡びやすい…。
作者の初期作品だけあって勢いに満ち満ちている。
神話らしさ、ファンタジー作としての完成度もさる事ながら、慕情とムラの発展で揺れる胸の内、そして選び取った末路まで実に疾走感がある。
なるほど高校時代に体育倉庫のマットをボコボコにし、先行きに詰まるとやたらめったに木刀を振り回していたのも分かる。(『<勾玉>の世界』を参照されたし。)
理屈ではない御しがたい感情と衝動、荒削りとも評せるが超大作への道程は確実に見て取れる。
切なくもの悲しく、空想譚なのにどこか土の臭い、山の息吹が感じられる作品。
自然は理路整然と存在し、人間の情を受入れてくれない。両者は共存できるのか。
2004/06/23 13:57
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投稿者:ミケ子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
娘は夫がおそろしい大蛇だとわかった後も愛し続け、子を産んで育てたという
九州の祖母山に伝わる『あかぎれ多弥多(たやた)伝説』に強く心ひかれて
上橋さんはこの物語を書いたそうだが、この話を読みながら、蛇ガミと娘の婚姻伝説を
昔どこかで聞いたことがあるなぁと、懐かしく感じた。
私は九州の出身なので、小学生の頃「九州の民話」とかいう本を読んだのか、
祖母が布団の中で私に語って聞かせてくれた話のひとつなのか、
はたまたテレビのアニメ番組で見たのか定かではないけれど。
カミが守る自然とは、人間が生きるためにあるものなのか、それともカミにとって
人間は自然の中のほんの小さな一部分でしかないのか。カミとは何なのか。
朝廷への「租」のために、苦しい生活を強いられるムラの人々は、
自分達の生活のためにカミの土地を開拓していくことを望む。
そのカミの土地にしか稲が育つ場所がないからだ。
死ぬか生きるかの苦しい生活をしているムラの人々は、自然のバランスが
崩れるからという理由でカミの土地で稲作をすることを許さないカミを
信じなくなっていく。
目の前で死んでいく我々を見捨てるのがカミなのかと。
それは、カミではなくオニであると。
人間の生死の尺度で計れるほど、自然の生死のサイクルは短くない。
いくら人間に想像力があるとはいえ、その二つを添わせるのは案外難しい。
人間に、情と欲とがあるかぎり。
この物語には、宝石の原石のような力強さがあると思う。
文化の分岐をファンタジーで鮮やかに表現
2001/01/18 12:25
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投稿者:あき - この投稿者のレビュー一覧を見る
まだ朝廷と各地の勢力が争っていた頃の古代日本。
月の森に住まう「月の神」なる大蛇(おろち)をあがめ、恐れながら暮らしていた民族。その民族を導く者として、少女が大きな役目を負いますが、その少女は神を愛してしまい、民族もろとも、運命の波に翻弄される話です。
古代ファンタジーとでも呼べばいいのでしょうか。この手の話は初めて読みました。
縄文文化から弥生文化へと変っていくときに、必要とされるそれに見合う犠牲。でも、その犠牲は大きく、少女が背負うには重すぎるものでした。
読み進みながら、頭に浮かぶのは、かの「もののけ姫」(言わずもがな、スタジオジブリ作品)。鉄を摂る為に森を荒らす人間と戦う「もののけ姫」。
対してこの作品では、生きる為に必要な稲作をするのに、踏み込んではならないといわれている森に踏み込む人間を押し留めるべきか、行かせるべきか、悩む少女がいます。
人命を選ぶか、掟を選ぶか…つまりは、神に背くかどうかという究極の選択。
文明が進化してきた背景には、常にこうした選択があり、どちらをとっても、何かしらの犠牲を払わねばならなかったであろうということを呈示しています。
私たちは、進化した世の中で生活していますが、その裏には、必ず、犠牲を強いられているものがいるということを感じなければならない。そう思いました。
どっぷり古代ファンタジー
2016/01/31 22:27
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投稿者:むら - この投稿者のレビュー一覧を見る
上橋菜穂子さんが、守り人以前に書いた初期の物語。
蛇ガミとの関係で成り立っていたムラが、朝貢を受け入れ、稲作を行うようになろうとしている時代の、古代ファンタジーです。
前置きもなくいきなり、映画のようにその世界にどっぷり、という始まり方をするので、うまく入り込めないと(語りも入れ子になっているし)大変かもしれません。
でも、後半は流石の世界観で、異なる文化や価値観を受入れるか否かの葛藤と受容の形という、上橋さんの作品にたびたび見られるテーマが描かれています。
ムラのありかたもそうですが、主人公達の選択とクライマックスがとてもよかったです。
上橋作品を辿ってみたい人には、読みごたえがあると思います。
プチ・もののけ姫
2002/01/18 00:26
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投稿者:かけだし読書レビュアー - この投稿者のレビュー一覧を見る
古代日本。舞台は「月の森の神」を崇めていたとある貧しい村。そこに「神殺し」を依頼された主人公ナガタチがやって来る場面から物語ははじまります。といっても主人公が古代の日本で活躍するような類の物語ではなくて、大部分は村の若い巫女から語られる「村の伝承(人と神の物語)」がメイン。丁度ひとつの時代の節目で、それまで自然と共に暮らしていた民族が、新しい文明を取り入れる為に「神殺し」を企てるまでの経緯が詳細に綴られています。
新しい時代の訪れ、薄らぐ神への意識、三人の巫女の葛藤などを描きながらふと何かを考えさせられるような物語。ただ同作者の守り人シリーズと比べると物語としての面白さはもう一歩。個人的には回想録形式だけでなく、今を生きる人々の生活や風習、情景描写などを織り交ぜながらもっと描き込んでほしかったかな。プチ・もののけ姫みたいな感じです。