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「クローン羊ドリー」を読みながら考えていたこと。
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アインシュタインのクローンは再び相対性理論を導き、ヒトラーのクローンはナチスを再建するんだろうか? 経験とか、意思とか、努力とかは人を形成する上でどのくらいの比重を占めているのだろう? ぼくらはどこまでDNAに縛られているんだろう?
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こういうことは、一卵性のふたごを調べればわかるな、と思ったのだ。遺伝情報を完全に共有する一卵性のふたごは、いわば自然界の生み出したクローンだ。ふたごの同じところ、違うところを調べば、クローンが同一人物といえるのかわかるはず。
で、探して読んだのが本書。
大変おもしろかった。特によかったのは、結論を導き出すツールとしての統計処理についてきっちりと書いてあること。というより、本書のテーマはむしろそっちだ。統計学の基礎知識が必要だけれど、分析していく過程を丁寧に追っていくことで、結論が根拠を持っていることが実感できる。完全には理解できなくても、アウトラインが理解できるだけで説得力は増す。遺伝の影響を調べるために、一卵性と二卵性のふたごを両方調べる必要があるのは、そういうことなんだな。
実は本書を読んだのはちょっとした下心もあった。個人的に人となりと生き方がDNAで決まる、とは思いたくなかったのだ。もしそうだったら、どんな人になりたいと思おうと、どんな本を読もうと、どんな経験を積もうと、意味ないじゃん。
もちろんふたごが同一人物であるはずはないが(直接ふたごを知っているわけでじゃないが)、根拠がほしかったのだ。
本書によると、遺伝がその人らの表現型(外から見える性質をそう呼ぶらしい)に与える影響は、大雑把に半分くらいらしい。この数字がどのように出てきたのかは本書を読んでもらうとして、ぼくは満足した。顔や体格などの見かけが親に似るように(一卵性ふたごならそっくりだ)、身体的、精神的な潜在能力が、理解力なんかも含めて遺伝に影響されるのは(変な言い方だが)しょうがない。好みや性格だって似るだろう。
でもそういう前提の上で、他者とどうかかわるか、どっちに行くかは自分で決められる。同じモデルの車に乗って、同じような運転の腕をもち、さらに言えば海に行きたいか山に行きたいかという好みも似ているのかもしれないが、それでもどこにいくかはぼく次第だ。
ぼくはウサイン・ボルトの遺伝子は持っていないから、どんなに努力をしてもボルトにかけっこでは勝てないだろう。でも、ぼくが陸上部に入ってボルトを目指すのはぼくの勝手で、可能だ。それを止めることはDNAだってできないのだ。