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おばちゃん顔だよね、立花隆って。大学にいた90年代中ごろ。世の中では学生運動とか極左とかもう昔の話になっていた。でも私がいた大学は革マル派の総本山だった。未だにこんなことやっている人がいるんだなあと思って彼らのことを見ていたが、ちょっと興味があって読んでみたのがこの本。日本の極左を二分する中核派と革マル派、それぞれの思想・主張がよく整理されていて分かりやすい。マルクス・レーニン主義が如何にして暴力の是認、果ては内ゲバに発展したのか非常によく分かる。極左ウォッチャー必読の書。
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マルクス・レーニン主義が確固たるイデオロギーであり、信奉者を多数擁していた時代の記録。近親憎悪的内ゲバは、宗教的狂信と何ら変わるところが無い。
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最近はイロイロアレな立花隆が35歳の時に書き上げた渾身の一冊。
ちゃんと丁寧に取材して、全体を俯瞰して見せており、この当時までのルポとしてこれ一冊でもう十分。
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興味本位で上下巻読んじゃいました。疲れた〜〜。知らない単語目白押しで、いちいちWikiりながら読んだので疲労度も3倍くらい。お陰さまで現在新左翼系異様に知識がついております。この本は1975年の本なんですが、その後中核vs革マルが一体どう転んでいったのか知りたいけど誰か教えてくれないかしらん。多分自然に衰退していったのだろうとは思いますが、今でも中核/革マル共に存在してますし、この本の校了時にはまだまだ中核の激しいテロが続いていた様なのですが・・・どう落ち着いていったんだろうか。気になる。
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上下巻、かなり難しいですが。そこんとこどうなってるの?何があったの?聞いたことあるけどあの人たちって結局なんだったの?と気になる人は一度読んでみてください。2003年8月読
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新左翼とは何か。何故同じ共産主義の理念を掲げつつセクトがわかれていくのか。中核派、革マル派とはどんな思想を持っているのか。そして何故対立をし内ゲバを繰り返すのか。
これらが全てわかる。
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1983(底本1975)年刊。◆反帝・反スタを唱え共産主義革命(?)運動を展開してきた新左翼内の闘争・抗争を描く。著者が指摘するとおり、日本の革命思想史において「現実に革命を想定した行動が採られていない」ことがよくわかる。つまり、権力による暴力装置である軍・警察にシンパや賛同者を作っていく検討をしていたとは思えないのだ。◆以下備忘録。①安田講堂籠城事件における革マル派の敵前逃亡。②革マル派による一方的・目的的暴力正当化論、③リンチの端緒は中核派による、④内ゲバエスカレート時における、相互の反革命認定。
フランス革命史・ロシア革命史をもう少し検討してみたい。
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新左翼運動の流れ、中核派・革マル派の考え方、分裂したのはなぜか、について詳しく書かれていた。
両派の抗争は1972年まで(下巻へ続く)。
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新左翼のなかで、たがいに激しく対立して凄惨な内ゲバをくり返した「中核派」と「革マル派」についてのレポートです。
両派とも自分たちに都合のいい情報のみを機関誌を通じて喧伝し、相手を罵っていますが、著者はそれらの資料をていねいに検証して事実にせまるとともに、両派の抗争スタイルのちがいについても考察を展開しています。中核派は、米軍基地反対闘争や在日コリアン、被爆者の権利回復運動、ウーマンリブといったさまざまな大衆運動と連帯するのに対し、革マル派はそれを「大衆運動埋没主義」と非難し、自治会や労働組合でのヘゲモニーを獲得することに力を入れてきたという整理がなされており、革命についての異なる考えかたをもっていたとされています。著者は、このような理論および実践における考えかたのちがいが、たがいへの憎しみをエスカレートさせていくことになった経緯を詳細にたどっています。
著者は、こうした両者の抗争が「信仰」の対立にもとづくとして、そのために正義の名における殺人の正当化がなされているとします。そして、「人命尊重」「暴力反対」といった市民の論理では両派の抗争は理解できないとして、和解のむずかしさを指摘しています。
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中核派と革マル派の抗争を描いたドキュメントですが、戦後にも関わらず、ほんの50年前に、東京で暴力が日常茶飯事であったという事実に今更ながら驚きを感じます。
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戦後でも凄惨なリンチ・殺人があったことに衝撃を受けた。それにしても立花隆は良く調べたなあと感心した。
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読んだのは数十年前だが、同時代に司馬遼太郎の対談本か何かで、やっていることは幕末維新前のゴロツキ浪人がやっていることと変わらない、と喝破されていた。その通りだったとも思う。世の中を変えるには至らなかったけれども。
幕末と違い国際情勢が複雑になっていた社会で、純化した思想に酔うことの愚しか浮かび上がってこない。この騒動を起こした人たちの一世代下の時代だが、行動原理が全く理解できない。急進的な人は今でも革命を正当化しているようだが、そうでもない人はほっかむりしている。
いったいなんだったのだろう、としか思えない。
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新左翼のろくでもない人でなしたちが起こした最悪の事件は、あさま山荘事件とよど号事件や渋谷での放火殺人事件などいろいろあるけれど、こんなに日常的に、月に一人くらいの間隔で人をリンチにかけていた時期があったのか…まだ30ページも読んでいないのに、血も凍りそうな蛮行が次々と出てくる。こんな犯罪に加担した人たちは警察に取り締まってもらいたいわ。この場合は公安か?
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ブクログに登録するための読み返し。
最初に読んだのは学生時代であるが、母校が一方の拠点大学であったこともあり読んでみた。
今では考えられないことであるが、本書からも当時は凄まじかったことが窺える。立花氏の取材力と文章力によるものだろう。
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彼らによりすぎ/批判的すぎる立場の記述が多すぎて、70年代の壮絶なまでの内ゲバの正体はなかなか見えてこない。連合赤軍に比べて、関連書籍も明らかに少ない。
そんな中、歴史的経緯を踏まえ、情報を精査し、極めて客観的な視点で革マル•中核派の歴史を素描する本著は他に類を見ない優れた歴史書であり、彼らの正体を捉える上でこれ以上の記述はないのではないかと思う。
なぜ「革命」という一点では同じなはずの彼らが血で血を洗う構想に辿り着くのか。
不可避であったようにも、避けられたようにも思う絶妙なところを突き進み続ける力学に、社会活動を志す自分も自己批判を強いられる。