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うつ病と闘う作者のセルフドキュメント。
うつに対していかに社会が冷たいのか、うつに対する社会の精度がいかにズレているのかを身をもって体験した者だからこそ書ける迫力の作品。
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「普通に働いて、普通に生きたい」という命の叫び。朝起きて、ご飯を作って食べて仕事に行く。仕事が終わったら買い物をして帰り、ご飯を作って食べて寝る。そんな毎日を血を吐く思いで求め続ける人生の、その苦しさたるや。人間の尊厳は、当たり前の毎日の積み重ねが支えている、そう教えてくれる一冊。
当たり前の毎日がどれほど人間としての誇りとなっているか、どれほど尊いことか。
自分の人生にイエスと言える事がどれほどの希望をもたらしてくれるのか。このエッセイを書いたエリコさんの人生に強い衝撃を受けた。そして強く強く心を揺さぶられた。
生活保護、それを身近に受けている人がいなければその制度も中身も知る事はない。どんな人が受けているのか、それを受けるのはなぜか。そして最近は不正受給などの悪い話しか聞かない。生活保護を受けること=働かずに暮らしていける。なんとなく得なような。けれど、それを受けることで生き延びている人がいて、それを受けることで傷つく人もいる。そういう現実を私たちはあまりにも知らなさすぎる。
精神障害医療の圧倒的な闇の深さ。全てがそうだとは言わない。けれどここに書かれているのは決して特別なことではないだろう。たくさんの人がこの闇の中でもがいているはず。あまりにも辛いこの現実。私たちはただ、この闇から抜け出せる人が一人でも増えるように、生活保護がその一助となるように、祈るしかないのだろうか。
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20171221リクエスト
とてつもなく読んでいて辛い。
自殺未遂は健康保険が使えず、医療費10割負担、とは知らなかった。
なんて感想を言えばいいのか、わからない。
でも読んでよかった。
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ご自身の体験記で貧困や精神障害が、血で書かれたようなすごい迫力で圧倒される。生活保護を受けていても気高さを失わないところが素晴らしかった。この本と、スピリッツで読んでいる柏木ハルコさんの『健康で文化的な最低限度の生活』と今読んでる途中の鶴見済さんの『0円で生きる: 小さくても豊かな経済の作り方』を合わせて読むと、全部うまく回りそうだ。
特に精神病のクリニックで、薬の業者が来た途端診断がうつ病から統合失調症にされてしまうのがひどかった。経済に食い物にされてしまう恐ろしさがあった。
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近所の知り合いに長いこと躁うつ病の息子さんがいた。いじめが原因だったようだが、詳しくは聞いたことはない。その子が何かと働きたい、働きたいっと言っていたのを思い出す。作業所がつまんない、もっとお金をもらいたいとも言っていた。作業所ではいくらもらえるの?と聞いたら、100円くらいだと言っていた。そんなこともあるのかと、これまたよくは聞かなかったけど、仕事らしい仕事ではないのだなと思った。
この本を読んで心の病気をもつ人たちに対しての、自分を含めた世間の目、行政の手がいかに冷たいものかがわかった。
仕事したいって言ったって、病気なんだから無理でしょ? 病気直すのが先決でしょ? と声には出さずとも自分はそう思っていた。
違うのだ。働くことで病気を治せるのだ。
ああ、なんでこんな簡単な、人間として当たり前な感情を、そんな気を起こすな、大人しくしてろと押さえ込もうとするのだろう。
働かないこと=自分はダメ人間 という思考に著者は陥る。
誰の役にも立ってないと考え、自己承認欲求が満たされずに、こころを蝕む。
著者はオーバードーズで自殺をはかることが度々あるのだが、どうやら自殺するつもりとかではなく、たぶん今の自分をなかったことにしたいだけ=リセットしたいだけなんだと思う。もちろん命は一度限りだし、ゲームのようにリセットはできないのだが、そこに思いが至らないほど、思い詰めてしまうだけなのだ。だから死にたいという感情とは違うと思う。
働かなくてもお金がもらえるんだから、楽でいいよね。
心ない人は生活保護の受給者に対して、そんなことを、悪意を感じることもなくさらりと言う。
でも実際は働きたいのに、働こうとしても働かせないようにするケースワーカーやデイホーム従事者による負の力が働く。どうせ面倒を起こすに決まっているんだから、お・と・な・し・く・してろ!と頭を押さえる。
もちろん書き手側の視線でしか眺めていないので、逆の目線から見れば反論も多いと思われるが、それにしてもこんなひどい差別意識で福祉事業に携わっている人がいるのか、と驚いた。
著者がようやく働けるようになって、生活保護の中止を申し込んだときも、ケースワーカーは、どうせまたすぐに働けなくなるにきまっていると、勝手に決め込んで中止の申請を進めなかった(たぶん申請書類の改ざんをおこなっていた)
今まで気にしたことはなかったけど、生活保護から抜け出すための手助けをしてくれる行政機関はないということなのかな?
この人の経験を、運が良かったね、で済ましてはいけないと思う。
この本は同じ病気に苦しむ人が読むというよりは、福祉従事者の人が読むべきだ。
あなた方のちょっとした言動は、当人はさざ波のようにしか感じてないかもしれないれど、相手には津波のように襲いかかっていますよ。
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失礼な話だが、落ち込んでいたときに、もっと落ち込んでいた人はどうやって立ち直ったんだろうと思って購入。
生活保護の実態ってこんなに雑なの?っていうのが一番の驚き。
きちんと対応しないと、回復できる人もできないと思う。
社会と繋がっていないとダメ人間に感じたり、寂しさが一番の敵というのは同意。
立ち直りたい人がちゃんと立ち直れる仕組みがもっと必要だと感じた。
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読んでてドンヨリするけど、この人はとりあえず今はなんとかなってよかった。なんとかなったから語るに足る人生の物語として本にもなった。しかし、なんとかならなかった、語るに足らない人生の物語が語られることはあまりない。本にもならない。奇跡が起きないまま終わった、終わりつつある人生の物語が奇跡の後ろに死屍累々と横たわっているのに。その証拠に日本の自殺者は毎年2万人を超えている。そんな人達の人生は語るに足る価値がないのだろうか。
語られる人生の物語には、多くの人が価値を認める。でも語られない物語を目にすることは難しい。可視化されない。認めることができない。だから、その物語の価値は自分で認めるしかない。しかし果たして、苦境の真っただ中にいる人はその価値を自分で認めることができるだろうか。孤立した中で卑屈にもならず、生きる希望を持てるだろうか。
開き直れたらいいのか?というと生活保護バッシングを見ればそれが難しいことは明らかだ。生活保護を受けると生きる負い目、罪悪感を背負ってしまう。その負い目の発生源は自分の中にも外にもある。卑屈になったり罪悪感を背負ってしまうのを本人だけの問題にしていいのか?少なくとも半分は社会の側のまなざしの問題じゃないのか?内面の問題で言うと、マジメさが足かせになる部分は大きい。著者は万引きの罪を告白し、何年も経ってその罪を償おうとしている。テキトウな人だったらしないことだろう。
貧困はお金を払った対価が得られないだけじゃない。お金を払うことによって他人から大切にされるという経験を得ることが難しくなる。床屋や美容院、接骨院やマッサージ、病院。これらのサービスは単に髪を切ってもらうとか病気を治してもらうだけではない。お金を払うことによって、他人から大切にしてもらう、心配してもらうというサービスを含んでいる。自尊心や自己肯定感に関わってくる問題だと思う。
貧困は人間関係の貧困であることもよくわかる。お金がないと誰かと何処かへ行って遊んだり食事することができない。服や化粧品が買えないと小奇麗にすることもできない。床屋や美容院に行くことができない。そして人と会うのがおっくうになり、人と関わることで元気を出すことができなくなる。人と会わなくなると身なりに気を使わなくなる。更に人と会うのがおっくうになる。。。そうした悪循環の中で社会的に孤立してしまう。抜け出せなくなる。うつ病のように精神的に弱っている状態なら尚更だ。そんな感じのことを湯浅誠さんが言っていたのを思い出した。
役所や病院、福祉施設が当事者を精神的に支えることは難しい。事務的な対応に終始したり、あるいは教育的、指導的な上から下に向かう力が働いてしまう。そんな人間関係の中からは、希望を持って生きる力は沸いてこない。だからこそ、当事者同士が精神的に支え合う自助グループのような共同体が必要なのだと思う。なのに、自助グループで嫌な思いをしたことが書かれていて、著者の責任は全くないけど残念に思った。
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この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで。小林エリコ先生の著書。精神障害や貧困に苦しむ人、家族や周囲に精神障害や貧困に苦しむ人を持つ人にとっては元気がもらえる一冊のはずです。何気ない日常生活を平穏に過ごせることは何よりも幸せなことなのかもしれません。
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体調悪く、働けない日々が続きこの先どうするか。絶望感の中読んだ。
生活保護について、実体験の文章から色々考えさせられる。
捨て身にならず、できる事は、やり続けていかなくては。と思えた本でした。
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一気に読んでしまった。高校の時から精神科に行っていた、ということは若干のうつ傾向などがあったのでしょうか。それがブラック企業に勤めるまでは発病せず…しかし、人間以下に見なされる(と筆者とネット民は思っている)生活保護と、(病むか死ぬまで)休むことを許されないワープア。働く機会があって脱出できた筆者ですが、それは無理無理無理と筆者の足を引っ張り続けた病院と生活保護課。うーん…とにかく、実例は役立つと思いました。
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辛い経験がクリアに言語化されていて驚き、圧倒される。文章で書かれた内容以上に、筆致もまたそのときの心を雄弁に語っている。感情がこもっているのに、生活保護ならではのしんどさが整然と伝わってくる。切ない。読んでいて辛くなり、自分の置かれている環境がありがたく思われてくるようなところもある。
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ついふらっと自殺しようとしてしまったけれど、本当はまじめできちんと生きようとしている人だということが良くわかる。生活保護のこともざっくりと分かって、生活保護から抜けようとしている人への心無い対応している職員の人に腹が立ちました。ただ、生活保護を満喫している人たちもたくさんいるわけで、その人たちにすれば小林さんの心理はもちろんのことそれが税金であるということも理解できなかったのでしょう。
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僕は精神病に興味がありますし、貧困にも興味がありますが、この著書はビジネス系のウェブサイトに寄稿していた著者小林エリコさんの記事を読んで知りました。
序盤読み進めることが辛くなってしまい途中で辞めようとも思いましたが、最終的になんとか読み切れました。とてもいい本でした。
著者自身のこれまでのことを書いている内容です。
就職の失敗、自殺未遂、生活保護、貧困ビジネス、再就職の過程です。
人間誰しも負のスパイラルに巻き込まれるとなかなか抜け出すことが大変ですが、著者はなんとか踏ん張ったわけですね。
本当によかったね。と言ってあげたいです。
貧困には経済的な意味合いがまずありますが、それだけでなく、健康の貧困、そして、関係性の貧困があります。
経済、関係、健康いずれもとても重要なもので、それらの一つでも失うことで貧困へと至り易くなってしまうのです。
どれを失っても辛いものですが、逆に言えば、それらのうちどこかに手厚いサポートが加われば貧困から脱却できるチャンスも高まります。
関係性の貧困が解決すれば、社会制度の活用や就職のチャンスも高まるでしょうし、必要な医療制度に接続することもできるでしょう。
また、人はどこかに所属しているという感覚がとても重要です。自分がどこかに所属している。他者から必要とされている。他者や社会に貢献出来ている。そう感じられて人は自信を持つことができ、そして、生きていくエネルギーが生まれます。
自分の居場所があることはとても重要です。
小林さんはいずれも失ってしまうのですが、そんな状態からよくぞ立ち直りました。
しかし、世の中には上記の3要素を失って苦しんでいる弱者がたくさんいることでしょう。彼ら彼女たちのその状況を理解し、手を差し伸べる姿勢を持つ人、彼らの苦しみに耳を傾ける人が増えれば増えるほど、良い世の中になっていきます。
それは、小林さんの意見ですが、僕も全く同じ意見です。
残念ながら現代社会は弱い立場の人の気持ちを考えない人が多すぎるように思えます。そんなことでは結局自分自身の首を締めることなりますし、また、いつでも自分が弱い立場になり得るのです。
この著書がどれだけの人に読まれているかは僕にはわかりませんが、多くの人に読んでもらって社会についてもっと考えて欲しいと思います。
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主人公は、うつ病から、精神障碍者として認定を受け、生活保護へ。
当事者にならないとわからない、マイノリティーとしての心境が、ヒリヒリしながら、同時に淡々とつづられている。
読んでいる側はぐいぐい惹きこまれる。
また、精神障害のケア団体の拝金主義的な活動や、生活保護への暴力的なネットでの中傷など。
弱者へ対する攻撃的な世間への恐ろしさが感じられた。
仕事をするとは、社会と関係を持つこと。
関係をもてなくなり、どんどん社会から離れていく。
認めてもらうために歪な状況に迷い込んでいく筆者。
最終的な自殺未遂の数々。
途中ではたと、筆者自身で気づく。
自殺未遂をしていたのは、誰かにかまってもらいたかったから。
ではないか。
自分を客観的に見れることができたことが、筆者の人生に対してとても重要な効果を及ぼしていると思う。
この本の記載も一人称、自分目線で書いていながら、どこか自分自身を客観的にみれているような俯瞰の視点を感じられた。
人間は一人では生きていけない、誰かに認めてもらい生きていける。本当の孤独の中、人は生きる意味を見失うのだと感じた。
筆者が言っているように生活保護は重要な制度だが、運用がもっと良くできる余地があるんだろうなと思う。
福祉、介護関係には膨大な時間がかかりコストパフォーマンスのモノサシで測ってしまうと、本当の価値が測れない面が多々ある。その中で資本主義社会でどのように成り立たせていくのか、今後の課題だ。
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「死にたくなった」人の特効薬になる本を探して購入。
ワーキングプアから、精神疾患をきたし、生活保護になる至った作者の体験がつづられている。
私は、本書を「死にたい」気持ちを解決するためではなく、「死にたくなった」人の気持ちを知るために購入したのだったが、メンタル系の書籍の中で最も心に響いたのは本書である。
そもそも、本を書く人なんて優秀ではないか。「死にたい」を理性と賢明さで克服した人間からのアドバイス。有能であるが故に心に変調をきたし、結果として有能な活動を行っている人間。ルサンチマンと呼んでもらって構わないけれど、どうしても自分や大多数の人に比べて境遇に隔たりを感じてしまう。
対して、著者は確かに本を書いているが、経緯は親近感を感じる。短大を出て就職した先が、ブラック企業だったのだ。そして、生活保護というセーフティネットに引っかかるところまでなるべくして落ち込んでしまった不条理とも言える境遇である。
しかし、先に賢人たちを強者だと罵ったあとに、著者の弱者としての立場に哀れみを感じて、それがまた、自分に快楽として作用しかかるのを感じた。著者は私よりも、ずっと強く、ずっと立派な人間である。この立場の境目は動的で連続的であることを忘れてはならないと肝に銘じた。
本書で気づかされたこと、
私たちは、仕事をしたくない、したくないと日々口にするが、仕事をすること、つまり社会を回している感覚というのは自分の存在意義に直結する。そして、そうできない、やむにやまれぬ理由で普通でいられず苦しんでいる人が、多くいるということを認識しなければならない。
また、私は、生活保護を受ける人達を恥ずかしいと思ってきた。しかし、本書で追い込まれた人達の立場を知り、責めるべき理由なんてないことが分かった。生活保護は不運な人を救う日本人の良心ではないだろうか。
最後に、これこそが「死にたくなった」人に必要な考え方ではないかと感じた著者の言葉を引用したい。
“だけどまだ、人生の途中だ。これから先も失敗したり、絶望したりするかもしれない。けれど、それはすべて必要なことなのだ。私はこのままでいいのだと思った。”
過去と未来の悲しみと苦しみをひっくるめて人生を全肯定すること。これが、「諦める」でもなく、「前を向かせる」でもない、過酷な境遇から復活を果たした著者が語る至言である。