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地震の知識が深まります
2016/05/20 23:21
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ねったいぎょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
秀吉の時代の歴史に関する勉強をしているところだったので、目につきました。立ち読みをしていたら、その面白い内容に引き込まれ、すぐに購入しました。地震については、いつ自分にふりかかるかもしれず、知識を仕入れておくことは有益です。地震というのは恐ろしいものですが、ただ恐れていても解決されるわけではありません。本を読んで勉強しておけば、自分の命を助けることにつながります。そういった意味でも、この本はできるだけたくさんの人に読んでほしいと思う内容でした。歴史の勉強にもなりますし、一石二鳥です。
地震考古学が教えることに、もっと真剣に学ぶべき時期に来ているらしい
2010/03/22 14:05
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
秀吉が体験し、怖ろしい目にあった2つの内陸型大地震を詳しく調べ、書物にまとめたのが本書だ。
ひとつは1586年に中部地方と近畿東部を襲った天正地震。もうひとつは1596年の京阪神・淡路地域に大きな被害を与えた伏見地震。
天正地震では、琵琶湖南西岸の坂本城にいた秀吉は、馬を乗り継ぎ、飛ぶようにして大坂へ逃げ帰る。富山城を攻略した後、大坂へ戻る帰路に立ち寄った坂本城で被災したのだ。
このあたりの顛末は、イエズス会のポルトガル人宣教師による『日本史』に、文字で記録されている。それ以外にも、『兼見卿記』、『顕如上人貝塚御座所日記』にも秀吉の行動が書かれている。
このくらいの時代になると、この地震による被害がいくつもの文書に記述されている。『東寺執行日記』、『多聞院日記』、『山内家御家中名誉』などなど。
天正地震では、琵琶湖・京都・奈良・富山・濃尾平野といったところで、相当な被害があった。たとえば、長浜城で多くの建物が潰れ、山内一豊と千代が子どもを失ったことは、NHKドラマでも取り上げられた通りだ。
白川郷の帰雲城には大量の土砂が押し寄せ、城と城下町を埋め尽くした。一瞬にして消えてしまったのだ。300あまりの家と数百人の男女が土に埋もれて。
天正地震は、岐阜や濃尾平野にある3つの断層が動いて起きた。これは地質調査、あるいは考古学の調査のときに著者が立ち会って地震の痕跡を見つけることによって確認されている。断層のずれはもっとも分かりやすいが、液状化現象を起こして吹き出した細かな砂の層の跡からも裏付けられる。
もうひとつの伏見地震では、秀吉はもっと怖ろしい目にあった。伏見城の多くの建物が倒壊したからだ。幸い秀吉自身は助かったが、城内のおよそ500人が死んだと記録されている。秀吉は大庭に避難し、敷物を敷き、幕屏風で回りを囲ってしばらく過ごした。
伏見地震は京阪神にある有馬-高槻断層帯が動いて起きた。マグニチュードは7.5以上8に近い数値と著者は推定している。当時の歴史の中心地で起きた大地震なので、非常に大きな被害をもたらした。
その痕跡は、やはり断層のずれや液状化現象の跡から判読できる。特に、伏見地震よりも前に作られていた古墳や古寺の大きなずれや倒壊跡から分かる。
1995年に起きた阪神・淡路大震災は、伏見地震からおよそ400年後に起きた阪神地域での内陸型大地震であったことになる。ちなみに、有馬-高槻断層帯は、液状化跡を読めば、3000年近く前にも活動していたことが判明する。阪神・淡路大震災で激しく動いた淡路島北部の野島断層はおよそ2000年前に活動している。
なかなか時間スケールの大きな話である。自分が生きているうちに巨大地震に遭遇するおそれがどのくらいあるのか気になるところである。
著者の見立てでは、内陸型の大きな地震が続いた後に、南海トラフの巨大地震が控えているという。プレートの潜り込みで蓄積されたエネルギーが放出される南海・東南海・東海地震のことだ。この3つの地震はひとつながりのトラフの動きに伴うので、歴史的にみて、ほぼ同時もしくは1、2年内に発生している。
1995年の阪神・淡路大震災から新たな活動期に入ったと言われているので、海底プレート境界で起きる巨大地震への備えをしておくのは賢明なことということになる。
人の一生よりも地震のサイクルの方がずっと長いので、いつどこで起きるか分からないという難しさはあるが、安心していられる状況ではないと覚悟しておく必要がありそうだ。
なお、著者が古い液状化現象の跡などから地震の歴史を突き止められるという「地震考古学」を提唱したのは、1988年の春のことであった。
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