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我が師の1人による、またまた独特のタイトル本。結論として「手前で考えろ、本気で」に尽きる。全体の半分くらいの主張に対して、その通り!と思い、30%ほど、それはちゃうんでは?と思い、残りはうーむわからん、という感想。レンジがかなり広いため、うなってしまう場面多し。語り口がまたすっきりしているため(これは随分と変化した)すんなり頭に入っては来るが、油断するとすぐ抜ける。中々に癖がある。
それが氏ならではであります。
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ちょっと前の「話題の本」。
文庫化されてたので、買ってみた。
「はじめに」にて筆者自らが述べているように、他人の考えを鵜呑みにする人は読まない方が良さそう。
そういう人が読んでは、第1章での、屁理屈こねまわしのような、現行制度の上げ足取りの連続のような文章に感化され、わかったような気で批判を持つだけになってしまうだろう。
かなり辛口な「道徳」教科書の批判から始まる本作だが、そこには北野さんの、現代日本への痛烈な皮肉と日本の将来を担う子供達への深い愛情が感じられた。
豚肉の例に例えて語られた…
「『考える習慣』をつけてやること以上の道徳教育はない」
結論として述べられた…
「いちばん大切なのは、本音で話すこと」
・・・マナーはマナー、技術は技術でしかない。でも、生きていく上で必要だから伝えなければならない。ならば、道徳とかいう建前は一度置き、本音でそれを伝えてみよう、と。
そして…
「まず大人が自分の頭で考えること」
この3つが、心に残った。
★3つ、7ポイント。
2018.01.24.新。
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たけしが道徳を語ること自体がギャグのような気もするが、まじめに語ってるだけで面白い。そういうネタなのか、と思ってしまう。ストレス解消にちょうどいい。
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タリーズにて読了。
なんでも良いから軽い本が読みたくて、新刊コーナーからチョイス。
1時間半くらいで駆け足で読みきりました。
(ここからネタバレあり)
「清貧」こそが美しいという道徳的価値観が強かった時代に芸人を目指し、大成し、地位も権力も手に入れた北野武さんの生い立ちをイメージしながら読みました。
前提として、道徳っていうのは都合が良い言葉で、法律的強制力は持たないものの、身の回りのコミニュティを上手く回すための統一的価値観。(←ウンウン)
日本は経済復興をとげ、土地バブル、IT革命などの社会環境変化の中で世の中が正しいとする価値観も少しずつ変化していく事を、真っ只中で感じていた彼だからこその道徳(=社会が求める価値観)に対する考え方。
道徳観と現実との呵責に悩んでる人は大勢いるかと思います。
が!
意外に道徳なんてものは、その時その時で変わっていく変動要素が高いもの。
だ道徳の逆側面や副作用を検討せずに与えられた事を素直に取り入れて邁進することは簡単だけども、その結果が正しいとも限らない。
道徳遵守をあまりガチガチに縛られなくてオッケー!道徳自体が変わったり、そもそも矛盾してる事も多々あるからね!自分の感覚、頭で考えたとおりに行動すれば大丈夫(^^)
と、言うことを清貧時代の常識から外れて大成功ひたビートたけしさんがおっしゃっているので心強くなる。
面白い事例もいくつかあってナルホドー!と思ったけど、ネタバレさせちゃ勿体無いので、読んでからのお楽しみで★
ところで、私の親も70近くてビートたけし世代だから、本当に清貧をすりこまれたなーー。
奨学金かりて国立大でて現在公務員。
愚痴や不満はありつつも何とか頑張れるのは子供の頃に叩き込まれた清貧道徳があるからなのかもしれない。
これから、いろんな経験を積んで、吸収して、私なりの道徳基準を見つけていこうとおもった。
いじょう!!
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道徳とは、自分の生き方。
そこに関しては全く同じ考えだけど、半分共感できて、半分自分のこだわりを正当化している感じ。
ビートたけしは大好きだけど、やはり本となるとそうなってしまう。
新書にありがちな最初はすごく読みやすいが、後半は徐々に戦争や社会問題に発展して、んー。なところも若干。
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子供の頃に受けた道徳の授業を思い返しながら読みました。一方的に教えられる「道徳」への武さんの鋭い見方が書かれています。いいことをする、道徳的な行為をするって、自己満足につながることが多いですよね。少なくとも私はそうです。いい事したな〜と酔い知れてしまったり。でも世の中には自己満足とは関係なくとっさに利他行動を取れる人たちがいるのも知っている。いろいろ考えさせられました。
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たけしが小学校の道徳の教科書に突っ込みを入れる形で始まる著書ですが、なかなか深いことが書いてあります。
確かに道徳って、考えようによっては人に押し付けるのは危険だと思いました。自分なりのルールがあればそれが道徳というのは説得力があります。
なんにも考えていないのがまずいんですよね。
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道徳なんて時代と共に変わる。大人が道徳として何を教えるか、なぜ教えるか、を考えることが大切。いざ教える立場になると、困ることばかり。
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タフジャパンの鎌田修広氏が講義の中で紹介したことがきっかけで読んだ1冊。
本書を通して、何歳になっても常に新しい価値観に触れ、考えを変化させていく柔軟で謙虚な姿勢を持とうと思った。
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自分も親になり、子もだいぶ成長してきた。
もう高校生で、親の話なんて聞きゃしないが、まぁ幸いにも心も体も健康で、そこそこ立派な青年になってきた。
そして逆に、自分も、さらに自分の親も老いてきた。
だからこそ余計に思う。
「最近の日本、間違ってないですか?」
「日本」を「会社」に置き換えてもいい。
利益が出ているとか、出ていないとか、そういう事ではない。
そもそも、大事な部分がズレてないですか?
その自分でも感じている違和感を、明確にバッサリ切ってくれた本書。
さすが世界のキタノ!
(2016/1/7)
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爽快。所さんと同じく「その通り」と思いながらも、私自身がタケシさんから警鐘を鳴らさせている存在であることを忘れずにいなければいけない。
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いい加減に成熟しろ、とタケシに投げかけられているように感じた。本当はこんなダイレクトな言葉よりたくさんの映画や本、アートなどから感じとって自分で言語化できるくらい自分のものの見方が定っていたら良いのだけど。
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新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか (幻冬舎文庫)2018/1/23
自分の頭で考え、自分の心で判断できる子供を育てる
2018年1月22日記述
北野武氏による作品。
2015年9月10日第1刷発行。
たいていこういった作品はビートたけし名で出すのだけれど北野武となっているあたりは何か意味があるのだろうか。
深い意味はなさそう。
小学校などで道徳の授業時間は自分の時にもあった。
しかし教科書は無く割と自由な時間の使い方をしていた記憶がある。
昨今はきちんと教科書も整備され授業が行われているとの事。
北野武氏はその内容から道徳の持つ問題点を指摘する。
ページをめくったすぐの箇所にエピグラフとして
芥川龍之介氏、侏儒の言葉よりが一部掲載されている。
突き詰めると武氏の言いたい事はここの凝縮されている。
道徳は便宜の異名である。
「左側通行」と似たものである。
道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約である。
道徳の与えたる損害は完全なる良心の麻痺である。
良心は道徳を造るかも知れぬ。
しかし道徳は未だ嘗て
良心の良の字も造ったことはない。
本書の印象に残った点を列挙してみたい。
道徳がどうのこうのという人間は、信用しちゃいけない。
道徳なんて、ほんの少し時間が過ぎただけで、あっさり変わるものだ。
そんなあっさり変わるものを、簡単に「これが道徳だ」なんて決めつけていいわけがない。
だいたい、いつ誰がどうやって決めたのかもよくわからない。
映画監督の黒澤明さんが「あなたの最高傑作は?」と質問されて、「次の作品だ」と答えたっていう有名な話があるけれど、昔を振り返って過去の栄光にひたるのは、要するに年寄りの発想なのだ。
誰かに親切にして、いい気持ちになるっていうのは、自分で発見してはじめて意味がある。
大人が心にもないことを言っている限り、子供にも伝わらない。
道徳っていうのは、そういうものだと思う。
他の教科のように、理屈で教えられるものではない。
道徳の時間は、本音で話さなければ、教える教師にとっても、子供にとっても退屈で無駄な時間でしかない。
道徳が役に立つのは、むしろ不道徳な人間だ。
上っ面だけいい人間のふりをしたければ、道徳の教科書に書いてあるようなことばかりやっていればいい。
道徳を教えるのと、良心を育てるのは別のことなのだ。
道徳を云々するなら、まずは自分が道徳を守らなくてはいけない。
それができないなら、道徳を語ってはいけないのだ。
夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。
今の世の中じゃ、ウサギは途中で昼寝なんかしない。
他のウサギと競争中で、カメにかまってる暇はない。
誰もがインターネットを使うようになって、世の中が昔より不寛容になった気がする。
→これは気のせいではないのか。む���ろネットによって不寛容な人間、異分子を叩く人間が見える化したのだと思う。ネットだけで急に世の中の人間が不寛容になるはずがない。
ただ一部の過激な人間(叩く人間)に付和雷同している人間は増えたかもしれない。
謙虚になってはじめて、人間は何かを学ぶことが出来る。
どんなに歳をとっても、偉くなっても、自分が何も知らないってことを忘れちゃいけない。
ひとつの知識を本物の知識にするためには、何冊も本を読まなくてはいけない。
それは今も昔も変わらない。
インターネットで手軽に知識を得ることは出来ても、手軽に得られるのは手軽な知識でしかない。
ハリボテの知識だ。
知ったかぶりが増えただけのことだろう。
インターネットでおかげで増えたのは、人類全体の知識の量ではなく、自分が世界中のことをなんでも知っていると勘違いして、自分は絶対に正しいと思い込む人の数だ。
道徳っていうものは、そもそも社会秩序を守るために作られた決まり事なのだ。
道徳は社会の秩序を守るためのもの・・・と言えば聞こえはいいけれど、
それはつまり支配者がうまいこと社会を支配していくために考え出されたものなんだと思う。
牧場主が自分の都合で牧場の柵を作るように、権力者は自分の都合で道徳を作る。
都合が変われば、道徳もコロコロ変わる。
コロコロ変わるのが道徳の宿命なのだから。
学校で教わった道徳を、絶対だと信じるからおかしなことになる。
道徳なんてものは、権力者の都合でいくらでも変わる。
少なくとも、いつの時代も、どんな人間にとっても通用する、絶対的な道徳はないっていうことは間違いない。
それだけは頭に入れておいた方がいい。
道徳は人間関係を円滑にするための技術だ。
道徳を身につけるのは、人生を生きやすくするためなのだ。
勤労が道徳なのは、権力者が楽をするための決め事なのだ。
いろんな理屈をつけてはいるが、要するに自分は働かずに人を働かせるために、勤労は道徳だってことにしたわけだ。
いつの時代も、権力者は人を働かせたがる。
今もそれは変わらない。
→「豊かになるためには働く必要がある」と野口悠紀雄氏は指摘している。
大切なのは楽をし働かない(経営判断を進めない)権力者はやめて貰うことであろう。
ファーブルはこういった。
「自由は秩序を作り、強制は無秩序を生む」
「ほんとうの意味で、傷つけたいと思っている人は一人もいない。だから、自分が傷つきたくないなら、他の人を傷つけるのはやめよう」
教室の子どもたち全員に教えていい道徳は、これくらいしかないんじゃないか。
よくリタイアしてから趣味を見つければいいなんて言ってる奴がいるけれど、そんなものが見つかるわけがない。
一番やらなきゃいけない時にやってないんだから。
なんでもそうだが、習い始めてから本格的にそれを楽しめるようになるまではには、それなりに時間と労力がかかる。
年寄りにはそんな時間も体力も残されていない。
若い時に始めなければ、趣味がほんとうに面白いレベルに達するのは難し��のだ。
自分の人生は自分で楽しくしなきゃいけない。
人生の目的があるなら、それを追求すればいい。
だけどそれがないなら、無理して人生の目的を探すことなんてない。
中途半端な会社人間になるのがオチだ。
そんなことより、若いうちから自分が生涯打ち込める趣味を見つけておいた方がいい。
人生の目的を探すんじゃなくて、自分が一生夢中になれるものを見つけるのだ。
それがあれば、歳をとってからわけのわからない犯罪を犯す確立だってかなり減るんじゃないか。
最低限の事しか教えないのは、どんなに厳しく道徳を躾けたところで、子供が自分からそう思わなきゃ意味はないからだ。
結局のところ、道徳は自分で身につけるものなのだ。
どんな道徳を身につけるかは、人によって違うだろうけど。
不思議なもので、成功する芸人は例外なく、あいさつをきちんとするし、それなりの礼儀もわきまえているものだ。
人当たりもいいし、ADに横柄な態度を取ることもない。
人間社会で、上に行こうとする奴は、放っておいても道徳的になる。
そうでないと、上にはいけない。
道徳は本来、人ぞれぞれで微妙に違うものだ。
人それぞれなんだから、道徳は自分で作るに限る。
誰かに押し付けられた道徳に、唯々諾々と従う必要はない。
時代を作る人は、いつだって古い道徳を打ち壊してきた。
新しい世界を作るということは、新しい道徳を作ることだ。
道徳を作るなら、まずは自分がいつか必ず死ぬってことについてよく考えてみることだ。
自分の死をしっかり腹におさめておけば、人生でそう大きく道を誤ることはないはずだ。
道徳教育を徹底しないと、子供がおかしくなってしまうなんていうのは年寄りの錯覚でしか無い。
錯覚でしかないけれど、彼らはそれを「いいこと」だと思い込んでいる。
だから、それを子供たちに教え込もうとする。
いいことをすると気持ちいいから。
そんな年寄りの戯言(たわごと)に耳を貸す必要はない。
古臭い道徳を子供に押し付けたって、世の中は良くなんかならない。
そんなことより、自分の頭で考え、自分の心で判断できる子供を育てる方が大切だろう。
そのためには、まず大人が自分の頭で考えることだ。
道徳を他人まかせにしちゃいけない。
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2022/01/03
ビートたけしさんこと北野武さんの文章を読むのは初めてでしたが、世の中で一般的に教育として行われている、教えられている「道徳」というものに対して疑問を呈するような内容になっています。
自分も読んでて「確かにそうだなあ」と思う部分がたくさんありました。
「挨拶をすると気持ちいい」とか「老人に席を譲ってあげると心が晴れやかになる」とか「道徳」として学校で教育されるものって「結局正解ってこれじゃん」「先生はこう考えさせたいんじゃん」みたいなものばかりだったように思っていたものを北野武さんが上手い例えを使いながら代弁してくれたように思います。
挨拶をなぜするのかということに対してだって、「心が晴れやかになる」とか「気持ちがいい」とかそういう「人によって考え方って違くね?」みたいな切り口ではなくて、もっと本質的な部分を切り口にして教えるべきだと北野武さんもこの本で再三に渡って述べられています。
本物を見せてどう考えるかは子ども次第、というところにも共感しました。
都合の悪い部分だけは大人が意識的に子供の目に触れさせないように過保護かのように守って、それでいてどう考えますか?と道徳で問われる子どもたちは大変だし、「正解を伺うような子ども」ばかり増えてしまうような気がしてしまいました。
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たけしさんが道徳を語るという、意外性がありました。
本の大きさが新書のサイズなので、てっきり新書とばかり思っていましたが新書『風』ですね。
冒頭で俺の言っていることをそのまま受けとっちゃダメ、と書かれていますが、なるほど!と思うことが沢山あります。
現在、道徳として子どもたちに教えられている(考えさせる)ものには、実際の世の中、大人の世界と矛盾点があり、また、答えを誘導するようなスタイルになっているのですね。
大人も道徳とは何か?を深く考えると、これがよく分からなかったりする。これが答えだ!と思っても、人それぞれの感じ方、考え方があったりする。
自分も「道徳って何?」と問われると、しどろもどろになってしまうくらい、自信をもって答えられない。
なぜ道徳が必要なのか、いいことをすると気持ちいいという根拠は?
たけしさんが、俺はこう思う、というのを語っています。
とても読みやすく、ツッコミもありつつ、興味深く書かれていると思いました。