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様々な死と日々向き合う著者の死生観、宗教観、そしてたどり着いた想いが詰まった、単なるノンフィクションに括りきれない作品。
お国柄、風習、慣例は違えど、死者を弔う気持ちは同じ。
同時に死を恐れ、ともすれば蓋をし、遠ざけたい気持ちが働くのも同じ。
しかし、著者は死を受け入れ、寄り添い、そこにメッセージや美しささえ見い出す。
死に対する考え方が少し変わった。
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人の生死について書いた本でした。
フィクションだろうと思って借りたのですが、ノンフィクションでした。
ちょっと辛い、苦しい部分もあって読むのに時間がかかりました。
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死をビジネスとする葬儀屋が、死を見つめ続けたからこそ生み出される言葉とは、どんなものだろう?
今の社会は死を覆い隠していると著者は言う。昔は、自宅で迎える死は多かったが、今では病院で医師や、介護施設等で死を迎える。そして、建物の裏口から、そっと運ばれ、葬儀屋にゆだねられる。こんな社会だからこそ、時代だからこそ、この本に意義がある。
時間について、示唆に富んだエッセイに感動したし、死を身近に感じているからこそ死と向き合い、生きているからこそ得られる感情を語る本書は、現代に生きる人への道標と感じた。
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死は土で天国は花。
死の土壌から美しいものがにじみ出し、天国が出現する、という考え方に共感。
エンバーミング含めた葬儀を家業とする著者のブログがきっかけに書かれた本書。
死を隠し、忌み嫌うことで、恐怖が増す。そして幸福から遠ざかる。
昨今の愚かな選択のために、いま、幸せに生きることを奪われている子どもたち。死なないために生きているのではなく、いま、ここで、生きる喜びを感じるために、いのちを燃やすために、生きるべき。死は不可避で、何よりも優先されることではない。
死について、生について、考えることが大切だと改めて思った。
中村哲さんは、地獄に天国を出現させた人だなあ、ということも、読みながら頭をよぎった。
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現代人は死に触れ、死者のことを思い、死者を哀悼することを忘れてしまったのだ。
沈黙を前にした時、私たちは生存本能や生物学的特性を意識的に否定しなくてはならない。そのとき、私たちの答えとか説明とか確実性とか、天国への導きだけでは、私たちの疑問や疑念や不安は解消できないことを悟る。死よりも沈黙を恐れているのかもしれない。
人間の内部には、恥や恐怖に一度も傷つけられていない秘密の場所があるように思う。その無垢な場所では、私たちはありのままの自分でいられ、自分は愛されているのだと信じることができる。そこでは完全で完璧なふりをする必要もなく、仮面をかぶる必要もなく、傷を隠す必要もない。しばしばその場所は、死によって明るみに出される。
エデンの園では、弱いことが当たり前であり、恥の感覚などは力を持たない。
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葬儀屋さん、私たちより遙かに多くの「死」にであう。何を感じ、どんな言葉を語るのか、それを知りたくて読みました。
「人生で最も辛い体験の一つは、愛する者が別れも告げずに去っていくことである」(P125)と述べ、
「たとえそこに苦痛と涙が満ちていても、愛が支配するところに天国はある。時に天国は地上にあらわれるのである」(P127)と語る。
大切なのは日々の生活の中で、近しい人を大切にし、その時その時にかけたい言葉、かけるべき言葉があれば後回しにしないこと。日々のささやかな積み重ね。
難しいことではないはずなのに、実行できないのはどうしてだろう?・・・と自問ばかりしていてはダメなんです。まずは行動する。