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坪内逍遥の写実主義にはじまった近代日本文学は
現実と人間の精神を相対化していった
そして私小説のスタイルが登場して以降、日本の作家たちは
脚本家と俳優を兼ねるような存在になった
全人的な表現がひとつの理想とされ
作家たちは破戒的な生き方を競ったものである
さらに白樺派の志賀直哉が登場するに至り
彼らは己のエゴイズムによって
相対的に現実を確立するという逆説をみた
それが昭和以降
なにかと批判を受けることとなった自然主義の流れである
一方、そういった流れと一線を画したのが
例えば夏目漱石や森鴎外であり
芥川龍之介であった
彼らは、俗情と自我のせめぎあうはざまに
自らの肉体を置いた者たちであった
そして結局「物語の筋」を言い訳にしていたのは
芥川ではなく、自然主義・私小説の側である
だから彼らの生きざまは、どこまで行っても寸止めであった
しかし芥川がそれへのあてつけとして
生と死の境界線を渡ったとも考えにくい
なんなら、自然主義作家たちの厚顔さを最も羨んだのは
芥川その人にほかならないからである
むしろ、そういう形で成熟できない自分にこそ彼の不安が生じた
そういった自分自身への反逆が、結果的に
自死へ至ったとするならば
彼は「永遠に守らんとするもの」にも
「永遠に超えんとするもの」にも救われない
近代的日本人の、ひとつの典型と呼ばれるべきかもしれなかった
芥川が自然主義作家たちを羨んだのは
ひょっとしたら、自分の出自にまつわる後ろめたさが
払拭できなかったことも原因のひとつかもしれない
(小穴隆一が芥川私生児説を出している)
しかし結局は自然主義こそが
当時、俗情の真に求める「文学」だったということだろう
それを意識しすぎたために
芥川は自滅した
その失敗を出発点に置いたのが、誰あろう太宰治である
気づいたら道化になってた芥川とは異なり
太宰は初手から意識的に道化だった
そして太宰は、マタイ伝に記されたイエスの言葉に忠実だった
「汝ら断食するとき、かの偽善者のごとく悲しき面容をすな」
その言葉によって自然主義を退けた彼は
ユーモアと愛嬌をもって俗物とインテリのはざまを往還した
要するに、両者の断絶を無いものとし
世界の単一性を証明しようと試みたわけである
少なくとも、保守評論家である福田恆在の目には
そのように映っていた
ところが、この太宰治論の前半分が発表された直後
太宰は女を道連れに死んでしまう
もともとは、志賀直哉にたてついて干されかかっていた太宰を
救済するための太宰論であったらしい
しかし福田がやったことは結局のところ
自分のうちにとらまえて、太宰を理想化しただけだった
それを俗論というのである
別に悪いことじゃない
というか、評論ってたぶんそういうもんだと思うけど
ただ、福田の理論にならうなら
生と死がひとつながりの世界であるということになっても
おかしくは��かった
太宰の死の真相はわからない
どこまでも掴み所のない道化として彼は去っていった