余裕を取り戻そう
2021/03/23 17:11
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かわも - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、著者ソルニット自身が体験したマンスプレイニング(男性が偉そうに女性を見下しながら何かを解説・助言すること)からはじまります。マンスプレイニングは女性から発言機会を奪い、沈黙を強いる行為です。
一例としてソルニットは、中東で女性はレイプされても男性の目撃者がいなければ、被害を証言できない事例を紹介します。ソルニットは「(女にとって)信じてもらうことは基本的なサバイバルツールだ」と言います。
現実世界は依然として男優位の構造です。働き方をとってみても、男女平等といいながらも実際には男と同等の働き方を強いる場合がほとんどです。女は社会の中で信用を勝ち取るために文字通りサバイバルしているのです。
この本は何のことはない日常に会話の中に潜むジェンダーを指摘し、それが男性性だけでなく暴力と結びつくことを訴えかけているのです。なぜ男女差別やミソジニー(女嫌い)は発生するのか。そして、この問いはそのままなぜ暴力は発生するのかとそのまま置き換えることができそうです。
ソルニットは、物事を確信的に捉えることや断定することに原因があるのだと示唆しているように思います。こうだと確定した瞬間に多様性は失われ、他の可能性が見えなくなってしまうことに原因がありそうです。
「よくわからない」という余裕こそが人々の心を軽くするのです。わからないこと(未知なるのもの)はそのまま受け入れればよく、恐れることではない。
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とにかく怒りのパワーがすごかった。
ヴァージニア・ウルフに触れるのは興味深くてよいのだけど、
彼女の詩を雪の上に書いてみろ云々のくだりなんか蛇足すぎる…
でも、ここまで弁解の余地も与えず怒るのはなぜだろう?と考えるきっかけにもなった。
とりあえず、最初から最後までひたすら怒り続けているので、
ちょっとこれは精神的に元気100%の時でないと読むのきつい。
今回は疲れて途中でやめてしまったので、そのうちリベンジしたい。
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権威あるっぽいおじさんが、若い女の人に対して、物を知らないと決めてかかってなにか説明しだす。そういうのはありふれた光景だ。もちろん男がみんなそうってわけじゃない。でも、女はみんなそうってことが多すぎる。笑い話のようなあるある話の一方で殺人犯の90%は男性という事実がある。両者の間はグラデーションになっていて、つながっている。
一見絶望ともおもえるフェミニズムの問題。しかし著者ははこれからなにがおこるかわからないし、わからないことが希望の礎だと言う。複雑な問題を考える方法をさまざまな仕方で提示する。
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説教したがる男たち。レベッカソルニット先生の著書。説教したがる男たち、説教男たちがいるのは日本だけではなくて万国共通であることを思い知らされました。私は自分が上から目線で説教されるのは耐えられないし、他の誰かが同じように上から目線で説教されているのを見るのも苦手。でも気づくと自分が他の誰かに説教じみた話を無意識にしてしまっていることもあるから困ります。
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自分の書いた本を「誰よりも知っている」風に説明してくれる男性への違和感から始まる本書。「無知な女性」に対して「よく知っている男」である自分がいろいろ教えてあげよう、という態度で接してくるおじさんは、アメリカに限らず日本でも数多く生息しており、大いに迷惑である。そういうおじさんを指し示した言葉「マンスプレイニング」が作られるきっかけとなったのが本書である(ただしソルニット自身が作り出した言葉ではない)。こうした日常の中の何気ない会話に潜むジェンダーから、性暴力やレイプ、セクハラ、さらにはミソジニーにもとづいた「女性へのテロ」までを同一線上に描く手腕は見事だと思った。
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タイトルで読んでみました。上司が男性ばかりだと常にこういう構造になるので。日々のニュースを見て、加害者被害者の関係が圧倒的に男性から女性に向けられていることからしても。
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ここのところなんだか気になっていたのだが、他に読むものが多いし、値段のわりにはページ数がすくなく、コスパ低そうなので、先送りしていた。
が、たまには違った本を読むのもいいかな、と思い、買ってみた。
本をひらくと、行間や上下左右の余白が広く、「ページ数のわりには値段高い」感じは増幅されたものの、内容はかなり面白い。凝縮された内容がスピード感をもって語られていて、それがユーモラスだったり、知的だったり、詩的だったりということと両立しているのが不思議。
結果して、内容の満足度からみるとコスパは高い。
というか、個人的には好きなタイプだな〜。
内容的には、「今日のフェミニズム」という感じかな?
本のタイトルになっている冒頭のエッセイは、女とみると知的に一段低い存在とみていろいろ蘊蓄を語り始める男のエピソードからスタートして、これが今のレイプ・カルチャーな社会に繋がっているという話で、なるほどね〜、ああ、自分もそのカルチャーを維持することに貢献してるかも〜、と思った。
未来は見えないし、ときどき逆行しているように思えることもあるけど、フェミニズムがこれまでに生み出してきた大きな社会変化を再認識し、前にすすんでいこう、これは女性だけじゃなくて、男性も解放する運動なんだという感じかな?
個人的に一番感動したのは、ヴァージニア・ウルフの学会で発表された「ウルフの闇」。
「未来は暗い。思うにそれが、未来にとって最良の形なのだ」という引用でエッセイは始まる。
なるほどね〜。ここには、未来に対する決定論的な希望も絶望もない。不確実性を受け入れること。そのわけのわからない状態から生み出されているさまざまな可能性を祝福しているわけだ。
次になにが起きるかわからないという希望。
そして、この不確実性は、社会だけでなく、自己に対しても適用され、一つの「自己」という概念を揺さぶる。
「自分のなかにいるたくさんの自分」を認めること。その不安定性に踏みとどまることからなにかが生み出される。
「私たちはもはや自分自身ではなくなる。晴れた夕方の四時から六時くらいに家から外へ踏み出すとき、私たちは友人の知っている姿を脱ぎ捨て、無名のさまよい人たちの茫洋とした共和国に加わる」
「自己というのはさまざまな姿を持ち、ほうぼうさまよい歩いているものだから、いっそのことしたいように任せて邪魔しないほうが、私たちは真に自分らしくいられるのではないか。日常生活で求められるのは統一性だ。便宜上、人は統合された自己をもたなくてはならないのだ」
そうなんだよね。
「統一的な自己を持たなければならない」みたいなディスコースに息苦しさを感じていた最近のわたしの思考とぴったりシンクロする本でした。
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全くこれだからアメリカ人て奴は!
……?果たしてそうかな?
どこの国だって、似たようなものじゃないの?あるいは、もっと酷いか。
性犯罪の認知件数は氷山の一角に過ぎない。
痴漢盗撮強制猥褻。
ありふれているのに、声を上げられない。
一方で、夫婦でも、恋人でも、性行為を強制する・されるの関係はおかしいと思わないか?
それとも、こんなふうに思っているの?
「レイプされた女性の身体は妊娠を避けるよう機能するはずだ」(43頁)
これがアメリカの政治家の発言だなんて信じられる?
でも、日本だって、報道されたり公になったりしていないだけで、こんなバカすぎる考えの人はいるんじゃないか。
別に男性一般を憎んでいるわけじゃないし、とんでもねえ野獣●△*$!なんて言うつもりもないし普段はいい関係を保てている。
ただ、誰にでも、一部の男性からクソみたいな扱いをされたことはあるはずだ。
美人かブスか、肌の露出の有無、時間帯、年齢、そんなこと関係なく、ただ、「女」だと言うだけで貶められたことが。
本書は、何も#男はみんなそう(#YESALLMEN)とも、#女はみんなそう(#YESALLWOMEN)と言っているわけではない。
やや強い言い方をすることもあるが、タイムリーで、そして絵画や文学といったクリエイティブな世界にも言及している。
特に、ヴァージニア・ウルフについて述べた箇所は、フェミニズム論、ジェンダー論を語る上で非常に参考になる。
女性嫌いな男性たちよ、女性をなぜ貶めるのか。
誰かを下位に見なければ自分の足元は揺らぐのか?
それは免れられないものか?
そんなことはないはずだ。
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文科相の教育勅語の話題、熊本ののど飴の話題、その圧倒的なまでの配慮のなさは知性の欠如そのもので、女性というのは男性の付属品であるという前近代的な、稚拙な思い込みによるものでしかない。どうしてそんな風に人をコントロールしたがるのか理解に苦しむ。そんな中、予言していたかのように現代の知性を代表するレベッカ・ソルニットの新作「説教したがる男たち」が邦訳されたので、早速読んだ。切れ味鋭い語り口と、緻密なリサーチに裏打ちされた安心感こそソルニットの真骨頂なのだけど、本作でもそれが存分に発揮されている。
本作の根底には「フェミニズム」が流れている。2010年代になってもまだ、男性優位の考え方が消えていないし、こと日本においては冒頭の二つの事件からしても後退すらしているように思える。ソルニットは圧倒的な知性をもってそれと戦う。そして我々が出来ることの一歩はソルニットの言葉を読み、その知性に一歩でも触れることだ。アホみたいな内閣の布陣を見ていると、がっかりしかしないが、それを成り立たせているのは「マンスプレイニング」(「男性は女性よりも知識が豊富である」あるいは「女性よりも多くのことを理解することができる」という全く根拠のない性差別)なものの見方が消えうせていないからでもある。男性主義的なもの独裁主義的なもの他人をコントロールしたがる征服主義的なもののカウンターとしてのフェミニズムを、説得力を持って遂行出来るのソルニットには信用がおける。
私は女性ではないのだけれど、いまの日本のこの状況にはなにか非常に許されざるものとか危機感を感じていて、景気が上向いたとかそんなことどうでもよくて、このままだと何も考えない人たちで溢れかえりそうだから、皆が少しでも、知性のかけらをつかむような行動をとるようにしなければならないとおもうのだ。それは本を読むこととか演劇を観に行くとかアートを鑑賞にいくとかライブを観に行くとかそんなことから始まるはずだ。いつもの日常とは少し違う何かを感じ取ることから始まるはずだ。そして、この本はすべての男性に何かを気づかせてくれるはずだから必読なのである。
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マンスプレイニングについて思うことが多々あり、この言葉が広まるキッカケになったという本作を手に取る。マンスプレイニング体験談だとか、マンスプレイニングのデータ(何だそれ)とかを織り込んだ詳しい解説本なのかと勝手に想像していたけれど、実はマンスプレイニングについて書いてあるのは一章だけであとは別の話だった。絵画の話とかヴァージニアウルフの章、謎を謎として捉える続けることのパワーについての話も興味深かったけれど、いかんせん最初の自分の間違った期待が大きく、そこに引っ張られてしまった。
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いまからたった五十年前には、厳密な意味でヘテロセクシャルでないものはみな、犯罪者か精神を病んでいるかその両方だとみなされ、厳しく罰せられた。そんな仕打ちから守ってくれるものは何もなく、むしろ法律によって迫害や排除が認められていた。
同じジェンダーに属するふたりの人間が結婚できるという考え自体、フェミニストたちが結婚をかつての上下関係のシステムから解き放ち、平等な人間同士の関係として再創造したからこそ可能になったのだ。さまざまな事柄が証明しているように、結婚の平等に脅威を感じる人たちは、同性カップル間の平等だけでなく、ヘテロセクシャルのカップルの平等という考えもおそれているのだ。
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フェミニズムに根差した論考集。読みやすい。表題の「説明したがる男たち」は確かに面白かった。「脅威を称えて」で語られた同性婚がもたらした結婚の平等という考え方の革新性も勉強になった。
少しレイプやDV関連の話が多く辟易してしまうところも。被害者予備軍の女性が縮こまるべきではない、加害者予備軍の男性を教育しなければならない、という発想には共感した。ただ、「夜道を歩かない」という発想が染み付いている身としてはうっかり忘れそうな考え方でもあるので、覚えておこうと思った。
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"民主主義とはこういうものだ。すなわち、すべての人間が発言権を持ち、富や権力や人種やジェンダー次第で、罰せられずに逃げおおせるようなことはないということだ。"(p.59)
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エッセイですね。サクサク読めます。
理論的に男性が説教をしたがる背景を述べるというよりは、説教したがる男を革切りにそれらがエスカレートしてレイプ事件や殺人事件DV被害につながっていく、という流れ。アメリカのレイプ事件や殺人事件を中心に記述している。
以下読書メモ
>>
・15歳から44歳までの女性が男性の暴力によってなくなったり障害を負ったりする確率は、マラリアと戦争と交通事故によるものの合計よりはるかに高い。
・結婚によって、夫と妻は法律上ひとりの人間になる。つまり女性の存在そのもの、もしくは女性の法律上の存在は、結婚が継続する間は保留となるか、少なくとも夫の存在に組み入れられ、統合されるのである。夫の庇護のもと、覆われるようにして守られた状態で、妻はあらゆることを執り行う。それゆえ我々が使う法律用のフランス語では、既婚女性を「覆われた女性(ファム・コベール)」と呼ぶ。また女性は、貴族や君主のような上位者である夫の保護と影響のもとにある。そうした既婚女性の状態を「覆い(クーベルチュール)」ともいう。こうした理由から、男性は妻にはなにも譲渡することはできないし、契約を結ぶこともできない。譲渡という行為は、妻が独立した存在であることを前提としているからである。
・産業革命以前は糸を紡ぎ布を織るのは女性の仕事だった。その作業からの連想で、昔話の中では女は蜘蛛と結び付けられ、蜘蛛には女性的な性格が与えられてきた。
・ヒステリーはギリシャ語の子宮に由来する。極端に感情的な状態は子宮が動き回ることで引き起こされるとかつては考えられていた。
・フェミニズムは今までも現在も、名付け、定義し、発話し、話を聞いてもらうための戦い
・問題は男性たちがよく言う「俺個人のせいじゃない」という言葉や、傍観者の男性が居心地悪く感じなくてもいいように、実際にそこにある遺体や被害者等から、そして犯人自身から話題を逸らすそのやり方にあるのだ
#女はみんなそう(#YESAllWOMEN) フェミニズムについてツイートするたびに脅迫とか変態リプがくる。言いたいことを言うのがこわいなんておかしい。
#女はみんなそう 女性の身に起きてることに対してより、このハッシュタグに対して怒ってる男の方が多いわけだが。
#女はみんなそう 親切にしすぎれば誘ってることになり、塩対応すれば暴力をふるわれかねない。どっちにしろクソ女認定。
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表題になったの短いエッセイが冒頭に置かれ、その後どんどん厳しい女性差別の現実が語られる。
あとがきで著者自身も、まさか「説明したがる男たち」というちょっとした違和感から、世界中で性暴力に晒される女性たちの実態についてまで述べることになるとは、と驚いている。
その構成は突拍子もないことではなく、家父長制度により女性の存在が歴史から消されたり、性犯罪を告発する女性の発言が見過ごされたり、軽視される事実まで述べてはじめて、「たった一人の女性に起きている小さな問題ではなく、脈々と続く女性を取り巻く社会構造の闇」であることを指摘している。
この本自体は2014年に出版されたため、
2017年からフェミニズムが高まって世界的なうねりとなった #MeToo 運動には詳しく触れられてはいない。
ただし本書の中で、革命とはかつての歴史ように一夜にして社会構造を変革するということではなくて、変化が裂け目のように広がっていくものとして語られる。それらの連綿と続く地殻変動の流れを感じる一冊。