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投稿者:Ji - この投稿者のレビュー一覧を見る
ひしひしと自分の経験と重なって辛かった。思い過ごしかもと悩んでいたけど、女性性だということで差別された、とはっきりした。自分から話をする、しないは権利だ。という言葉に本当に助けられた気がする。紙の本バージョンも買って持ち歩こうと思う。
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投稿者:z - この投稿者のレビュー一覧を見る
話さないことも、選択の一つだと言うことを学んだ。
これは個人的にはすごい大きい収穫だった。
ジェンダーに限らずだけど、聞いてやろうっていう姿勢で、でも全然聞く気ない姿勢でくる相手に対する対応方法を学んで「大人」になった気がしました。
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とてもよかった。わたしも自身の経験への評価を知らず他人に求めていたことに気づいた。でもわたしの体験の評価はわたしにしかできないだろう、考えてみれば自明のことだ。これが差別かどうかはわたしが決めるのだ。
「時間の無駄だと思うなら会話しなくていい」というメッセージを読んだときの目の覚める思い。今までどちらかといえばわかってもらおう、説明しなきゃという気持ちがあったけど、そもそもなんでこっちが心砕いて説明してやらなきゃならねえんだ。ほんとにそうだわ。したくない話はしたくないわ。
実践編にいろんなケーススタディの対処法があったのもよかった。超辛辣な切り返し例ばっかりでちょっと笑えちゃうくらい。
一冊通してユーモアも溢れているし、マニュアル形式の語りもわかりやすい。韓国の女性たちのパワフルさを見習って、やれそうなことから実践していきたいな。会話は苦手だけど…
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女性専用車両や東北大学女性教員採用促進は男性差別!という言説に対し、そもそもそういう謎な思考の持ち主と、私では視点が違いすぎるので、会話できないな?と思っていましたが、この本があればいけるかも!これはセクシストが失礼・不勉強・差別構造を温存したくてコメントしてきた場合に特化した、かなり実践的な本です。
ま、でもこれもこの本にあるように、セクシストを説得する義務もないので、相手が”無関心でいられる立場を悪用したい”場合以外は、無視しておこう…
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過去の出来事を思い出してしまうから読むのがつらかった。ただ、無理に相手に合わせたり、わかってもらおうと頑張らなくていい、というのは、フェミニズムうんぬんに関係なく、ふだんの友達づきあいでも大事だなと思った。
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女性に読んでもらいたい。
世界(国)や世間に対する怒りが爆発すること受け合いなので。
これを読んだ後にメディアやニュース、SNSを見たらいかに自分が恐ろしい世界(国)に住んでいるのかがよくわかると思う。というか私はよくわかった。生まれた瞬間から差別を受け続けなければいけない制度や価値観は救いようがないほど最悪だけど、それに対して女性たちが後ろめたさや申し訳なさを感じる必要は絶対にない。
怖くて声を上げられなくても仕方がない。でも世界にはその恐怖と戦いながら声を上げている人たちもいる。この本はそのことを教えてくれる。実に勇気づけられる一冊。
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「82年生まれ、キムジヨン」と併せて購入、読了。
2冊とも新刊で贅沢をしたけど、買って良かった。
本書はセクシストに対してどのように身を守り、声をあげるか、かなり具体的な方法を示して教えている。
こう聞かれたらこう答えよ、と明確に書かれている。誰からも教えてもらえなかった著者が、悲しくも実体験で学んだことを鋼の心で纏め上げ、世に出した勇気と決意の一冊だ。
時は2019年の現在でも、私はフェミニストである、と大きな声で言うのは勇気がいる。面倒くさい女だ、と思われたくない、事を荒だてたくない、物分かりのいい女と思われたい。
けど、決死の覚悟で権利…(それは、安全や自由)を掴んできた彼女らの功績にはあやかりたい。
もう、そんなのダサすぎると思った。
30歳もすぎて、社会の一角を担っているのに、そこの責任を放棄して「誰かがやる」のを待って甘い汁だけ吸おうなんて、そんなの都合よすぎると思った。
いざと言う時、わたしが「それ」に直面したとき、姉や、同僚、すれ違った女性、わたしより若い女性たちが「それ」に直面した時、毅然と戦わなくてはいけない。必ずやひとりにさせないで、一緒に立ち向かわなくてはいけない。
そのために持てる武器が言葉の剣なら、それを磨いておこうと思う。たとえどんなに苦手でも。それは私の義務だから。
それに気付けただけでも、十二分に読んだ価値があった。
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まさに、言葉が必要だった。私たちには。
直訳すると言葉ではなく、言語となるが、私たちには今までそれがなかった。女というだけで押し込められて、語る言葉を持たない。語らないという選択肢すら、思考すらなかった。
女性嫌悪に出会ったときには、怒りとやりきれない思い、あるいは私が間違っているとすら思っていたときがあった。
簡単に命の危機に晒されることだってあるのに。女というだけで。
書かれている言葉はとても強いけれど、強いからこそ私たちにそれが如何に必要かを思い知らせてくれる。勇気付けてくれる。
何度もよんで、自分のものにしたい。
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・まずは直観。
そしてそれをことばにすること。
ことばは武器になる。
・家父長制への不満として男は女性に当たる
・女性が不利な立場に置かれるのは、判断基準そのものが男性によって作られているから
・男性を愛で包み込めるやさしさを強要されてきた女性に必要なのは、きれいごとばかりで飾られた愛でなく、苦労して相手を説得しなくても問題を解決できる自由
相手に理解させない自由、包み込むための努力をしない自由、相手が差し伸べてきた和解の手を拒む自由、会話を断る自由
・女性が声を上げるのは、自分自身が主体として存在したいからであって、権威ある別の主体からお墨付きをもらいたいからではない
・女性は男性の意思とは無関係に、自分で選択することができる存在だ
・「すべての女性は美しい」「女性は平和的な存在」とかいうのも、女性嫌悪。女性に与えられた枠が固定観念で凝り固まっているから。
・名前をつけることで、問題が集約する。
・何が重要かは、あなたが決めていい。
・男性はいてもいいしいなくてもいい。男性が中心でなくても世界は回る。それを示すのがフェミニズム。
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なかなかどうして硬派な本。性差別主義者の男性に対するトリセツが細かく書かれている。
韓国のフェミニズムは日本よりも過激により先鋭的に進化している印象があったが、それだけ韓国というゴリゴリにマッチョな国では女性が生きにくいとも言える。日本ではあからさまな差別をする人はネット以外では殆ど見ないけど、間接的なぼんやりとしたなんだか薄ら気持ち悪い差別には女性なら誰しも遭っていると思う。よく女性性を逆手にとってしたたかに生きろ、というが、それすらも家父長制を内面化した上で利用しているのだから、根本的な解決には至らないと思った。韓国ではこのような若いフェミニスト研究者が育っているのだから、日本でも若いフェミニストたちが育ってほしい。ツイッターでネトウヨと喧嘩してる場合じゃないぞ。
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すごい本だった。今、私に必要な本だ。こうも私が日頃から感じる慢性的なモヤモヤを明確に言語化し指摘し、更に対応策まで教えてくれるとは。そう、私たちは黙らなくていい。黙らせようとして来る相手の質問にわざわざ丁寧に答えて理解しやすく説明してあげる必要もない。相手は子どもじゃない。おかしいことをおかしいと言語化する。問題として可視化する。話したくないなら話さなくていい。だって私たちは人としての当たり前の権利を主張しているだけなのだから。
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もっと色々な言葉を知って、使って、または作っていきたいなと思った。
これから対話をするなら、教えるなら、
心からのリスペクトを感じて、相手のスタンスを把握した時だけにする。八方美人にはならないと決めた。
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私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない。イ・ミンギョン先生の著書。女性差別が根強く残っている韓国で女性蔑視の発言を投げかけられた時にどのように反論して自己防衛をすればよいのかをわかりやすい具体例とともにまとめた一冊。イ・ミンギョン先生によると韓国には女性差別主義者や女性嫌悪主義者が多くいるということだけれど、日本にだって多かれ少なかれ女性差別主義者や女性嫌悪主義者がいて、女性蔑視の発言で頭に来たり不愉快な思いをさせられているは少なくないはず。ことばで反論することが、何かを変える第一歩。
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女性を対象にした江南駅殺人事件をきっかけに書かれた一冊。韓国では『82年生まれ、キム・ジヨン』と並んでジェンダー運動の一翼を担っている。
吉田秋生『河よりも長くゆるやかに』の中でこんな場面がある。
「前にレイプされたことがある」と打ち明けた女の子に、男友達は「犬に噛まれたと思って忘れろよ」と言う。それに対して彼女は「あんたは犬に噛まれたことを忘れらるの?」と問い返す。
あからさまに性差別者(この本ではセクシストと呼ばれている)にセクハラまがいのことを言われても「ああ、またか」と思うだけだが、知性も教養もあり、女性に対する理解もあると思っていた男性がふともらしたりする無神経なひとことには本当にがっかりする。
ましてやそれが自分を理解してもらいたいと思っている友人や恋人、家族だったりすればなおさらである。
はたして私たちは彼らと対話を続けるべきだろか。
この本はそういうときに私たちはどういう言葉で語るべきか、あるいは語らないべきかを教えてくれる。
なんとこの本の8割は「相手の態度によってはあなたは答える必要がない」と解説している。
(残り2割が「それでも対話を続けるなら」になる。)
「性別による不平等はあるし、なくなるべきだ。」
「性別による不平等はあるけれど、なくなってはいけない。またはどうでもいい。」
取るべきスタンスはこの二択のみ。
(「差別がない」という選択はこの場合ない。「差別があるかないかを決めるのは相手ではなく差別されているあなた自身」)
ストレートな言葉にスッキリする一方で、いろいろ目を背けていた自分にも返ってきます。
「差別はあるけどしかたがない」という態度も結局は差別を助長しているのだと気づかされる。
以下、引用。
自分の話をするためでなく、一度もさえぎらずに話を聞いてもらうという時間をみなさんに感じでいただきたくて、この本を書きました。
だれかには空気のように存在する差別が自分には見えないからって、彼らは「差別がまったくないかほとんどない」と言います。差別があるかないかを決める能力が、自分にはあると思っているのです。ですが、自分でも「なんかわからないけど」と認めているように、差別があったかどうかは、差別を受けた張本人がわかることであって、他人には知り得ないことです。
あなたが差別を受ける側の人間として生まれた以上、差別があるかないかを語る権利は、あなただけにあります。
私たちは、今、完全な平等を実現しているのか?
もしそうでないと思うなら今は不平等な状態で、平等になるためにもっと変わらなければなりません。これは、個々人がどんな努力をしてきたかとは関係なく、明らかな事実なのです。それでも「昔より平等になった」と言われたら、そうだと認めざるを得ません。世の中は、着実に平等に近づいてきました。かなり平等な社会になっているし、よりマシな世の中になったと思います。ですが、差別が完全になくなった状態���ないと「もう平等だ」と言うことはできません。
被害者を除外しやすく、その声を簡単に無視することができるときに、被害は発生し、くり返されます。
会話中に起きる権利の侵害、そして殺人や暴力のような身体的侵害は、まったく別のもののように見えてその仕組みは一緒です。不快感を覚えたときに、「これぐらいは」とやり過ごさずに断固たる態度をとる習慣は、あなたがどうしてもがまんできない状況に置かれたときやなにかを侵害され脅かされているときに役に立ちます。万が一のために、一人前の声を出す練習をしておく必要があるのです。また、だれかが声を上げたときには、いろんな不利益を覚悟して勇気を出した結果であることを理解し、支持してあげるべきです。
自分が望んでいない状況に対して断固たる行動に出る練習をしておかないと、声を出すべきところで出すことができなくなります。
真っ赤な口紅を怖がる気弱い男がいることは、口紅をつけるあなたのほうがよく知っているはずです。相手はあなたがそのことを知らないとでも思っているようです。相手が誰かによっては、教えてやろうという親切心までありがたく受け入れることができます。私たちのことを思ったやさしさからのアドバイスかもしれません。でもここで見逃してはいけないことは、相手があなたを「男があまり好まないと知っていたらそんな口紅はつけないはずだ」と思っていること。「あなたがそうしたくて」それを選択したとは思いもよらず生きている人があふれているというもう一つの証拠です。
女性嫌悪からくる精神的/身体的/性的な暴力をふるった覚えが自分になかったとしても、多かれ少なかれ他人の暴力行為を助長しているのですから。また、だれかが明らかに苦しんだ被害を、あえてつまらないもののように扱う。そのことだけでもすでに一度、実質的な加害をしたことになります。
彼らが言う「で、なんでオレに言うわけ?」とか、「男がみんなそうだってわけじゃないだろ」などのことばは、「今までどおり無関心でいていいって言ってくれ」という意味にほかなりません。
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すごいおもしろかった。
たまにほんとにとても怖いと思うことはおきるし、どうしてこんな目に合わないといけないのかと思うこともある、怖いから適当に受け流すそれはもちろん報復されたら嫌だから。そして結局それは多かれ少なかれ女性が男性に「嫌悪されてる」からなのだなと思った。そして男性はそれに気づいてないことが多い。
著者のイ・ミンギョンさんが書いてる「効果がいまひとつの言い返し」はわたしもやってる。
この本で教えてくれているように自分のためだけでなく世の中の全ての女性のために、少しずつでもだめだしできるように、かと言って親切に教えてあげる必要なんかないこと、それを恐れないようになりたい。自分が悪いのかも、とか思うのもやめ!