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生前の高坂教授のテレビなどでのコメンテーターとしての発言には、その話しぶりを思い出せるくらいに注目していましたが、著作を読むことはありませんでした。
今、1966年初版のこの新書を読んで、その内容が古臭くないということに驚いた。もっとも、論点が普遍的な対外関係にあるので、「歴史は繰り返す」という言葉があるように、変わりようの無い関係なのかもしれない。
少し時間をおいて、もう一度読み返したいと思った1冊。
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「国際政治においては、対立の真の原因を求め、除去しようとしても、それははてしない議論を生むだけで、肝心の対立を解決することにはならない。それよりは対立の現象を力の闘争として、あえてきわめて皮相的に捉えて、それに対処していくほうが賢明なのである」 そして「その対処法はいくらでもある」として筆者が述べられている本書。初版は1966年に出されてようですが、まったく今の国際政治、いや国際間の問題をみるにつけても大変参考になる指導書だと思います。筆者はすでに亡くなられていく年月もたちましたが、「朝まで生テレビ」に出演されていたとき、常に一本筋の通った論客だったのがいまも印象に残っています。
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政治=権力政治という視点から、国際政治を分析した一冊。
名著という呼び声が高く、きわめて現実主義的(右翼ではない!笑)に分析を加えている。
ただそれゆえに、「世界の永久的平和」は不可能であり、国際政治は自然と限界が存在すると断言している。国際政治を学ぶ意義を改めて考えさせられた一冊。
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国家は「力・利益・価値」の3つの体系を有しているという言葉が、心打たれました。
初版が1966年と冷戦中にも関わらず、現在でも色褪せないほど、国際政治の核心を突いた言質が多いです。 論理的でリアリズムに基づく分析が多いので、国際政治に関心がある人なら初学者でも読みやすいです。
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1966年発行だが、今でも通じる名著の本。
序章の国家とは、力、利益、価値の複雑な関係と定義して、3章に分けて論じている。
1.軍備関係(勢力均衡、軍備縮小、規制と軍縮)、2.経済関係(権力政治、交流、エゴイズム)、3.国際機構(強制力、世論、意味)等を論じながら、歴史的な事例を挙げながら、現実の政治を論じている。
憲法改正論議も盛り上がっている中で、現実を見据えると言った意味で良い本だと思う。
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博多駅前ブックオフで購入する。あかつきの車中で読む。興味深い新書でした。著者は、「文明が衰亡するとき 」等の著書で著名な国際政治学者です。非常に読みやすい文章です。著者が、優れた大学教師だったことがわかります。興味を持ったのは、20世紀のヨーロッパの混乱の理由です。それは、ドイツの台頭に由来します。今世紀に入るまで、小国に分立して、ドイツは貧しい国でした。その理由を整理すると、以下のようになります。第1の理由は、明確な国境線がなく、諸外国の介入を受けやすいことである。第2の理由は、小国分立状態にあるので、市場が狭いため、工業が発展せず、貧しかった。しかし、鉄道の普及は、この状況を大きく変化させた。第1の変化は、鉄道の普及により、軍隊の移動が容易になり、他国の介入を防ぐことが容易になった。第2の変化は、鉄道の普及により、ドイツという巨大な市場が生まれたことである。ドイツの発展が、ヨーロッパのパワーバランスを崩壊させた。これが、20世紀のヨーロッパの混乱の原因だと指摘している。面白いですが、本当でしょうか。このように思わせるのが、いい教師ということです。高坂先生の本を読んでみましょう。
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分かり易くて面白い。
国際政治において、各国政治や国連がどういう力学で持って意思決定をしているのか。そういうことの歴史や現状が整理されていて、とても勉強になります。
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冷戦中に書かれたとは思えないほど、現代にも通じる普遍性と説得力を持った本です。厳しい現実の中で対立をエスカレーションさせないためにはどうすればよいか、という人間が核兵器や戦争といった恐怖に対処するために考えなければならない命題を考えるヒントが詰まった内容です。
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名著である。1966年出版、朝鮮戦争休戦(53)、キューバ危機(62)の後に書かれ、ベトナム戦争(64〜73)は遂行中であった。ソヴィエトは崩壊('91)していない。こう書くと、いささか古い印象もあるかもしれないが、この本の良さは国際政治の思考法を知ることができる点だ。全書を通じて核兵器廃絶・経済交流・国連の介入強化などによる平和の実現に細かく限定をつけていく緻密な思考が展開されており、それを追体験することで、「複雑怪奇」な国際政治の本質を学べる。序章では「日本人が策謀に劣っているわけではない」ことを指摘し、国内政治と国際政治をみる態度がちがうことを指摘、第一次世界大戦後、国際的な権力闘争が変化し、それに日本がついていけなかったことを示している。また、国家が力・利益・価値の複合体であることを指摘し、以下この観点から詳述されている。第一章は軍縮問題である。古典外交の「勢力均衡」は近世初期イタリア(マキャベリ)で誕生し、第一次世界大戦で崩壊した。勢力均衡は結局「自己に有利な均衡を得ようとする」、「他国の軍備の過大評価」等から軍拡の危険をともなう。同盟関係も歴史上離合集散を繰り返しあてにはならない。これが科学技術の発達、交通手段の発達による大衆社会、イデオロギーの注入等と相まって、サラエボのきっかけを得て、イギリスとロシアの不参戦を誤って推測し、勃発したのが第一次世界大戦であった。戦争の惨禍で以後は軍備縮小を計ろうとするが、軍縮の管理組織や管理法の問題、さらには将来の予見能力という「理性」そのものが導く「ホッブス的恐怖」から、合意による全面的軍縮は頓挫する。かといって、報復理論などからくる長期の「恐怖の均衡」は、「無関心」を助長し、精神的に許容できるものでもない。結局、一方的段階的軍縮となる。これは致命的にならない程度の軍縮を一方的に行い、相手の出方をまち、硬軟おりまぜ、対立をやわらげつつ終局的な緊張緩和にむかうもので、「冷たい計算が入った」「単なる理想主義ではない」ことが指摘されている。核兵器はすでに開発法が知られているので完全廃止は難しい。廃絶したら秘密に開発していた国が大きな力を持ちすぎるからである。また、核兵器がなくなっても戦争がなくなるわけではない。通常兵器による限定戦争がのこる。つまり、軍備全廃は現実的には難しく、「軍備規制」が現実的である。第二章は、経済交流による平和の検討である。著者は経済的依存が高まれば平和が実現するという古典的重農主義者の観点を批判、経済圏の拡大をめざす対立、巨大な格差から生じる対立、自尊心からくる対立などが現れることを指摘している。とはいえ、軍事技術があまりに発展し容易に使用できないため、戦略をともなう経済を通じた権力闘争に重きが置かれるようになったことも事実である。第三章は国連の問題である。国連は当初「歯ある国際連盟」を目指して発足したが、拒否権を盛り込まねば当時少数派であったソ連を加盟させることはできず(むしろ拒否権を設定したから国連が実現した)、強制力による平和の実現は頓挫せざるを得なかった。むしろ国連はアフリカ・中南米の国々の参加によって「国際世論の場」として発展した。著者によれば、国連はその機能は限られているが有効に使うことは可能とし、国連の介入強化はむしろ害があるとする。第二次大戦後は内戦の時代だが、内戦は放置すれば権益をもつ国々の闘争の場となるから介入は必要だが、一方に荷担することは「平和のための戦争」は招くからできない。そこで、国際世論の威厳を示し、当事者に「平和のための撤退」という道を残すことが肝要で、これにはスエズ危機などの成功例もある。しかし、この威厳も強い力をもつ国(ソ連のハンガリ弾圧)や聞く耳をもたない国(当時の南アフリカ)には通用しないことがある。しかし、国際世論を無視すればその国の威厳は低下し、同盟国の離叛や国内世論の反発にあう可能性がある。損害がないわけではない。現実的には参加各国が国際世論を尊重し、その威厳を高めていくことが、とても重要になる。終章では、「平和な国家」について条件を書き、「独立を守る力があるが、その軍備によって軍国主義化されてはならず、軍備を十分に規制できなければならない。経済的には他国に支配されざるを得ない国も、他国を支配しなければならない国も平和ではない。国内の権力は制約され、言論の自由の欠如、多数による専制、理念への狂信があってはならない」とする。国際政治では複数の正義が存在するので、問題をあえて皮相的にとらえ、現象を力の闘争をしてとらえる「対症療法」が賢明で、対立の原因を求めると、かえって混乱を招く結果にもなるとする。こうした経験から戦後は紛争の凍結という道がとられてきた。以上のような国際政治の性質から、人々は懐疑的にならざるをえないが、絶望して道徳的要請を無視してもいけない。「できることをしながら、すぐにはできないことは、いつかはできるようになることを希望する」のである。冷戦下でアメリカ外交を立案したジョージ・ケナンと著者はチェーホフについて語ったことがあるそうだ。チェーホフの小説には解決や大団円がない。つねに苦悩しながら希望を捨てずに生きていく人間が描かれているのである。結局、国際政治は「大きな知的苦悩にも関わらず、平凡な答えしかだせない」のであるが、この苦悩をつづけていくしかないのであろう。この本を読んで,孟子の「仁義」についても考えさせられた。仁義は一種の公につながり、私利ではない。この公の道をとることで、小国でも天下をとれると主張したのが孟子であるが、実際、この小国を侵略した国は非道の誹りをうけ、第三の国に戦後の疲弊を突かれる口実を与えるとか、同盟国の離叛をまねくとか、とにかく不利益は被る。「仁義」というのは迂遠なようだが、こうした強かな面も持っているのかも知れない。
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我が国を取り巻く環境が不穏になってきました。本書は、軍縮・経済交流・国連をキーワードに国際政治の本質を語っています。本質を見極めたものは、いつになっても、ブレたり、色あせたりしませんね。
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国際政治を、「力」といった切り口でとらえた一冊。著者は著名な政治学者で、本書は著書の中でも随一と言われる。国際政治の入門書として扱われる事が多い。
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・国際政治学の極めて穏当な入門書。およそ半世紀も前に書かれたにもかかわらず、驚くべき現代性を持っているのは、哲学的考察に裏打ちされた冷厳なリアリズムの認識が根底にあるためであろう。
・著者は読者に対して、物事を単純化することのないよう何度も呼び掛ける。なぜなら国際政治というものはそもそもが非常に複雑なものだからだ。「各国家は力の体系であり、利益の体系であり、そして価値の体系である。したがって、国家間の関係はこの三つのレベルの関係がからみあった複雑な関係である」(p.19)。著者はこの複雑にからみあった三本の糸を一本一本丁寧にほどいていく。その手捌きは実に見事。にもかかわらず、糸は決して綺麗にほどけることはない。
・合理的な人間像を前提とする経済学が必然的に合成の誤謬を生み出してしまうように、合理的な国家像を前提とする国際政治もまた似たようなジレンマに頭を悩ます。他国の脅威に対抗するという「合理的な」政策は果てしない軍拡競争を招いてしまうし、また世界平和を実現するための国際機関を樹立しようとする「合理的な」試みは忽ち異なる価値観を持つ国家同士の主導権争いを誘発してしまう。こうしたジレンマに対する決定的な打開策はない。
・このように本書は全体的にペシミスティックな色彩が強い。しかしその一方で、「できることをしながら、すぐにはできないことが、いつかはできるようになる」(p.203)という希望を持つことが大事だとも言う。この一句は現代における勇気のあり方を示しているように思えてならない。
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古いが今にも通ずる国際政治の名著
国際関係の講義のわかりにくいところがあればこれをながめる。
エッセンスがつまっているオススメの書籍。
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ある強国を中心とする勢力圏が、実力による強圧なしに、かなりの期間にわたって存在するためには、それに属する国がその勢力圏にとどまってはならず、各自その利益を得ることができなくてはならないのである。
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読まなかったのが惜しまれるぐらい、多くの気づきを得た。自分は理想家で、それでいて何も知らずに粋がっていたんだな。国際政治の本質を言い当てた「恐怖と希望」という副題にも唸らされる。
・闘争というのは人間を酔わせる。闘争の後で人間は問題が解決されたと思える。それに闘争は事実、少しは問題を解決する。
・軍備撤廃、国連による統治。どちらも国家が単純な力の単位であり、国際政治はその力の単位が並立する場所ならば正し。しかし、実際は国家は単なる力の単位ではなく、利益の体系であり、価値の体系でもある。
・ライプニッツは国際法廷を説いたサン・ピエールとは違って、条約・公文集を編纂した。勢力均衡の原則。しかし、力の計測が難しい。
・カントとベンサム:常備軍の廃止。しかし、公正な軍備縮小、廃止は困難。例えば進捗の管理。
・外交上の良策は、どの国とも平和友好関係を深め、やむを得ない場合になっても防衛戦略を練る。
・オプションを持った軍備規制。それが有効であるためには、対立する国の間にコミュニケーションが成立していることが必要。
・軍備が緊張をつくっているのではなくて、緊張が軍備を必要としている。
・相互依存の増大は、一国による他国の支配をもたらす。しかし、支配から協力への移行も次には起こる。支配には配慮が必要だからだ。
・こんにちは、経済協力体制の方が軍事同盟よりも重要。
・ルソー:自愛心と自尊心。他国よりも勝ろうとする心象。
・南北問題は富の移転で解決できない。問題は富を産み出す能力が違いすぎること。
・国際社会における秩序は力を一カ所に集めれば得られるわけではない。
・米仏関係が悪化しても敵対的にならないのは、公式、非公式の経路が存在し、公式の悪化を非公式に扱うことが出来るから。
・アメリカ独立、フランス革命、ロシア革命。どれも最初は軍備廃止の理想があったが、周辺との関係の中で、再軍備した。
・平和国家の3条件:1.防衛軍備のみ。2.自立的な経済体制。3.国家の権力の制約(言論の自由。専制の排除。ある理念への狂信の排除)
・正義の対立をいったん棚上げして、兼六闘争の対処を優先する。医術で言う対症療法。