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投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
遅れた産業で、縮小していく産業としての農業があるようだが、人が生存していくためには食料生産は不可欠なものである。近代を振り返れば、農業は機械化と引き換えに、工業に労働者を供給してきた。そのような農業生産の歴史を大きく貢献したのがトラクターであり、著者はトラクターの発展史を通して世界の歴史を描いてみせる。切り口の面白い歴史書である。世界的規模で農業の機械化が行われている訳だが、人間と自然が深く関係する農業は自然と直接肌で五感で感じ取ることも大切だ。機械化の普及進展によって、人間性、地域の自然や社会の関係性が薄まっていっているという。
農家の出身でもなく、トラクターの運転経験も無い者だが、毎日お世話になる食料問題の今後については少なからず危惧している。
ソ連や中国、アメリカなど国のトップの主導のもと、農業を大きく変革しようとする政治力学が働いたが、日本ではトラクターの普及は地域の指導者や技術者の頑張りで発展してきた経緯がある。日本の農政(農政だけではないが)全般についてこれまでの歴史を振り返り、課題等論点を整理した上で、総括的に国家のリーダー達がきちんと将来展望を明確にすべきだと思う。
世界にはトラクターファンが無数にいるらしい
2017/10/27 22:22
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投稿者:つばめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
土を耕すことは土壌の下部にある栄養を上部にもたらし、土壌内に空隙を作り保水能力と栄養貯留能力を高め、さまざまな生物のはたらきと食物連鎖を活性化させる。土壌の活性化は、そこに根を張る植物の食用部位と栄養価を野生植物では不可能なほど高めることに貢献する。数千年にわたって牛や馬などの家畜が土壌を掘り返す鍬をけん引してきた。100年前にトラクターが開発され、農作業の風景が劇的に変化した。トラクターは農業生産の合理化、生産性向上に寄与した。一方で、購入するための多額の借金、重いトラクターによる土壌の圧縮、肥料となっていた家畜の排泄物がなくなり大量の化学肥料の購入などの負の現象も生じさせた。本書は各国のトラクターの発展過程を具に解説した内容であるが、冗長な説明が多く、日頃からトラクターに取り立てて関心のない一般的な読者には若干とっつきづらいと思われる。筆者もそのことを意識してか、各所にトラクターが描かれたさまざまな小説を引用して、トラクターを少しでも身近に感じ取ってもらおうとする努力の様子はうかがえる。ただし、日本のトラクターの開発経過における、岡山県、島根県在住の必ずしも機械に精通していない民間人の開発秘話には、思わず引きこまれるだろう。
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「ウインドーショッピング」という言葉があるが世の女性は好むようである。小生は書店や図書館を散策するのが好きだが、「ライブラリーショッピング」とでも言うのだろうか。
本書はその中でみつけたものだが、「トラクターから眺める世界史」とはなかなか興味深い。
「トラクターから戦車が生まれた」とは知らなかったし、「サブカルチャーとしての機械史」も読み物としてはなかなかのものだ。
ただ本書は幅広いがあまり深くはないので、駆け足のトラクター史であるとも思った。
2017年10月読了。
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196ページ「機械はあくまで人間が使うものであり、機械に使われる農業は発展することができない。目的と手段とを取り違えてはならぬという通念は、人間と機械の関係にもあてはまる」。
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トラクターの世界史 藤原辰史著 明るい未来に隠された悪夢
2017/10/28付日本経済新聞 朝刊
一点突破、全面展開。良き分析に共通する手法だ。そして、本書のそれでもある。
トラクターという一点に、徹底的にこだわる。発明の経緯、技術改良の過程、農業生産への影響など。ひとつも漏らさない。
19世紀末、内燃機関を搭載した、奇妙な農耕具が誕生する。以来、古い農業の軛(くびき)を断ち、機械化という新時代へ、解きはなちたい。そんな欲望が、各国で湧き上がってくる。
米国では、大型機械化と化学肥料の抱き合わせで、農業を近代化しようとする。旧ソ連では、社会主義計画経済のもと、農場集団化をめざし、女性運転手の社会進出も実現しようとする。
ナチス・ドイツでは、フォルクスワーゲン(民衆車)構想と並び、フォルクス(民衆)トラクター構想で、排外的国家主義の産業基盤をつくろうとする。
むろん、日本とて例外ではない。終戦直後、農地改革という号令のもと、小型トラクターや耕耘機(こううんき)が、客土や化学肥料とともに、明るい戦後社会をつくろうとした。
米ソ、ナチス・ドイツ、そして戦後日本。いずれも、明るい未来をトラクターに託したのである。
本書は、トラクターと、そこに社会が投影した夢という一点を、豊富な事例を通じ、追ってゆく。その手並みは堅実だ。
だが、本書の真骨頂はその先にある。
夢のゆくえを追いながら、じつは、夢の背後に隠されていった、悪夢の記憶をこそたどるのだ。
大型農業経営という米国の夢が、土地を失う大量の農民という現実と化したこと。旧ソ連の農業集団化が、「第二の農奴」批判を呼んだこと。さらには、土壌浸食で環境変異が生じ、農業離れ土地離れの果てに、「スマート農業」という美名のもと、農業の無人化・管理化が喧伝(けんでん)されはじめたこと。
著者にすれば、すべてないがしろにできない、地球規模での総体的大問題である。しかもそれは、決して歴史の彼方(かなた)に消えた過去の物語としてではなく、今日にまで続く喫緊の時事問題として、われわれの目の前にある。ここまで論じつくす。つまりは全面展開。
夢のゆくえから、隠蔽された悪夢をあぶりだす。本書の醍醐味はここにある。
(中公新書・860円)
ふじはら・たつし 76年生まれ。京大准教授。専攻は農業史。著書に『決定版 ナチスのキッチン』『食べること考えること』など。
《評》早稲田大学教授 原 克
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トラクターというマニアックでニッチなテーマを掘り下げ、人類発展の歴史をあぶり出している本。
食料生産力を劇的に向上させたトラクターの功績と、戦争に応用されたとする功罪、そしてトラクターが生んだ今後の課題について言及されています。
全部を通して伝わってくるのが、筆者のトラクターに対する愛です(笑)マニアックながら、ただただ面白い。オススメです◎
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トラクターは、いろいろな自由を人間にもたらした。
トラクターは、役畜のの世話、長時間の耕作業、農作業の疲れ、そういったものから、人間たちを解放した。耕地を歩く距離も減り、一人で耕すことのできる面積が増え、農村に余暇をもたらしたのである。農業生産力を高め、人々を都市に向かわせ、人口を人類史上では例外といえるほどまでに増やすことに貢献した。トラクターが、近代の果実を人々にもたらしたこと、それ自体は否定しようがない。(p.235)
・女性に自由をもたらした?→トラクターは男のものであり続けた。
・農民に余暇を与えたが、農業機械購入のローン組みとセット。
・耕地の砂漠化の原因の一つ。(p.236-237)
機械の大型化に向かう「力」は、決して大企業の一方的な力などではなく、農民たちの夢、競争心、愛国心、集落の規制、大学の研究、行政の指導と分かち難く結びついた網のようになっており、だからこそ、根強く、変更が難しいのである。(p.240)
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中公らしい一冊だけど、トラクターという題材は戦車との対比と各国での取り上げられ方ではちょっと弱かったように思える。
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トラクターの開発・普及や、世界各地でのトラクターの導入方法などを示しつつ、農業の変化や戦争への転用など、その功罪を展望する一冊。タイトルで技術史の本かと思わせつつも、トラクターを通して農業を見る農業史の本でもあり、文化史の本でもあった。面白い。
日本のトラクター史についても、小岩井牧場や斜里農場で初期に導入していたこと、戦前日本でトラクターが意外と開発されていたこと(普及はしてなかったけど)、岡山や島根がトラクター開発の先進地だったこと、などなど知らないことも多く、読んでて楽しい。
それと、機械化でなく労働集約化の方向に進んだ近世日本の農業を考える上で、機械化による大規模農業の事例は逆にいろいろなヒントを与えてくれそうに思えた。勉強になった。
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主として農用のトラクター史。かつては蒸気機関を積んだトラクターも存在したが,内燃機関が採用されたことで20世紀に爆発的に普及した。
トラクターと戦車が双生児とも言えること,トラクターと共産主義の関係など,とても興味深い。
トラクターの語源が牽引で,attractとも同根であることから,「さまざまな人間を魅惑してきた」p.4という洒落っ気も好感度高い。
日本のトラクター密度が世界一だというのは,なるほど納得。農地千㌶あたりの乗用型トラクターの台数は,日本は二位のオーストリアを3倍以上引き離して386台とダントツ一位(2000年)。アメリカの40倍近いトラクター密度だとか。
農地面積が狭く集約的な日本農業の特徴が現れている。
長い人類史において,19世紀まで一貫して畜力・人力でやってきた耕耘という重労働。それを20世紀のトラクターは肩代わりしていくのだが,その経緯が東西で対照的すぎてすごい。
アメリカをはじめとする自由主義国家では,自立した農家が新技術に警戒しつつ,家族ぐるみで大事に育ててきた家畜を徐々にトラクターで置き換えていくのに対し,ソ連や中国などの社会主義国家では上からの強制により農業集団化が進められ,トラクター投入を見越して役畜を屠殺したところトラクターが来なかったり故障で動かなかったり。どちらが人間的であったかというのがよく現れていると思う。
「農業は大規模化して効率よく機械化すべし」という合理的であるはずの考え方が,自己目的化して社会を混乱に陥れたという事実。そしてそれを隠蔽する情報統制とプロパガンダが政策の見直しを阻み,同じ失敗を繰り返す。これが構造的な問題であることに気付いても独裁者への諫言には多大なリスクを伴う。まさに暗黒…。
トラクター発祥のアメリカでも新奇なものに対する反発,旧来の習慣への愛着は大きかった。
本書では一例としてスタインベック『怒りの葡萄』の一節を引用しているが,本当に強烈な表現だ→“鋳物工場で勃起した十二の彎曲した鉄の陰茎、歯車によって起こされたオルガスム、規則正しく強姦し、情熱もなしに強姦を続けていく”p.65(大橋健三郎訳)
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軍事技術が民生品に転用され、進化するというのと逆で、トラクターが戦車として開発されたという。トラクターの歴史がこんなにも面白いとは!
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タイトルのとおり、トラクターの誕生から、世界各地での発展の仕方などを通じて、現在の様相まで、一本の線で歴史的にとらえられるように書かれています。さすがに1冊で書ききれる容量ではないので、全部という形ではありませんが、トラクターという普段触れることのなかった世界を、歴史的に知ることができて面白く読ませていただきました。
農業をするうえで、土を耕すという作業が大きな比重を占めているということ、それを克服するためのトラクターという機械と改良という人類の戦い、それに対する旧来の人々との闘い。そして最後に、トラクターは人類の夢に向かって着実にそれを実現してきましたが、それで良かったのかという投げかけもされており、考えさせられます。豊かになった一方で失ったものもあるという、他でも見られるジレンマがトラクターを通じて改めて感じられました。
あとがきで、著者が本書にあたっての取材がどれだけ楽しまれていたのかが書かれていて、ここが私にとってはハイライトでした。
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農業用”機械”は人類に何をもたらしたか――。米国、ナチドイツ、ソ連、中国、日本など、国家・民度・文化が絡んだ発展の軌跡を描く
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農業の機械化、中でも今では牽引機として幅広い用途で利用できるトラクターに焦点を当てたもの。
世界的なトラクター開発の流れや歴史だけでなく、日本に置いての歩行型トラクターの開発の話も綴られており、これはトラクター好きは読まないとならないなと思います。
農業の機械化と戦争の関係もあり、機械化による大地への影響もあり、社会主義の裏にもあったトラクターを始め、
果たして農業が機械化されたことで、家畜を利用していた頃と比べて本当に豊かになったのか。
そんなことをふと考えるきっかけになります。
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170930 中央図書館
20世紀はトラクターというものに支えられていたのだろう。自分の呼吸と鍬が土にくい込む音、鳥虫の声と風の音と水の音くらいしかなかった農業空間に、振動とエンジン音と排気ガスを持ち込んだわけだ。
コルホーズとソフォーズなんて久しぶりに見た単語だな。