服部まゆみ氏の至極のゴシック・サスペンスです。とってもストーリーに引き込まれる傑作です!
2020/06/07 10:08
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、小説家、推理作家、恋愛小説家、銅板画家と多彩な分野で活躍された服部まゆみ氏の作品です。服部氏は、1987年に発表された『時のアラベスク』で横溝正史賞を受賞されて、作家デビューされた方で、澁澤龍彦氏の影響を強く受けているとも言われています。同書は、服部氏の描くゴシック・サスペンス小説で、画壇の若き俊才にして気鋭の美術評論家である主人公の片桐が、妻を亡くした春、満開の桜の下で精霊と見紛う少年と出会います。そして片桐はその絶対の美を手に入れたいと願い、その結果、少年と少年の家族の運命を破滅へと導いくというストーリーです。一体、少年はどのような破滅の道へと導かれるのでしょうか。続きは、ぜひ、同書をお読みください。
表紙絵に顔をはっきり示してしまうのは・・・。
2019/01/21 03:46
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投稿者:かしこん - この投稿者のレビュー一覧を見る
私、服部まゆみファン歴は1990年くらいからです。なので刊行順から全部読むことができた幸運な立ち位置。
『シメール』って、確かカバーがすりガラスみたいな感じになってた白い単行本だったよなぁ、そしてあんな話だったよなぁ、と記憶を引っ張り出すも、それに絡みついていろんなものが出てきて、「いやいや、あれは『罪深き緑の夏』で、そっちは『ハムレット狂詩曲』」と自分ツッコミ。どうやら記憶の同じ引き出しに入ってしまっているらしい。 「これ、あたし前に読んでるよね」と不安になってきて、つい1ページ目を読んでしまう。
・・・おぉ、読んだ覚えあり!
そうしたら止められず、最後まで読んでしまった・・・。
クリスマスの日に家が火事にあってしまい、小さなアパートに映ることになった一家。
翔と聖は双子の兄弟で、聖は母親のお気に入りの“いい子”だが翔は一人でいるのが好きな寡黙なタイプ。
ある日、大学教授である片桐は翔を見かけ、その“美”に魅了される。実は翔の両親は片桐の美大時代の同級生だったこともあり、旧交を温める形で片桐は翔のもとを訪れ・・・という話。
といってもあらすじはあまり役に立たないのだが。
章立て・構成・文体と、すべてが服部まゆみ的であり、誰も真似ができないものだなぁと改めて感じる(真似をしてもすぐに真似だとわかってしまう)。私も影響を受けて<・・・>を使うことにためらいがなくなってどんどん使ってしまうのだが、<・・・>の使い方もやっぱり違うのです、真似ができない。やはり美意識やセンスの裏打ちがあるかないかですよ!
とはいえ、自分もいたずらに歳を重ねてきたわけではないので、片桐がまたもや澁澤龍彦をモデルにした人物だということは前に読んだ時よりもはっきりわかるし、このタイプのキャラクターは服部まゆみ作品には必ずといっていいほど出てくるので若干時代を感じなくもない・・・のだが、その世界観に入り込んでしまうとそんなことはどうでもよくなるのだよね~。
自分の思う<耽美>ってこういう感じですよ!
どうしようもない悲劇と人の愚かしさをここまで美しくまとめられたら、痛みすら感じない。
・・・あぁ、『ハムレット狂詩曲』も読みたくなってきたぞ。
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面白かったです。
幻を求めた為に、ひとつの家族を壊してしまうお話。
主人公のひとりである美術家の片桐が、もう一人の主人公の美しい少年・翔へ向ける、崇拝と所有欲は狂気じみていました。
翔には双子の兄・聖がいるようですが、巧みな描写でラスト付近までどちらが生きているのかわからずでした。家族は、生きているのは聖だと思い、でも本人は、自分は翔だと答える。この辺りで、翔も少しずつ壊れていっていたのかなと思いました。
こちらでも、テレヴィ・ゲームが出てきました。でも面白そうなRPGです。
人々は転落していき、悲劇的な結末を迎えるのも好きでした。片桐はひとり、空洞を抱えて生きていくのかな。それとも、生を失った翔を本当に飾るのか…片桐ならやりかねない、と思いました。
うっとりする世界でした。「ナジャ」や「さかしま」を読みたくなり、「詩人とミューズの結婚」は検索しました。綺麗な光の画でした。
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長らく入手困難だった『シメール』が文庫化された!!
河出文庫からは『罪深き緑の夏』からは2作目。角川文庫で代表作が復刊された時から、アチコチで『シメール』『シメール』を連発していたので、河出の復刊2作目が『シメール』と知った時は嬉しかった。
破滅美、退廃美を具現化したような小説で、この復刊文庫化で、望んでいる人の手に渡るといいなぁと思う。
で、次は当然、『ラ・ロンド』が来るよね???
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澁澤龍彦好きにして、ドラゴンクエスト好きの著者が、両者を結び付けたら。
…澁澤龍彦の生年没年は、1928-1987。
服部まゆみの生年没年は、1948-2007。
ふたりとも59歳だか60歳だかなんだね。
DQ1は1986、2は1987、3は1988、4は1990、5は1992、6は1995。
FF1は1987、2は1988、3は1990、4は1991、5は1992、6は1994。
ちなみに本書は2000年刊行。
以上データ。以下推察。
澁澤はDQの衝撃を受けることなく死去した。
澁澤よりも20歳年下の服部は、DQ1の衝撃を30代終盤に受けた、かもしれぬ。そして40代にはRPGの勃興に立ち会っていた。
(ちょっと連想した、いとうせいこう1961-の「ノーライフキング」は1988)
以下極指摘推察。
単純に剣と魔法のファンタジーに浸っていたのは、
DQにおいては4までか。3の職業選択とキャラメイク、4のオムニバス的ストーリーは、それぞれ進化の最先端だった。
FFにおいては3までか。4の重厚なストーリーと、使用キャラの入れ替え。5ではガラフ以外固定だがジョブシステム、どちらもDQと競っていた。(ナーシャ・ジベリの話など、興味は尽きない。)
ただしどちらも3において、終盤、いままでこだわっていた世界が実はごくごく一部であって、
DQでは今までいたガイアの地下にアレフガルドがある、と。
FFでは飛空艇エンタープライズを動かしてみたら、なんと自分いたのは浮遊大陸に過ぎず、地上世界の水没版だったり海底版だったりに視野が開けていく。
本書単行本は2000年。
ただの勘。
執筆が1995以降と見做しても、それぞれ4,5,6を享受した可能性は高い。
4から6までをプレイしつつも、まだ純朴にゲーム的快楽に耽っていた3あたりを念頭に置いていたのではないか。
当時のゲームプレイヤー兼ミステリ読者の感想を聞きたいな。
刊行当時でも本作のRPG観は古臭かった。というかステレオタイプだった。のではないか。
こんな推測、著者と懇意だった編集者へのインタビューひとつで吹き飛ぶものだろうけれども。
いとうせいこうが新しい感覚をフレッシュに小説に持ち込んだのとは対照的に、服部まゆみは吟味し発酵芳醇させた感覚を、時代遅れと断じられても仕方ないと見做しながら、導入したのではないだろうか。
これと時を同じくして、澁澤が悪魔的単行本からポップイコン的文庫本へと姿を変えていた時期に、当たるのではあるまいかと、25年以上あとに推察してしまうのだけれど……。
以上、読みながら調べながら真相やネタバレは避けながら、メモしていたものである。
以下、読了後、思うことを酔いに任せて記す。
正直に言えば「淫靡一歩手前の耽美」という点においては、「この闇と光」(の耽美度)>「シメール」(の身につまされる感じ。アッシェンバッハも中2病もわかる)>「罪深き緑の夏」(の散文的な)。
また双子の兄弟といえば類例は多かろう。
私としてはヴェロニ���・フランツ監督の映画「グッドナイト・マミー」やアゴタ・クリストフの「悪童日記」を連想するが。
そこまで「行き切れない双子もの」と位置付けることもできよう。
耽美もの、倒叙ものとして読み取っていきたい、読者としては「僕」章を持ち上げて格別に置いてみたい、という欲求がむくむくと湧いてくるのではないか。
ミステリ的にいえば「僕」が核心的犯罪を行いつつも自らの記憶にも蓋をした悪魔的人物であってほしい、とか。
悪魔主義的にいえば「僕」があらゆる関係者を意図して手玉に取ったりとか。
あるいはコレクター的にいえば「私」が状況や環境や金や権力を使って「僕」を囲い込もうとする欲望に、駆動されるのかもしれない。
そしてそのそれぞれは、もう片方からの見え方を想像すると、より面白い。
と、楽しみ方、面白がり方、を考えてみた。
読書中に考えたこと、読了後に考えたこと、を盛り込みつつ。
が、ただひとつ苦言を呈する権利を貰えたら。
「**の寝室の壁を**の**でいっぱいにする」、それを**が目撃して驚愕・激昂する、というのは安っぽすぎないかなー、と。
壁を**でいっぱいにする段階で、**の底の浅さや卑小さが見えてくるというか。
もちろんそれは、**が見守る**の中二臭さにも適応されるのだろうけれど。
つまりは火サス的に堕してしまうかもしれない題材を、構成・衒学趣味・文体で美しく浮かび上がらせた、やはり小説的勝利の一作、なのだ。
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あぁ美しい・・・この破滅美をどう伝えれば良いのだろう。
河出文庫様、『罪深き緑の夏』に続き『シメール』の復刊をありがとうございます♪
『この闇と光』で服部まゆみ先生の美しい世界に魅せられ、手に入った作品を読み漁っているけれど、毎回その期待を裏切られることはなく安心する。
作品紹介
満開の桜の下、大学教授の片桐は精霊と見紛う少年に出会う。その美を手に入れたいと願う彼の心は、やがて少年と少年のの家族を壊してゆき――。陶酔と悲痛な狂気が織りなす、極上のゴシック・サスペンス。(河出書房)
本作にサスペンスの要素はあまりないと思う。様々なことがわりと早い段階で種明かしをされていくし、トリックのようなものもない。
でも、だからこその、片桐と少年とその家族との薄氷越しの会話や行動が読み手の心を掴んでいくのだと思う。
片桐は紳士的でありながらも、究極の「美」を求めるその心と行動が、「美」そのものである少年を癒し、そして追い詰めてゆく。
片桐も、少年の家族もみんな少年を愛しているのに、薄氷の向こうにいる少年にはその愛が届かない。そしてその氷は解けることなく割れる。
その突然の幕引きに暫し思考が停止した。。。
ああそうか、という思いに至るまでにかなりの時間を要した。
そうだね。うん。やっぱり美しいね・・・。
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美しい少年は聖なのか翔なのか?
少年に魅入られた男の柔らかい傲慢さ。
関係を端からみしみしと詰めてきて、息苦しいほど。
少年も男も、欲しい相手の愛情は手に入れられなかった……
自分で創る物語や、鑑賞してきた絵画や小説に浸る分には、この家は少年にも楽園だったはずなのに。
男が身勝手極まりないのに紳士すぎて笑える。
が、彼が評する翔の姿は、うっとりするほど美しかった。それがよけいに残酷に感じる。
相手をまるで一人の人間として扱っていないようで。
だからこその美か。
どうしても大谷亮平さんの顔しか浮かばなくて……
実写化されることがあったらぜひにw
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美少年に魅せられた男の物語。といっても下心のある感じではなくて、あくまでもその美を愛でる、というような純粋な思いだと感じられるのですが。それでも恋に似た感情なのかも。微笑ましいようにも思えたのだけれど、ぴりぴりと危なっかしい雰囲気が漂う作品です。
秘密を持った少年、どこかしら歪みを見せる少年の家族、という道具立ても相まって、物語の進み方はとにかく不穏。美しい雰囲気とファンタジックな要素も交えつつ、この生活は絶妙なバランスの上に成り立っている気がしました。だからこそそこに綻びが見え始めた時にどのようになってしまうのか、という危惧が感じられて、それがなんとも言えず不安です。
そしてこの急激な幕切れ。後に残るのはなんとも言えない読後感……でも最後まで「美しい物語」という印象は消えませんでした。
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こうなる以外はあり得ないなという完璧なオチ。
美少年に魅せられた男の物語と聞いて、『ヴェニスに死す』を思わずにいられないが、『ヴェニスに死す』では主人公自身に破滅が訪れるのとは対照的に、本作では主人公の想い人である翔(とその家族)が破滅の運命を辿っていく。つまり、まさに主人公の片桐は作中で翔が思い描いた「魔王」そのものである。
退廃美を描いた至高の作品だった。
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わたしには結構重かった…お父さんの気持ちを考えると辛すぎる。そして母のために兄を演じるしかなかった主人公も…
決して、片桐さんはヒールではない。それだけに結末はさらに重い。
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『この闇と光』が良かったので、他の服部まゆみさん作品を探し、美少年と聞いてこちらを読みました。
若くして美大の教授となりテレビでも人気の片桐教授。事故により嫁を亡くすが、もともと教授の座を射止めるための政略結婚であり愛惜に暮れる様子もなく、ただ鬱々としていたところに、美少年を発見し猛烈に魅せられる。
こちらの美少年は双子の片割れであり、現在中学二年生。外見は美少年ながらも、中身は思春期真っ只中の中2病らしく、不登校でゲームに没頭しゲーム作家を目指している。
教授は彼を手もとに置いておきたいがため、家族ごと自分の広い家に引っ越しさせ一緒に住み始めるが……。
教授と美少年、それぞれの視点で交互に描かれます。おもしろいのは、教授はひたすら美少年を愛でて耽美耽美しているのに対し、美少年は教授のことはなんとなく素敵なおじさんくらいにしか考えてなくて大半はゲーム脳という、二人の内面の対比。
そのズレが最終的には悲劇を生み出すのですが。
冒頭から三分の二くらいまでは、そんな二人と周囲の親や友人や職場の話がゆったりとすすみます。が決して飽きることなく、徐々に近づいていく教授と美少年の心情が丁寧に描かれます。美少年は双子の兄と弟どっちなのか?という謎も解明されないまま(兄弟二人の会話は出てくるが、どちらかが亡くなっているであろうと読んでいると察しはつくのだが、謎が解明されるのは終盤になってから)。
ラスト100ページで物語が一転。あれよあれよと展開。美少年ならではのラストとはいえ、私としてはけっこう衝撃のラストでした。悲しい。
美少年の母親に対する心情も、鬱陶しがってるのか好きなのか?まあ思春期だからな…と思って読んでいたのですが、双子の謎が解明されると、なるほどな、と。そんな彼を愛していながら、教授は最後まで観察者であり続けたということなのでしょう。夢見るために、シメールをシメールたらしめるために。うーん何とも言えない哀切。でもそれが心に残る。
やはり服部作品はおもしろいですね!他の作品も読んでみたい。しかし著者はもう亡くなられているのが残念です。文庫版復刊ありがとうございます。
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子どもの親に対する健気な行動、成長と共に新たな生活も含め、親に対する考え方の変化。それでも、子どもは、どうすることもできず、親が選択したものについていかなければならないという葛藤、現実。
目の届く範囲にいれば、愚痴も嫉妬も羨望も憐れみも強くなる。そしてお互いが相手をどう思っているか、いたのか浮き彫りになり、強く意識するようになる。
一人の少年と出会ってしまってからの、男の酔い方。花を愛でるように、手の届かない神をみるように陶酔し、畏れ、悶える。
シメールをシメールのままにしていれば、この男が行動を起こしたことで、ひとつの家族が、崩壊してしまう話。
最初はうまく回っていたかのような歯車も徐々におかしな方向に流れていく。
物語だけでなく、芸術、小説、絵画も知れる作品。
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恐ろしい小説。「この闇と光」を読んでいながら、著者の、うしろから人間を緑の眼で射るようなストーリィティリングを忘れていた自分にびっくりしている。前著同様、おののきながら、ページを繰る手を止めることができなかった。登場人物の少年が紡ぐ作中話のうちにも、おそらくかれ自身意識していなかった潜在恐怖があったのを次第に連想して、一度読む手を離したとき、また読了後、ため息を堪えきれなかった。
個人的には、男の眼を通して『見られる』女(またはミューズ)の振る舞いが(または裏切りが?)話とはまた別としてぞくっとする。
追記:あとから、変態(非日常(であってほしい!))が日常に食い込んでくる話だから読んで具合が悪かったのかと納得。ことばが結びついていなかったな……
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服部まゆみさんと言えば…憂鬱で含みのある雰囲気から、ゴシック的モチーフを緻密に、絵画のように組み立てる筆致で、『この闇と光』を初めて読んだ時から、読書に疎かった私を「没入」させてくれた、思い入れの深い作家さんになります。
本作の雰囲気は、いみじくも作中に書かれた通り…『ヴェニスに死す』『ハムレット』『ロリータ』…といった作品群を彷彿とさせるものがあります。画壇の若き秀才、片桐哲哉が、美少年木原聖(翔)の絶対の美を求めんがために生まれてしまった悲劇が、その流麗な筆致により息付く間もなく次々と展開していきます。ラストのぶつ切り感は否めませんが、それでも見事な悲劇であること! シメールというタイトルの意味から、ゲームの構想や様々なシーンに張り巡らされた伏線まで…丁寧でそして勢いがある…服部まゆみさんでなければこうはいきません…。
さて、まとまらぬ感想はとりあえずこのくらいにして…もう一度最後の節を読みます……うーん、この哀しい勢いと虚しさ! そうそう忘れることはないでしょうね…
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登場人物全員が大切な人のために尽くしていたが、その裏で犠牲が生まれていた。
ゴシックサスペンスは馴染みがなかったので、表紙からは内容を想像できなかった。読み終えてやっと意味がわかった気がする。
ラストの展開が衝撃的だった。